【写真】 4月15日、T-GRIPに出稽古に訪れた平本蓮と手合わせをしていて松嶋は、Road to UFC出場が決まると──この緊迫のある手合わせを欲し、平本に定期的なスパーリングを依頼している(C)MMAPLANET
6月にシンガポールで開催されるRoad to UFCのリストが出回っている。UFCがリストをアップしたが、中には正式にサインがなされていない選手も含まれているとも聞く。
そのようななか、フェザー級で松嶋こよみの名前もリストになる。2020年12月4日のゲイリー・トノン戦以来、実戦に出場してなかった松山の現状、そしてこれからをMMAPLANETでは4月26日(火)に尋ねていた。
まだRoad to UFC出場が確定していなかった時、松嶋には彼が経てきた時間と揺るぎない一つの想いを語ってもらっていた。
2022年、春~世界に立ち向かうJ-MMAファイター特集~。第9弾はRoad to UFC出場が決まる以前に訊いた──松嶋こよみの言葉をお伝えしたい。
──2020年12月のゲイリー・トノン戦から1年4カ月もの間、実戦から離れている松嶋選手です。まずONEとの契約を更新しないことは昨秋に公表していました。
「そうですね。最終目標がUFCでチャンピオンになること、それが僕のMMAを戦う理由なので──あの時点で、あれ以上ONEで戦うことが目標に近づけるとは思えなかったです」
──とはいえ、MMAファイターがこれだけ試合が遠ざかるというのはプラスに働くのでしょうか。
「ONEでやるべきことはやった。それが僕の考えだったので、1月か2月に次の試合のオファーと同時に契約更新の話がありましたが、更新をしない意向を伝えました。まぁ、そこから試合ができないのは当然ですよね。ONEの契約は2021年の5月までで、そこから半年間はマッチアップ期間ということで、他のオファーがあればONEに伝えて了承を得る必要がありました。マッチアップ期間の終了が12月末、面倒ややりとりをせず期間の終了を待ち、今年に入ってから新たな気持ちでやっていこうという気持ちでした」
──その時点でUFCを目指すルートは、どのように考えていたのですか。
「やはり負けで終わっていますし、米国のフィーダーショーで少なくとも1勝でもして、コンテンダーシリーズで戦うことができればと思っていました。実際、LFAとコンタクトを取りましたけど、『良いね。検討する』という感じで話が止まってしまって。ABEMAの方も自分が試合をするなら、中継するという風に伝えてくれていたようなのですが、結局、そのままという状況で今に至っています」
──日本で戦うという選択肢は?
「ほぼ……いや、ゼロでした。日本でやるという考えは全くなくて。最後の最後にあるかないか……というぐらいでいるので、今も試合が決まっていないという状況です」
──北米フィーダーショー以外で、オファーはなかったのでしょうか。
「それは頂きました。日本では対戦相手まで挙げてくれたとこもあります。正式なのは2つ、それと『話は通すよ』という風に言ってもらえたところが1つですね。有難い話ですけど、ここで同階級の日本人選手と戦う……だけでなく、日本での試合が今の自分に必要なのか。ONEを離れて、そこを実行するのかと考えると選択肢にならなかったです」
──それでも試合を戦うことができない状況が続くことに、不安はなかったですか。
「そうですね……こんなに決まらないとは予想していなかったです(苦笑)。LFAなり、北米のフィーダーショーで戦えると思っていました。それに北米もそうですし、海外での試合で『あるかもしれない』という状況では、日本での試合のオファーを受けることはできなかったです」
──北米だけでなく海外の試合で「あるかもしれない」状況があったわけですね。
「これはぶっちゃけていうと、BRAVE CFの韓国大会でした。そこで最初、1回契約ということで話を頂いて。1回だと僕的には凄く都合が良いですし、戦うつもりでYESという返答もしていました。ただ契約する段階になって、BRAVEが複数試合で複数年契約を提示してきたんです。
評価してくれたというのはあるのですが、でもそれだと僕も30歳を随分と過ぎてしまうので──1試合契約だから戦うことを決めたという風に返答をして。
BRAVEはメインでキム・テキュンとの試合を組んで、僕が勝った場合継続参戦しないのはエース級の選手を潰されることになる。だから1試合契約はできないという風になったんだと思います。それは分かります。彼らの立場だと当然だし、それでもBRAVEは他の選手を探してくれたんです。結局、その時の候補選手がオファーを断り、他の選手だと僕のキャリアを見合わないから──試合は組めないという風な話になりました」
──複数年契約は難しいと。分かります。
「ただ……BRAVEでやるしかないって腹を決めました。いうとLFAですら僕を評価してくれなかったわけですし、もうBRAVEと契約して負けた時点で引退しようと。あと何試合できるかなんて、僕も分からないし。背水の陣じゃないですけど、覚悟を決めたんです。
実際、キム・テキュンの映像を見て……勝てる自信もありました。だから彼と試合をするつもりだったのですが、問題は2週間強で減量と対策練習をすることでした。彼はきっと韓国大会が本決まりになる前から、そこに向けて調整してきていただろうし。でも、もう最後は開き直りで、それで負けていたらそれまで──という気持ちでした」
──……。
「で、BRAVEに返事をしようと思っていた朝、とある人からRoad to UFCのリストに入っているという話があって……」
──凄いタイミングですね。
「はい。確定ではないけど、リストに入る。だったら、そこに照準を定めようと考えなおしました。で、もうBRAVEは選択肢から消えて……。なのに、その日の夜に知り合いを通してUFCに見込みがどれぐらあるのかを尋ねると。『最後の試合で負けているから、ない』とショーン・シェルビーからの返答があったんです」
──……。それは……。
「落ち込みました。周囲の皆が落ち込みました……。一度気持ちが消えたBRAVEで試合をする気にもなれなかったですし……、僕がいるのはそういう世界なんだと。10代でキャリアが少なくても、レコードが綺麗ならRoad to UFCで戦える。僕はそういう対象じゃない。僕が今のUFCが求める条件に合致するならデビューしてから1年とか2年目になります。連勝していて、22歳とか23歳でした。
ただ、あの時点の僕が仮にUFCと契約できたとしても、絶対に勝てない。すぐにリリースになっていた。それは間違いないです。そうやって考えると僕は今、自分のなかで認識しているだけだけど、強さを手にすることができています。ONEで戦っていた時とも、違います。それを考えると、自分がやってきたことは間違っていなかったと振り返ることができるんです。
進路の選択として間違ったことがあったかもしれないですが、強さを追求する部分においては間違っていない……だからこそ、諦めるつもりはないです。少なからず……諦めていないし、この後も足掻かないといけないと思っています」
──今後もUFCを目指して、足掻くと……。
「やっぱりUFCに拘りたいんです。実は今、イリディアム・スポーツ・エージェンシーと契約する方向でいます。5月の中旬にラスベガスで彼らと会うことになっていて」
──ラスベガスで?
「ハイ。今月末からサンフォードMMAに行って、2週間ほど練習してこようかと思っています。そこからLAに移動して、車でベガスに寄ろうかと」
──サンフォードMMAで練習するのですか。
「ハイ。試合がある、ないというのが続いて力が試せない時期が長くなってきました。だから、とりあえずサンフォードMMAで──僕のことを全く知らない人に、これまでやってきたことが通じるのか試してみたいと思っています」
──なるほどぉ。しかし、イリディアムと契約できると何か変わるかもしれないですね。
「でも、それがUFCに繋がらないと意味はないです」
──BellatorやPFLを目指すということは?
「BellatorもPFLも強い選手が契約しています。簡単じゃない──それは絶対です。PFLからは話もいただきました。Bellatorに出たくないなんてことは、一切ないです。でもUFCが世界の頂点なんです。そのUFCと戦うという希望がゼロにならない限り、僕はUFCに拘っていたい……だから、また北米のフィーダーショーと交渉しようと思っています。
それにUFC、Bellator、PFLとかいう前に、まずは白星を挙げないと……。でも着地点はUFCにしていきたいです……していきたいって、29歳になって今更何を言っているんだろうってことなんですけど(微笑)。でも、UFCを目指し続けるだけです」
※同インタビューの翌日、UFCから松嶋こよみの下にRoad to UFC出場のオファーと契約書が届いた。松嶋陣営はイリディアムのマネージメントを受ける方向であったので、まずは彼らとのマネージメント契約について話を進めたが、受け入れることができない条項があったため契約は成立せず、陣営のセルフマネージメントでRoad to UFCに臨むこととなった。また、試合が決まったため海外での練習でなく日本で準備をすることとなっている
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