カテゴリー
Bu et Sports de combat サンチン ブログ 剛毅會 岩﨑達也 武術空手

【Bu et Sports de combat】武術で勝つ。型の分解、サンチン編──01──「強い状態を作って始める」

【写真】サンチンを続けることで、MMAでの戦いに変化が生じたという松嶋こよみ (C)MMAPLANET

武術でMMAを勝つ。空手でMMAに勝利する──型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。型稽古とは自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない。

サンチン、ナイファンチ、セイサン、パッサイ、クーサンクーの型稽古を行う剛毅會では、まずサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。5種類の型稽古にあって、唯一サンチンのみが意味を吸いて吐くという意味での呼吸を学ぶことができる。

全ての根幹となる武術の呼吸を学ぶことができる──剛毅會のサンチンの解析を行いたい、


まず気を付けの姿勢で、手を体側の横にして指をしっかりと下に向けるところから始める。

左の掌の上に右手を重ね、掌が上を向いた状態から、

指先が下になる姿勢──中国武術的には起式と呼ばれる、最初の姿勢を取る。『この形を取るだけは体の中心を無くし姿勢として弱く、押されるなどすると乱れてしまう。腕を絞って下げることが重要となる。肩が下がり、合わせた手が前方に行き過ぎないようにし、しっかりと指を下に向ける』

「始め」の号令で結び立ちからカカトを広げて=爪先を内側にし、内八の字立ちに。正拳を握り、拳甲を前方に、拳頭は下に向ける。『ここで大切なことは、爪先を内側に向けるときに、1・2というテンポでなく、「1」のみ。つまり一挙動で行うこと。一挙動でないと、隙ができる。下げた腕は体側よりもやや後ろに。この状態から始めないと、その後のサンチンの型、動きは意味がなくなる。強い状態を作って始めることが絶対』

✖手が体側より前に出ない。手が前方に出ると前方に対して隙ができてしまう

続いて右足を内側にしっかりと円を描くように進ませる。小さい円だと進めた足が元の位置に戻ってしまう。

右前サンチンとし同時に両腕を胸の前で交差させて開き、両腕受けの姿勢を取る。『足の幅は肩幅より少し広く取り、爪先をやや内側に向け、同じ方向にヒザを向ける。ヒザを曲げるのではなく、同じ方向に向けることでヒザに力がある状態となる。前足のカカトと、後ろ足の爪先が同一線上となるよう気を付ける。この時、前足のカカトと後ろ足の爪先が延長線上で交わる地点を三角形の頂点となるように意識する。この三角形の頂点を意識することが、続く動作で非常に大切になる』

〇中を通り、大きく円を描いて足を進める

✖頂点を意識せず、内側をしっかりと円を描かないで前に進むと、体の中心を失い姿勢は弱くなる

<この項、続く>

The post 【Bu et Sports de combat】武術で勝つ。型の分解、サンチン編──01──「強い状態を作って始める」 first appeared on MMAPLANET.

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview アレハンドロ・フローレス ハファエル・アウベス ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。アウベス✖フローレス「上、下、外、中」

【写真】ギロチンで敗れたフローレスだが、多角度な打撃は見るべきものがあったという。次戦に注目だ(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──DWTNCS S04 Ep04におけるハファエル・アウベス✖アレハンドロ・フローレスとは?!


打撃だけの競技だと当たり前に発展してくることが、組み技のあるMMAでは発展させることは難しい

──続いてフィジカル・モンスターのハファエル・アウベスとメキシカン・ストライカーのアレハンドロ・フローレスの試合についてお願いします。

「まず開始早々の展開で、アウベスという選手の殺気は凄まじいモノがありました。対してフローレスはひょろっとして、何となく間抜けに見えて。何だコイツ、チャップリンみたいだなって」

──いや、それはただ髭がそういう風に見えるだけじゃないですか(笑)。

「アハハハ。それぐらいアウベスの質量が凄かったんです。アウベスはロンダートンとか試合前からやって、試合でも跳びながら左ミドルを蹴っていましたね。

レは効いたと思いますが、試合の流れでいうと開始してからアッという間に、フローレスが質量をどっこいに持っていくんです。

アウベスは奇抜なことをやりますが、まぁ前に出られない。どっちが良いかというと、断然にフローレスが良かったです」

──なるほど、そういう見方もできるのですね。

「えっ? なぜですか、そう見えなかったですか。そこは武術的な見方はなくても」

──私にはフローレスは圧力に押されて、妙にバタついていたように見えました。

「いや、彼はドッタンバッタン動いて、多角度で攻撃しているんですよ。よく、見てくださいよ!!!!!! 本当にああいう動きを選手にして欲しいと思いました。イチ・ニでなく、イチで上、下、外、中とコンビネーションを見せています。対して、全くアウベスは手が出ていないですから」

──ハイ、アウベスは完全に待ちの状態で一発振りまわして勢いを見せつける。そこにフローレスも圧されて、有効な手立てはなかったように思っていました。

「アウベスは一発だけで、コンビネーションはまるで使えていなかったです。単発で何も繋がらない。あの戦いを見て、待ってないでテイクダウンにいくなりしろよっていう見方にはならないのでしょうか。だって全然、入っていかないんですよ」

──そこもMMAなので、フローレスは逆に組んで疲れさせるような動きが必要だったと思っています。そういうことができる選手が、UFCファイターだと。

「スタミナがないのは──前回、話したマイク・ブリーデンも同じで、連打を使わない。それは連打する稽古をしていないからじゃないですかね。稽古をすれば、それだけスタミナはつくはずです。

対してフローレスは最初こそ何がしたいんだって思って見ていたのですが、よく見ると距離を取りながら、アウトボクシングでパンチも蹴りも良い選手でした」

──有効打はありましたか。

「当たる、当たらないというのは、当たる時は当たります。でも、当たらないからって攻撃を使わなくなるというのは試合ではありえないですよね。コンビネーションを駆使して戦っていれば、どれか当たる。そういう考えで試合に挑む方が良いです」

──なるほど一撃必殺でも、百発百中でなくても。

「あのリーチがあって、下がりながら色々とできる選手は入る必要がないですからね。ただし、ダナ・ホワイトという興行主の前でどういう試合をするのかは個人の選択なのでしょうね。他の団体でもベルトを獲るために勝負に徹しているのを見ますが、コンテンダーシリーズになると──磁場が違ってきてしまうという風にも見えます。

それにフローレスだって隙はあります。でも、アウベスはそこを衝かない。ただ、単発でパンチを振るい、蹴っていくだけで。打ってきたモノに対し、どういう風に処理するのか。例えばローにカウンターを合わせるとか。パンチにテンカオを合わせるとか。そういう動きができる人のことを打撃ができる人だと私は捉えています。

攻撃だけできても、打撃ができるわけではないです。打ち終わりや蹴り終わりに、攻撃を入れる。フローレスは良く動いていましたが、蹴り終わりなどには隙がありました。蹴って止まる、でもアウベスはそこでも前にいかない。

いやアウベスの開始直後の重心の低さと、あの攻撃力は人を殺めかねない勢いがありましたよ。それがどんどん浮いてきて、自分がもっているバネに頼った攻撃だけになっていました。俺はこんなことができるというお披露目会のようで、倒すビジョンは見えなかったです。でも、それがコンテンダーシリーズという場なのかもしれないですね」

──対して敗れたフローレスは武術的な見方だと、質量が上で間も彼のモノだったということでしょうか。

「質量も間もフローレスでした。アウベスは居着いていて。止まっていて何もしない。居着かされているから、質量は当然のようにフローレスが上でアウベスが下です。フローレスのコンビネーションは、MMAという距離のなかでの連打です。中段で外を蹴っておいて、中はストレートを打つ。多角度で来ています。

打撃戦はレベルが上がると、ああいう多角度の攻撃が必要になってきます。左フックから右ローという対角線コンビネーション、右のローから左の前蹴りを入れると外から中、中段の前蹴りから上段の前蹴りは、中から上という具合で。

この打撃だけの競技だと当たり前に発展してくることが、組み技のあるMMAでは発展させることは難しいです。それをフローレスはMMAのなかでやっていた。ギロチンで負けてしまいましたが、フローレスは次も見たい選手ですね」

カテゴリー
Bu et Sports de combat アンソニー・ロメロ ブログ マイク・ブリーデン 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ロメロ✖ブリーデン「質量が上回っていても」

【写真】なぜ質量が高く、破壊力のある攻撃を持つブリーデンは敗れてしまったのか(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──DWTNCS S04 Ep04におけるアンソニー・ロメロ✖マイク・ブリーデンとは?!


強力な武器を持っていても使えていない

──アンソニー・ロメロ✖マイク・ブリーデンのコンテンダーシリーズの一戦ですが、どのような印象を持たれましたか。

「いやぁ、2人も良い選手じゃないですか!! そして質量が高いのは基本的には負けたブリーデンでした」

──そうなのですか?

「ハイ、そこに関しては完全にブリーデンです──足を蹴られて負けてしまいましたが。そしてアグレッシブなのがロメロでした。切れでロメロという感じで、足を効かせて。ブリーデンは質量が高くて、間も自分のモノになるのに、ヒットアンドアウェイで台無しにしてしまっています。パンチも重いのにあの戦い方をするということは、自信がないのですかね。それと、右足前の左のパンチと左ミドルが良かったです。ただし、そこもずっと使わない」

──サウスポーでの左の攻撃が良かったということですね。最初はオーソで、カーフを効かされて変えた構えの方が威力があった。でも、またオーソに戻した。

「その通りです。時折り、サウスポーに構えた時の左のパンチも蹴りも凄く重いです。2Rにブリーデンがテイクダウンされ、立ち上がり際にロメロがハイキックを狙ったシーンがあったじゃないですか」

──ハイ、MMAとして間断のない素晴らしい攻撃に思いました。

「ただ、あの後の展開でブリーデンがチョイと出したヒザ蹴り、その場で本当にチョコンと出したヒザなのですが、アレが効くということは質量が高いということなんです。ただし、そこを生かしきれていない。

しかし、コンテンダーシリーズの試合は最近のUFCの大物選手の試合より、良い試合が多いですね。このUFCと契約していない選手たちは、本当に良い戦いをしている。しかも、この試合で勝ったロメロはUFCと契約できなかったのだから……もう、驚きですよ。

だから、どこに理想を持っていくかですね。3Rにブリーデンは必死になってパンチを振るっていった。なぜ、それを1Rと2Rにしなかったのか。スタミナに自信がなかったのですかね。それぐらいしか、考えられないですね──あれだけの攻撃力があるのに。体もボチャっとしていて。

対してロメロは精悍で、好戦的でしたね。横蹴りができるような、そういう蹴りは使っていないですけど、使える構えで。オーソ同士の時のは、このロメロの左足を斜にした構えだと中心がズレるのでブリーデンは見えていなかったかと思います」

──ロメロの構えのせいで?

「ハイ。見えなかった。サウスポーに構えると見えるけど、それを続けない。対して、ブリーデンが見えてない状況でロメロは際の蹴り、離れ際とかの攻撃が凄く良かったです。繰り返しますが、これでUFCと契約できないとは……。もう、何をか言わんや。そこは私が言えることはないのですが……。

ただし日本で、ダナ・ホワイトが目の前で試合を見ていて『今日、良いところを見せた選手は契約するぞ』なんていう状況があったら、日本の選手だってやりますよ。それはやります。ただし、そういう戦い方を外国人とすると日本人が勝つのは難しいでしょうが」

──話をロメロ✖ブリーデンに戻しますと、それだけ質量が高く、重いパンチを持っているブリーデンですが、カーフを効かされてしまいました。

「あのカーフで効かされていましたが、ロメロは続けなかったですよね。蹴った本人も痛めていないでしょうか。自分も相当に痛めるような蹴りになっていたように思いました。それとブリーデンは、結局のところ単発なんですよね。ずっとリズムも1・2、1・2で……よっこいしょ、よっこいしょって感じで。あれだと当たらないですね。だから、先ほどもいったように、どこを理想を置いて戦っているのかということなんです。

質量が高くても、その概念がないですし、ヒットアンドアウェイで下がってしまうから、間もロメロになってしまいます。ロメロは間が自分にくると、常に攻撃ができていました。それは多少殴られようが攻撃するという勝気なところであり、そういう選手と戦うと質量が高くても攻められることが多くなり、見た目も悪くなります」

──質量が高くても、蹴られてしまう。自分の攻撃で間を創ることはできないのですか。

「質量の上下というのは、立ち会うと必ず生じます。そこを起点にモノゴトを考えることは今のMMA界や格闘技界にはないです。だから、判定も質量の上下と勝敗が一致するものではないです。何より質量が上回っていても勝つ方向に戦略を練らないと、強力な武器を持っていても使えていないことになります。コンテンダーシリーズまで来て、武器がなかったり、能力のいない人はいないでしょうが、ちゃんと武器を使えないのは勿体ないです。ブリーデンもそういうことになるのですが、それはブリーデンには相当な伸びしろが残されているということになります」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview ブログ 岩﨑達也 王向斎 郭雲深

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─09─站椿05「站椿と型、逆も真理」

【写真】站椿をすることが目的ではなく、站椿をすることになって型を理解です。その考えにいたったのが、型の稽古を始めてから。逆もまた真理 (C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。

なぜ、型稽古が必要なのか。そして型稽古に站椿を採り入れているのか。日本に站椿が持ち込まれるルーツとなった意拳の王向斎は型を廃したが、その逆も真理──剛毅會で站椿を採り入れることで、何が変わるのか──站椿編、最終回をお届けしたい。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─08─站椿04「腕が動く時、空気がある」はコチラから>


王向斎は站椿と型……套路をやってきたわけです

──排気量の大きな外国人選手とMMAを戦う場合、日本人選手は空力を考えた方が良いということになりますか。

「ここが面白いところで殴る、蹴るとなると殺傷能力によって空間や時間は変化します。空間の伸び縮みが質量によって変化するんです。質量が上か下かによって、同じ1メートルでも距離は変わってきます。

接触してから、そして打撃の受け返しは欧米人とやりやろうとしても無理です。排気量とトルク勝負になると勝てない。だけど接触しなければ、相手を居着かせてしまえば活路は見いだせるんです。ここは站椿とは関係ない話ですけどね(笑)」

──いえいえ、全て繋がっていますから。

「そうですね。站椿とはそういった目に見えないモノを理解しようとする心を養い、理解できる稽古です」

──つまり武術空手を収めるために型の稽古と並行して、站椿もした方が良いということでしょうか。

「それは勿論そうです。ただし、目的は何なのか。目的という部分が凄く難しい稽古です。私自身、站椿をやってから型をやっています。ただし、そこで重力や引力を意識して──想念というかイメージしてはいけないんです。例えばボールがあって、それを抱いているというイメージで……とか言うじゃないですか。それを脳ミソでやると、脳ってやつは捏造を始めるんです。

そうではなく、そういう感じがある。ボールを抱いたという感じで収まるモノで。そこがしっかりと収まるのは実は型をやっているからなんです。型をやるまでは中心点というモノが分からなかったんです。独学だから。それが型を始めてから、站椿をやると──站椿をする答……站椿をする目的が見つかったんです」

──う~ん、また難しくなってきました。意拳の王向斎は型を不要として站椿だけをしていたわけですよね。

「そこが私の偏屈なところで、王向斎の逆を行ったんです。今、言われたように王向斎は型を否定して站椿に行きました。私は站椿から先にやっているので、型がなかったんです。つまりは王向斎が型は要らないという風になったのも、型をやっていたからです。

型は身に付けると、残っているんです。内蔵さえしてしまえばサンチンの構えで組手をする必要は一切ありません。インストールさえしてしまえば、戦いでその形(かたち)になる必要はむしろないんです」

──武術を生かすことであって武術をかたどる必要は戦いにおいてないということですね。

「その通りです。だから形意拳の型を究めた人の站椿と、站椿から始めた人の站椿は違うモノです。ただし、それは私のなかでの站椿の捉え方です。剛毅會で站椿を稽古するのは、站椿を稽古することが目的ではありません。意拳を稽古することが、目的ではないんです。型を理解するために站椿の稽古をします」

──站椿をすることで、生徒さんたちの型の理解が進んでいるという感覚はありますか。

「型の稽古をすることは、ただ動作をすることではありません。回数を重ねれば型……順番なんて覚えるモノなんです。動作でなく、一つは自分の内面を変えることですよね。内面が変わることで空気や重力との関係が変わってきます。空気中にスッと入っていける、それは自身の質量が上がったことになります」

──1日に3回サンチンをやらないといけないという義務感でやっても、内面は変わらないということですね。

「良い例えです(笑)。私が武術空手を習っていた先生は『道着を着ていない自分に、着ている自分が追いつくには10年掛る』と言われていました。つまり道着を着ていないで普通にやっていることが、道着を着るとできなくなるということなんです」

──岩﨑さんも実際でそうでしたか。

「最近、ようやく薄れてきました。やはり道着を着ると、構えてしまうってことなんですよね。私も毎日のように稽古を繰り返していますが、稽古をする感覚でなくなってきました。朝起きて、トイレに行って、顔を洗って、歯を磨く。それと同じで、稽古をしないと生活が始まらない。やらない理由がない。そういうモノですよね。義務感でもなんでないですから」

──結論として、なのですが……站椿をすることで、型も相乗効果で身に付くとは断言できるモノですか。

「少なくとも私が要求する……、う~ん、そうですね……型稽古をする目的が存在しています。それは空手という名の下で、サンチン一つするにしても各々の先生で目的が違います。なので他の先生方の考えは分からないのですが、私が要求する空手の稽古にあって站椿をすることが効果的であることは断言できます。

ただし、站椿が目的ではありません。目的はあくまでも空手、型です。それを理解するための站椿の稽古は非常に有効です」

──その結果、站椿を軸に考えると意拳とは逆で目的が果たせる。非常に興味深いです。

「逆も真なり──ですよね、それこそ(笑)。そこが本当に我ながら面白いことだと思います。ただですね、私と似たような経緯で站椿を行っていた方が、念願叶って王向斎直径の意拳を中国で学べたそうなんです。するとまず学んだのが、形意拳の型だったというんです」

──おぉ!!

「やっぱり型は必要じゃんって(笑)。達人が経験論に基づいて出した結論、それが誰にも当てはまるのかということは全てにおきかえて考える必要はありますよね」

──あぁ、本当にその通りですね。文字を書き記すにしても5W1Hを書き続けている人だから、5W1Hを書き記さない文章が書ける。5W1Hを書いてこなかった人がそれをやっても、ただの駄文なのと同じです。

「王向斎の師匠は郭雲深という形意拳の達人です。そこで站椿と型……套路をやってきたわけです」

──いやぁ武術、格闘技は歴史の積み重ねでMMAが今、目の前に存在するというのが本当に楽しいです。

「だから……ナイハンチ、クーサンクー、パッサイに関しても私自身のなかに確証はあります。けれども言葉にしたり、文字にするには論拠が必要になります。木刀を振ってもらうと理解してもらえることを、言葉で示すには──やはり首里手の歴史をたどり、あるいは現地に赴いてその欠片を探し求める必要があると私は思うんです。

サンチンにしても那覇手の東恩納寛量先生は息吹を用いていなかったのが、宮城長順先生が白鶴拳のなかの鳴鶴拳から採り入れた。そういう論拠があります、カァーって鶴が鳴くような音だなと。そういう説明をするために文献を調べたり、現地を訪れる必要があると思うんです。グレイシー柔術だったら『私の父から習った』とか『祖父の教えは』と、そこが血の繋がりでできてしまうのですが。でも空手は、そうはいかないですからねぇ。この連載が題目がナイハンチになった時に、私はどうすれば良いのか……(苦笑)。そういう想いはあります」

──なるほどぉ(笑)。まだサンチンの解明に入ったばかりですので、並行して探求をお願いします。

「いやぁ、でも一度稽古をすることで、色々な気付きがあります。サンチンの型一つをとっても、完成なんてありえないんです。それこそが呼吸を根源とした力の深さなんです。内面の見えないエネルギーによって、外面に変化が表れます。おかしな話ですが、指先が強くなったりするんです。巻き藁を突くのとは違う形でも、そういう外面の変化は起こります」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview ブログ 安藤達也 岩﨑達也 田丸匠

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。安藤達也✖田丸匠 「究極の一挙動へ」

【写真】田丸は良い打撃を持っているが、その蹴りに左ストレートを合わされて敗れた(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──安藤達也✖田丸匠とは?!


──田丸選手が三日月のような蹴りを当てて、良いペースで戦っているように見えたのですが、正面のパンチの届く距離での打撃戦で、その蹴りの後に左ストレートを被弾しダウン。そのままパウンドでTKO負けとなりました。

「田丸選手は勿体ない試合でした。実は3年ほど前ですが、彼が稽古に来たことが1度あったんです。あのう……打撃が致命的にダメな人って、MMAファイターのなかにもいるんです。相手を痛めつけることができない人というのが。打ってもただ手を出しているだけで、蹴ってもただ足を出しているだけで倒せない。それでも正しい打ち方をしている。そういう人って……手の施しようがないんです」

──……。

「田丸君はまるっきり逆なんです。全ての蹴りもパンチも痛い、相手が嫌な打撃ができます。それはハッキリいってクオリティの高い練習をしているとか、そういう問題ではありません。きっと地方にいても、彼に合った練習ができているのだと思います。ただし、その練習には隙があるものです。安藤選手には合わされるべくして、合わされています。

田丸選手の打撃はいくらでも良くなります。ミドルにしても中足で蹴っています。中段も上段も蹴っている。全て嫌な攻撃です」

──確かに蹴りがよく入っていました。

「変な蹴りなんですけど、この距離だと安藤選手はもらってしまう。そういう序盤でした。嫌なタイミングで蹴ることができています。セオリーで受け返しという練習をしている選手には、嫌な攻撃になります。この攻撃を練習で育んでいで来たのなら、彼の練習環境の良さです。田丸君のオリジナルです」

──右の前蹴りから右の追い突きという動きもありました。

「あの追い突きは、ただ出しているだけですね。蹴りとパンチのコンビネーションがあると、間を創ることができます。そういう動きなんです。ただし、田丸君はこの直後に組みにいっている。う~ん、田丸君は引き出しが多過ぎるのでしょうね。グラップリングに自信があるのはレスリングでなく、下になった時かと思います。だから下をチョイスしてしまっている。わりと呑気にガードポジションを選択してしまう。あのう、田丸君はそれだけ寝技は強いのですか。今、MMAで下で勝てる人は本当に組み技が強いないといけない。

それこそ青木真也選手や田中路教選手を相手にして、下になっても勝てるぐらいでないとMMAで無暗に下を選択するのは良い流れではないです」

──MMAファイターで、そこまで下が主武器になる選手は日本には存在しないかと……。

「であるなら……追い突きのあとに離れるべきだしたね。入り方としては、前蹴りから追い突きは良い攻撃です。打撃で相手を仕留めていくには。でも組んじゃうんと間はなくなるのだから。モノゴトとは試合だけでなく、全てに先々のことを考えているのか──ということですよね」

──そこに関しては、きっと打撃で間を取ったら組んで倒す。MMA的に良い流れを作ろうとしているのではないでしょうか。

「う~ん、それで組んで下になり仕留めることができない。それが良い流れになるとは思えないです。だって、打撃で倒せる試合ですよ」

──えっ、そこまでなのですか。

「ハイ。右の中足の後に左ストレートを打たれて倒れるまで、良かったのは田丸君です。下ができるのは良いことです、MMAを戦ううえで。でも、あの局面で下になるかもしれない選択をする必要はなかった。逆に伺いたいのですが、安藤選手と戦う時に打撃で戦うのか、下になるのか、どちらの方が良いと考えていますか」

──打撃とレスリングのMMAの王道で戦うと、分が悪いので距離を取って打撃を入れ、組んでいくのはありだったと思います。下になって極めることができなくても、スクランブルでスタンドには戻ることができているので。

「う~む、この試合だけを見ると打撃は優位で、組みは不利。そして下になって、またスタンドに戻るなら、組んで下になって立つということは余分に感じてしまいます。私には……」

──打撃だけで……組みを見せての打撃、そして初回ではなく終盤になり、安藤選手がスタミナをなくしてからだと下の選択もあったかと思います。もちろん、そこまでのスコアの計算も必要になってきますか。

「つまりは、そこです。今、高島さんが言われたのは終盤で疲れた時に田丸君が下になると、安藤選手は嫌だということだと思います。でも、あの展開で組んで、下になるのは安藤選手にとっては嬉しい展開だったはずです」

──それが田丸選手のMMAというのもありますが、そこまで打撃で優位に立てるとは多くの人間が思っていなかったと思います。ただ、彼自身は打撃だけでも負けないとは言っていました。そういう風に思われているからこそ、打撃で真正面に立ち過ぎたのかと。

「序盤の打撃戦を見ていると、打撃に徹していれば良かったのにと私は思いました。あの距離と、そこから離れて出入りがあれば。詰めてやられるというのは、先の先がとれてないからです。先の先がとれないのに、先に動くとやられます」

──本来はもっと打って、離れて、組んで、離れてという戦いが持ち味の選手です。が、田丸は正攻法じゃない、掛け逃げで真っ向勝負ができないという声に反発したかったかと。

「田丸は正攻法じゃない? 真っ向勝負できない……誰が言っていることに対して、彼は反発したかったのでしょうか」

──それはこれまでの試合を見た周囲の声かと。

「周囲というのはチーム内部ですか?」

──チーム内部のことは分からないですが、中継や大会関係者からはそういう風に言われることはあったかと思います。

「そういうことであれば、それぐらいの関係にある人間のいうことに反発してもしょうがないのに……。そんな声は気にする必要はないです。それを見返したい気持ちで、詰め過ぎたのであれば勿体ない」

──私も彼に対する軸が乱れる、逃げじゃないのかという意見を拾い過ぎて影響が出てしまったのであれば、申し訳ないと実は試合後に感じていました……。

「いやいやそんな記事に書かれていることとなんて、気にしていてはダメですよ。苦言でも自分に必要だと思うモノは耳に残して、他のことは気にするなと。ホントに自分の意識にベクトルが向かっていると、記事にしても人の意見にしても必要ないモノは切り捨てます。

ただし、田丸君の打撃が良いと言ってもあくまでタメや重心移動を利用した運動力学に沿ったものでエネルギー、つまり質量があがる打撃ではありません。

運動力学に沿った打撃だとリーチやタイミングといった相対的な要因に左右されるので、戦況は有利になったり不利になったりします」

──そこは繰り返し、武術的な観点で見るMMAで岩﨑さんが指摘されてきた部分ですね。

「具体的に言うと、田丸君は前蹴りに安藤選手の左ストレートを合わされたわけですが、それは前蹴りの質量が低いから、安藤選手の間になったということなのです。逆をいえば、ただ漫然と動作するのではなく、相手に対し先をとる、間を制すことを理解し質量の高い前蹴りを蹴れば、あの左ストレートをもらうことは絶対にありません。つまり、彼の打撃は質量を伴った打撃ではないということなのです。

田丸選手は今、何歳ですか?」

──24歳です。

「競技でタイトルを取りたい、海外で通用したい──その想いを持ち、遂行するのは本人次第です。そこではなく、安藤選手との試合で僕が彼から見えた技術的な要素、そして人間的要素は限りなく伸びます。殴ることができて、蹴ることができている。1.5倍、スピードにしても早くなり、今の1.5倍の打撃になれば……。例えば、あの前の試合でKO勝ちした黒澤亮平選手のワンツー、あれはフックのフォローまでありました。

あの動きこそ、セイサンという型で要求する究極の一挙動というヤツです。それも『いぃち』ではなく『イチ』というぐらい短い。田丸君の攻撃は一挙動ではないですよね。全てにタメを使っていて、全てに重心移動を使っています。そういう攻撃は相手が返してこない……相手が受けに回っているなら、やっつけることができます。

ただし、これから安藤選手や強い選手と戦っていくためには、打撃を伸ばさないといけない。究極の一挙動へ『イチ』で動けるように。どこの誰かが言っているようなことは気にしないで。評価が低いなんて、そんなのは……土曜日の修斗の大会が、格闘技として体をなしているのは田丸君と安藤選手の試合があったから。それぐらいだと私は思いましたよ。今回の試合でできた打撃、これは確実に1.5倍は良くなる。

そうなればもっと良くなるということで──でも、もっと良くなるとか差っ引いてもケージの中であの突き、蹴りができる選手はそうは見ないです。彼の評価が良くないのであれば、それを言っている人に『じゃあ、彼より良い選手は誰なの?』と聞きたいです。田丸君はもっと強くなれます」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview サンチン ブログ 岩﨑達也 站椿

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─08─站椿04「腕が動く時、空気がある」

【写真】突きも、飛行機も新幹線も、そしてF1も時間と空気の中を動いている。その空気の存在を感じるための站椿を剛毅會では採り入れている (C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。

なぜ、型稽古が必要なのか。そして型稽古に站椿を採り入れているのか。それは我々の周囲には大気が存在し、重力や引力とともに成り立っているからだった。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─07─站椿03「中国の意拳は違う」はコチラから>


──站椿や推手がレスリングに通じてくる実感があったということですか。

「MMAにチャレンジしようと思ってもレスリングや寝技で勝とうということではなかったですからね。打撃で勝つにはテイクダウンをするレスリングと、テイクダウンをされないレスリングということで、レスリング自体も変わってきます。ずっと空手をやってきて寝技で勝とうなんて風にはやはりなれないですから、テイクダウンが上手くなろうというレスリングでの稽古ではなかったです。

でも、打撃だけ勝つなんて方法論は当時のMMAには存在していなかったので、自分が求めているMMAを稽古するうえで站椿は役立ちました」

──それはどういう風に役立つのですか。

「例えばレスリングやグラップリング、組み合いでも相手との衝突が起こるわけじゃないですか」

──ハイ。

「その組み合った時の力の逃がし方だとか、踏ん張りあっているときに意拳の動きを使うと、意外と凌げることができたんです」

──それは周囲から理解を得ることはできましたか。

「そこは試合に勝たないと理解はしてもらえないですよ。それが勝負、スポーツの世界です。だから周囲の理解云々とは関係なく、自分のなかで蓄積はありました」

──それは今もMMAに向き合っている選手たちにも生きるのでは……。

「生きます。ただ……何というのか、あの当時はまだ武術空手に出会っていなかったので、二子玉川に行くのに山手線をグルグルと回り続けるように、降りる駅が見当たらない状態だったんです。でも、それを『渋谷で降りれば、田園都市線に乗り換えて二子玉川に行ける』と教えてくれたのが武術空手、型だったんです。意拳、站椿をやっていて必要だとは感じている……ハマってきているものがある。でも、私がやっているのは自己流です。だから中国に渡って習おうと思った時期もありました。でも武術空手と型に出会うことで進むべき方向が定まりました」

──今、剛毅會で稽古をしている人達に站椿を指導するのは、どういうことからなのですか。

「それは……例えばサンチンをやるときに、最初に諸手の腕受けで構えを取ります。

その時に自分の腕が動く。自分の腕が動く時には必ず空気であったり、重力であったりというものは大気中にあり、それらとの関係のなかで動かしているんです。

その感覚はないと思います。ただし、事実として重力は存在しており、腕を動かすにも大気の流れと関係しているんです。我々は目に見えないモノに活かされていて、その事実関係を理解した方がより力が出ます。

引力も重力も空気圧も関係なく手を動かして力を出すのと、そこを踏まえて手を動かして力をだすのとでは違ってきます。新幹線が360キロで走るために、どんどん口ばしが長くなるような流線形の車輛に変わってきました。

F1だと前に進むのにはエンジンという動力があって、タイヤが回り、地面と設置する。そのためにダウンフォースという上から抑えつける力を利用し、かつ空気抵抗……ドラッグを少なくすることで、前に進みます。

四角い自家用車とは全く違うから、あのスピードでコーナーを曲がることができる。それと同じなんです、突くも受けるのも。飛行機が空に飛びだすためには空気抵抗をなるべくなくして、浮力を得る必要があります。抵抗していると、それこそ空中分解してしまいますよね。」

──私にとっては凄く分かりやすい例えです。

「実は私は飛行機に乗っていて、揺れるのが大嫌いなんです。

分厚い雲のなかに入っていく、あの揺れのなかで飛行機が気圧、気流、浮力、動力があり飛んでいる。『あぁ、これぞ武術だな』と思うことがあります。やはりパイロットも上手い人と、そうでもない人がいるのでしょうね。

一度、積乱雲のなかを飛ばすという時に『揺れますが、問題ありません』というアナウンスがあって。あの時の積乱雲のなかに飛行機が入っていく、まさに武術でいう入るですよ。飛行機はああいう空気圧の中に入っている。あの中で揺れなくするためにエンジンの回転数を上げたりだとか、色々とパイロットの人が操縦をしている。気流のなかでエンジンの回転数を上げる、それこそサンチンに要求される呼吸力ですよ」

──あぁ、面白いですねぇ。

「この呼吸力というのは言葉や文字では絶対に説明しても分かってもらえないです。実際に体験してもらわないと。だから体験してもらって、理解してもらう。そのための站椿です」

──これが面白いのは、興味があるからです。興味のない人には、やはり目に見えないし、腕を振るうのに空気抵抗は感じない。

「そうですね。だから否定する人がいるのは構いません。ただし、今、ここに存在しているものなのです。F1で同じエンジンを積んでもシャシーが違うと、速さも違ってきます。それはなぜか、シャシーが空気を制御し利用できているのと、そうでない場合があるからです。空気圧、重力と戦い、調和して機体差がでます。エンジンの出力はそれほど変わらない。それは人間、MMAを戦うために懸命に稽古している選手たちの出力も同じなら、この空気抵抗、重力を知ることで突きの威力は変わってきます。

ブラジル人やロシア人、米国人のような出力の高いエンジンを持っている連中と接触してからやり合おうと思っても勝てない。ただし、接触しなければ勝負できます」

<この項、続く>

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview ダレン・ティル ブログ ロバート・ウィティカー 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ロバート・ウィティカー✖ダレン・ティル

【写真】武術的見地に立つと、強かったのはティル。倒す攻撃を続けていた彼が判定で敗れた理由とは……(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑氏とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──ロバート・ウィティカー✖ダレン・ティルとは?!


一つ、一つの突き、蹴りを効かせるという攻撃は、帳尻合わせをする相手には判定を持っていかれる

──ウィティカーとティル、初回にウィティカーが踏み込んだ時に左エルボーを被弾してダウンを喫しました。ティルはウィティカーの左ジャブは被弾していたけど、右は貰わない。そしてエルボーを入れました。

「私が見たところ、常に質量はティルが高かったです。そして間もティルで、試合は続きました。これはほぼ1Rから4Rまでティルだったんです。そして左エルボーのシーンは、ウィティカーがあのまま突っ込んでいくとカウンターを被弾するというのは、見えましたね。ストレートかと思ったらエルボーでしたが……。

ウィティカーは左ジャブが当たっていても、右はティルの左があるから当たらない。それを無理して突っ込むとカウンターを受けるわけです。完全にティルの間なので、ウィティカーが右を出しても届かないんです。そしてウィティカーは跳ねるから、動けているけど質量が落ちてしまいます。だから1Rを見る限りウィティカーには勝機がなかったように映りました。もう攻めようがないと。

それが2Rに入ると、ウィティカーが打とうという姿勢を持つようになった。結果、ピョンピョン跳ねなくなったんです。ウティカーの気持ちと頭がどうだったのかは分かりませんが、本気で打ち込むときには跳ねない──それを体は知っているんです」

──そして右オーバーハンドで逆にウィティカーがダウンを奪い返すわけですね。

「あれは目が覚めるようなワンツーでした。たまにウィティカーはやるんですよ、あのパンチを。それでも間はティルで、その証拠にまるでウィティカーのハイは当たらなかったです。見切っているんです。見切るとは避けることではなくて、避けようとしなくても相手の蹴りが当たらなくなることなんです。

見切りとは見て、切って、避けることではなくて、それこそ食品の見切り品は値段が安くなるというのは、その値段はもう売れない。だから諦めて捨てるように、値段を安くして売ることをいいます。もう、お前の攻撃は当たらないよ、見切っているんだよ──ということですよね」

──とはいえ3Rから5Rまで、ティルにも決定的な一打はなかったです。

「ハイ、確かに途中でティルは攻撃を受けるようなところもありました。それは自分の攻撃だけを考えていて、ウィティカーがどうしようがやることを決めていたからだと思います。ティルは如何に左の突きを出すか。左のハイ、左のアッパー、そこを軸に全ての攻撃を組み立てているように見えました。と同時にウィティカーの攻撃は当たる、当たらないで判断すると当たっているかもしれないですが、効果的かどうかで見ると効果的ではないです。この試合、私の方から質問させてほしいのですが、ウィティカーの勝ちなのでしょうか?」

──私はそうだと思います。ラウンドマストですし。1Rはダウンを奪ったティル。2Rは逆にダウンを取ったウィティカーで問題ない。ここからは色々な見方があるかと思いますが、3Rはウィティカーの左が当たるようになったのと、ティルは手数が減ったように感じました。そして4Rは互いに手がない。そのなかで、圧力がティルかと。ここは分からないですが、互角のなかで5Rにティルはテイクダウンとそこからのバックを取られたので、48-47は順当ではなかったかと思います。

「あぁ、なるほど。MMAとして上手くまとめたというわけですね。効果的でないパンチも、米国のボクシングの判定の取り方のように、手数が多いから取るというヤツですね。ここですね……一つ、一つの突き、蹴りを効かせるという攻撃は、帳尻合わせをする相手には判定を持っていかれることがあります。

それに5Rはティルが足が効いたのか、無理やりポーカーフェイスを作ったり、何かレフェリーに注文を入れた。ああいうことをすると、間がウィティカーになってしまいます」

──ティルの5Rは、手を変えなかったですね。圧倒して勝っているわけではないのに、ずっとあの左と待ちで勝負した。対して、ウィティカーは右の飛び込みをテイクダウンに変え、次はテイクダウンをフェイクにして、右を当てる。そういう工夫を3Rからしてきた結果、テイクダウンを取った。MMAとして大きく変化させるのでなく、同じリズムと距離で攻め方に工夫をしたウィティカーは素晴らしかったと思います。

「つまりはティルの左を軸に考えた動きが、ポイントゲームでは仇となったということですね。逆にウィティカーの仕掛けは、工夫で。でも最後だけですよね、倒してバックに回ったのは。テイクダウン狙いに対しても、左アッパーという質量の高い攻撃をしていたのはティルでしたし。

やはり5Rは長いです。これはピョートル・ヤンとジョゼ・アルドの時も同じで、今回はティルにしてもウィティカーしても動かないラウンドができてしまいました」

ティルは自分の重心を重くして、高い質量でパンチを打つことができる

──その5Rを戦い抜けるからこそ、チャンピオンだというのはあるのですが、UFCはメインは5Rという競技的には首を傾げる規定が定着しています。

「もうこの試合に関しては、5Rも休んでいる感がありましたしね。そういうなかでウィティカーの一つのテイクダウンとバックが優位に働くと。ただし、武術的な観点でいえばティルは自分の重心を重くして、高い質量でパンチを打つことができるんです。アレは狙うというよりも、重くして打っている。彼のように重くして前に出ると、カウンターは被弾しないんです」

──実際にウィティカーがカウンターを当てた場面は記憶に残っていないです。

「それは常に間がティルのモノで、つまり先の先が取れているということです。そこは凄く感心しました。ただし、MMAのジャッジの打撃の見方はそうじゃない。これがまた難しいところですね。ティルは貰っていないです。組みつかれたけど。裁定で微妙なところにいるのであれば、ティルはMMAという勝負に甘かったということになりますし、私も勉強になる試合でした。

それと忘れてならないのは、ウィティカーは2Rにダウンを奪ったように倒す力も持っている。きっと自分の良さも把握していると思います。そして、その攻撃を繰り返すと自分がどれだけエネルギーを消費するのかも把握している。だからポイントを纏めに行った」

──そういう見方もできるのですね。

「この試合は先ほどから言っているように、リーチもあって拳に倒す実感を持っているのもティルです。だから打撃勝負ではウィティカーは不利で、それでも自分の強さを出すことも時折りある。素晴らしワンツーを入れて、質量を高めるシーンも見られました。ただし、そこを軸に戦わないのはMMAで勝つためなのでしょうね。そこにはやはり5R、スタミナの配分が大きく関係していると思います。

試合後に彼が見ている人にストレスを与える試合だった──と言ったのも、それを自分で分かっているからでしょうし。それにウィティカーは逃げてなかったですからね。やはり元チャンピオンだかし、そういう部分で負けねぇよっていう気持ちがあるのかと思います」

──これぞMMAの勝ち方ですが、武術的にはティルが強かった試合だったということですね。

「断言をしますが、強いのはティルです。ただし、MMAで勝てるのがウィティカー。ティルには工夫が足らなかった。それが競技なんです。それはどの格闘技でもいえることです。武術的な原理原則とは乖離してしまうので、武術を追求している者は試合に出るなら、勝ち方というモノを考えるチームに属す必要があります。そうでないと勝てない。

あらゆる試合は相手に勝つために存在しています。だから、審判の旗を挙げてもらって勝つ必要がある。それが選手です。強くなる価値、UFCで王者になる価値は似ているようで違いがあります。そして、この試合では勝つ意欲はあったのがウィティカーだったのかと思います。と同時に強さ、弱さを競いあっているなかで、工夫やゲームプランで勝てない時、武術にはそこを補うことができます。

勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなしと言われますが、勝てない時、負けそうな相手と戦う時、勝てない相手とぶつかった時、武術は絶対に必要になってきます。そこはご期待ください(笑)」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview UFC ジョゼ・アルド ピョートル・ヤン ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ピョートル・ヤン✖ジョゼ・アルド

【写真】ヤンはまだ底を見せていない。アルド戦では彼の全容は見えないということは、誰と戦ったも楽しみが増える(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──ピョートル・ヤン✖ジョゼ・アルドとは?!

ジョゼ・アルドですら憎くもない人間と戦い続けることはできない


──ジョゼ・アルドを5Rにパウンドアウトで破ったピョートル・ヤンがバンタム級王者になりました。この試合、初回はヤンが攻勢でした。

「結果から言わせてもらいますと、やはりやる気の問題なんだと思います。アルドは長年ずっとトップを戦ってきて、最高の結果も残してきた。でも、今も収入を得るためなのか、まだやれると証明しようと戦っているのか。それは頭の判断ですが、体が戦いたがっているようには見えなかったです。それでも良いところがあるのはさすがなのですが……、ジョゼ・アルドですら憎くもない人間と戦い続けることはできない。それが人間という生き物なのかと思った次第です。

UFCのPPV大会では数字が取れる名前のある人がずっと上の方で戦っていますが、もうお腹いっぱいになったような選手が少なくないです。これから成り上がってやろうという選手とは、明らかに気持ちは違うのですが……ファンは、ビッグネームが見たいということなのですね。

そういうなかで1Rにアルドがパンチを打とうとしているのですが、彼のパンチが良いのは右ローをしっかりと蹴ることができている時なんです。パンチを打とうとしている時は、エネルギーが小さくなってしまう。ジャブからワンツーなんて、ボクシングをやっていると。アルドがパンチで行こうとする時は、ピョートル・ヤンの間です。ただし、右のカーフキックが入るとアルドの間になります」

──1Rはずっとパンチを被弾し、最終局面でテイクダウンを狙いました。

「不可解ですよね。あの先に何があるのか。蹴れば自分の間になるのに、あそこでテイクダウンにいった。いった先にどのようなビジョンがあるのか。恐らくは、コレというものがないからスクランブルに持ち込まれると自分から下になってしまったのでしょう。

ピョートル・ヤンに関しては、これはヒョードルやヌルマゴメドフにも当てはまるのですが、スタンドの打撃よりパウンドが圧倒的に良いです。スタンドでもショートの右アッパーなどは凄く良かったですが、パウンドの時の質量が一番高いです。もともと重力や引力との関係もあるので、人は上を取った時の方が質量は高いのですが、そうなった時にピョートル・ヤンの質量は最高値です。あのボディで、試合を終わらせることができてしまいそうなぐらい。

でもアルドが2Rに盛り返すというのは、さすがに歴戦の強者ですね。あの局面は、ヤンが腹を攻めなかった。ばかりか、ペースを落としました。そこでアルドの右の蹴りが入った。そうなると間が良くなり、左のボディブローも効き始める。あの局面ではアルドの方がヤンよりも、質量が高かったです」

──前足を蹴られたヤンがサウスポーにスイッチすると、一気に勢いがなくなったように見えました。

「サウスポーになった時は、本気で食いに行こうというのが見えなくなってしまいましたね。蹴りは良かったですけど。だから、あの時はアルドが勝てる、勝機を見いだせたはずなんです。それなのに3Rと4Rは、アルドは何もしなかった──下がるだけで。ビジョンが見えなかったです。反対に2Rを失ったヤンは、何かをしようと前に出てくる。その時にアルドが、ヤンに対して何をやろうとしているのか、それがなくて漠然と戦っているようにしか見えなかったですね。

そうなるとサウスポーでも、ヤンの質量が上がり、間もヤンになっていく。アルドのリアクションはバックステップで外すだけでしたし。だからヤンの回転が上がっていきました」

──最終回、仕留めに行った時のヤンは顔面を殴り、ボディを殴り、ヒザも蹴った。多彩な攻撃を見せていました。

「それはヤンが良いというよりも、アルドがもう終わっていたので。ああなると余裕が持てると思います。あの状況で、打ち返すことができる、あるいはテイクダウンができる人間に対して、あれだけのテクニックを見せることができるのか。この試合のアルドでは、ヤンの力というのは測りかねる部分があるかと私は思います。

いや凄く高い能力の持ち主ですよ、ヤンは。そして冷静です。最後のパウンドは殺すというよりも、レフェリーに止めろよというメッセージを送って殴っているように感じました。この試合もそうだし、もう5Rを戦い切れない選手が多くなっているから、5R制ってどうなんだろうなって感じます。5Rを戦い切る稽古と、気持ちがどれだけ創ることができるのかというのは、このところのUFCでは思うところですね。5Rあることで2Rぐらいは休む選手ができているので」

──日本人としては長丁場に活路を見出したいと思ってしまうのですが……。

「以前、黒崎健時先生が著書で42.195キロを100メートル・ダッシュのつもりでやりきれば必ず勝てるのだ。ただ、それをやる勇気のある人間がいないと言われています」

──物理的に無理だと思ってしまうかと、それは。

「でも、私はそれをやろうとする選手がこれまでも勝ってきたと思います。ジョルジュ・サンピエールにしても、ドミニク・クルーズにしてそうでした。今はあの時の彼らのように仕上げられないのでしょうね。

今後、ピョートル・ヤンがそこまでできるのか。それこそ指導者と選手が、人格の殺し合いをするような稽古でないと5分✖5Rというのは戦いきれないのではないかと思います。それは対人だけでなく、心肺機能を上げる練習にしても。そして、そんな稽古は10何年もできないでしょう」

──GSPやドミニクのようにピョートル・ヤンがなれるかどうかは、練習次第だと?

「ハイ。この試合からだけだとヤンは分からない。このままでコディ・ガーブラントやマルロン・モラエスとやって勝てるのか。ガーブランドはスタンドで、ドミニク・クルーズを効かせることができた選手です。それゆえにTJ・ディラショーにやられてしまったのですが……」

──そのTJ・ディラショーも来年の1月に戻ってくることができます。

「まぁ、UFCのバンタム級は凄いことになっていますね。だからこそアルドと戦った状態のヤンだと、ガーブラントには勝てないような気がします」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview サンチン ブログ 岩﨑達也 意拳 王向斎 站椿

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─07─站椿03「中国の意拳は違う」

【写真】站椿をケージの中で使って、強いということでは決してない。そして武術と格闘技では修得するという点において、スパンがまるで違ってくる。それれでいてなお、重なりあっている(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。

空手と中国武術は切ってもきれない関係ながら、歴史上寸断された過去があった。それでも站椿に何かしら組手を変える要素があると感じ、1990年代中盤より中国から意拳の情報が伝わってくるようになると、岩﨑氏の興味はさらに深まるものとなった。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─06─站椿02「王公斎は型を不要とした」はコチラから>


──極真に全身全霊を掛けていたからこそ、武術空手に辿り着くことができたのだと。

「その通りだと思います。あの時、極真空手と意拳に縁があった。そして站椿の稽古があったことが、私と形意拳に縁があったということですしね」

──釈然としないながらも……。

「腑に落ちなかったんですよね」

──そこを腑に落ちるまで、解明しようという気持ちに時はならなかったのですか。

「それもありますし、中国武術に関しては文化大革命の際に無かったことにされているという歴史的背景も関係しています」

──というのは?

「一度、中国共産党政府としても武術を無いモノとしたのです。その一方で、意拳は中国拳法のなかで歴史が浅い武術という要素が加わります」

──1903年生まれの澤井健一氏が、1930年代に王向斎門下となっていることでも、4000年の歴史のなかで100年ほどということですね。

「王向斎は確か日本の年号いえば、明治19年生まれですからね。何より、中国の名立たる武術家は国民党と共に台湾に渡ったとされますが、王向斎は大陸に残り健康法として意拳を伝えました。文革からしばらく経って共産党が健康法としてのみ武術の普及を認めた。太極拳、気功が広く普及したのはそのためですね。

摩擦歩というゆっくり運足を練る稽古があるのですが、元々両手を挙げて行っていたそうです。ただ、そうすると武術だとバレるということで手を下げて行うようになったみたいですが、我々は澤井先生が戦時中に学んだ摩擦歩を学んだので両手を上げて行うと習いました。

先ほども言ったように文革からしばらく経って、共産党が武術を健康法としてのみ普及を認めたそうですが、そういう背景がありながら、王向斎の門弟の方々は中国本土に残り意拳を普及して行ったそうです。ただ私が空手を始めた80年代、そして90年代の序盤までは中国から意拳について情報が入ってくることはなかったです」

──ハイ。

「だから極真の先生方が澤井先生から習った站椿を、私たちが習う。そして腑に落ちないから真面目にやる気になれなかった。なんせ澤井先生が1988年にお亡くなりになり、中国で意拳を習った方は日本にいなくなってしまったんです。

それが90年代も半ばを過ぎると、中国から情報が入ってくるようになりました。鄧小平が経済開放区を設け、社会主義市場経済を用いたことで武術的な情報も日本に流れてくるようになりました。

その頃になると、日本で意拳を稽古されている先生方も中国に行くハードルが下がり始め、中国の意拳の先生も来日して指導される機会も増えていきました。書物も圧倒的に増えました。私も映像や文献も読むようになり、『アレっ、俺が思っている意拳と中国の意拳は違うんじゃねぇか?』と思った時から、ハマっていったんです。

やたらと腰を落として、カカトを上げて足腰を鍛えるモノではない……ということは、私に限らず多くの人が思ったはずです。単なる肉体の鍛錬方法ではないことには気づきました」

──それが気であったり、内気であると、まるで別物だと捉える人もいたかと思います。

「これは私の話ですが、気というモノには全然興味がなかったです。ただ、前に言ったように何かが違う。それが意識なのか、心なのか。それとも神経なのか……とにかく何かは分からないけど、站椿をしてから組み手をすると何かが変わるという状況が、中国から情報が入ってくるようになってからは、より加速したんです」

──おぉ。実感できるほどだったわけですね。岩﨑さんは粗暴な言葉とは裏腹に、繊細な人じゃないですか。

「粗暴って、私は……繊細ですよ(苦笑)」

──だから、その違いが感じられたのでないでしょうか。

「それは今、武術空手を指導していて……そういう気持ちの持ち主、その気持ちがあると型や武術空手を学ぶ際には凄く役立つと感じています。心や感性、感能力と呼んでいるのですが、感受性の強い人──目に見えないモノを理解する意識や心を養うのには凄く良い練習になると思ったので、站椿を指導するようになったんです」

──一緒に切磋琢磨した人達にその考えを伝えると、どのような反応だったのでしょうか。

「MMAと比べて、空手の世界は夢を追うという空気がありました。MMAは世界中でやっていて、強烈な現実が映像で伝わってくるモノですから。MMAで現役を引退すると、経験値で指導して、技の探求を続ける人は私が知る範囲では空手より少ないと思います。

対して私が空手を始めたころは、選手を引退するから空手を辞めるということがあり得なかった時代です。空手は一生修行するもので、選手生活はその一部だったので」

──MMAは絶対的にというか、何を置いてでも一生追及できる要素の固まりだと思っています。だからMMAと武術が結びつけば、MMAファイターは引退後もMMA家になれるのではないかと。

「それは武術空手家にも言えることです。私は武術空手を一生を通して追及するのであれば、若いころにMMAを経験していることは何よりも財産になると思っています。実は剛毅會で空手を究めたいと言っている25歳ぐらいの子に、前に『空手だ、武術だと偉そうに言っても、お前が一生空手をやるうえでこの経験があることが大きな違いになる。この3分✖2Rを経験しないで、大先生になった人間がたくさんいるんだ』と伝え、アマチュア修斗に申し込んで出場させてもらったこともあるんです。

彼はMMAのチャンピオンになるためでなく、空手の修行としてまだ若いからMMAを経験しています。話を戻すと、スポーツの人って現実が全てです。UFCを見て、ロマンチストになれないですよ。リアリストで強くなければ。

一方で空手は夢見ることができます。将来的にという将来のスパンがMMAと違います。だから、そこに近づくために站椿のような稽古をやろうよと言うことができる──それはありますね」

──岩﨑さんも站椿の意味合いというのは、武術空手を追求するようになってから理解が深まったのですか。

「武術空手に傾倒する以前ですね。ヴァンダレイ・シウバと戦った頃、稽古は站椿、意拳とMMAスパーリングでした。それ以前のフルコン空手の選手を引退する前なども、結果は伴わなかったですが成果を感じることができていました。当時は身体意識ぐらいだったと思うのですが、その身体意識を養っていけば、まだまだ上手になるのではないかという気持ちでいたので、レスリングや寝技でも意識していましたね。出稽古でグラップリングのスパーリングをしていても、站椿や推手のつもりでやっていました」

──それは岩﨑さん、やっぱりロマンチストですね(笑)。

「まぁ、そこにも武術的な力の使い方というものがあるので」

<この項、続く>

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview サンチン ブログ 岩﨑達也 意拳 王向斎 站椿

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─05─站椿01「極真✖太気拳」

【写真】站椿とは、何か。MMAファンも一緒に学んでいけることが楽しみだ(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。

武術空手で行う5種類の型にあって、息を吸いて吐くという意味の呼吸が学べるのはサンチンだけだ。そして、剛毅會空手では站椿も稽古に取り入れる。そもそも站椿とは何なのか。武術空手を知る上で、切っても切れない関係ながら、深みに入ることが恐ろしくもある中国拳法の入り口付近を、これから暫らくの間は歩いていくこととする。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─04─サンチン03「目的と設計図」はコチラから>


──サンチンだけが吸って、吐いてという呼吸を学べる。そのなかで站椿を剛毅會空手で取り入れているのはなぜでしょうか……という質問の前に、多くのMMAファンは站椿とは何かと疑問に思うかと。

「站椿とは何か。アハハハハ。站椿とは何かとは、永遠の課題なんですよ。立禅(りつぜん)という呼び方もありますが、それは日本の人間の言い方で書いてそのまま立ってやる禅だと。そうなると、なぜ禅なんだ。そして禅って何だよっていう話になってしまいます」

──それこそ禅問答だと。

「ホント、だから突っ込み始めるとキリがない。站椿とは一般的には筋肉とか、目に見える技とだかではなくて、体の内面のエネルギーを養成する稽古とは言われています」

──それは空手ではなくて、中国拳法の世界でということですか。

「ハイ。中国拳法で、です。私は中国拳法の専門家ではないのですが、私の知識の範囲でいえば中国拳法は仏教系、道教系、回教(イスラム教)系の武術に分かれています。八極拳などは、回教系の武術なんです」

──えぇ!! そうなのですか。

「宗教と結び付けて稽古することが多くて、前回お話したようにサンチンは白鶴拳のなかの鳴鶴拳から来ていることは間違いないのですが、白鶴拳はどちらかというと仏教系の拳法なんです。そして内家拳は道教の拳法で、代表的なのが太極拳、形意拳、八卦掌という3つです」

──MMAファンも太極拳はもちろん形意拳、八卦掌は耳にしたことがあると思います。

「そのなかの形意拳から、シンブルに技を抽出したのが王向斎によって創られた意拳です。その意拳の主たる稽古が站椿でした。それが一般的な考え方です」

──意拳では站椿のような稽古ばかりで、組手は存在しないのでしょうか。

「約束組手のようなモノから、推手という……見た目は手をグルグルと回し合ってバランスを崩すようなモノ、また自由組手──スパーリングのようなモノもあるそうです。この道教系の拳法には、五行合一(ごぎょうこういつ)──古代中国にあった万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、栄枯盛衰はこれらの元素の働きで変化するという自然哲学の思想や、小周天(しょうしゅうてん)という自分の体の中のエネルギーの経路や周囲に気を通すということや、大周天(だいしゅうてん)という人間と大地との交流だとか、そういうことと結び付けて説明する特徴があります。

この考え方自体が道教の思想なんです。そして意拳では組手をするにしても筋肉や技を鍛えて挑むのではなく、意や気のような人間の内面を練って戦うということです」

──内面の気を養成するために站椿という稽古が存在しているということですか。

「これも一般的な話でいえば、形を養うこと。その結果、打撃の破壊力、威力が増すため、つまり武術的な能力を高めるために取り入れている……のでしょうね。だから理解できないというか、理解する気がない人には理解ができない稽古だと思っています」

──その理解することが難しい站椿と岩﨑さんの出会いというのは?

「それは……たまたま私は站椿を取り入れているフルコンタクト空手の道場に、子供の頃からいたわけです」

──まぁ、もう読者の皆さんはそれが極真だということは理解できていると思いますが、極真ではどの道場でも站椿をやっていたということでしょうか。それとも城南支部だけだったのですか。

「もともと大山倍達先生が日本人で唯一、意拳を中国で習ったとされる澤井健一と深い交流がありました」

──それこそ王向斎に学び、太気拳の開祖となった澤井健一氏ですね。

「ハイ、そういう経緯で我々も站椿の稽古をするようになったんです。実は交流試合なんかも、やりましたし」

──あっ、太気拳と極真の人たちが掌底ありで組手を行うビデオは見たことがあります。こういうとアレですが……ヒョロヒョロでTシャツを着ている太気拳の人が、極真の人にバンバン掌底を当てていて……。

「アハハハ。ヒョロヒョロの!!」

──岩﨑さんも立ち会っていたのですか!!

「私は中学校3年生で、先輩達がやっているのを見ていました(笑)」

──ただ、あの映像は衝撃的でした。極真の屈強な人たちが、もやしみたいな人に顔面に掌打を食らっていて。ただ、今からするとだって太気拳のフィールドじゃないかと理解できるのですが。

「確かに掌底を受けていましたよね。そして、結論からいえばいつものルールではなかった。言われた通りです。極真ルールでやれば極真の人達の方が優勢だろうし。ただし、顔面を殴られて良いというモノではないですからね。その後グローブが出てきたり、MMAが出てきたことで顔面掌底どころでない時代となりました。そこを根っこから穿り返そうと、私は独立した時に思ったわけです」

──バーリトゥードはともかく、グローブよりも掌底とはいえ素手だったのでえげつなく感じました。

「それはそうかもしれないですね。指先が目に入ったりしていましたからね。外側の怪我はグローブより多かったです。ボクシングやキックがあった時代ですから、グローブよりも掌底の方が見慣れていないというのはあったと思います。ただ、アレって忘年会……武道の世界では納会での一幕で。先生方も澤井先生に習っていたりしたので、組手をしている先輩方は緊張感はあっても、殺伐とした空気のなかで行われていたわけではなかったです」

──なるほどぉ。いやぁ、凄く貴重な話をありがとうございました。そういう交流があり、站椿を取り入れていた。ただ、太気拳そのものを取りいれることはなかったのですか。

「熱心な先生、全然関係ない先生がいました。私の道場はたまたま站椿をやる方だったけど、まぁ優秀な先輩方も含め全員が一生懸命やっていたわけではないです。私も取りあえず站椿の稽古をしていたということで、決して熱心ではなかったです」

<この項、続く>