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【NEXUS32】引退試合=小倉卓也戦へ、渡部修斗─02─「『自分が修斗に出ることはないな』と思うように」

【写真】ラストケージイン、ケジメの戦いへ (C)MMAPLANET

20日(日)、東京都文京区の後楽園ホールで開催されるNEXUS32で、小倉卓也の持つPFCバンタム級王座に挑む渡部修斗のインタビュー後編。
Text by Shojiro Kameike

渡部はネクサスのバンタム級王座を獲得後、海外で戦うことが叶わず引退を決意した。「惰性でMMAを続けたくなかった」という渡部が最後にPFCタイトルマッチを選んだのは、最後まで挑戦者でありたいという気持ちから。ただ、挑戦したいのはベルトだけではなかった。

<渡部修斗インタビューPart.01はコチラから>


――青野ひかる選手とのご結婚やジム(FIGHT LYNX)を設立したことで、現役生活に対する意識も変わったのではないですか。

「結婚については――妻とはずっと一緒に暮らしていたので、生活面で特に変化はなかったです。でもジムを出したことによって、もっといろんな仕事をしたいと思うようになりました。今までは社会不適合者みたいな生活をしていましたから(笑)」

――アハハハ。社会不適合者かどうかはともかく、ずっと格闘技に専念してきたわけですし、格闘技以外のことに興味を持って当然です。

「はい。今は引退後が楽しみなんですよ。自分としては引退後にもっと、他にもやりたいことを見つけていきたい。おかげさまでジムも、自分が考えていた以上に通ってくださる方が多くて――充実した生活を送らせてもらっています」

――そうなると、もう常日頃から戦うことを意識することは難しくなりますよね。選手と指導者、あるいは他のお仕事との両立が困難になったり。

「……そうですね。考えてみると、『もっとMMAで上に行きたい』という欲が少なくなったのかもしれないです。何より僕は、惰性でMMAを続けたくなかった。やりたいことが無いから試合に出続ける――そういう選手生活を送りたくなくて。上に行きたいという欲が少なくなり、目標も無くなった状態で選手を続けるのは無理でした。だったら『もういいんじゃない?』と言われる前に、惜しまれつつ引退するほうが良いなと思いました」

――青野選手は引退について、どのように仰っているのですか。

「ずっと前から妻には『引退する』と伝えていました。妻は毎回『もっと続けられるんじゃない?』と言っていましたけど、今回ばかりは『意志が強そうだから反対しない』と。妻に対しては、今まで以上にサポートしていきたいです。これまでもサポートしていたつもりですけど、十分ではなかったと思います。自分も現役の選手だったので。今は女子MMAも新陳代謝が激しくて、どんどん新しい選手が出て来る。そのなかで妻が勝っていけるよう、もっと強くしていきたいです」

――そうしたなかで今回の引退に至るわけですが、やはり渡部修斗選手が修斗に参戦することはなかったのですね。

「自分でもそう思っていました(笑)。修斗に対する想いは、以前のインタビューでお伝えしたとおりです。今まで何度も修斗に出たいと考えたし、実際にお話を頂いたこともありました。でも他の試合が決まっていたり、タイミングが合わなかったりとか……いつしか『自分が修斗に出ることはないな』と思うようになって」

――ご自身に「修斗」と名付けたお父さん、元シューターの渡部優一さんからは修斗に出てほしいとは言われなかったのですか。

「父とは会えば格闘技の話をしますし、アドバイスも貰ったりしますが、『どこどこで試合をしてほしい』と言われたことは一度もなかったです。それは修斗に限らず。僕が引退を決めたことはまず母に言って、母から父に伝わったようですね。そのあと会った時に、いつもと同じように『次の試合も頑張れよ』と言ってくれました」

――なるほど。そこで引退試合に関するお話なのですが、なぜネクサスでPFCのタイトルマッチを行うことになったのでしょうか。

「引退試合の相手として、チャンピオンあるいはチャンピオンクラスと対戦したいと山田さんに伝えました。そこでPFC王者の小倉卓也選手の名前が挙がってきたんですよ。小倉選手はネクサスに出たこともあったし、元修斗世界ランカーなので自分も試合したいと思って。この試合がPFCのタイトルマッチになったのは――PFCタイトルマッチって、通常は5分5Rじゃないですか。自分の中で最後に一度、5Rを戦ってみたかったんです」

――今回は3R制となりましたが、本当は5R制を希望していたのですか!

「アハハハ、そうなんですよ。自分は最後まで挑戦し続けたい。まずタイトルマッチだから僕は挑戦者になりますし、今まで経験のない5Rにチャレンジしたいと考えて。もちろん5Rの試合でも、僕は序盤にフィニッシュするつもりですよ。でも5Rを戦うための練習や精神状態に自分を追い込みたいと思いました」

――引退試合だからこそ、最後に一番キツい道を選びたかったと……。

「その練習を乗り越えたら、今後の人生に対してメチャクチャ自信になるだろうと考えて。でも興行の時間があるからか3R制になりました。試合が決まったあとで『あぁ、後楽園ホール大会だった』と気づいたんですけど(苦笑)」

――後楽園ホールは撤収時間の都合もありますからね(笑)。では引退試合の相手、小倉選手の印象を教えてください。

「どこでも勝負できる選手ですよね。打撃でもグラウンドでも――レスリングもMMAのレスリング力は高いですし。MMAが上手くて、何よりフィニッシュできる選手だと思います」

――小倉選手はリーチが長く、打撃にしてもレスリングにしても自身のリーチを生かしている印象が強いです。そのぶんハードな試合になりそうですね。

「バチバチな試合になるかどうかは分かりませんが、とにかく今の自分を見せられる試合にしたいです。これが最後の試合なので、今まで自分がやってきたMMAを思いきり出したいですね。あとは結果にこだわるのはもちろん、内容にもこだわりたいです。『渡部修斗、強かったな』、『これで引退するのか!?』と思われるような試合をしたいし、そんな試合ができると思っています。自分史上、今が一番強いですから」

■視聴方法(予定)
8月20日(日)
午後6時~Fighting NEXUS公式YouTubeチャンネル

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【NEXUS32】引退試合でPFCバンタム級チャンプ小倉卓也に挑戦、渡部修斗─01─「今が一番良い自分を」

【写真】「ファイターとして彼女の目標でありたかった」──今では修斗夫人、青野ひかると (C)SHOJIRO KAMEIKE

20日(日)、東京都文京区の後楽園ホールで開催されるNEXUS32で、渡部修斗が小倉卓也の持つPFCバンタム級王座に挑む。
Text by Shojiro Kameike

今年4月にネクサスを通じて渡部は、8月にMMAを引退すると発表した。その引退試合として、なぜネクサスでPFCのタイトルマッチを行うことになったかは後編で語ってもらうとして、まずは渡部が引退を決意した理由を訊いた。その理由には、ファイター渡部修斗が詰まっていた。


――8月20日に引退試合を迎える渡辺修斗選手です。今年4月にNEXUSを通じて引退することを発表した時は驚きました。このタイミングで引退する理由を教えてください。

「自分の中では、急に引退を考えたわけではないんです。ここ何年もの間、『自分が一番良い時期に辞めたい』というのは、いろんなメディアでお話させていただきました。じゃあ自分の一番良い時期って、いつなのか。そこで今後を考えた時に――正直なところ、自分にとって良い未来が思い描けなかったんですよ」

――引退を考え始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。

「2020年ですね。2018年にネクサスのバンタム級トーナメントで優勝し、ベルトを巻きました。2020年に初めてRIZINに出て負けた(2020年8月、井上直樹にRNCで一本負け)あとは、ずっと『この試合が最後かな』というつもりで戦ってきていたんです。コロナ禍で大会開催数が少なくなったこともあって」

――それはネクサスのベルトを巻きRIZINに出場したことで、やり切った気持ちがあったのですか。あるいはファイターとしての限界を感じたのか……。

「やり切ったという気持ちのほうが強いですね。もう叶えたい夢がなくなったといいますか」

――叶えたかった夢とは何だったのでしょうか。

「もともと僕は30歳までにベルトを獲って引退するという夢があって。その夢はずっと変わらず、まず29歳の時にネクサスのベルトを巻くことで一つ達成しました。ただ、ベルトを獲って終わりではなかったです。ベルトを持っていることで、他の道も開けてきました。当時すでに妻の青野ひかると出会っていて、自分自身がファイターとして彼女の目標でもありたかった。

だから試合をし続けたいと思ってRIZINに出たんですよ。自分の中では、そこでやり切ったというか。協力してくださった皆さんのおかげで、本当に良い格闘技人生を歩ませていただきました」

――なるほど。2021年以降もRIZIN、DEEP、そしてネクサスで試合を行っています。その時点では誰と対戦したい、どこの舞台で戦いたい等、新しくMMAで叶えたい夢を持つことはできなかったのですか。

「RIZINに出場して以降は、RIZINでしか対戦できない強いファイターと試合がしたいと思っていました。実際、当時の修斗ランカーだった田丸匠選手、朝倉海選手と試合できたりとか。だからといって、RIZINで昇り詰めていきたいという気持ちがメチャクチャ強かったというわけではなく――それこそコロナ禍になる前は海外で試合をしてみたかったです」

――海外というのは、どの舞台を指すのでしょうか。

「コロナ禍の前はONE出場を目指していたんですよ。いきなりONE本戦でなくても、当時はONE Warrior Seriesがあったじゃないですか。ネクサスの山田峻平代表に『ONE WSに出られませんか』と相談していたこともありました。そうこうしているうちにコロナ禍が起こってしまい……。

最近でいえば豪州や、韓国などアジアで戦える場所がないかと考えていました。『海外で試合をしたい』という気持ちは、ずっと変わらなくて。渡航制限も緩和されてきたあたりから、自分でツテを見つけて海外の団体と話をしていたんです。でも、うまくいきませんでした」

――「自分にとって良い未来が思い描けなかった」とは、海外プロモーションとの交渉がまとまらなかったことも大きいのですね。

「はい。そこで目標がなくなってしまいましたね」

――なぜそこまで海外で戦いたかったのですか。

「レスリングをやっていた頃から、日本を代表して海外で試合をすることが憧れでした。レスリングで実績を残せなかった自分にとって、レスリング仲間が日本代表として海外で試合している姿がカッコ良かったんですよね。その気持ちはMMAを始めてからも変わりませんでした。

もちろんMMAでも自分の実績からいえば、『日本を代表して戦う』とは言えません。それでもアジアとか他の国で戦ってみたいという気持ちがあって。どうしても日本国内の試合だと、周りは知っている人ばかりじゃないですか。何も知らないところで戦ってみたかったです。僕ってイメージ的に、そういうタイプではないと思われていますよね」

――いえ、決してそんなことは……。

「いいんです。実際に『そんなことを考えるタイプだとは思わなかった』と言われているので(笑)」

――正直に言えば、目立ちたい気持ちのほうが強いファイターなのかと思っていました。

「アハハハ、国内で大きな舞台ばかりを目指していて――とか(笑)。海外で試合をする目標は捨てきれませんでした。もしかしたら今後どこか海外の団体から声が掛かることもあるかもしれません。でも、オファーを待ちながら試合をせずに練習を続ける生活では、モチベーションを保てない。オファーがあっても、そこでベストの自分を出すことは難しい。

だからここ数年は一戦一戦、オファーがあったから受けた。目の前の試合に向けて頑張ろうと思いながら続けているような感じでした。相手を選べば、今後も勝っていけるかもしれないです。でもファイターとして、今より落ちている自分を見せるのが嫌なんですよ。今が一番良い自分を見せられるんじゃないかと思って、今年引退しようと決めました」

<この項、続く>

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【NEXUS29】山田峻平代表の晴れの日=初後楽園大会(01)53歳、大石が小倉の腕十字に敗れる

【写真】 ネクサス初出場の木内“SKINNY ZOMBIE”崇雅が、ここから引き込んでパワーチョークで秒殺勝利(C)MMAPLANET

7日(月)に東京都文京区の後楽園ホールでNEXUS29が開催された。

月曜日、午後6時スタートながら12試合がマッチアップされた今大会は2014年9月の旗揚げより8年、新宿FACEのリング大会からGENスポーツパレスのケージ大会、プロだけでなくセミプロ、アマチュア、キッズと総合プロデュースをしてきた山田峻平代表にとってまさに晴れの日となった。

そんな想いが詰まった記念すべきネクサスにとって初の後楽園ホール大会レポート第1弾は序盤戦の3試合の模様をお届けしたい。


キッズのオープニングファイトから本戦時間内に組まれた同大会、まず岩松哲也が98秒で秋山佑史を下し、堀友彦が2018年9月のGrachanで手塚基伸を下して以来──実に4年2カ月振りに実戦復帰を果たした。

40歳になった堀と対する大谷啓元は下派、ハーフからワキを差して上を取る動きを得意としており現在ネクサスで3連勝中の選手だ。

<バンタム級/5分2R+ExR>
堀友彦(日本)
Def.3-0:19-18.19-18.19-18
大谷啓元(日本)

左ハイを蹴った大谷は間合いを測るなかでダブルレッグへ。頭を巻いた堀が上を取るが、下から煽ってバランスを崩させた大谷は背中に回ってワンフック、さらに左足もフックしてバックグラブを完成させ、初回をリードした。

2R、ミドルをカットした大谷に、右ストレートを伸ばした堀がシングルを切る。引き込んだ大谷はハーフを取り、左腕を差してシングルレッグを狙うが、察知されディープハーフからバックを伺う。ワンフックの半身状態から背中に回っていった大谷に対し、堀は後方へのエルボーで顔面を痛打し胸を合わせることに成功する。

左足を両足で挟まれたまま立ち上がった堀は、ボディロックで後方に倒され尻もちをつかされる。が、大谷も上を取っているわけでなく背中をつけており、ここも背中に回ろうとする。尻をずらして上体を起こそうとした堀は、逆にシングルに切り替えた大谷のバックを伺う。

右足を挟んだまま引き込み、ディープハーフから煽ろうとした大谷だったが、命綱といえる右足のフックが外れ、完全に背中を取られる。

掘はフック無しRNCを仕掛け、後方に倒れ込む。乗り過ぎで足もフックもないため、大谷はマットに背中をつけて絞めを解除したがトップを譲り左右のパンチを被弾。ハーフからスイープを狙うも返せず時間に。

延長有りのネクサス、通常興行なら19-19が妥当だが、今大会は会場の使用時間の制約が厳しいこともあり、10-8を積極的につけられる取り決めが事前に行われていた。そのことは出場選手にも伝えられており、晴れの日=後楽園ホール大会仕様スコアにより、ジャッジ3者とも19-18で堀を支持した。

40歳の堀の勝利後、ケージインしたのは39歳の小倉卓也と3週間後にはついに54歳を迎える大石真丈だ。

<バンタム級/5分2R+ExR>
小倉卓也(日本)
Def.1R2分26秒by 腕十字
大石真丈(日本)

今年の4月に高阪剛が52歳で引退したケースを始め、過去に50代のビッグネームが一度現役を退くなど長いブランクの後に試合を行うケースが存在しており、大石は決して最年長MMAファイターではない。スキップ・ホールのように57歳でMMAデビューして62歳まで7試合を戦った選手もいる。

2010年にカナダのジョン・ウィリアムスが70歳で、49歳の元プロレスラーを相手に一度だけMMAを経験している。このウィリアムスが最高齢プロMMAファイターとされているが、大石のように継続的にMMAを戦い続けてきたのは36歳から54歳になる41日前まで17年間5ケ月戦ったダン・スバーンぐらいだ。

対して大石は1993年11月25日にプロデビューし、24歳からこの日まで毎年──29年間に渡り実戦を経験してきた。まさに鉄人のなかの鉄人といえる。その大石は小倉の左をブロックして、ダブルレッグで飛び込むように右をヒットさせ、左ローを蹴っていく。

しかし、続くシングルレッグを切られ小倉にがぶられる。ツーオンワンから立ち上がり、ヒザを見せた大石は左ジャブに右を合わされ後ずさり。ここからのシングルも切られ、引き込むがエルボーを被弾してパスを許す。

小倉は落ち着いてサイドからステップオーバー、右腕を伸ばし腕十字で一本勝ちした。

続いてバンタム級で中桐椋輔が岡元飛龍に左の蹴りを有効に使い判定勝ちを収めると、修斗ストロー級7位の木内“SKINNY ZOMBIE”崇雅がネクサス初戦を迎えた。

<ストロー級/5分2R+ExR>
木内“SKINNY ZOMBIE”崇雅(日本)
Def.1R0分21秒by ギロチンチョーク
楠美貴嗣(日本)

右を振るって組んでいった楠美が、木内をケージにつめてダブルレッグへ。右手の下に頭が入ると、木内は右腕を深く喉下に差しいれRNグリップへ。

そのまま引き込み楠美の右腕ごとクローズドガードに取る。絞めつけ、足の四の字に組んだところで楠美が落ち、直ぐに勝負が決した。

秒殺一本勝ちの木内は対戦相手がなかなか決まらなかったなかで、試合を受けた楠美に感謝の言葉を述べ、ストロー級王座奪取を宣言した。


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