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【The Fight Must Go On】イベントプログラム・シリーズ─04─2004年6月5日、Ironheart Crown@ハモンド

IHC【写真】ホイス・グレイシーの道着を掴んでアッパーを入れたキース・ハックニーの教え子ギディオン・レイとミレティッチMMAのジェイソン・ブラックがメインで戦った(C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第28弾はMMAPLANET夜明け前のイベントプログラム・シリーズ……その第4回として2004年6月5日、IRONHEART CROWN(IHC)のパンフレットを捲ってみたい。


IHCはハワイのヘウソン・グレイシーの下で柔術を学んでいたエリック・ムーンが、ドクターとして勤務にしていたイリノイ州シカゴで興したMMA大会だ。第1回大会は1999年11月、2001年までは本業の過密勤務のなか年に1度のペースが行われていた。最初の2回はイリノイ州がパウンド有りのファイトを認めなかったため、グラウンドでは打撃なしのKOKやZSTルールのようなルールが使用されていた。

IHC03第3回からシカゴ市の東隣、インディア州ハモンドを開催地としパウンド有りに移行する。

2002年10月の第5回大会よりUSA修斗の認可を受けてプロ修斗公式戦を組むようになり、修斗アメリカス王座決定トーナメント及び王座決定戦を組むなど、中西部のプロ修斗公式戦を担うようになっていった。

IHC02ここでパンフを紹介する2004年6月大会でも10試合のプロ修斗公式戦が組まれ、後にミゲール・トーレス、ステファン・ボナーというMMAに名を残すファイターが出場している。

この他、テリー・マーチン、アントニオ・カルバーリョ、メインで戦ったジェイソン・ブラック✖ギディオン・レイと6人の同大会出場選手がUFCにステップアップを果たしている。

この後、来日も果たしたアントニオ・カルバーリョ

この後、来日も果たしたアントニオ・カルバーリョ

IHCはシカゴや中西部勢が主流であったが、修斗公式戦を組むようになり日本で戦うチャンスを得るために主催者にコンタクトを取るファイターも見られ、前述したカルバーリョはカナダのオンタリオから、対するクリス・アレンはコロラド州デンバーから遠征してきた。

ムーンは本職でないが故に、自らの理想を追求するためにビジネスを度外視た部分もあり、そんな彼のパッションがこのようなローカルに関係のない高水準のカードのマッチアップに通じている。

その試合で勝利したカルバーリョは、ムーンの熱意を背に受けたようにIHCに続き、カナダ・バンクーバーで修斗の試合を組むようになったWEFを経て来日を実現させる。佐藤ルミナと日沖発に勝利したカルバーリョは、GCMのCAGE FORCEやカナダで一時期、比較的に規模の大きな大会を開いていたSCORE Fighting SeriesからUFCに辿り着いた。

一方、クリス・アレンはドウェイン・ラドウィックの同門で、コロラドのRING OF FIREでK-1ルールでも活躍していた打撃系MMAファイターだ。彼はカルバーリョとは対照的に、メジャー進出を逃しROFで2010年にキャリアを終えている。ROFはアレン以外にアルヴィン・ロビンソン、そしてドナルド・セラーニを輩出したロッキーマウンテンのフィーダーショーで、プロモーターとマネージャーを兼ねていたスヴェン・ビーンはセラーニをケージフォースに来日させ、今では北米最大のフィーダーショー=LFAの副社長を務めている。

修斗グローブが新鮮なボナー

修斗グローブが新鮮なボナー

2005年にTUFによりUFCがメインストリームに闊歩するようになる前年、2006年12月のZuffaによるWECの買収=フェザー級以下のメジャー化プロジェクト開始まで2年半。

来るべき時がくれば花を咲かせ、実をつける以前、そんな時代の到来を夢見た関係者たちが、全米各地で見られ、日本も絡めたうえでIHCもまた、当時のMMAシーンを象徴するイベントともいえる。

後列右端がムーン。共同プロモーターのブラウリオ・コラルが何やら耳打ち。ムーンの方を見ているのが、キース・ハックニー。中腰の背広姿はコンバット・ドーのボブ・シュマー、ホゼ・トーレスを育てた。後列左端がエクストリーム・チャレンジのモンテ・コックス、前列は右端がHnHのジェフ・オズボーン、ジェンス・パルバー、ジェフ・カーラン、そしてカーウソン・グレイシーJr

後列右端がムーン。共同プロモーターのブラウリオ・コラルが何やら耳打ち。ムーンの方を見ているのが、キース・ハックニー。中腰の背広姿はコンバット・ドーのボブ・シュマー、ホゼ・トーレスを育てた。後列左端がエクストリーム・チャレンジのモンテ・コックス、前列は右端がHnHのジェフ・オズボーン、ジェンス・パルバー、ジェフ・カーラン、そしてカーウソン・グレイシーJr

WEC世界バンタム級王者として凱旋したトーレス

WEC世界バンタム級王者として凱旋したトーレス

IHCはイリノイ州でMMAが認められるようになった後、2008年11月にイリノイ大学シカゴ校=UICパビリオンで最後の大会を行い、ムーンはMMAから勇退し医療に専念。既に修斗公式戦でなくなっていた最後のIHCのメインにはハファエル・アスンソンが出場、第5試合ではリカルド・ラモスが判定勝ちを収めている。

翌2009年4月に所も同じUPIパビリオンにWECが進出し、メインでミゲール・トーレスがWEC世界バンタム級王座防衛戦を──この大会が開かれた2004年に全日本アマ修斗で優勝し、翌年プロとなった水垣偉弥を相手に行っている。

さらにはアスンソン、ジェフ・カーランというIHC卒業生が全米にライブ中継されたイベントで戦った。

MMAがまだ世の認知を受けていない頃から、エリック・ムーンをはじめIHCに関係していたファイターやコーチ、関係者の夢見ていた世界は、ここに結実したといっても過言でないだろう。