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DEEP Interview J-CAGE Special The Fight Must Go On チェ・ドゥホ ブログ 佐伯繁 昇侍

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─07─

【写真】現時点で最後の日本での試合。チェ・ドゥホはこの後、UFCでカブ・スワンソン、ジェレミー・スティーブンスとえげつない殴り合いをオクタゴンで魅せている(C)DEEP

全国的に緊急事態宣言が解除され、格闘技ジムの活動再開も伝わってくるなか──それでもMMA大会は中止及び延期が続いています。それでもUFCの活動再開や、国内でも無観客大会が開かれつつあるなか、引き続きThe Fight Must Go Onということで、第43弾はMust Watch!! このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画だが、「5試合にしぼり切れないんだよぉ」ということで、今回は第七弾(最終回)へ。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」ながら、「どうしても絞り切れない」と選んだ最後の試合は2013年6月15日に行われたチェ・ドゥホ✖昇侍の日韓対決だ。

DEEPで5連勝中、キャリア11戦で日本での試合が10試合。日本のMMA界で育ったといっても過言でないチェ・ドゥホが、UFCに巣立つ前に戦った国内最後の一戦はDEEPにとって特別な大会のメインだった。

佐伯繁のMust Watch 07、チェ・ドゥホ✖昇侍の選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「後楽園で初めてケージでやって、その時のメインでした。チェ・ドゥホが快進撃を続けていて、1枚目のポスターはチェ・ドゥホのピンだったんです。外国人選手がピンのポスターは、あれ以外はないですね。赤コーナーのチェ・ドゥホは外国人でもエース的な期待感がありましたね。

試合内容的にも20数年やってきて、トップクラスの戦いでした。昇侍が本当に頑張って、蹴り上げのダウンから立ち上がって殴り合ってね。初の後楽園のケージで熱があって、昇侍も言い方は悪いけど予想を上回る力を出していました。チェ・ドゥホが危ないシーンもあった。そして外国人の彼が勝っても、お客さんは凄く歓声を送ってくれた。色々な想いが記憶に残っている試合ですね」

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DEEP Special The Fight Must Go On ビョン・ジェウン ブログ 佐伯繁 元谷友貴

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─06─

【写真】この話を聞くと、ビョン・ジェウンの試合が見たくてしょうがなくなる (C)DEEP

全国的に緊急事態宣言が解除され、格闘技ジムの活動再開も伝わってくるなか──それでもMMA大会は中止及び延期が続いています。それでもUFCの活動再開や、国内でも無観客大会が開かれつつあるなか、引き続きThe Fight Must Go Onということで、第42弾はMust Watch!! このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画だが、「5試合にしぼり切れないんだよう」ということで、今回は第六弾へ。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」ながら、6試合目は2018年2月24日に行われた元谷友貴✖ビョン・ジェウンの日韓対決だ。

このセレクトは意外にも、佐伯代表のビョン・ジェウンへの想いが詰まった選択理由があった、

佐伯繁のMust Watch 06、元谷✖ビョン・ジェウンの選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「俺ね、試合だけ見ちゃうと技術的なことはあんまり分からないんだけど(笑)、ビョン・ジェウンってこの前に2016年にフェザー級で戦って今成選手に勝っちゃっているんです。でもそれからケガをしていて、1年半ぶりの試合でバンタム級のウチのトップの元谷君と戦う。

ビョン・ジェウンはもともと寝技の選手なのにガンガン殴り始めて。結構なパンチを振りまわして、元谷も危ない時があった。でも、時間が経つと元谷のパンチが当たり始めて──結果、元谷が勝った。でも戦い続け、パンチを打ち続けた結果、それから4度も拳の手術をするようなダメージを負ってしまったんです。

それだけの怪我をしながら、最後まで戦い切った。凄く記憶に残っている試合です。試合に出られない間も彼は『DEEPのチャンピオンに絶対になります』って連絡をくれていてね。そのビョン・ジェウンが3月のDEEPで復帰戦を戦う予定だったけど、テグでクラスターが起きて入国できなくなってしまいました。時が許せば、またビョン・ジェウンはDEEPで頑張って欲しいです」

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DEEP Special The Fight Must Go On ブログ 佐伯繁 前澤智 浅倉カンナ

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─05─

【写真】浅倉カンナの実力が査定される試合でもあった (C)MMAPLANET

全国的に緊急事態宣言が解除され、格闘技ジムの活動再開も伝わってくるなか──MMA大会は中止及び延期が続いています。それでもUFCの活動再開や、国内でも無観客大会が開かれつつあるなか、引き続きThe Fight Must Go Onということで、第41弾はMust Watch!! このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画の第五弾。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」、5試合目は2019年3月9日に行われた浅倉カンナ✖前澤智の女子アトム級のマッチアップだ。

DEEP JEWELSが23度目のイベント開催で、後楽園ホールに進出。そのメインでRIZINで育った浅倉カンナが、アトム級チャンピオンの前澤智と戦った一戦。

佐伯繁のMust Watch 05、浅倉✖前澤の選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「カンナがこの前の大晦日で浜崎さんに負けて、彼女がどれぐらいの強さがあるのか。JEWELSでは、どの位置にあるのかっていうので現役王者の前澤さんと戦う。その試合が初の後楽園ホール大会のメインだった。JEWELSが後楽園ホールでやって、そのメインをそういう2人が務めるというのはやはり感慨深かったですね。

浜崎さんとハム・ソヒにしても、浜崎さんとカンナにしても、カンナと前澤さんにしても、言ってしまえばROAD FCでハム・ソヒが黒部さんとやった時も、僕からすると皆、自分のところでやってきた選手だから。どっちが勝つにしても、負けるにしても……知らない選手に負けるくらいなら、知っている選手同士で勝ち負けがあるほうが普通に見られるんです。彼女たちが知らない選手に負けるより、ずっと良い。うちの選手が修斗の選手とやるのとは違います。

結果、カンナはケージで強かったです。測定不能だった彼女が、現役のチャンピオンとやる。前澤さんも勝てば得るモノが大きい。DEEP JEWELSにとって初めての後楽園ホール大会のメインに相応しい試合だったと思います。結果としてカンナが強かったです」

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DEEP Special The Fight Must Go On ブログ 佐伯繁 小見川道大 毛利昭彦

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─04─

【写真】テイクダウンコントロールから一転、激しい殴り合いに (C)KEISUKE TAKAZAWA/MMAPLANET

全国的に緊急事態宣言が解除され、格闘技ジムの活動再開も伝わってくるなか──それでもMMA大会は中止及び延期が続いています。それでもUFCの活動再開や、国内でも無観客大会が開かれつつあるなか、引き続きThe Fight Must Go Onということで、第40弾はMust Watch!! このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画の第四弾。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」、4試合目は2019年10月22日に行われた小見川道大✖毛利昭彦 のベテラン対決だ。

この3カ月前にオーロラ☆ユーキを破り、3年5カ月振りのMMAマッチを勝利で飾った小見川に対し、山口県周南市でMMAの普及に努める毛利。43歳と44歳の対決に後楽園ホールが揺れた。

佐伯繁のMust Watch 04、小見川✖毛利の選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「正直言って、オジサン対決なんですよ。今の時代とも逆境している戦いでした。でも40歳になったオジサンが……毛利君も血まみれになって戦った。決してフェザー級のナンバーワンを決めている戦いじゃないです。でもベテランの2人が、終った時の清涼感も良くて。あの瞬間、皆に伝わるモノがあったんじゃないかと思います。

若い子にアレをやってくれと言っているわけじゃなくて、でも若い子に何か伝わったはず。この2人、オジサンだからこそ味があった。凄く噛み合ったし、心に残る戦いをしてくれました」

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DEEP Special The Fight Must Go On ブログ 佐伯繁 大原樹里 武田光司

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─03─

【写真】いってみればエリート✖雑草というマッチアップだった (C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第39弾はMust Watch!!  このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

今回からはDEEP編がスタート。佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画の第三弾。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」、3試合目は2019年12月15日に行われた武田光司✖大原樹里 のDEEPライト級選手権試合だ。

キャリア1年2カ月でDEEPの頂点になったチャンピオンと、月見草MMAファイター人生を送ってきたチャレンジャーの仕切り直しのタイトル戦。

佐伯繁のMust Watch 03、武田✖大原の選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「武田君はデビューして1年少しで北岡選手に勝ってチャンピオンになった。そこからRIZINに出たけど腰も悪くて負けちゃって、心機一転DEEPで出直す。大原選手は45戦も戦っていてなお、強いのか弱いのか分からない。ケガをしないから、とにかく試合はするけど大切なところで勝てない。でも、まだ20代で45試合も戦っているって異常ですよ(笑)。その大原選手が長倉(立尚)選手に勝ち、1年間でチャンピオンになった男と45回戦ってようやくチャンスを掴んだ人間……そんな2人のタイトル戦ですが、金的で終わってしまって……これは再戦ですよね。

そして、この試合は大原選手の頑張りと、武田君が極め切る強さを見せて……セミで組んだんだけど、こりゃメインだったな──順番間違えたかなって思いましたよ(笑)。高島さんとソウルの空港で会った日の試合っていうのもね、なんか印象に残っていて。凄く対照的な2人が見せてくれた、とても良いタイトルマッチでした」

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CORO DEEP Special The Fight Must Go On ブログ 佐伯繁 朝倉未来

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─02─

【写真】まだ2年前の試合だ(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第38弾はMust Watch!!  このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

今回からはDEEP編がスタート。佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画の第二弾。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」、2試合目は2018年4月28日に行われた朝倉未来✖CORO の一戦だ。

今や日本の総合格闘技界を引っ張る存在として、格闘技界の枠を超えた活躍を見せる朝倉未来が日本のMMA界の主流といえる場で、結果を残してきた相手と初めて戦った試合。ここから朝倉未来は始まった。

佐伯繁のMust Watch 02、朝倉未来✖COROの選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「2012年9月に未来選手は、海選手と一緒にDEEPの浜松で公式記録として残っている最初の試合に出ているんです。そこからOUTSIDER、Road FCと進み、韓国でイ・ギルウに負けて……アウトサイダーとの契約を終えて最初の試合が、このCORO戦だったんです。海君はもうRIZINに出ていたし、言い方は悪いけどRIZINに向けての査定試合でした。

あの時の彼は日本のプロの団体……後楽園ホールという大会に初めて出て、結果を残さないといけない状況でした。きっと回りが日本人のプロ選手だらけの控室も初めてだったし、緊張感も含め色々な想いがあったはず。僕は今の朝倉未来は、ここから始まったと思います。

実際にCORO君の腕十字も良い形で入っていたし、ポテンシャル通りの試合でなかったことは明らかです。それだけプレッシャーがあったなかで、なんとか勝ってRIZIN名古屋大会に繋がった。ここからはもう早かったですね(笑)」

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DEEP Special The Fight Must Go On ブログ 中井りん 佐伯繁

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 佐伯繁のおススメ、DEEPケージファイト思い出の5番勝負─01─

【写真】佐伯代表が選ぶDEEPケージファイト5番勝負、その選択理由が人間関係が主なところが佐伯さんらしい(C)DEEP

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第37弾はMust Watch!!  このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

今回からはDEEP編がスタート。佐伯繁代表がDEEPオフィシャルYouTubeチャンネルにアップされているケージマッチから、「今、まだアップしきれていないけど」思い出の5試合を振り返る──企画の第一弾。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


佐伯代表が選んだ「今、まだアップしきれていないけど、アップしているなかから思い出の5番」、最初の試合は2018年2月24日に行われた中井りん✖キム・ヨンギ の一戦だ。

パンクラス、スマックガール、ヴァルキリー、戦極、UFC、RIZINで日本女子として特異な存在感と結果を残し続けた中井りんが、意外にもDEEP初出場となったのがこの試合だった。

佐伯繁のMust Watch 01、中井✖キム・ヨンギの選択理由は以下の通りだ。

佐伯繁
「ウチとの接点はなかったんだけど、あの時点でも女子格闘技でいえば実績という部分で最強なのが中井さんだと僕は思っていました。でも、あの頃は試合機会がないということで愛媛まで会いに行って、彼女の練習環境なんかも見せてもらいました。その時、何か役に立てればなという気持ちが、自分のなかに芽生えてしまったんですよね。

これだけ才能のある選手なんだから、陽の目を見ないとなって。初参戦ですが、彼女の再起戦だったと捉えています。2003年にしなしさんが出てきてから、ウチは女子をやってきた。そこに中井さんが試合をする日を迎えた──そういう意味でも、思い出の一戦です。

その後も試合を組んで欲しいと言われても、なかなか相手がいなくて。でも彼女は『ケガ人とか出た時に、いつでも出られるよう準備をしておきます』と言ってくれていて。それで去年の10月にKINGレイナが体重オーバーをし、ペナルティを与えて試合をするのか、体重を合わせた相手を見つけるのかを僕らも実際に悩んで……。その時に中井さんサイドから「今から空港向かいます。明日、戦います」と言ってもらえてね。そういう部分ではあの時から信頼関係ができて、助けてくれたんだと思っています」

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Interview Special The Fight Must Go On WSOF09 ジャスティン・ゲイジー ブログ

【The Fight Must Go On】Media Passから周辺取材─02─2016年3月28日、WSOF09&ゲイジー初取材

Justin Gaethje【写真】相応とはまるで違う、物静かなゲイジーだった (C)MMAPLANET

UFCの活動再開、修斗の無観客大会開催と国内外のMMAも少しずつ動き始めましたが、まだまだ自粛要請は続き停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第34弾はMedia Passから──ポストファイト・インタビューではなく……周辺取材インタビュー、その02として2014年3月29日に開催されたWSOF09取材時に、大会前日=3月28日に行ったジャスティン・ゲイジーのインタビューをゴング格闘技#264号から、再録して紹介したい。

WSOF09は日本から岡見勇信が出場し、スヴェトロザル・ザヴォフと対戦した大会でメインはスティーブ・カール✖ホジマール・トキーニョのWSOF世界ウェルター級選手権試合。さらに世界バンタム級王座決定戦としてマルロン・モラエス✖ジョシュ・レティングハウスも組まれていた。

日本でもパンクラスと組んで大会を行うと発表するなど、レイ・セフォーの迷走ぶりも目立っていった北米第3のプロモーション=WSOF。しかし、マルロン・モラエスや今も後継団体のPFLで活躍中のランス・パーマー、そして3カ月前にライト級でベルトを巻いたばかりのジャスティン・ゲイジーという金の卵を発掘し、育てた実績は評価される。

ここではゲストとして大会を訪れたゲイジーに行った初インタビュー、9日にトニー・ファーガソンを破りUFC暫定世界ライト級チャンピオンに輝いた──ゲイジーの2016年3月28日の声をお届けしたい。

そのファイトスタイルからは想像もできない、非常に物静かな青年がそこにいた。


──そのアグレッシブさゆえ、凶暴とまで感じられるファイトスタイルで、日本でもコアファンの注目を集めているジャスティン・ゲイジー選手です。

「アグレッシブ過ぎることは、あんまりないよ(笑)。でも、日本ファンが僕のことを知っていてくれるなんて嬉しいな。WSOFは日本でも大会を開くから、僕も君達の国で試合がしてみたいよ」

──1988年11月14日、アリゾナ州サフォード出身と資料にありますが、サフォードという街のことは……。

「知らないだろう? 当然だよ。本当に小さな町で、回りに何もない。人口も1万人に満たない場所だから。メキシコ人が多くて、僕も半分はメキシコの血が流れている」

──へぇ、そうなのですか。ラテンの血が混ざっているようには見えないですね。

「そうなんだ、白人しか見えてないってよく言われるけど、母親は純粋なメキシカンなんだよ」

──ケージのなかでは暴れん坊そのもののジャスティンですが、こうして話していると少しイメージが違います。実はインタビュー前も、粗暴な人間がやって来たらどうしようと不安だったんです。

「ハハハハ。僕は双子で、16分若い弟がいた。弟とは当然のように、何かにつけて競い合っていたけど、全く暴力やバイオレンスなことからは縁遠い少年時代を送っていたよ。4歳からレスリングを始めて、あんまり弟をコテンパンにやっつけてばかりだったから、彼はさっさと辞めてしまったけどね(笑)。でも、それはマットの上の話だから。人に手を挙げるようなことは絶対になかったし、だいたい僕は友人と喧嘩をしたこともなかった」

──こう言っては失礼ですが、意外です。

「レスリングでパンチは許されていなかったからね。それでも、レスリング時代は今よりもアグレッシブだった。攻める気持ちが強すぎて、たくさんミスをした。とにかく全力で戦いたかったんだ。それで負けるのは気にしていなかった」

──そのレスリングを始めたきっかけは何だったのですか。

「分からない(笑)。親にレスリングクラブに連れられて行った。いつもレスリングごっこのように弟とじゃれあっていたからかな。レスリングには、すぐにメチャクチャはまったよ。バスケットやフットボールなんて、全く興味を持てなかった」

──球技よりもコンタクト・スポーツの方が合っていそうでね。

「でも、ゴルフは好きだよ」

──ゴルフですか。これもまた意外な事実を知ることができました。

「ゴルフも一応球技だろう? ボーリングも好きだし。ボーリングだって球技だよね?(笑)」

──ハハハ。ではチーム・スポーツよりも、個人スポーツの方が合っていたということはないですか。

「それも自分では分からないなぁ。レスリングは確かに戦っている時は個人スポーツだけど、普段の練習や試合の時の周囲のサポートを考えるとチーム・スポーツだと思うんだ。みんなで支え合って、一緒に練習を続ける。そうすることで、互いに自信を深めることができた」

──そのままレスリングを続け、大学のときはD-1オールアメリカンに輝きました。

「北コロラド大学の時にね。スカラーシップで進学したけど、MMAを始めたのも大学生の時だよ。カレッジ時代にアマチュアの試合に7回出場した。NCWA(ナショナル・カレッジ・レスリング・アソシエーション=全米カレッジレスリング協会)のアスリートだったから、ファイトマネーを貰っちゃいけなかったんだ。でも学生の身だったし、お金の心配なんてしていなかった。気楽なもんだったよ(笑)」

──アマ規定のようなものが米国のカレッジレスラーにあるとは知りませんでした。ところでなぜ、MMAで戦おうと思ったのですか。

「大学のレスリングクラブのコーチが、何度となくMMAファイターを連れてきて、一緒に練習してことがあったんだ。それで興味を持つようになった」

──ちなみに名前のあるファイターも含まれていたのでしょうか。

「GSP、ドナルド・セラーニ、クレイ・グィダ、カブ・スワンソン、レオナルド・ガルシアたちだよ」

──名前があるも何も、超一流の選手ばかりじゃないですか。ジャクソンMMAに関係のあるファイターがやって来ていたのですね。

「彼らとレスリングをやっても、何も問題なく戦えたよ。MMAは子供の頃に見ていて『やってみたい』と思ったこともあった。実現するかどうか分からないけど、日本で戦いたいと思っているのも、あの頃、日本のテクニカルな試合を見て凄いって感じたからなんだ。でもずっとレスリングをやっていたから、本腰を入れてMMAに取り組む機会はなかった」

──そんな時にプロのトップファイタートロールする機会ができたのですね。

「皆、そうだったけどGSPは本当に素晴らしい人格者だったよ。凄く自信を持っているのに、それ以上に親しみやすい性格の持ち主だった。他の選手に関しては、正直言ってどんなポジションで戦っているのかも知らなかったけど、問題なくレスリングできたし、彼らも色んな助言をしてくれた。実はね、最初の試合に出るまでMMAのトレーニングをしたこともなかったんだ。ストリートファイトの経験もゼロだし、初めて人の顔を拳で殴ったのが、アマチュアMMAの試合だったんだ(笑)。スラムで人を投げたのも初めてだった」

──えぇ、そうだったのですね(笑)。WSOFの試合を見る限り、生まれながらのブローラーだと思っていました。

「なぜだろうね? 顔面を殴るという行為も競い合いたくなった。何百、何千回ってレスリングの試合をやり続けていたからかな。一つひとつの試合で学べるものがあった。子供の頃から合計で負けた数は70回ほど。敗北の多くは、相手でなくて自分に負けた試合だ。その敗北をどう受け止めるかだと思う。百回負けても、千回負けても、何も感じない人間もいるだろう。それでは何も経験していないのと同じだ」

──ジャスティンは、ポンとスイッチが入る戦闘本能が備わっているのでしょうね。

「最初の試合が終わってから、グラッジ・トレーニングセンターでMMAのトレーニングを始めた。でも、次の試合まで何度かケージのなかで殴り合ったぐらいで、ちゃんとした打撃は学んでいなかった(笑)。もちろん、今はジェイク・ラモス、トラヴィス・ウィットマンの下で、しっかりとトレーニングを積んでいるよ。彼らは僕をストライカーにしようなんて思っていない。レスリングをベースに打撃を使えるように指導してくれたんだ」

──プロのMMAファイターになろうと思ったのは?

「レスリングでオリンピック・ゲームを目指していた。でもネブラスカ大のジョーダン・バローズに負けた時に諦めた。ポイントは確か8-4とかだった。どれだけ実力が伯仲していても、五輪へ行くのは1人だけだ。これでは食っていけないと判断し、五輪予選に出ることもなかった。彼はその後、ロンドン五輪フリースタイルレスリング74キロ級ゴールド・メダリストになったよ。僕はその1年前、2011年にプロMMAの試合に初めて出た。アマで戦っている頃から、ダン・ヘンダーソンが大好きだったんだ」

──なるほど。ようやくジャスティンの戦い振りに結び付くヒントが出てきました。それにしても、ジャスティンはケージの外ではどちらといえば模範的で人だったのですね(笑)。

「そんなぁ、どんな人間だと思っていたんだい? 僕は常にポジティブでありたいし、それこそ人々にとってロールモデルでありたいと思って来たのに……(笑)」

──試合中と今を比較すると、まるでジキルとハイドのように違った人格を持っているように感じます(笑)。

「ハハハハ。ケージのなかでは、とにかく負けたくない。自分のベストを尽くして、対戦相手をぶちのめしているんだ。ケージの外では可能な限り、ナイスなヤツになろうと心掛けている。ケージに入ると……そうだね、相手のことが嫌いなわけでもないし、怒りを感じて戦っているということもない。ただただ、必死に戦っている。何も考えてないっていうのが本当のところだ」

──ところでコロラドという高地でレスリングを続け、今も練習していることで、ジャスティンはスタミナ的にアドバンテージがあると思いますか。

「う~ん、MMAはね99.9パーセントはメンタルの勝負だ。自分の限界を超えるようなトレーニングを試合前に何度も、繰り返している。確かに僕らは酸素の薄い場所でトレーニングし、その環境を求めてコロラドに練習しにくるファイターもいる。でも、そんなものはほんの少ししか試合に影響は与えない。頭で『疲れてなかったから、もっとやれた』なんて考えているからだ。疲れないように体調を整えるは当然だし、疲れたと判断しないよう強い気持ちを持っていないと戦うことはできない」

──高地に住んでいることは、大したアドバンテージじゃないと。

「さっきも言ったけど、少しはあるだろう。でも、それもコロラドで生活していることが優位になると自分で思っているからだよ。もう8年コロラドに住んでいるけど、実際の効力は僕には分からないよ。血液中の酸素が少なることは確かだろう。だからといって、その環境にいることでMMAを戦う上で影響があるのか、それは分からない」

──その状況でレスリングを続けてきたので、ケージのなかであれだけ腕を振り回し続けることができるのかと。

「なるほど。だったら、あの土地に住んでいることで助けられているね(笑)」

──プロ11戦目でWSOF世界ライト級王者になれました。そのWSOFと契約したのはキャリア7連勝のときでした。

「あの時点でベストな選択をしたと思っている。家族がより良い生活を送ることができるようになった。MMAファイターを目指した時からは、想像もつかないファイトマネーを手にすることができている。もちろん、自分と同じ階級で、強いとされているファイター、1人ずつ戦っていきたいという想いも持っているよ。アンソニー・ペティスだって、そのなかの1人だ。でもUFCとか、WSOFとかはあまり気にしていない」

──既にニック・ニューウェルとの初防衛戦も正式に決まりました。

「彼はレスラーだけど僕のようなレスラーと戦ったことがない。まぁ、倒してパンチを落すよ。見ている人が楽しめる試合になるだろう。第三者から見ると、僕はアグレッシブ過ぎるんだろう。それは分かっている。常にフィニッシュを目指しているからね。でも、決して勢いに任せて戦っているわけではないんだ。あのスタイルで戦えるよう、ハードなトレーニングを積んでいる。スラッピーに見えるかもしれないけど、自分をコントロールして戦っている。結局のところ、ああやって戦いたいわけで、このスタイルが僕に合っているということなんだ」

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Gladiator Special The Fight Must Go On キ・ウォンビン ブログ 岸本泰昭

【The Fight Must Go On】Must Watch !! 櫻井雄一郎のおススメ、Gladiatorを知るための5番勝負─06─

Kishimoto vs Ki【写真】スロエフ・ロックまで見せた岸本(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第32弾はMust Watch!!  このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

和歌山発、関西でMMAの普及に努めるGLADIATORの櫻井雄一郎代表が選ぶ、Gladiator編。櫻井代表が「Gladiatorで頑張っている選手をもっと知って欲しいために選んだ5番勝負」から……本来は既に5試合の紹介を終了しているが、櫻井代表より『なんとかこの試合も加えてもらえないですか』という要望を受け──番外、6試合目を。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれていません。


櫻井代表が選んだ「Gladiatorで頑張っている選手をもっと知って欲しいために選んだ5番勝負」、番外6試合目は2016年11月23日に行われた岸本泰昭✖キ・ウォンビン の一戦だ。

DEEPからHEAT、そしてGladiatorという選択でキャリア再浮上を目指した岸本と、韓国Road FCでも期待されたライト級の新鋭キ・ウォンビンが、ライト級挑戦者決定戦で相対した。右の圧力が半端ないキ・ウォンビンとのテイクダウン&スクランブルゲームで、気持ちを切らすことなく戦い切った岸本にとって、キャリア最高の試合の一つに挙げられる1戦であった。

櫻井雄一郎のMust Watch 06、岸本✖キ・ウォンビンの選択理由は以下の通りだ。

櫻井雄一郎
Kishimoto vs KI 02「この試合は関西ローカルではなかなか見られない世界レベルの試合だったと思います。グラジエイター初出場の岸本選手は関西トップ、日本のライト級でもトップの1人です。

その岸本選手がスコア以上に厳しい試合を強いられた。キ・ウォンビン選手は決して試合経験の多い選手ではなかったですが、日本のトップと渡り合える力の持ち主でした。

正直なところ、岸本選手があそこまで苦戦するとは思っていなかったです。それでも勝ち切ったということで、勝者も敗者も良いところがでた好勝負でした。関東のファンでも納得する試合だと思います。一発KOとかでなく、ギリギリの攻防でここ一番を制して勝った。しっかりとした勝利、当時のMMAの最前線を行く試合でした」

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Interview Special The Fight Must Go On WEC34 アレッシャンドリ・フランサ・ノゲイラ ジョゼ・アルド ブログ ミゲール・トーレス 前田吉朗

【The Fight Must Go On】Media Passから後追い取材─01─2008年6月1日、WEC34&ミゲール・トーレス

WEC【写真】当時、UFCは既に北米メジャー大会で日本の専門誌のケージサイドの撮影は認めなくなっていたが、WECではケージサイドスポットが与えられていた(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第33弾はMedia Passから──ポストファイト・インタビュー、その01として2008年6月1日のWEC34後のミゲール・トーレスのインタビューをゴング格闘技#194号から、再録して紹介したい。

Torres vs MaedaZuffa買収後、軽量級普及のために全米ケーブルネットワークで中継されるようなったWEC。

エース・ライア・フェイバーがジェンス・パルヴァーを地元サクラメントで迎え撃った大会のセミファイナルで、WEC世界バンタム級王者ミゲール・トーレスは日本から刺客=前田吉朗をTKOで下している。

Gina Caranoこの前夜、ニュージャージー州ニューアークのブルデンシャル・センターでElite XCがCBSでライブ中継大会を行なったビッグショーを行い、翌朝に朝一番の飛行機でカリフォルニアへ移動し、ギリギリのタイミングで間に合うという冷や汗もの取材だった。

確か、サクラメントの空港から『パンチを予見する男』福田直樹さんのレンタカーに同乗させてもらった記憶がある。

そこまでしてこの大会を取材した理由は、メインのユライア✖ジェンス、そしてセミのミゲール✖前田選手ではなく、第2試合でアレッシャンドリ・フランサ・ノゲイラがWEC初戦を戦ったからだ。

Also vs Pequenho無敵の修斗ライト級(現フェザー級)王者は、その比類なきギロチンの強さで一時代を築いた。そして、MMAの覇権は軽量級ですら日本から米国に移り、ペケーニョがメジャーに挑む。

勝手ながらペケーニョを追うのは自分だという使命感を持って痺れるスケジュールで取材を敢行した。結果、ペケーニョは組もうとして打撃を貰い続け最後は2Rでパウンドアウトされる。ペケーニョに完勝し、MMAの進化を見せつけたのは同朋のジョゼ・アルドだった。

ユライアがジェンスを、アルドがペケーニョに完勝した夜、大会終了後にミゲールが宿泊するホテルのエレベーターホールに座り込んでインタビューに応じてくれた。そこで話された内容はMMAが世に認められる前を知る──ミゲール・トーレスだらこそ語ることができる、MMA夜明け前夜の物語だった。



Niguel Torres――前田吉朗選手をTKOで下し、WEC世界バンタム級王座初防衛に成功したミゲール・トーレス選手。その激闘の程が顕著に表れた額の傷です。何針、縫いましたか。

「6針だよ。でも、全く大丈夫だ。体はピンピンしている。足首が少し痛むけど、これはマエダのアンクルロックでやられたからじゃないんだ。2カ月前にキックの練習をしていて怪我をしていたんだよ」

――そこに足首固めを仕掛けられたのでは、相当痛みがあったのではないですか。

「痛かったよ。でも、アンクルロックでタップだけはしない。僕が見様見真似でグラップリングを始めた時から、アンクルロックの練習をしていたから、自分が戦えるかどうかぐらい判断できるよ」

――1、2Rは苦戦した場面も何度もありました。それでも3Rになってから動きが速くなったのに驚かされました。

「僕が速くなったんだじゃない。マエダが遅くなったんだよ。ずっと同じペースで戦えるようにトレーニングをしてきたから。3Rの開始が、試合開始のつもりで練習してきた。マエダに額をカットされて、もっとクールなファイターのつもりだったけど、感情を抑えきれなくなった。父は『あんな風に二度となるな』って怒っていたよ。

血を見て、感情的になったんだ。でも、マエダのようなファイターにはそうやって戦った方がよりチャンスがあると思っていたんだ。殴られたら殴り返すという気持ちを持っているファイターだから、前に出れば出るだけチャンスが広がる。マエダの気持ちが強い分だけ、ダメージを与え、疲れさせることができる。ボディへのヒザ蹴りを多く打ったのは、そういう狙いがあったんだ」

――実際のところ外見とは違い、冷静だったのではないですか。

「本当に感情的だった。でも、僕はバーやジムで戦ってきた過去がある。荒いファイトでも最後は自分をコントロールできる」

――バーで戦っていた?

「17歳のとき、僕のホームタウンのバーでイリーガルファイトが始まったんだ。イリーガルなのにポスターも貼られて、宣伝されていたんだ。すぐに戦いたいと申し出たんだけど、小さすぎるという理由で断られた。120ポンドしかなくて、やせっぽちだったからね。18歳になり、ようやく戦うチャンスをもらうと、ガレージで友人とキックとボクシングを自己流で練習しているだけの僕は、10秒ほどでKO勝ちしちゃったんだ。

すると徐々に試合機会が増えていった。公式記録になんて残らないファイトだよ。僕自身、戦相手の名前すら覚えていない。計量もないし、階級もなかった。薄くて、縫い合わせが雑で、擦りつけると簡単にカットできるグローブをつけて戦っていたんだ」

――まさに地下ファイトといった危険なファイトですね。

「試合タイムは5分×2Rとだけ決まっていて、バーの中央にリングを持ち込んでいたから、一応はMMAの体裁だけは整っていたかな。そんなバーでの試合以外に、僕らのようにグループ単位で練習している連中の間で、道場マッチも盛んだったんだ」

――道場マッチはどのようなルールだったのですか。

「エルボーも踏みつけもあり、ただし、体重だけは合わせるようにしていた。1年半の間に5試合ジムで戦い、10試合ノーウェイト制のバーで戦った。WECの発表するプロフィールではキャリア34戦だけど、本当はマエダとの試合で48勝目を挙げたことになる。通算戦線は49戦48勝1敗だよ」

――当時から、ガードからの関節技を得意にしていたのですか。

「バーやジムでやっていた頃は、スタンドで戦うことが多かった。寝技で使う技は3つだけ。ギロチン、三角絞め、そしてアンクルロックだ。マルコ・フアスが、僕に三角絞めを教えてくれたんだ」

――マルコ・フアスが?

「そう、彼とバス・ルッテンの教則ビデオを持っていた友人がいて、そのビデオが僕らの関節技の先生だった(笑)。対戦相手はMMAが分かっていない喧嘩好き、レスラーかボクサーばかりあったから、本当に基礎的なことしか紹介されていなかったけど、しっかり通用したよ」

――トーレス選手はそもそも、なぜ格闘技を始めたのですか。

「僕はボクシング、カラテ、テコンドー、あらゆるコンバット・スポーツに興味を持っていた」

――ボクシングは米国に住むメキシコ人にとって最も人気のあるスポーツですよね。

「父は毎晩のようにボクシング中継を見ていて、僕はその隣に座っていたんだ。ボクシングも大好きだったけど、僕の街にはボクシング・ジムがなかった。でも、カラテやテコンドーのような武道のジムはあったんだ。ブルース・リーやカラテ・キッド、サムライ・ムービーも大好きだったし、7歳の時にカラテを始めたんだ」

――他のスポーツ、球技などには興味はなかったのですか。

「サッカーは6歳の時からやっていた。レッスン料を支払えなくなって、カラテの練習を1年半後に続けられなくなっから、それからはサッカーをしていた。体を動かしていたかったからね。14歳になって、新聞配達や芝生刈りのバイトをして、テコンドーを習うようになったんだ」

――レッスン費用を両親に頼らず、格闘技ができる環境を自身で用意したと。

「家族も、そこまで必死になって取り組めるものがあって宜しい――なんて感じだったけど、さすがにプロのファイターになるとは思っていなかったみたいだよ。大学に進んで、ドクター、法律家、ビジネスマンになってほしかったんだろうね。どこにでもいる親と一緒だよ。僕はカレッジには進んだけど、ファイターとして生きていくのに大学に通うのは回り道だったよ。で、卒業したとき、両親は『さぁ就職だね』と言ってきたけど、『これでファイトに専念できる』って答えたんだ」

――そのファイターになるための、第一歩が自身で稼いだお金をつぎ込んだテコンドーだったのですが、もっとMMAにリンクできる格闘技を学ぼうとは?

「その通りだね。テコンドーの先生は僕に『テコンドーが最高の格闘技だ』と、言い続け洗脳していたんだ。一発の蹴りで、勝負はつくって。ハイスクールではレスリングが盛んで、彼らはレスリングが最高だと思っていた。そしてメキシコ人で無口な僕がテコンドーをやっていることに目をつけ、スパーリングをすることになったんだ。僕は蹴りを使った瞬間、フロアに叩きつけられたよ。『先生、どうやったら彼らの攻撃をストップできるのですか』、僕はすぐに尋ねたんだ。でも、先生はその解決策を持っていなかった。それでも僕はテコンドーの技術で、テイクダウンを防ぐ術を考えたけど、答に辿りつかなかった。そして、テコンドーを辞めたんだよ。もっとルールがなく、顔を殴ることが必要だと思ったから、キックボクシングとボクシングを始め、柔術の練習を開始した」

――その頃にはUFCを見ていたのですか。

「第1回大会から見ているよ。だから、すぐに柔術を始めたかった。でも、柔術のアカデミーは当然のように、僕の住んでいる辺りにはなかった。レスリングを習おうかと思ったけど、ハイスクールの連中は僕を仲間に入れてくれなかったしね。僕は細いからレスリングは無理だっていうんだ。まぁ、いいよ。今、多くのレスラーが僕のジムにやってきて柔術を習いたいって言うんだからね(笑)。結果、僕はガレージで友人たちとトレーニングを始めたんだ。凄く小さなマットでね。僕はガレージ生まれのファイターなんだ」

――それほど細く相手を見つけることも難しかったのに、ボクサーになろうという思いはなかったですか。

「ボクシングを本格的に習うには、シカゴまで通わないといけなかった。当時は車を持っていなかったし、レッスン料もかかる。働きながらカレッジに通っていたので、シカゴでボクシングを習う余裕はなかったよ。だから、ハモンドにいて可能になる練習しかできなかったんだ。それに、もうMMAに夢中になっていたからボクサーになろうという気持ちはなかった。キックも使いたかったしね」

――寝技だけでなく、立ち技も自己流だったのですね。

「そうだよ。指導者なんていなかった。ボクシング、キックだけじゃく自分が身につけていたカラテ、テコンドーの技も取り入れていたよ」

――オレ流の練習で、イリーガルなファイトで練習し、本格的にプロMMAの大会に出場するようになったというわけですね。

「本格的というか、バーをつかった一応は認められた大会だった。ファイトマネーは最初は0ドル。次の試合が100ドル、それから20ドルぐらいずつ上がっていった。そういうイベントを行っていたのがブラーリオ・コラル、そう、その後エリック・ムーンと共同でアイアンハート・クラウン(以下、IHC)を運営するようになった奴さ。

コラル(左)とエリック・ムーンに挟まれて

コラル(左)とエリック・ムーンに挟まれて

僕のMMAキャリアでコラルとの付き合いは、とても長い。彼の金払いの悪さには、本当に手を焼いたよ。今や犬猿の仲だけどね(笑)。

僕は多くの観客をアリーナに呼ぶことができたから、IHCやトータル・コンバット・チャレンジという地元の大会でも、結構いい契約を結ぶことができた。でも、コラルはエリックとIHCを共同で開き2000人~3000人の観客が集まるようになっても、ファイトマネーを支払おうとしなかった。で、エリックがポケットマネーで渡してくれたんだよ」

――なるほど、UFC人気が爆発する以前のMMAらしい話です。MMA好きでも、いろいろなタイプの人間が関わっていたものです。プロになってからの練習環境も、以前のように俺流だったのですか。

「コラルのバーファイトに出るようになったのが2000年からで、その1年前に初めて柔術を習った。ヒクソン・グレイシーがやってきてセミナーを開いたんだ。100人ぐらい参加者がいて、セミナー後には数人に青帯が与えられた。その時、青帯を受けた連中と道衣を着たトレーニングを始めるようになり、その中の一人がブラーリオ・コラルだったというわけさ。

彼のジムへ行き、そこで練習仲間はできたけど、まだ指導者はいなかった。僕の寝技は、自分たちで試行錯誤のなか磨いてきた。その後、インディアナポリスで試合があった時に、マルセーロ・モンテーロという柔術家と会ったんだ。彼がデラヒーバのことを紹介してくれて、1カ月後にリオの彼のアカデミーへ行った。ブラジルでのトレーニングは良い経験になった。青帯だったけど、もう30試合もMMAを戦っていたから、思った以上に対応できたんだ。そうしたら、デラヒーバは僕に紫帯をくれたんだ」

――ヒカルド・デラヒーバの下で柔術を学んでいた当時、プロ34戦目として発表されていたIHCで行われた修斗公式戦で、ライアン・アッカーマン選手に判定負けを喫しました。キャリア唯一の敗北です。

「ヒザの手術をして、1年半ぶりの試合。万全のコンディションでなく、当時の僕としては重い61キロ契約だった。そして、1Rが終わった時点で足が動かなくなったんだ。気持ちは戦いたいのに、足が動かない。もどかしくて、しょうがなかった。僕の足はスパゲッティのようにフニャフニャになっていた、肉離れを起こしていたんだ」

――テイクダウンを奪われ続けたのは、その肉離れが原因だったのですね。

「使った技がギロチンとトライアングルだけだったのも、そうだよ。あんな結果に終わってファンは涙を流しているし、自分の不甲斐無さに怒りを感じた。彼らにあんな思いを二度とさせないためにも、この試合後7カ月も試合ができなかったけど、柔術もボクシングも、さらにハードに練習するようになった。そして、再戦ではアッカーマンを叩きのめしたよ」

――そもそも、なぜシカゴにあるカーウソン・グレイシーJrのアカデミーに通わず、ブラジルまで足を運んでいたのか、当時から疑問に思っていたのです。その後、カーウソン門下になってはいるのですが。

IHC時代、マリアッチの演奏で入場するミゲールの後方に在りし日のカーウソンの姿が見られる

IHC時代、マリアッチの演奏で入場するミゲールの後方に在りし日のカーウソンの姿が見られる

「なぜ? 僕はカーウソン・グレイシーがシカゴにいることを知らなかったんだ(笑)。

デラヒーバが、『なぜ、わざわざブラジルまで何度もやってくるんだ? カーウソンがシカゴにいるじゃないか』って教えてくれたんだよ。帰国後、カーウソンのところを訪ねて自己紹介をしたら、『君のことは知っている。何度も、試合を見ているから』って言うんだ(笑)。試合場でカーウソンが僕に話しかけてくれていたら飛行機で10時間かかるブラジルでなく、車を使って30分で行けるシカゴで柔術を習うことができたのにね」

――確かIHCではカーウソンJrをリング上で紹介していましたよ。

「僕は地下の控え室にいたし、誰が誰だか分からなかったんだ(笑)」

――ハハハハ。確かにIHCが使っていたハモンド・シビックセンターの控え室は地下3階ぐらいにありましたね。その後、カーウソンとはどれくらいの間、トレーニングをすることができたのですか。

「5年間だよ。カーウソンが亡くなるまで、ずっとカーウソンとやっていた。ステファン・ボーナーもいたよ」

――その間、グラップリングの大会に出たことはありますか。

「あるよ、もちろん。ギもノーギもどっちもやってきた。アーノルド・クラシックのノーギ・アマチュア、ギではブルーベルトで優勝した。グレイシー・ナショナルスでも優勝しているし、結構やっているんだ。今もグラップリングは好きだけど、MMAに専念している。5年前に作ったジムでの指導もあるし、自分の練習もある。MMA以外のことをするには時間が足らないね」

――ところで、日本ではハードコア・ファンはトーレス選手の来日を今か今かと待ち望む声が高かったです。特に修斗ファンはDVDやCS中継であなたの試合を見ているので北米タイトルを取ったときは、いよいよか――という声が挙がりました。

「う~ん、日本には行きたかったけど、ビジネスとして成立しなかったんだ。ジムでの指導、関連商品の販売など、日本に行って戦うよりホームタウンにいたほうが稼ぎになったから。でも日本は僕にとって憧れの地だったんだ。ハヤト・サクライ、ゲンキ・スドーは僕のアイドルだったし、ハツ・ヒオキも好きなファイターだ。今は何といっても、シンヤ・アオキの大ファンだ」

――IHCで修斗の北米王者になったあとも地元を中心に戦い、AFCを経由し昨年BORDOGと契約をしました。既にWEC がズッファに買収され、軽量級にスポットを当てるようになっていたなかで、どうしてボードッグを選択したのでしょうか。

「僕の教え子のエディ・ワインランドがWEC世界バンタム級チャンピオンだったからなんだ。エディは凄く可能性のあるファイターだったけど、青かった。チェイス・ビービに負けて、練習に来なくなってしまったんだ。それからしばらくして、僕の方にもWECから連絡があった。ボードッグとはカナダでライアン・ディアズ戦を含め、3 度も試合がキャンセルされた。僕は家族を養っていかないといけないのに、時間とお金を失っただけだった。WECから連絡があって本当に良かったよ。WECは北米だけでなく日本、そしてブラジルからも実力者が集まっている。今、僕のウェイトでは一番タフなプロモーションになっていると思うよ」

――ハニ・ヤヒーラ、ウィル・ヒベイロというブラジル人は手強そうですね。

「どっちと戦っても、僕はエキサイティングな試合になると思う。楽しみだよ」

――日本では山本KID徳郁選手が、バンタム級で戦っていきたい、WECのチャンピオンと戦いたいと公言しています。

「彼はユライアと戦いたいって言っていたよね。KIDヤマモトは本当に強いファイターだ。修斗で戦っていた頃から、とんでもなく強かった。そんな彼が僕の階級になり、僕を意識してくれるのなら嬉しいね。WECは世界のベストファイターが揃っているから、KIDもWECにやってきてほしい」

――KID選手と戦うなら、WECで戦いたいということですか。 日本ではなく。

「ファイトマネーが高い方で戦いたいよ。それが僕にとって、良い場所っていうわけさ。どうせなら、最も自分の価値を認めてくれる場所で戦いたい。ファイターなら誰もが、そう思うはずだよ」

――TUFでUFC人気が爆発しても、UFCにはトーレス選手の階級はありませんでした。MMA人気が高まるなかで、あまり注目されない軽量級にいて、MMA人気の上昇する様子をどのように捉えていましたか。

「僕の階級もいずれ脚光を浴びる。そう信じていた。だから、MMAをやめようとかそういう風に思ったことは一度もないよ。現実を見つめつつ、希望を失うことはなかった。僕が初めて試合をしたのはバーの中で、たった10人ほどの観客しかいなかった。それが20人になり、40人になり、どんどん増えてきた。そんなファンに満足してもらうよう、僕も戦ってきたつもりだ」

――このビジネスの好調さを背景にすぐに大金が手に入ると思い、また口にするファイターも少なくないですが、トーレス選手はビジネスになる以前のMMAを肌で知っているわけですね。

「バーで戦い、ジムで戦い、公共の体育館で戦ってきた。そして、とうとうナショナルTVでライブ中継される大会、1万2000人のファンの前で戦うことができた。すぐにそういうステージで戦えるほうが良いと思う人間もいるだろうけど、急ぎすぎてはダメだ。一気にたくさんのプレッシャーを感じると、自分を失うことになる。いろいろ経験してきて、今、この場所に立っていることを幸せに思うよ」