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Report UFC UFC251 ジョゼ・アルド ピョートル・ヤン ブログ

【UFC251】ローを効かされ、サウスポーを強いられて尚、アルドをTKO。ヤンが新バンタム級世界王者に

<UFC世界バンタム級王座決定戦/5分5R>>
ピョートル・ヤン(ロシア)
Def.5R3分24秒by TKO
ジョゼ・アルド(ブラジル)

ヤンが左ジャブを伸ばし、アルドもジャブを返す。ボディを互いに打ち合うと、ヤンが左ハイを狙う。ジャブを伸ばすヤンが右オーバーハンドから、返しの左は空振りに。ここでアルドが右ローを蹴るも、直後にワンツーの右ストレートを打ち抜かれる。攻め急ぐことのないヤンはローでバランスを崩されたが、立ち上がってすぐにワンツーを打っていく。左の蹴りのフェイクに続く右ローを空振りしたアルドは、直後の右ハイはしっかりとブロックする。

アルドはジャブから右ロー、ヤンはボディを返す。残り90秒、右を当てたヤンはローで体がよれるも、すぐに右ストレートをヒットさせる。左ミドルを入れたヤン、アルドはテイクダウン狙いから下になり、ヤンが腰を上げた状態から重いパウンドを落とす。ボディを効かせたヤンは顔面にパンチを纏めるとアルドは、蹴り上げでスペースを作りながら、ガードを取ったままラウンド終了を迎えた。

2R、腹を空けたままの構えのアルドが強烈な右ローを蹴り、左ジャブ、再びローを蹴る。構えを変えたヤンは、右ミドルをブロックして左ストレートを伸ばす。右を当てたアルド、ヤンは左ハイ。オーソに戻したヤンは、左ボディを受けて大振りのパンチは空振りに。アルドはここでもローで左足を蹴り、ヤンは2つ蹴られたところでスイッチする。

右手前でもワンツーを伸ばすヤンだが、ボディを打たれる。アルドは右ミドルを入れ、右ストレートを2つ伸ばす。対サウスポーの方が戦いやすいか、アルドは右ボディを打ち込み、プレッシャーを強める。さらに右ハイを蹴っていくアルドは、オーソに戻したヤンに右ロー。ヤンは直ちにサウスポーに戻し、左ストレート、左ハイも最後に右ミドルを蹴ったアルドがラウンドを取り返した。

3R、サウスポーのままのヤンが右ミドルからヒザ蹴りと腹を狙われる。アルドは左リードフックを放ち、圧で上回るようになる。ヤンも左ミドルを蹴り返し、ワンツーで前に出る。右ジャブをヤンが入れると、アルドはボディを狙い、右ボディストレート、左ボディフックを2発入れる。左フック、ボディから右を当てたアルドは腹を殴る。ケージに詰まっていたヤンは、ここで前に出てオーソに。右から左アッパーもローを蹴られる。スイッチした直後にヒザを顔面に届かされそうになったヤンは、強まるアルドのプレッシャーのなかで左フックを振るう。

右ストレート、左ボディフックを入れたアルド、ヤンが左ボディストレートを返す。さらにワンツーで前に出たヤンは、右を被弾してスピニングバックフィストを見せる。ボディから左を当てたヤンに対し、アルドがヒザを返すも右エルボーを被弾する。アルドは動きが落ちてきたか、ヤンがラウンド後半になって盛り返した。

4R、ボディを貰った直後に左を顔面に返したヤンは、クリンチから離れると左ミドルを蹴り込む。アルドはボディ、そして右ストレート、さらに左ボディフックで腹を抉る。ヤンは前に出てクリンチからエルボー、ヒザ蹴りのアルドもヒジを打っていく。左2発からワンツー、ボディを入れたヤンは、アッパーを2つ見せる。アルドはボディを返すも、足払いでバランスを崩すなど中盤を迎えると動きが落ちる。

ボディ、左フックを打ったヤンは、右を当て口を開けたアルドに右ジャブから左ハイを狙う。回るアルドは、走るように間合を外す。追いかけたヤンが左ロー、鼻血を流すアルドは必死に距離を取る。ヤンはボディから右フック、左アッパー。頭を抱えたように動きが止まったアルドの足を取り、軸足を払ってテイクダウンしたヤンが、ガードのなかに収まる。細かいパンチ、ボディから右を打ち込み、エルボー、腰を上げてボディを殴ると、ヤンは勢いのある左のパンチを2つ打ち込み、ラウンドを明確に取った。

最終回、インターバルでどれだけアルドは回復できたか。いきなり左ストレートを打ち抜いたヤンは、ケージ際まで下がったアルドからボディから左アッパーでダウンを奪うとパウンドを纏める。ハーフで抑え、エルボーを入れるヤンが、ハーフのアルドの右腕を殺して抑えパンチとエルボーを落とす。

右腕を制されたままのアルドは、エルボーを受け背中を見せる。キャンバスがすぐに真っ赤に染まるほど流血に見舞われたアルドは、後方からの鉄槌に動けない。レフェリーは試合を止めず、ヤンは左右のパンチ、ヒザを続ける。バックを譲ったままのアルドは右のパンチ、鉄槌、エルボーを受け続け、ついにはレフェリーが試合をストップした。

新UFC世界バンタム級王者に輝いたヤンは、ケージサイドインタビューで「少しハードファイトになることは予想していたけど、ローがきつかった。初回と2Rはプレッシャーを与えて疲れさせ、3Rから攻めるのが作戦だった」と話した。


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News UFC UFC251 アマンダ・ヒーバス アレックス・ヴォルカノフスキー カマル・ウスマン ジョゼ・アルド ピョートル・ヤン ブログ ペイジ・ヴァンザント ホルヘ・マスヴィダル マックス・ホロウェイ レオ・サントス

【UFC251】計量終了 終始笑顔のアマンダ・ヒーバス。マスヴィダルもミステリアス・スマイル!?

【写真】マスクをせずに計量に臨んだマスヴィダル、この笑顔が意味するところは (C)Zuffa/UFC

10日(金・現地時間)、11日(土・同)にUAEはアブダビのヤス島=ファイトアイランドで開催されるUFC251「Usman vs Masvidal」の計量及びフェイスオフが行われた。

3階級の世界戦に出場する選手は全員が問題なくパス。ジョゼ・アルドとバンタム級王座決定戦を戦うピョートル・ヤンはスケールに乗る前に服と一緒にマスクを外し、つけるように指示を受ける。

一方でマック・ホロウェイの挑戦を受ける世界フェザー級王者アレックス・ヴォルカノフスキーと、メインで世界ウェルター級王者カマル・ウスマンに挑戦するホルヘ・マスヴィダルはマスク無しで体重を測った。

そのマスヴィダルは下着を脱いで計量に臨み、指を組み腕を合わせるや満面の笑みを浮かべる。フェイスオフではマスクをつけたマスヴィダルだが、離れるとすぐに外し──ウスマンに何やら呟くようなシーンも見られた。


メインカード出場選手では会見などで、いつも明るさ満点のアマンダ・ヒーバスが大きなマスク着用でも体重計の上で思い切り笑顔を見せていることが分かった。そのヒーバス、ペイジ・ヴァンザントと相対すると鋭い目つきになるものの直後に背筋をピンと伸ばして、周囲にお辞儀するなど、どこまでも好人物ぶりを披露している。

なお女子バンタム級でカロル・ホサと対戦予定だったするヴァネッサ・メーロが 141ポンドと6ポンドのオーバー──30パーセントのファイトマネーのカットで、キャッチウェイト戦へ。またフライ級でジャルガス・ジャマグロフと戦うパウリアン・パイヴァは拝むような仕草をスケールの上で見せたが、3ポンド・オーバーで掌を合わせ周囲に詫び20パーセントの減給となり契約体重戦に臨むこととなった。

■UFC251計量結果

<UFC世界ウェルター級選手権試合/5分5R>
[王者]カマル・ウスマン: 170ポンド(77.11キロ)
[挑戦者]ホルヘ・マスヴィダル: 170ポンド(77.11キロ)

<UFC世界フェザー級選手権試合/5分5R>
[王者]アレックス・ヴォルカノフスキー: 145ポンド(65.77キロ)
[挑戦者]マックス・ホロウェイ: 145ポンド(65.77キロ)

<UFC世界バンタム級王座決定戦/5分5R>
ピョートル・ヤン: 135ポンド(61.24キロ)
ジョゼ・アルド: 135ポンド(61.24キロ)

<女子ストロー級/5分3R>
ジェシカ・アンドレジ: 115ポンド(52.16キロ)
ローズ・ナマジュナス: 116ポンド(52.62キロ)

<女子フライ級/5分3R>
ペイジ・ヴァンザント: 126ポンド(57.15キロ)
アマンダ・ヒーバス: 126ポンド(57.15キロ)

<ライトヘビー級/5分3R>
ヴォルカン・オデズミア: 205.5ポンド(93.21キロ)
イリー・プロハースカ: 205ポンド(92.99キロ)

<ウェルター級/5分3R>
エリゼウ・カポエイラ: 171ポンド(77.56キロ)
ムスリム・サリコフ: 171ポンド(77.56キロ)

<フェザー級/5分3R>
マクワン・アミルカーニ: 146ポンド(66.22キロ)
ダニー・ヘンリー: 146ポンド(66.22キロ)

<ライト級/5分3R>
レオナルド・サントス: 156ポンド(70.76キロ)
ロマン・ボガトフ: 155.5ポンド(70.53キロ)

<ヘビー級/5分3R>
マルチン・ティブラ: 252ポンド(114.3キロ))
マクシム・グリシン: 223ポンド(101.15キロ)

<フライ級/5分3R>
パウリアン・パイヴァ: 129ポンド(58.51キロ)
ジャルガス・ジャマグロフ: 126ポンド(57.15キロ)

<女子バンタム級/5分3R>
ヴァネッサ・メーロ: 141ポンド(63.95キロ) 136ポンド(61.69キロ)
カロル・ホサ: 141ポンド136ポンド(61.69キロ)

<バンタム級/5分3R>
マーチン・デイ: 136ポンド(61.69キロ)
デイヴィー・グラント: 136ポンド(61.69キロ)

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Interview UFC UFC251 ジョゼ・アルド ピョートル・ヤン ブログ

【UFC251】アルドとバンタム級王座決定戦、ピョートル・ヤン「彼が成長しているようには見えない」

【写真】ヤンという名前は祖父が中国からロシアに移り住み、中国由来であることを会見で話したピョートル・ヤン(C)Zuffa/UFC

8日(水・現地時間)、11日(土・同)にUAEはアブダビのUFCファイトアイランドで開催されるUFC251「USMAN vs Masvidal」のバーチャル・メディアデー2日目が行われた。

ここではジョゼ・アルドとUFC世界バンタム級王座を賭けて戦うピョートル・ヤンの
受け答えを抜粋してお届けしたい(※要約)。


──パンデミック下で、試合に向けてどのようなトレーニングキャンプを行えたのだろうか。

「今はトレーニングについて振り返る時じゃないけど、全て上手くいったよ。トレーニングが十分でなかったとしても、僕のモチベーションは勝利を手にするのに十分だった。キャンプが良かっただけにチャンピオンになるチャンスは大きくなった。

世界中のファイターがパンデミックの影響を受けている。受けていない選手は1人としていない。状況に合わせて、誰もが家でしっかりと体を動かしてきたはずだ。皆が同じ条件だった。そして今、ここで戦う。問題ないよ」

──タイガームエタイの練習で得られたことは?

「初めてタイガームエタイを訪れたのは2014年だった。当時、まだプロで1試合しか戦ったことがなかった。食べ物、マッサージ、気候、凄く雰囲気が気に入って、キャンプに集中できたんだ。またキャンプをタイガームエタイで行いと思うし、新しい環境で練習するのも必要だと思っている」

──UFCタイトルに初挑戦するということで、普段と違う面は?

「ナーバスになり過ぎることはないし、心配もしていない。ただ試合に集中してきたし、それ以外の部分に関しては考えないようにしてきた。他のことは試合が終わってから考える。今は試合のことしか、頭にない」

──この試合はジョゼ・アルドが王座決定戦に出てくるに値しないという声があるけど、アルドのことだけを想定して練習してきたのか。それともアルジャメイン・ステーリングになることもあるという考えはあった?

「対戦相手を決めるのは僕の仕事じゃない。ただ、空位のベルトを賭けて誰とでも戦うつもりだった。マッチメイカーがアルドを選んだ。ならアルドと戦う。彼は偉大な選手だし、レジェンドだよ」

─そのアルドと、どのような戦いをしたい?

「試合展開によるよ。倒せそうならKOを狙う。判定になりそうなら、判定勝ちをする。僕のゴールは勝利で、勝ち方にはこだわらない」

──以前、ノヴァウニオンでトレーニングした経験があるけど、ジョゼ・アルドとの練習がアドバンテージになると思っているかい。

「スパーやグラップリングをジョゼ・アルドとしたことは、素晴らしい経験になっている。でも4年以上も前の話だ。僕はあの時より強くなっている一方で、彼が当時より成長しているようには見えない。

あの練習がアドバンテージになるとは考えていないよ。アルドはボクシングとローでプレッシャーをかける。ずっとその戦い方だった。練習をしたことで僕がアルドを少し理解した。アルドも僕のことが少し分かった。それだけでアドバンテージはないし、何も変わらない。

試合を盛り上げるにはプロモーションが必要だけど、僕らは互いに尊敬しあっている。互いを知っていることが試合に影響を及ぼすこともない。彼のゴールはチャンピオンになることで、僕のゴールも同じ。だから良い試合になるよ」

■UFC251対戦カード

<UFC世界ウェルター級選手権試合/5分5R>
[王者]カマル・ウスマン(ナイジェリア)
[挑戦者]ホルヘ・マスヴィダル(米国)

<UFC世界フェザー級選手権試合/5分5R>
[王者]アレックス・ヴォルカノフスキー(豪州)
[挑戦者]マックス・ホロウェイ(米国)

<UFC世界バンタム級王座決定戦/5分5R>>
ピョートル・ヤン(ロシア)
ジョゼ・アルド(ブラジル)

<女子ストロー級/5分3R>
ジェシカ・アンドレジ(ブラジル)
ローズ・ナマジュナス(米国)

<女子フライ級/5分3R>
ペイジ・ヴァンザント(米国)
アマンダ・ヒーバス(ブラジル)

<ライトヘビー級/5分3R>
ヴォルカン・オデズミア(スイス)
イリー・プロハースカ(チェコ)

<ウェルター級/5分3R>
エリゼウ・カポエイラ(ブラジル)
ムスリム・サリコフ(ロシア)

<フェザー級/5分3R>
マクワン・アミルカーニ(フィンランド)
ダニー・ヘンリー(英国)

<ライト級/5分3R>
レオナルド・サントス(ブラジル)
ロマン・ボガトフ(ロシア)

<ヘビー級/5分3R>
マルチン・ティブラ(ポーランド)
マクシム・グリシン(ロシア)

<フライ級/5分3R>
ザルガス・ズマグロフ(カザフスタン)
ハウリアン・パイヴァ(ブラジル)

<女子バンタム級/5分3R>
ヴァネッサ・メーロ(ブラジル)
カロル・ホサ(ブラジル)

<バンタム級/5分3R>
マーチン・デイ(米国)
デイヴィー・グラント(英国)

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【UFC251】対戦カード プレリミでタイトルコンテンダー=オズテミア✖元RIZIN王者プロハースカ

【写真】スイスからオズテミアがヒストリック・イベントに。西欧からオズテミア以外に3選手、旧ソ連圏以外の東欧からは対戦相手のプロハースカとポーランドのティブラの2選手が出場する。またメインのウスマン✖マスヴィダルもオフィシャルで発表された(C)MMAPLANET

2020年7月11日(土・現地時間)
UFC251
UAE アブダビ
UFC Fight Island

■視聴方法(予定)
6月12日(日・日本時間)
午前7時~UFC FIGHT PASS
午前11時~PPV
午前11時~WOWOW ライブ

■対戦カード

<UFC世界ウェルター級選手権試合/5分5R>
[王者]カマル・ウスマン(ナイジェリア)
[挑戦者]ホルヘ・マスヴィダル(米国)

<UFC世界フェザー級選手権試合/5分5R>
[王者]アレックス・ヴォルカノフスキー(豪州)
[挑戦者]マックス・ホロウェイ(米国)

<UFC世界バンタム級王座決定戦/5分5R>
ピョートル・ヤン(ロシア)
ジョゼ・アルド(ブラジル)

<女子ストロー級/5分3R>
ジェシカ・アンドレジ(ブラジル)
ローズ・ナマジュナス(米国)

<女子フライ級/5分3R>
ペイジ・ヴァンザント(米国)
アマンダ・ヒーバス(ブラジル)

<ライトヘビー級/5分3R>
ヴォルカン・オズテミア(スイス)
イリー・プロハースカ(チェコ)

<ウェルター級/5分3R>
エリゼウ・カポエイラ(ブラジル)
ムスリム・サリコフ(ロシア)

<フェザー級/5分3R>
マクワン・アミルカーニ(フィンランド)
ダニー・ヘンリー(英国)

<ライト級/5分3R>
レオナルド・サントス(ブラジル)
ロマン・ボガトフ(ロシア)

<ヘビー級/5分3R>
マルチン・ティブラ(ポーランド)
マクシム・グリシン(ロシア)

<フライ級/5分3R>
ザルガス・ズマグロフ(カザフスタン)
ハウリアン・パイヴァ(ブラジル)

<女子バンタム級/5分3R>
ヴァネッサ・メーロ(ブラジル)
カロル・ホサ(ブラジル)

<バンタム級/5分3R>
マーチン・デイ(米国)
デイヴィー・グラント(英国)

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Interview Special The Fight Must Go On WEC34 アレッシャンドリ・フランサ・ノゲイラ ジョゼ・アルド ブログ ミゲール・トーレス 前田吉朗

【The Fight Must Go On】Media Passから後追い取材─01─2008年6月1日、WEC34&ミゲール・トーレス

WEC【写真】当時、UFCは既に北米メジャー大会で日本の専門誌のケージサイドの撮影は認めなくなっていたが、WECではケージサイドスポットが与えられていた(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第33弾はMedia Passから──ポストファイト・インタビュー、その01として2008年6月1日のWEC34後のミゲール・トーレスのインタビューをゴング格闘技#194号から、再録して紹介したい。

Torres vs MaedaZuffa買収後、軽量級普及のために全米ケーブルネットワークで中継されるようなったWEC。

エース・ライア・フェイバーがジェンス・パルヴァーを地元サクラメントで迎え撃った大会のセミファイナルで、WEC世界バンタム級王者ミゲール・トーレスは日本から刺客=前田吉朗をTKOで下している。

Gina Caranoこの前夜、ニュージャージー州ニューアークのブルデンシャル・センターでElite XCがCBSでライブ中継大会を行なったビッグショーを行い、翌朝に朝一番の飛行機でカリフォルニアへ移動し、ギリギリのタイミングで間に合うという冷や汗もの取材だった。

確か、サクラメントの空港から『パンチを予見する男』福田直樹さんのレンタカーに同乗させてもらった記憶がある。

そこまでしてこの大会を取材した理由は、メインのユライア✖ジェンス、そしてセミのミゲール✖前田選手ではなく、第2試合でアレッシャンドリ・フランサ・ノゲイラがWEC初戦を戦ったからだ。

Also vs Pequenho無敵の修斗ライト級(現フェザー級)王者は、その比類なきギロチンの強さで一時代を築いた。そして、MMAの覇権は軽量級ですら日本から米国に移り、ペケーニョがメジャーに挑む。

勝手ながらペケーニョを追うのは自分だという使命感を持って痺れるスケジュールで取材を敢行した。結果、ペケーニョは組もうとして打撃を貰い続け最後は2Rでパウンドアウトされる。ペケーニョに完勝し、MMAの進化を見せつけたのは同朋のジョゼ・アルドだった。

ユライアがジェンスを、アルドがペケーニョに完勝した夜、大会終了後にミゲールが宿泊するホテルのエレベーターホールに座り込んでインタビューに応じてくれた。そこで話された内容はMMAが世に認められる前を知る──ミゲール・トーレスだらこそ語ることができる、MMA夜明け前夜の物語だった。



Niguel Torres――前田吉朗選手をTKOで下し、WEC世界バンタム級王座初防衛に成功したミゲール・トーレス選手。その激闘の程が顕著に表れた額の傷です。何針、縫いましたか。

「6針だよ。でも、全く大丈夫だ。体はピンピンしている。足首が少し痛むけど、これはマエダのアンクルロックでやられたからじゃないんだ。2カ月前にキックの練習をしていて怪我をしていたんだよ」

――そこに足首固めを仕掛けられたのでは、相当痛みがあったのではないですか。

「痛かったよ。でも、アンクルロックでタップだけはしない。僕が見様見真似でグラップリングを始めた時から、アンクルロックの練習をしていたから、自分が戦えるかどうかぐらい判断できるよ」

――1、2Rは苦戦した場面も何度もありました。それでも3Rになってから動きが速くなったのに驚かされました。

「僕が速くなったんだじゃない。マエダが遅くなったんだよ。ずっと同じペースで戦えるようにトレーニングをしてきたから。3Rの開始が、試合開始のつもりで練習してきた。マエダに額をカットされて、もっとクールなファイターのつもりだったけど、感情を抑えきれなくなった。父は『あんな風に二度となるな』って怒っていたよ。

血を見て、感情的になったんだ。でも、マエダのようなファイターにはそうやって戦った方がよりチャンスがあると思っていたんだ。殴られたら殴り返すという気持ちを持っているファイターだから、前に出れば出るだけチャンスが広がる。マエダの気持ちが強い分だけ、ダメージを与え、疲れさせることができる。ボディへのヒザ蹴りを多く打ったのは、そういう狙いがあったんだ」

――実際のところ外見とは違い、冷静だったのではないですか。

「本当に感情的だった。でも、僕はバーやジムで戦ってきた過去がある。荒いファイトでも最後は自分をコントロールできる」

――バーで戦っていた?

「17歳のとき、僕のホームタウンのバーでイリーガルファイトが始まったんだ。イリーガルなのにポスターも貼られて、宣伝されていたんだ。すぐに戦いたいと申し出たんだけど、小さすぎるという理由で断られた。120ポンドしかなくて、やせっぽちだったからね。18歳になり、ようやく戦うチャンスをもらうと、ガレージで友人とキックとボクシングを自己流で練習しているだけの僕は、10秒ほどでKO勝ちしちゃったんだ。

すると徐々に試合機会が増えていった。公式記録になんて残らないファイトだよ。僕自身、戦相手の名前すら覚えていない。計量もないし、階級もなかった。薄くて、縫い合わせが雑で、擦りつけると簡単にカットできるグローブをつけて戦っていたんだ」

――まさに地下ファイトといった危険なファイトですね。

「試合タイムは5分×2Rとだけ決まっていて、バーの中央にリングを持ち込んでいたから、一応はMMAの体裁だけは整っていたかな。そんなバーでの試合以外に、僕らのようにグループ単位で練習している連中の間で、道場マッチも盛んだったんだ」

――道場マッチはどのようなルールだったのですか。

「エルボーも踏みつけもあり、ただし、体重だけは合わせるようにしていた。1年半の間に5試合ジムで戦い、10試合ノーウェイト制のバーで戦った。WECの発表するプロフィールではキャリア34戦だけど、本当はマエダとの試合で48勝目を挙げたことになる。通算戦線は49戦48勝1敗だよ」

――当時から、ガードからの関節技を得意にしていたのですか。

「バーやジムでやっていた頃は、スタンドで戦うことが多かった。寝技で使う技は3つだけ。ギロチン、三角絞め、そしてアンクルロックだ。マルコ・フアスが、僕に三角絞めを教えてくれたんだ」

――マルコ・フアスが?

「そう、彼とバス・ルッテンの教則ビデオを持っていた友人がいて、そのビデオが僕らの関節技の先生だった(笑)。対戦相手はMMAが分かっていない喧嘩好き、レスラーかボクサーばかりあったから、本当に基礎的なことしか紹介されていなかったけど、しっかり通用したよ」

――トーレス選手はそもそも、なぜ格闘技を始めたのですか。

「僕はボクシング、カラテ、テコンドー、あらゆるコンバット・スポーツに興味を持っていた」

――ボクシングは米国に住むメキシコ人にとって最も人気のあるスポーツですよね。

「父は毎晩のようにボクシング中継を見ていて、僕はその隣に座っていたんだ。ボクシングも大好きだったけど、僕の街にはボクシング・ジムがなかった。でも、カラテやテコンドーのような武道のジムはあったんだ。ブルース・リーやカラテ・キッド、サムライ・ムービーも大好きだったし、7歳の時にカラテを始めたんだ」

――他のスポーツ、球技などには興味はなかったのですか。

「サッカーは6歳の時からやっていた。レッスン料を支払えなくなって、カラテの練習を1年半後に続けられなくなっから、それからはサッカーをしていた。体を動かしていたかったからね。14歳になって、新聞配達や芝生刈りのバイトをして、テコンドーを習うようになったんだ」

――レッスン費用を両親に頼らず、格闘技ができる環境を自身で用意したと。

「家族も、そこまで必死になって取り組めるものがあって宜しい――なんて感じだったけど、さすがにプロのファイターになるとは思っていなかったみたいだよ。大学に進んで、ドクター、法律家、ビジネスマンになってほしかったんだろうね。どこにでもいる親と一緒だよ。僕はカレッジには進んだけど、ファイターとして生きていくのに大学に通うのは回り道だったよ。で、卒業したとき、両親は『さぁ就職だね』と言ってきたけど、『これでファイトに専念できる』って答えたんだ」

――そのファイターになるための、第一歩が自身で稼いだお金をつぎ込んだテコンドーだったのですが、もっとMMAにリンクできる格闘技を学ぼうとは?

「その通りだね。テコンドーの先生は僕に『テコンドーが最高の格闘技だ』と、言い続け洗脳していたんだ。一発の蹴りで、勝負はつくって。ハイスクールではレスリングが盛んで、彼らはレスリングが最高だと思っていた。そしてメキシコ人で無口な僕がテコンドーをやっていることに目をつけ、スパーリングをすることになったんだ。僕は蹴りを使った瞬間、フロアに叩きつけられたよ。『先生、どうやったら彼らの攻撃をストップできるのですか』、僕はすぐに尋ねたんだ。でも、先生はその解決策を持っていなかった。それでも僕はテコンドーの技術で、テイクダウンを防ぐ術を考えたけど、答に辿りつかなかった。そして、テコンドーを辞めたんだよ。もっとルールがなく、顔を殴ることが必要だと思ったから、キックボクシングとボクシングを始め、柔術の練習を開始した」

――その頃にはUFCを見ていたのですか。

「第1回大会から見ているよ。だから、すぐに柔術を始めたかった。でも、柔術のアカデミーは当然のように、僕の住んでいる辺りにはなかった。レスリングを習おうかと思ったけど、ハイスクールの連中は僕を仲間に入れてくれなかったしね。僕は細いからレスリングは無理だっていうんだ。まぁ、いいよ。今、多くのレスラーが僕のジムにやってきて柔術を習いたいって言うんだからね(笑)。結果、僕はガレージで友人たちとトレーニングを始めたんだ。凄く小さなマットでね。僕はガレージ生まれのファイターなんだ」

――それほど細く相手を見つけることも難しかったのに、ボクサーになろうという思いはなかったですか。

「ボクシングを本格的に習うには、シカゴまで通わないといけなかった。当時は車を持っていなかったし、レッスン料もかかる。働きながらカレッジに通っていたので、シカゴでボクシングを習う余裕はなかったよ。だから、ハモンドにいて可能になる練習しかできなかったんだ。それに、もうMMAに夢中になっていたからボクサーになろうという気持ちはなかった。キックも使いたかったしね」

――寝技だけでなく、立ち技も自己流だったのですね。

「そうだよ。指導者なんていなかった。ボクシング、キックだけじゃく自分が身につけていたカラテ、テコンドーの技も取り入れていたよ」

――オレ流の練習で、イリーガルなファイトで練習し、本格的にプロMMAの大会に出場するようになったというわけですね。

「本格的というか、バーをつかった一応は認められた大会だった。ファイトマネーは最初は0ドル。次の試合が100ドル、それから20ドルぐらいずつ上がっていった。そういうイベントを行っていたのがブラーリオ・コラル、そう、その後エリック・ムーンと共同でアイアンハート・クラウン(以下、IHC)を運営するようになった奴さ。

コラル(左)とエリック・ムーンに挟まれて

コラル(左)とエリック・ムーンに挟まれて

僕のMMAキャリアでコラルとの付き合いは、とても長い。彼の金払いの悪さには、本当に手を焼いたよ。今や犬猿の仲だけどね(笑)。

僕は多くの観客をアリーナに呼ぶことができたから、IHCやトータル・コンバット・チャレンジという地元の大会でも、結構いい契約を結ぶことができた。でも、コラルはエリックとIHCを共同で開き2000人~3000人の観客が集まるようになっても、ファイトマネーを支払おうとしなかった。で、エリックがポケットマネーで渡してくれたんだよ」

――なるほど、UFC人気が爆発する以前のMMAらしい話です。MMA好きでも、いろいろなタイプの人間が関わっていたものです。プロになってからの練習環境も、以前のように俺流だったのですか。

「コラルのバーファイトに出るようになったのが2000年からで、その1年前に初めて柔術を習った。ヒクソン・グレイシーがやってきてセミナーを開いたんだ。100人ぐらい参加者がいて、セミナー後には数人に青帯が与えられた。その時、青帯を受けた連中と道衣を着たトレーニングを始めるようになり、その中の一人がブラーリオ・コラルだったというわけさ。

彼のジムへ行き、そこで練習仲間はできたけど、まだ指導者はいなかった。僕の寝技は、自分たちで試行錯誤のなか磨いてきた。その後、インディアナポリスで試合があった時に、マルセーロ・モンテーロという柔術家と会ったんだ。彼がデラヒーバのことを紹介してくれて、1カ月後にリオの彼のアカデミーへ行った。ブラジルでのトレーニングは良い経験になった。青帯だったけど、もう30試合もMMAを戦っていたから、思った以上に対応できたんだ。そうしたら、デラヒーバは僕に紫帯をくれたんだ」

――ヒカルド・デラヒーバの下で柔術を学んでいた当時、プロ34戦目として発表されていたIHCで行われた修斗公式戦で、ライアン・アッカーマン選手に判定負けを喫しました。キャリア唯一の敗北です。

「ヒザの手術をして、1年半ぶりの試合。万全のコンディションでなく、当時の僕としては重い61キロ契約だった。そして、1Rが終わった時点で足が動かなくなったんだ。気持ちは戦いたいのに、足が動かない。もどかしくて、しょうがなかった。僕の足はスパゲッティのようにフニャフニャになっていた、肉離れを起こしていたんだ」

――テイクダウンを奪われ続けたのは、その肉離れが原因だったのですね。

「使った技がギロチンとトライアングルだけだったのも、そうだよ。あんな結果に終わってファンは涙を流しているし、自分の不甲斐無さに怒りを感じた。彼らにあんな思いを二度とさせないためにも、この試合後7カ月も試合ができなかったけど、柔術もボクシングも、さらにハードに練習するようになった。そして、再戦ではアッカーマンを叩きのめしたよ」

――そもそも、なぜシカゴにあるカーウソン・グレイシーJrのアカデミーに通わず、ブラジルまで足を運んでいたのか、当時から疑問に思っていたのです。その後、カーウソン門下になってはいるのですが。

IHC時代、マリアッチの演奏で入場するミゲールの後方に在りし日のカーウソンの姿が見られる

IHC時代、マリアッチの演奏で入場するミゲールの後方に在りし日のカーウソンの姿が見られる

「なぜ? 僕はカーウソン・グレイシーがシカゴにいることを知らなかったんだ(笑)。

デラヒーバが、『なぜ、わざわざブラジルまで何度もやってくるんだ? カーウソンがシカゴにいるじゃないか』って教えてくれたんだよ。帰国後、カーウソンのところを訪ねて自己紹介をしたら、『君のことは知っている。何度も、試合を見ているから』って言うんだ(笑)。試合場でカーウソンが僕に話しかけてくれていたら飛行機で10時間かかるブラジルでなく、車を使って30分で行けるシカゴで柔術を習うことができたのにね」

――確かIHCではカーウソンJrをリング上で紹介していましたよ。

「僕は地下の控え室にいたし、誰が誰だか分からなかったんだ(笑)」

――ハハハハ。確かにIHCが使っていたハモンド・シビックセンターの控え室は地下3階ぐらいにありましたね。その後、カーウソンとはどれくらいの間、トレーニングをすることができたのですか。

「5年間だよ。カーウソンが亡くなるまで、ずっとカーウソンとやっていた。ステファン・ボーナーもいたよ」

――その間、グラップリングの大会に出たことはありますか。

「あるよ、もちろん。ギもノーギもどっちもやってきた。アーノルド・クラシックのノーギ・アマチュア、ギではブルーベルトで優勝した。グレイシー・ナショナルスでも優勝しているし、結構やっているんだ。今もグラップリングは好きだけど、MMAに専念している。5年前に作ったジムでの指導もあるし、自分の練習もある。MMA以外のことをするには時間が足らないね」

――ところで、日本ではハードコア・ファンはトーレス選手の来日を今か今かと待ち望む声が高かったです。特に修斗ファンはDVDやCS中継であなたの試合を見ているので北米タイトルを取ったときは、いよいよか――という声が挙がりました。

「う~ん、日本には行きたかったけど、ビジネスとして成立しなかったんだ。ジムでの指導、関連商品の販売など、日本に行って戦うよりホームタウンにいたほうが稼ぎになったから。でも日本は僕にとって憧れの地だったんだ。ハヤト・サクライ、ゲンキ・スドーは僕のアイドルだったし、ハツ・ヒオキも好きなファイターだ。今は何といっても、シンヤ・アオキの大ファンだ」

――IHCで修斗の北米王者になったあとも地元を中心に戦い、AFCを経由し昨年BORDOGと契約をしました。既にWEC がズッファに買収され、軽量級にスポットを当てるようになっていたなかで、どうしてボードッグを選択したのでしょうか。

「僕の教え子のエディ・ワインランドがWEC世界バンタム級チャンピオンだったからなんだ。エディは凄く可能性のあるファイターだったけど、青かった。チェイス・ビービに負けて、練習に来なくなってしまったんだ。それからしばらくして、僕の方にもWECから連絡があった。ボードッグとはカナダでライアン・ディアズ戦を含め、3 度も試合がキャンセルされた。僕は家族を養っていかないといけないのに、時間とお金を失っただけだった。WECから連絡があって本当に良かったよ。WECは北米だけでなく日本、そしてブラジルからも実力者が集まっている。今、僕のウェイトでは一番タフなプロモーションになっていると思うよ」

――ハニ・ヤヒーラ、ウィル・ヒベイロというブラジル人は手強そうですね。

「どっちと戦っても、僕はエキサイティングな試合になると思う。楽しみだよ」

――日本では山本KID徳郁選手が、バンタム級で戦っていきたい、WECのチャンピオンと戦いたいと公言しています。

「彼はユライアと戦いたいって言っていたよね。KIDヤマモトは本当に強いファイターだ。修斗で戦っていた頃から、とんでもなく強かった。そんな彼が僕の階級になり、僕を意識してくれるのなら嬉しいね。WECは世界のベストファイターが揃っているから、KIDもWECにやってきてほしい」

――KID選手と戦うなら、WECで戦いたいということですか。 日本ではなく。

「ファイトマネーが高い方で戦いたいよ。それが僕にとって、良い場所っていうわけさ。どうせなら、最も自分の価値を認めてくれる場所で戦いたい。ファイターなら誰もが、そう思うはずだよ」

――TUFでUFC人気が爆発しても、UFCにはトーレス選手の階級はありませんでした。MMA人気が高まるなかで、あまり注目されない軽量級にいて、MMA人気の上昇する様子をどのように捉えていましたか。

「僕の階級もいずれ脚光を浴びる。そう信じていた。だから、MMAをやめようとかそういう風に思ったことは一度もないよ。現実を見つめつつ、希望を失うことはなかった。僕が初めて試合をしたのはバーの中で、たった10人ほどの観客しかいなかった。それが20人になり、40人になり、どんどん増えてきた。そんなファンに満足してもらうよう、僕も戦ってきたつもりだ」

――このビジネスの好調さを背景にすぐに大金が手に入ると思い、また口にするファイターも少なくないですが、トーレス選手はビジネスになる以前のMMAを肌で知っているわけですね。

「バーで戦い、ジムで戦い、公共の体育館で戦ってきた。そして、とうとうナショナルTVでライブ中継される大会、1万2000人のファンの前で戦うことができた。すぐにそういうステージで戦えるほうが良いと思う人間もいるだろうけど、急ぎすぎてはダメだ。一気にたくさんのプレッシャーを感じると、自分を失うことになる。いろいろ経験してきて、今、この場所に立っていることを幸せに思うよ」