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【Grachan71】足立晃基 with MIKE。MMA甲子園からプロへ「デビュー戦が決まって気持ちも変わりました」

【写真】首都圏、いや京阪神、名古屋、福岡とも違う奈良のMMA進化論(C)SHOJIRO KAMEIKE

15日(日)、東京都江東区の有明TFTホール500で開催されるGrachan71で、第1回MMA甲子園フェザー級優勝者の足立晃基が、内山国光とのプロデビュー戦に臨む。
Text by Shojiro Kameike

(C)MMA KOSHIEN

奈良県在住の足立は高校在学中、元グラジエイター王者のMIKEが主催するM3A FITでMMAを学び、今年2月のMMA甲子園第1回全国大会を制した。

その足立と、師であるMIKEに選手育成とMMA甲子園での経験について語ってもらった。


「格闘技ジムってプロ志望で入ってきた子のほうが早く辞めるのが定説」(MIKE)

——MMA甲子園優勝者としては、足立選手が初のプロデビューとなります。まず足立選手がMMAを始めたキッカケを教えてください。

足立 MMAを始めたのは16歳の時です。小学生の時に少しだけ空手を学んでいたことはありますが、それ以外はずっと体操をやっていました。

——なぜ体操からMMAに転向したのでしょうか。

足立 当時ずっと通っていた体操教室が、かなり厳しいところだったんです。精神的に疲れてしまって、体操を辞めてから1年ぐらい何もしていませんでした。でも体を動かすのは好きやったし、当時何となくUFCとかの動画を視始めて。『良いな、格闘技やりたいな』と思って、高校受験が終わって進学すると同時にジムに入りました。

——MIKEさん、体操経験者ということで他の一般会員さんとは体の動かし方も違いませんでしたか。

MIKE それが……入ってきた時は週1回、少し体を動かす程度だったんですよ。特に試合をしたいというわけでもなくて。それも毎週来る時もあれば、一時期来なかったり、また来始めたという状態が1年ぐらい続いていました。

足立 僕が入った高校は全員が絶対に部活に入らないといけない学校で、自分もハンドボール部に入っていて。部活が忙しくて――あと勉強も全然できないので、補修とかも受けていました(苦笑)。

MIKE 週1しかジムに来ていなかったけど、僕も打撃のトレーナーも「結構シャープな打撃をやるなぁ」と思っていたんですよ。それでウチのジム主催大会「M3 CUP」を始める時、足立君に「大会やるけど出る?」と聞いたら「あぁ、あぁ」みたいな感じで(笑)。

足立 もともとMMAをやりたかったんですけど、その頃は参加できるのが土曜日のキックボクシングクラスだけで。だから初めてのMMAの試合は、とりあえず組みは捨てていました。

MIKE 初めての試合ですし、組まれて負けても仕方ない。まずは経験してみることが大事だ——と思っていたら、まさかの反則負けで。

——えっ!? どういうことですか。

足立 M3AカップのMMAルールは、グラウンド状態の打撃が禁止なんです。なのにボディへのパウンドを打ってしまい、失格負けになってしまいました。分かっていたつもりだけど、体が勝手に動いてしまって……すみません。その試合から組みの練習をし始めて、今は組みが中心の選手になりました。

——なるほど。MIKEさんとしては足立選手に対して最初から、プロになってほしいと思っていたのでしょうか。

MIKE う~ん……、何て言うんでしょうね。格闘技ジムってプロ志望で入ってきた子のほうが早く辞めるのが定説に近いじゃないですか。僕も東京にいた頃、プロ練に行くと「おっ、新しい人がいる!」と思っても、1カ月後には来なくなったり。奈良で自分のジムを開いた今でも、自分より遥かにセンスが良い選手が入ってきても、いつの間にか来なくなる。20年間そういう状況を見てきました。

そんななかで足立君もMMAをやりたそう。でも「プロになることを勧めたらプレッシャーに感じてしまうかな……」と思って、最初は様子を見ていました。始めたばかりだし、楽しく参加してもらったほうが長く続けてくれるのかなと思って。

——そして入会から1年後、M3A CUPをキッカケにプロへの道を歩むことになる。まさにMIKEさんが考えた通りに進んでいったわけですね。

MIKE プロ志望で入ってくる子たちは、格闘技を楽しめていないことが多いと思うんですよ。「何がなんでもプロになるんじゃ!」みたいな。もちろんプロになるためには、それぐらいの覚悟は必要なんだけど――でも、いざプロ練に参加してみると、レベルの高さに圧倒されたり。特に東京はレベルが高いですしね。奈良という地方都市では、それは余計に難しいんじゃないかと考えました。

「ここで負けたら『MMA甲子園なんて所詮は高校生の大会だろ』と言われちゃうよ」(MIKE)

「それを言われるのは絶対に嫌です!」(足立)

——確かに、そうかもしれません。足立選手はMMA甲子園に出場する前、M3A CUP以外でアマチュアMMAの経験はあったのですか。

足立 アマチュアグラジエイターとアマチュア修斗に出ていました。一度だけ勝って、あとは全敗でした。

——1試合以外は全敗! その状態でMMA甲子園のトーナメントに参加することに不安はありませんでしたか。もう少し準備してから……とか。

足立 もともと3週間に一度ぐらい試合をしていて。とにかく試合で経験を積みたかったんです。だから「高校生だけの大会がある」と聞いて、すぐに出たいと思いました。

MIKE 僕の考えとしては、最初の1~2年はとにかく試合に出る。勝ち負けはどうでも良くて、とにかく試合に出るというスタンスのほうが良いのかと思っていました。そうしていると足立君が「MMA甲子園の初代王者になりたい」と言い始めたので、あの頃から意識も変わってきたかもしれないですね。今から考えると。

足立 やっぱり一つの目標があるのは大きかったです。特に「初代」という肩書は大きくて(笑)。あとは自分と同じ高校生と戦う、という点も大きかったですね。「同じ高校生だったら負けない」という気持ちはありました。

練習の強度もどんどん上げていったし、今まで負けていた分「勝ちたい」という気持ちも強くなって。あとは試合をするごとにスタイルも変わってきました。それまでは「組みたい」という気持ちが強すぎたんですけど、ちょっとずつ打撃も上達していって。

(C)MMA KOUSHIEN

実戦で試しながら、自分のスタイルが出来てきました。

MIKE ただ、僕としては今回のプロデビューに対して不安はあったんです。自分と同じ高校生に勝っているだけで、まだ大人との試合で勝ったことがない。その状態でプロデビューというのは――。

でもプロデビュー戦が決まったら、ますます練習に対する姿勢も変わってきて。MMA甲子園のあと今年7月、アマ修斗四国選手権に出て優勝したんですよ。2回戦以外は全て一本かKOで勝ったので、僕の中でもプロデビューに自信を持つことができました。

足立 MMA甲子園の前にアマチュアの試合に出ていた時は、試合前に体が硬くなっていました。結果が全ての世界やから、とにかく結果を出さないと――と自分を追い込みすぎたというか。でもMMA甲子園で優勝したあとアマチュア修斗に出る時は、気持ちは違いましたし、プロデビュー戦が決まって自分の気持ちも変わりました。

——そのMMA甲子園を経て、今回プロデビューに至りました。対戦相手の内山選手はGrachanチャレンジで経験を積み、足立選手と同じく今回がプロデビュー戦です。

MIKE ここで負けたら「MMA甲子園なんて所詮は高校生の大会だろ」と言われちゃうよ。

足立 それを言われるのは絶対に嫌です! 自分もプロデビュー戦は絶対に負けません。いつもどおりの試合をして、圧倒的に勝ちます。

■視聴方法(予定)
9月15日(日)
午後13時30分~ GRACHAN放送局

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【Nagoya Fight Fes】坪井淳浩GSB代表に訊く中部MMAの現在「長い間、通常運転を続けてきた」

【写真】イベント当日は主催者、セコンドと大忙しの坪井代表(C)TAKESHI SATO

8日(日)、愛知県名古屋市中区の若宮大通公園若宮広場で野外格闘技イベント「Nagoya Fight Fes.19」が開催される。
Text by Shojiro Kameike

この大会で開催される種目は多岐にわたる。ストライキングチャレンジ(アマチュアキックボクシング)、アマチュアDEEP(MMA)、MMA甲子園ワンマッチ、アマチュアシュートボクシング、そしてジュニアの試合まで――まさに名古屋におけるアマチュア格闘技の祭典だ。Nagoya Fight Fesの主催者である坪井淳浩氏は、SBとMMAで戦いながら自身のジム「グラップリング・シュートボクサーズ」を運営し、さらに大会開催にも携わってきた。2011年の現役引退後も裏方として活躍する坪井氏に、中部格闘技界の現在と今後について訊いた。


――現在、坪井さんが中部の格闘技界で担っている役割は多いです。プロ&アマを含めたDEEP、シュートボクシング、そしてMMA甲子園と……。

「あとは韓国キックボクシングのMAX FCですか」

――体は大丈夫ですか。MMA甲子園の設立記者会見の時、明らかに疲れ果てた様子で会場入りしていました。

「アハハハ! あの時が一番疲れていましたね」

――そのうち、どれか一つを誰かに任せるわけにはいかないのでしょうか。


リングを使用した勝川大会とケージの刈谷大会(C)TAKESHI SATO

「もともと全て他の人に任せているものであったり、皆と連携しているものですよ。僕が独り占めしているわけではなく、たまたま今は僕が上の立場で動かないといけない状況にあって」

――今は坪井さんが統括して、そこにスタッフや協力してくれる方々がいると。

「そうですね。一緒に協力しているのは今、ネックススポーツ(梅村寛代表)とスプラッシュ(木部亮代表)、新しくファイトサイエンス(野田カズヤ代表)が出来たりとか。いろんな方たちが手伝ってくれて回すことができている状態です」

――なるほど。坪井さんが現役時代を含めて格闘技界に携わって何年が経ちますか。

「もう30年ぐらい経ちました。現役を引退したのが2011年で、そこからは完全に裏方としてやってきています」

――その30年間で、中部の格闘技界はどのように変化してきたのでしょうか。

「まず競技人口が増えましたよね。もともと僕が裏方もやるようになった目的だし、その点は良かったです。最近は少し飽和状態といえるぐらい、ジムも急激に増えました。僕と同じ世代の人たちが現役を続けながらジムを開いて、今は僕たちの次の次ぐらいの世代がジムをやっていますから。それはMMA、キックボクシングを問わず。もうすぐ、その次の世代が入ってくるでしょう」

――それだけジムも競技人口も増え、これまで愛知県内で数多くのMMAイベントが行われてきました。そのなかでDEEP NAGOYAが定着し、愛知県内で定期的にイベントを開催し続けることができているのか。その理由を知りたいと思っています。

「一番は愛知県内だけでなく東海地区の皆さんが協力してくれること。まぁ定着というか……DEEP NAGOYAはもともとネックスの梅村さんが主催していて、僕のシュートボクシング中部大会と提携して一緒にやっていたんですよね。でも梅村さんが体調を崩して興行から離れることになり、開催を止めないために僕が引き継いだという形で。重要なのは、どれだけ長い間、通常運転を続けてきたかということだと思うんです」

――通常運転からDEEPやシュートボクシングの冠を外し、自身で独立した大会を開催しようとは考えませんでしたか。

坪井氏はシュートボクシング協会中部事務局も担っている(C)TAKESHI SATO

「ないです。それが一番大事なところなんですよ。DEEPがどう、SBがどうということではなく、まずコンセプトが何なのか。僕はストライキングチャレンジやアマチュアDEEPをはじめ、底辺拡大をコンセプトにやってきました。この点は何も変わっていなくて。底辺拡大をしつつ、育った選手のために次のステージを用意したい。

興行を開催します、というと最初は皆の協力を得ます。でも自分のジムの選手が増えて、そこからチャンピオンが出ると、たとえばマッチメイクの片側が全て自分のジムの選手にすることもできる。これは格闘技の興行あるあるですよね。ただ、自分のジムの選手は増える時もあれば減る時もあるから、いずれ衰退してきます。僕は最初から自分のジムの選手だけで大会をやるつもりはなくて」

――はい。

「まず底辺拡大のために、アマチュア大会を始める前に月2回、格闘技練習会を開いていました。打撃のスパーリングを3時間ぐらい。まだストライキングチャレンジを始める前ですね。『どのジムから参加してもOKで、ぜひ声をかけてください』と。ストチャレを行うことで、さらに練習会の参加者も増えていきました。同じように他の地域でも開催するようになって――基本的に『自分だけ潤えば良い』という考えはないです。

これはね、お金じゃないんです。もちろんお金は残さなきゃいけないけど、お金だけの話ではない。練習会、アマチュア大会を開催して、選手が増えてきたらプロ興行に出られるよう声を掛けていきます。どのジムであろうと一生懸命、頑張っている選手が東京や大阪のDEEP、SBの大会にも出られるよう協力する。これって格闘技の底辺を拡大していくために、当たり前のことだと思うんですよ」

自分たちは何のために始めたのか――常に自分に対して問い正していかないといけない

――坪井さんの中でプロモーターとしての自分と、ジム運営から選手を育てていく自分との間にビシッと線引きはできているのですか。

「仕事としては完全に分けていますよ。でも中部の格闘技界で底辺を広げ、選手を育てていくコンセプトとしては、どちらも変わらないんです。

たとえばプロモーターとして、愛知県をはじめ中部の選手を中心に興行を開催する。その相手を探して、他のエリアのジムにお願いすることはあります。でも、チケットが売れるからという理由で他のエリアの選手を中心に試合を組むことはない。チケットが売れさえすれば良い、という話ではないですから。

このコンセプトが崩れないかぎり、僕は今のまま続けることができる。コンセプトが崩れるようになったら、僕はやらないです。それじゃ意味がないんですよ」

――だとすれば、坪井さんが開催しているDEEP NAGOYAは、東京や大阪、浜松などで開催されているDEEPとも違うものですか。

「違います。でもDEEPに還元できるよう選手を育てていく、というコンセプトで開催しています。立ち技に関しても、ウチの興行でどんなルールの試合をしようと、必ずSBに還元できるように話を進めていますね」

――もう一つ、MMA甲子園が設立された時、坪井さんが真っ先にNagoya Fight Fesでプレマッチ開催を決めました。

初のMMA甲子園プレマッチはNagoya Fight Fesで行われた(C)MMA KOUSHIEN

「MMA甲子園というコンテンツが、ゆくゆく伸びているだろうと思いました。そのあとRIZINがRIZIN甲子園を発表したじゃないですか。でも高校生の大会について、MMA甲子園とRIZIN甲子園が出場者を取り合うとは考えていないので。それこそRIZINが高校生の大会をやってくれれば、このジャンルにもっと注目が集まる。我々もMMA甲子園を続けていくことで、中部に選手が集まってくるはずですし。

このMMA甲子園の中部地区についても、別に僕がやらなければいけないことはない。今アマチュアDEEPを担当してもらっている木部君に、そのまま引き継いでもらってもいいです。まず形が出来ていれば、他の誰かが引き継ぐことができる。MMA甲子園については早く形をつくるために、プレマッチをやらせてもらいました」

――Nagoya Fight Fesは、どのような経緯で始まったのでしょうか。

「まず僕たちはずっと大会会場を探しているんですよ。もともとは公武堂MACSのリングで大会を行っていたけれど、参加者も増えて会場に入りきらなくなった。で、『これを屋外で開催したら、どうなるだろう?』と思って場所(若宮広場)を抑えたんですよね」

――若宮広場は高速道路の高架下にあります。こちらはどこの管轄になるのですか。

「名古屋市です。毎年必ず抽選で抑えています」

――最初に申請する時、格闘技イベントを開催することで何か懸念はありませんでしたか。

「何もないですよ。別にコンテンツは何でも良くて、大切なのはその場所を正しく使うこと。近隣に迷惑をかけず、大会が終わったらキチンと清掃する。そうしていけば、ずっと続けることができますし、何よりも続けることが大事ですから。そのためには大会を開催するためのプランニングも重要で」

――先ほど独立した大会を……という点について訊きましたが、多くの場合は続けることよりも大きくすることを優先しますよね。

「結局、理想が先に走ってしまうことが多いじゃないですか。たとえば自分のジムにチャンピオンが生まれたから、大きな会場で大会を開催する。それは一度ぐらいならできます。でも僕たちがやってきたことは違いますから。自分たちは何のために始めたのか――どれだけ盛り上がっても、常に自分に対して問い正していかないといけない。周りに何を言われようとも、それは変えませんよ」

結局、自分はオタクなんだと思いますよ

――坪井さんの中で「今後こうしていきたい」といった目標はありますか。

アマチュアDEEP大会は公武堂ファイトから始まった(C)TAKESHI SATO

「アマチュアについては、また新しいプランを立てていることがあります。今のところは企業秘密ですけど(笑)。どれくらいの年月が掛かるか分からないですけど、ハマれば大きなものになると思うので」

――そう考えると、アマチュアDEEPは名古屋発信のものでしたよね。

「いろいろやってきましたね。グラップリングツアーとか」

――グラップリングツアー! 年間を通して優勝者と優勝アカデミーを決める、当時としては斬新な大会でした。

「あれはグラップリングツアーの前に、柔術の団体戦を開催していて。あれは梅村さんが全てやっていましたけど、早すぎました(苦笑)」

――柔術団体戦、ストライキングチャレンジ、アマチュアDEEP、グラップリングツアー、そしてMMA甲子園と、坪井さんが携わってきたことは今のNagoya Fight Fesに詰まっています。ちなみに野外イベントですが、雨が降った時はどうするのですか。

青空イベントのNagoya Fight Fes。会場の目の前に格闘技ショップ公武堂、その先には日本最大の商店街「大須商店街」がある(C)TAKESHI SATO

「屋根(高架)があるので、それほど激しい雨風でなければ大丈夫です。まぁ我々の念が強いのか日頃の良いのか、そんな天候に見舞われたことはないですね。たぶん僕以外のスタッフの徳が高いのだとは思います」

――アハハハ。

「今はこのNagoya Fight Fesが年4回、プロは勝川で年3回と刈谷で年1回——今は来年のスケジュールをどうしようか考えているところですね。結局、自分はオタクなんだと思いますよ。格闘技の仕事オタク、かな」

――格闘技の仕事オタク!

「先日の大会(8月26日、DEEP Nagoya Impact#03&04)でいえば、まず空手出身の寺崎昇龍は強かったですよね。北陸の選手だけど、刈谷市の大会でも応援団が多く来ていて。負けた脇田仁も強い選手ですから。第3部のメインで勝った畠山祐輔も強かった。

大野さん(マユミ・グラップリングシュートボクサーズ)もそうですけど、『この選手がどうやったら成長し、輝いていくかな』とマッチメイクなどを考えるのが凄く楽しいです。別にウチで育ったあと、どこで試合をしてくれても構わないですしね。大切なのは自分のコンセプトを変えないし、曲げないことですよ」

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