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【Special】第2回、MMA版あいつ今何してる? フランク・シャムロック─02─「もう十分にやってきた」

Frank Shamrok【写真】2010年8月のフランク、この時から10年を経て当時は1歳だった娘との生活が彼の中心になっていた(C)MMAPLANET

MARTIAL WORLD Presents新訪問シリーズ=「MMA版あいつ今何してる?」──第2回は日米を股にかけてMMAの創世記から、定着&発展期に常にトップファイターとして活躍したフランク・シャムロックだ。

MMAを世界的なスポーツ・エンテーテイメントに引き上げたZuffaとダナ・ホワイトとの関係は続かず、フランクはUFCのライバル団体で戦い、コメンテーターやアナリストとして活動し続けた。

StrikeforceからBellatorまでスコット・コーカーとの仲は絶対だ。しかし、今やフランクの姿をMMAシーンで見ることはない。今、フランク・シャムロックは何をしているのだろうか。
Text by Keith Mills

<フランク・シャムロック インタビューPart.01はコチラから>


──完全にダナ・ホワイトとは相まみえない関係になったということだね。

「ダナ・ホワイトは過去20年に渡り、多大なる努力でMMAを発展させてきた。素晴らしい業績を残したことは絶対だよ。そして、今もまだMMAをさらに上へのレベルに引き上げようと身を削って働き続けている。彼はMMA界の全ての人間から祝福を受け、感謝されるべき存在だ。

ただし、個人的な付き合いでいえば、彼に限らず他の人間に自分の人生を預けることはできない。彼と一緒にいて食事をするような仲でいようとは思えないよ」

──そんなフランクは今、どう過ごしているんだい? 2016年あたりまでBellatorとは仕事をしていたけど。

「まだTV製作を続けているよ。TVショーに映画、タレントのマネージメント業務も。僕が人生で学んだことを生かして、タレントの活動や、資産運用管理も行っている。なにより、フルタイムの父親……専業主夫でもある(笑)。多くの時間を父親として過ごすようにして、学校に送り迎えをして、ホームワークを手伝う。

小さな娘を相手に常に父親である時間は、とてつもなく良い経験になっているよ。これほどハードワークだって、分かっていなかった。それがベラトールの仕事から、距離を置くようになった一番の理由なんだ。

実際にベラトールからは、一緒に仕事を続けようと言ってもらえていたよ。でも、もう僕のなかではこういう生活とはオサラバしようと決めてしまっていた。『これからも自分が飛行機に乗って、世界中を飛び回る。そんな姿が想像できないんだ。もう十分にやってきた。そういうことなんだよ』と伝えたよ」

──それは思い切った決断だったね。

「凄く驚かれたよ。『お前、マジか?!』みたいにね(笑)。でも、可能な限り子育てに集中することが、僕の人生のなかでも最高の経験になった。息子はもう31歳になって、僕の慈善事業を手伝ってくれている。

そして11歳の娘もいる。大人になった息子と、まだ少女の娘との生活は最高なんだ。これまでにないくらいに、ね。

そしてさ、あの子が年頃になった時にボーイフレンドを指導前のジムに連れてくるんだよ。僕はマットの奥にいて、そいつは数々のトロフィー、ベルト、そして僕の試合が映っているスクリーンの前を通った時、目の前にいる父親がどんな人間が分かるんだ(笑)。『パパ、止めて!!』って娘が必死になる。そんな日が来ることが、楽しみでならないんだ」

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【Special】第2回、MMA版あいつ今何してる? フランク・シャムロック─01─「UFCにとって一番の敵に」

Frank Shamrock【写真】2009年4月、最後の試合から11年が経ったフランク・シャムロック (C)DAVE MANDEL

MARTIAL WORLD Presents新訪問シリーズ=「MMA版あいつ今何してる?」──第2回は日米を股にかけてMMAの創世記から、定着&発展期に常にトップファイターとして活躍したフランク・シャムロックだ。

ケン・シャムロックの義弟は1994年12月にパンクラスに来日し、一躍トップスターに躍り出ると、1997年にはRINGSで高阪剛、VTJでエンセン井上と日本の重量級のトップファイターを破る。さらにエンセンに勝利した1ヵ月後に横浜アリーナで開催されたUFC JAPANで五輪金メダリスト・レスラーのケビン・ジャクソンを腕十字で秒殺し、フランクはオクタゴンデビューを果たした。

1997年12月から1999年9月までUFCで活躍したフランクは世界ライトヘビー級王者に君臨し、4度の王座防衛に成功している。しかし、Zuffa体制になると彼はオクタゴンを去り、Zuffa買収前のWECからElite XC、Strikeforceと常にUFCのオポジションで活躍し、ダナ・ホワイトに対しては批判的なコメントを繰り返してきた。

そのフランクが現役を退いて11年が過ぎた。2017年にはRIZINで桜庭和志とグラップリングのエキシビションも行った彼は今、何をしているのだろうか──。自らのドライブで北米MMAのフィーダーショーを追い続けたキース・ミルズが近況と、殿堂入りしてもおかしくないZuffa UFCとの間に何があったのかと尋ねた。
Text by Keith Mills


──UFC、WEC、そしてStirkeforceで頂点に立ったフランクだけど、ZuffaになってからUFCとは疎遠になったままだね。

「彼らがUFCを買った時に、実は僕は彼らに雇われていたんだ。そして2週間いっしょに練習し、MMAはどうあるべきかを協議していた。僕は彼らがUFCをどう発展させていくのか、その代弁者であり、彼らのブランドのチャンピオンだったんだ。2週間、ロレンツォとダナと一緒にトレーニングをし、このスポーツは何かを彼らと話し合っていた。このスポーツの成り立ちを話し、これからどのようにやっていくのかを、ね。

2週間後、2人は僕に椅子につかせて彼らの方針を伝えてきたよ。彼らは僕に『試合に出てくれ、それが君の役割だ。我々の次のマーケット開拓は、この2人がやっていく』とね。それがティト・オーティズとカルメン・エレクトラ(モデルでデニス・ロッドマンの元夫人)だった。ピカピカに着飾られた……見せかけ重視の方針だった。僕は『これは僕が想うMMAというスポーツじゃない』と伝えたよ。

少なからずMMAは、今もあの時の彼らの選択の影響を受けている。そのダメージを受け続けているといっても良いだろう。2人のあのやり方が、今もMMAの一般的なプレゼンになっているようにね。皆が、そういうイメージでMMAを見ているんだ。

『これは違う。もっと正しくMMAを導かないと。こういうことをやり過ぎるのは良くない』。それが僕の考えだった。だからUFCと同じ道を進むことはなくなり、他の団体で自分の信じるやり方でMMAを発展させたいと思った。

結果、フランク・シャムロックは公然とUFCにとって一番の敵になったんだ」

──そんなことがあったんだね。

「その後、僕はストライクフォースで仕事をするようになり、彼らとハッキリと競合するようになった。自分のすべきことを加速させたよ。UFC……ダナ・ホワイトとの関係はさらに悪化し、互いに嫌うようになっていったんだ」

──ダナやロレンツォとストライクフォースのスコット・コーカーは違ったの?

「僕にとっては違う。僕は常にスコット・コーカーには全幅の信頼を寄せている。文字通り、スコットとストライクフォースの面々は命を懸けてプロモーションを運営していたからね。

それが僕のスコットの印象だ。でも、ノールール時代に格闘技とコネクトしていた連中って、そうなんだよ。そういう時代を経験している連中は命を懸けてMMAを発展させるという想いでいた。それが僕にとって全てだったんだ。

──引退から2年後にStrikeforceがUFCに買収されたね。

「彼らと一緒にやりたいとは一切思わなかったよ。僕は彼らを信用していない。僕らはある一線のあっち側と、こっち側にいる。同じサイドにいることはない。僕は彼らと同じ側にいようとは思わないんだ」

<この項、続く>