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【The Fight Must Go On】Media Passから周辺取材─02─2016年3月28日、WSOF09&ゲイジー初取材

Justin Gaethje【写真】相応とはまるで違う、物静かなゲイジーだった (C)MMAPLANET

UFCの活動再開、修斗の無観客大会開催と国内外のMMAも少しずつ動き始めましたが、まだまだ自粛要請は続き停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第34弾はMedia Passから──ポストファイト・インタビューではなく……周辺取材インタビュー、その02として2014年3月29日に開催されたWSOF09取材時に、大会前日=3月28日に行ったジャスティン・ゲイジーのインタビューをゴング格闘技#264号から、再録して紹介したい。

WSOF09は日本から岡見勇信が出場し、スヴェトロザル・ザヴォフと対戦した大会でメインはスティーブ・カール✖ホジマール・トキーニョのWSOF世界ウェルター級選手権試合。さらに世界バンタム級王座決定戦としてマルロン・モラエス✖ジョシュ・レティングハウスも組まれていた。

日本でもパンクラスと組んで大会を行うと発表するなど、レイ・セフォーの迷走ぶりも目立っていった北米第3のプロモーション=WSOF。しかし、マルロン・モラエスや今も後継団体のPFLで活躍中のランス・パーマー、そして3カ月前にライト級でベルトを巻いたばかりのジャスティン・ゲイジーという金の卵を発掘し、育てた実績は評価される。

ここではゲストとして大会を訪れたゲイジーに行った初インタビュー、9日にトニー・ファーガソンを破りUFC暫定世界ライト級チャンピオンに輝いた──ゲイジーの2016年3月28日の声をお届けしたい。

そのファイトスタイルからは想像もできない、非常に物静かな青年がそこにいた。


──そのアグレッシブさゆえ、凶暴とまで感じられるファイトスタイルで、日本でもコアファンの注目を集めているジャスティン・ゲイジー選手です。

「アグレッシブ過ぎることは、あんまりないよ(笑)。でも、日本ファンが僕のことを知っていてくれるなんて嬉しいな。WSOFは日本でも大会を開くから、僕も君達の国で試合がしてみたいよ」

──1988年11月14日、アリゾナ州サフォード出身と資料にありますが、サフォードという街のことは……。

「知らないだろう? 当然だよ。本当に小さな町で、回りに何もない。人口も1万人に満たない場所だから。メキシコ人が多くて、僕も半分はメキシコの血が流れている」

──へぇ、そうなのですか。ラテンの血が混ざっているようには見えないですね。

「そうなんだ、白人しか見えてないってよく言われるけど、母親は純粋なメキシカンなんだよ」

──ケージのなかでは暴れん坊そのもののジャスティンですが、こうして話していると少しイメージが違います。実はインタビュー前も、粗暴な人間がやって来たらどうしようと不安だったんです。

「ハハハハ。僕は双子で、16分若い弟がいた。弟とは当然のように、何かにつけて競い合っていたけど、全く暴力やバイオレンスなことからは縁遠い少年時代を送っていたよ。4歳からレスリングを始めて、あんまり弟をコテンパンにやっつけてばかりだったから、彼はさっさと辞めてしまったけどね(笑)。でも、それはマットの上の話だから。人に手を挙げるようなことは絶対になかったし、だいたい僕は友人と喧嘩をしたこともなかった」

──こう言っては失礼ですが、意外です。

「レスリングでパンチは許されていなかったからね。それでも、レスリング時代は今よりもアグレッシブだった。攻める気持ちが強すぎて、たくさんミスをした。とにかく全力で戦いたかったんだ。それで負けるのは気にしていなかった」

──そのレスリングを始めたきっかけは何だったのですか。

「分からない(笑)。親にレスリングクラブに連れられて行った。いつもレスリングごっこのように弟とじゃれあっていたからかな。レスリングには、すぐにメチャクチャはまったよ。バスケットやフットボールなんて、全く興味を持てなかった」

──球技よりもコンタクト・スポーツの方が合っていそうでね。

「でも、ゴルフは好きだよ」

──ゴルフですか。これもまた意外な事実を知ることができました。

「ゴルフも一応球技だろう? ボーリングも好きだし。ボーリングだって球技だよね?(笑)」

──ハハハ。ではチーム・スポーツよりも、個人スポーツの方が合っていたということはないですか。

「それも自分では分からないなぁ。レスリングは確かに戦っている時は個人スポーツだけど、普段の練習や試合の時の周囲のサポートを考えるとチーム・スポーツだと思うんだ。みんなで支え合って、一緒に練習を続ける。そうすることで、互いに自信を深めることができた」

──そのままレスリングを続け、大学のときはD-1オールアメリカンに輝きました。

「北コロラド大学の時にね。スカラーシップで進学したけど、MMAを始めたのも大学生の時だよ。カレッジ時代にアマチュアの試合に7回出場した。NCWA(ナショナル・カレッジ・レスリング・アソシエーション=全米カレッジレスリング協会)のアスリートだったから、ファイトマネーを貰っちゃいけなかったんだ。でも学生の身だったし、お金の心配なんてしていなかった。気楽なもんだったよ(笑)」

──アマ規定のようなものが米国のカレッジレスラーにあるとは知りませんでした。ところでなぜ、MMAで戦おうと思ったのですか。

「大学のレスリングクラブのコーチが、何度となくMMAファイターを連れてきて、一緒に練習してことがあったんだ。それで興味を持つようになった」

──ちなみに名前のあるファイターも含まれていたのでしょうか。

「GSP、ドナルド・セラーニ、クレイ・グィダ、カブ・スワンソン、レオナルド・ガルシアたちだよ」

──名前があるも何も、超一流の選手ばかりじゃないですか。ジャクソンMMAに関係のあるファイターがやって来ていたのですね。

「彼らとレスリングをやっても、何も問題なく戦えたよ。MMAは子供の頃に見ていて『やってみたい』と思ったこともあった。実現するかどうか分からないけど、日本で戦いたいと思っているのも、あの頃、日本のテクニカルな試合を見て凄いって感じたからなんだ。でもずっとレスリングをやっていたから、本腰を入れてMMAに取り組む機会はなかった」

──そんな時にプロのトップファイタートロールする機会ができたのですね。

「皆、そうだったけどGSPは本当に素晴らしい人格者だったよ。凄く自信を持っているのに、それ以上に親しみやすい性格の持ち主だった。他の選手に関しては、正直言ってどんなポジションで戦っているのかも知らなかったけど、問題なくレスリングできたし、彼らも色んな助言をしてくれた。実はね、最初の試合に出るまでMMAのトレーニングをしたこともなかったんだ。ストリートファイトの経験もゼロだし、初めて人の顔を拳で殴ったのが、アマチュアMMAの試合だったんだ(笑)。スラムで人を投げたのも初めてだった」

──えぇ、そうだったのですね(笑)。WSOFの試合を見る限り、生まれながらのブローラーだと思っていました。

「なぜだろうね? 顔面を殴るという行為も競い合いたくなった。何百、何千回ってレスリングの試合をやり続けていたからかな。一つひとつの試合で学べるものがあった。子供の頃から合計で負けた数は70回ほど。敗北の多くは、相手でなくて自分に負けた試合だ。その敗北をどう受け止めるかだと思う。百回負けても、千回負けても、何も感じない人間もいるだろう。それでは何も経験していないのと同じだ」

──ジャスティンは、ポンとスイッチが入る戦闘本能が備わっているのでしょうね。

「最初の試合が終わってから、グラッジ・トレーニングセンターでMMAのトレーニングを始めた。でも、次の試合まで何度かケージのなかで殴り合ったぐらいで、ちゃんとした打撃は学んでいなかった(笑)。もちろん、今はジェイク・ラモス、トラヴィス・ウィットマンの下で、しっかりとトレーニングを積んでいるよ。彼らは僕をストライカーにしようなんて思っていない。レスリングをベースに打撃を使えるように指導してくれたんだ」

──プロのMMAファイターになろうと思ったのは?

「レスリングでオリンピック・ゲームを目指していた。でもネブラスカ大のジョーダン・バローズに負けた時に諦めた。ポイントは確か8-4とかだった。どれだけ実力が伯仲していても、五輪へ行くのは1人だけだ。これでは食っていけないと判断し、五輪予選に出ることもなかった。彼はその後、ロンドン五輪フリースタイルレスリング74キロ級ゴールド・メダリストになったよ。僕はその1年前、2011年にプロMMAの試合に初めて出た。アマで戦っている頃から、ダン・ヘンダーソンが大好きだったんだ」

──なるほど。ようやくジャスティンの戦い振りに結び付くヒントが出てきました。それにしても、ジャスティンはケージの外ではどちらといえば模範的で人だったのですね(笑)。

「そんなぁ、どんな人間だと思っていたんだい? 僕は常にポジティブでありたいし、それこそ人々にとってロールモデルでありたいと思って来たのに……(笑)」

──試合中と今を比較すると、まるでジキルとハイドのように違った人格を持っているように感じます(笑)。

「ハハハハ。ケージのなかでは、とにかく負けたくない。自分のベストを尽くして、対戦相手をぶちのめしているんだ。ケージの外では可能な限り、ナイスなヤツになろうと心掛けている。ケージに入ると……そうだね、相手のことが嫌いなわけでもないし、怒りを感じて戦っているということもない。ただただ、必死に戦っている。何も考えてないっていうのが本当のところだ」

──ところでコロラドという高地でレスリングを続け、今も練習していることで、ジャスティンはスタミナ的にアドバンテージがあると思いますか。

「う~ん、MMAはね99.9パーセントはメンタルの勝負だ。自分の限界を超えるようなトレーニングを試合前に何度も、繰り返している。確かに僕らは酸素の薄い場所でトレーニングし、その環境を求めてコロラドに練習しにくるファイターもいる。でも、そんなものはほんの少ししか試合に影響は与えない。頭で『疲れてなかったから、もっとやれた』なんて考えているからだ。疲れないように体調を整えるは当然だし、疲れたと判断しないよう強い気持ちを持っていないと戦うことはできない」

──高地に住んでいることは、大したアドバンテージじゃないと。

「さっきも言ったけど、少しはあるだろう。でも、それもコロラドで生活していることが優位になると自分で思っているからだよ。もう8年コロラドに住んでいるけど、実際の効力は僕には分からないよ。血液中の酸素が少なることは確かだろう。だからといって、その環境にいることでMMAを戦う上で影響があるのか、それは分からない」

──その状況でレスリングを続けてきたので、ケージのなかであれだけ腕を振り回し続けることができるのかと。

「なるほど。だったら、あの土地に住んでいることで助けられているね(笑)」

──プロ11戦目でWSOF世界ライト級王者になれました。そのWSOFと契約したのはキャリア7連勝のときでした。

「あの時点でベストな選択をしたと思っている。家族がより良い生活を送ることができるようになった。MMAファイターを目指した時からは、想像もつかないファイトマネーを手にすることができている。もちろん、自分と同じ階級で、強いとされているファイター、1人ずつ戦っていきたいという想いも持っているよ。アンソニー・ペティスだって、そのなかの1人だ。でもUFCとか、WSOFとかはあまり気にしていない」

──既にニック・ニューウェルとの初防衛戦も正式に決まりました。

「彼はレスラーだけど僕のようなレスラーと戦ったことがない。まぁ、倒してパンチを落すよ。見ている人が楽しめる試合になるだろう。第三者から見ると、僕はアグレッシブ過ぎるんだろう。それは分かっている。常にフィニッシュを目指しているからね。でも、決して勢いに任せて戦っているわけではないんだ。あのスタイルで戦えるよう、ハードなトレーニングを積んでいる。スラッピーに見えるかもしれないけど、自分をコントロールして戦っている。結局のところ、ああやって戦いたいわけで、このスタイルが僕に合っているということなんだ」