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Interview ONE ビビアーノ・フェルナンデス ブログ

【ONE】活動再開、ONEアスリートの今─02─ビビアーノ・フェルナンデス「僕はルールに従う」

【写真】信仰深いことで有名なビビアーノ、想像も絶する厳しい幼少期を経て、柔術とMMAで成功を収めた彼は誰よりも家族を愛する (C)MMAPLANET

31日(金・現地時間)にタイのバンコクで活動を再開するONEチャンピオンシップ。5カ月振りのイベント再開を前に、世界各地で非常事態を経験してきたONEアスリートたちは何を想い、どう過ごしてきたのかを尋ねるシリーズ。ONEアスリートの今、第2回は日本での成功から、ONEバンタム級で長期政権を築いたビビアーノ・フェルナンデスの登場だ。

カナダ、ブリティッシュコロンビア州に生活拠点を置くブラジリアン。米国との国境を封鎖するなど、断固たる感染拡大対策を取り、事態の沈静化に向かっている一方で、経済活動のストップで──あのシルクドソレイユが倒産するという事態を生んだカナダにおけるファイターとして営みを尋ねた。


──ビビアーノ、大変な状況だと思いますが変わりなくやっていますか。

「もちろんだよ。ところで日本の様子はどうなんだい?」

──これまで日本ではPCR検査の数がごくごく限られていたのですが、ようやく少しずつ増えてきて。経済活動の復活と そのタイミングが重なったことで、感染者の数も増えています。特に東京では。個々でしっかりと予防し、経済を回すような感じですね。

「日本の人達は、その辺りは僕の母国であるブラジルとは違っているんだろうね」

──でも終息が見えたなんてことは全くないですよ。

「それは世界中でいえることだよ」

──ブリティッシュコロンビアの方が東京より、沈静化していると思います。

「確かにここは良くなっているね。先月からレストランもオープンし、映画館も開いている。今は学校も再開したけど、小学校は閉鎖されたままで、ホームスクールが続いているよ。今年中にどうにかなるのか、僕には分からない。

僕の子供たちも月曜日から金曜日は朝の9時から午後1時までコンピューターの前に座っている。リモートクラスだね。子供たちは全く問題ないよ」

──それにしても、半年前に世界がこのようなことになるなど誰も想っていなかったはずです。

「いいかい、マナブ。僕は神を信じている。カミサマ(※日本語)をね。それが一番だよ。2番目はルールを守ること。社会のルールに対し、謙虚な姿勢で従わなければならない。3番目に大切なことは、ビビアーノ・フェルナンデスであること。ビビアーノとして、僕は生きなければならない。

生を受けて、今、ここにいるなかでCOVID19のパンデミックが起こった。でも、パニックになることはない。今言った3つのことを肝に銘じ、ずっと生きてきたからね」

──ビビアーノがビビアーノたる……父であり、夫であり、指導者でもある。と同時に、ビビアーノは柔術家でありファイターです。そのためのトレーニングは?

「練習はしているよ。極々少数の知り合いとだけで。ボクシング、ムエタイ、柔術をしてきた。ただし、社会情勢に対してやり過ぎということはないようにしてきたよ。今はカナダ政府の決めた取り決めに従っている。つまり、ジムで3人から5人のトレーニングを行うことは問題ないということだよ。

5月にロックダウンが緩和されるまでは、家で練習を続けていた。ロックダウン中はジムも何もかも閉められていたからね。それでも時々、コーチに家にきてもらって指導も受けていた。まぁ、通常のトレーニングを続けることは無理だったよ。ジムで練習しようものなら、ポリスがやって来るからね。

それに柔術クラスや柔術ジムは、まだ活動再開はできていないんだ。僕もムエタイのジムでトレーニングをしている状態だよ。ジム内も動線が引かれて、練習している人間の距離を取ることが決められている。もちろん、スパーリングは許されていないよ。とにかく慎重にトレーニングすることが必要なんだ。

100パーセントの練習ができないのは、今も変わりない。でも僕はルールに従う。そして、感染予防に気を使って、人々に迷惑をかけないように練習しなければならない。そうやって毎日を過ごしている。社会の一員として、多くの人達が嫌がるようなことはしたくない。だから……練習はしている。でも、ファイトのためじゃない。ボディメンテ、フィジカルのメンテナンスのためだね」

──日本では法的行使力はなく、自粛要請という形で4月から5月にかけて多くの道場やジムは閉められていました。と同時にプロフェッショナル・ファイターは練習を続けて批判されたこともありました。

「法に触れていないのだから、練習をすれば良い。ただし、法に触れようが、触れまいが、しっかりと用心して練習すること。トレーニングする人間は、そこを忘れてはいけないというのがビビアーノの考えだよ。

トレーニングが問題じゃない。コロナ禍のもと、トレーニングに向き合う姿勢が大切になってくる。僕には幼い子供たちが家で待っている。無茶をして、感染するわけには絶対にいかない。でもトレーニングはしていた。現状に則して、コンディションをキープするためにね」

──経済が止まると、その子供たちの生活も危ういものとなってしまいます。そのなかでMMAワールドでは、UFCがどのスポーツよりも早くメジャーイベントを再開させました。

「ちょうど、今日も他の人とそういう話になったんだけど……僕の望みはただ一つ、UFCの大会に関わったファイター、コーチ、運営、放送スタッフからただ1人の死者がでないこと。誰もコロナウィルスが原因で死んで欲しくない。それだけだよ。

UFCが大会を行うことは構わない。でも、死者がでないこと。誰も失いたくない。このままそういう事態に陥らないように大会が続いて欲しいと思っている」

<この項、続く>

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Special The Fight Must Go On ビビアーノ・フェルナンデス ブログ

【The Fight Must Go On】あの時、〇〇が話していたこと─02─2011年6月9日、ビビアーノが話していたこと

Bibiano【写真】今から8年10カ月前のビビアーノ。さすがに若いが、その生い立ちから達観ぶりはずば抜けていた (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第10弾は過去のインタビューで、今も印象に残っている言葉を再収録したい。あの時、〇〇が話していたこと……第2回は2011年6月9日──カナダ・バンクーバー郊外リッチモンドで取材したビビアーノ・ヘルナンデスの言葉を振り返りたい。

2011年、東日本大震災のあった日本ではPRIDE後の格闘技界をDREAMとともに引っ張ってきた戦極が活動停止となり、そのDREAMも縮小化へ。レギュラーといっても過言でなかったビビアーノも来日が半年以上途絶えていたなかで、UFCやBellator移籍もあると見られていた。

そんななかDREAMで戦うことを拘るビビアーノは、当時は余り明らかとされていなかった達観した人生哲学を語り始めた。こんな今だからこそ、あの時のビビアーノの言葉をお届けしたい。


──このような状態になってもビビアーノが、日本で戦い続けるという想いはどこから起こってくるものなのでしょうか。

「今、試合がなければ道場のことを考えている。DREAMとの契約が残っているんだから、UFCで戦いたいとかベラトールで戦ってみたいとか、そういうことは口にしたくないんだ。最初に何かを始めれば、それは最後までやり通さないといけない。DREAMからなかなか試合の機会が与えられなくても契約は彼らとの間にしか存在しないんだ。そういう大前提として存在するものを飛び越えて次の話を進めることは、人間的にも良しとしないんだ。

僕はここにいる。今、君のインタビューを受けている。その時に他のインタビューのことを考えるわけにはいかない」

──なんだか本来は当然のことなのですが、状況が状況ということがあるなかでビビアーノの義理堅さには驚くばかりです。

「だって人は今を生きているんだ。将来のことばかり考えたってね。分かるだろう?」

──自分など将来に不安を感じ、今という現実を軽視してしまいがちなのでビビアーノの言葉が胸に響きます。

「将来のことなんて何も分からないよ。今、その足下を見つめないとね。DREAMから『ビビアーノ、君はもう要らない』と言われれば、他のオプションを考える。だからDREAMがなければ……という過程の話をしてもしょうがない。僕はジャングルで生まれ育った。

僕らは生き残るために生活していて、死というものを身近に受け入れている。だから今、できることをこなし、平穏に生きたいんだ。頭をクリアにして真っすぐ歩いていくことが大切だと思っている。何かに挑戦することを大きく喧伝する連中もいるけど、僕は生きていくこと自体がチャレンジなんだ。

今の生活に不満はない。生き急いでどうなる? 早く死にたいってこと?  意味はないよ。スピードを出し過ぎた車は事故を起こして壊れてしまう。焦る必要はない。時間を掛けて生きるんだ。急いで走ってストレスを感じて、人を信じることができなくなって……一体何を恐れているの?」

──何事も生き急がないと。

「生まれてきた誰もが死ぬんだ。それだけは皆、変わりない。何を生き急ぐ必要がある?」

──マナウスやリオデジャネイロに住んでいた頃と比較して、随分と成熟したと思いませんか。

「そんなことは決してないよ(笑)。生き方は同じだけど、今のように昔は断言できることはなかったね。僕はお金のために戦ったことはない。母が亡くなって家には食べ物もお金も無くなってしまった。ある女性の家の掃除をして生きていくことになった。彼女は『いくら欲しい?』と尋ねてきたけど、『食べ物が欲しい』と答えたんだ。僕はお金を得るために生きてきたんじゃない。生きるために生きてきたんだ」

──本来はバンクーバーでビビアーノの練習などを拝見させてもらって紹介しようということが主題の取材だったのですが、このような会話になるとは思っていなかったです。

「なぜか? 今日、ここにいるからだよ。君がバンクーバーに着いたばかりなのに、僕が住んでいるラングレーにレンタカーをドライブしてくると言うので、そんなことをさせることはできないと思った」

──そのためにわざわざ、私が宿泊しているホテルまで足を運んでくれたのですね。

「自分のことを第一に考えるのなら、家で君の到着を待つだけで良かった。しかし、東京から飛行機の長旅で疲れている友人に、酷い渋滞のなかドライブなんてさせたくなかった。人生は人を思いやり、人から思いやれるもの。自分のことばかり考えて、何かを手にしていくのは実は人を思いやれないことと同じで、何も残らない空っぽな人生になる。

今、日本は大変なことになっている。でも、しっかりと気持ちを落ち着けて、自分以外の人のことを考えていくと、危険は去り、また良い時代がやってくるに違いない。そんな日本でまた戦えることを楽しみにしているよ」

──Fight & Life 2011年10月号(Vol.26)より抜粋──