カテゴリー
Bu et Sports de combat ブログ 岩﨑達也 工藤諒司 椿飛鳥

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。工藤諒司✖椿飛鳥。「殴る実感が拳にある」

Kudo vs Tsubaki【写真】工藤が圧勝した試合に存在した、椿の突破口とは(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──工藤諒司✖椿飛鳥とは?!


──工藤選手と椿選手、力の差があると予測されていた試合でした。

「う~ん、今回の試合だけを見ると、本来はそれほど力の差は大きくないと私は感じました」

──それはどういう点からでしょうか。

「まず構えとして、椿選手の重心は蹴りがある戦いとして捉えると良い構えです。対して工藤選手の構えや重心はレスリングがベースにあるのも関係しているでしょうが、蹴りが出せる構えではない。ただし、構えが良くても蹴らない、パンチを出さない椿選手は工藤選手からすると怖くないですよね。

そこで椿選手はサウスポーにスイッチし、そこで出された左ミドルが良かったです。工藤選手のあの反応は危ういものだったのも確かです。あの瞬間は椿選手にとって試合の突破口となりえたのですが、続く攻撃がなかったです。繰り返しますが、あの左ミドルでチャンスを切り開いたのに、そこで攻撃が終わってしまいました。単体で見た質量でいえば工藤選手が上でしたが、あそこは相手の関係による質量で椿選手が上回っていた。でも、その先がなかった」

──重心や構えでは椿選手の方が良い、ただし個々の質量においては工藤選手が上というのはどういうことですか。

Kudo vs Tsubaki 02「それは工藤選手が常に殴る気でいるからです。これは格闘技と向かいあうと一生の課題になってくるのですが、工藤選手には殴る実感が拳(けん)にあります。相手の顔を殴る感触が常にある。椿選手はそこがなかったです」

──両者の技量以外に以前にアマ時代ですが対戦経験があり、工藤選手が勝っている。その後のキャリアの積み方を見ても、圧倒的に工藤選手の方が経験もあった。そういうなかで組まれた試合で、気持ちという部分で椿選手が最初から圧されており質量が下がるということはありますか。

「気持ちという言葉は、適切ではないですね。誰にでも気持ちはあります。ただ、私個人としては気持ちには具体性がないので、何かを検証するベースにしたくはないのです。『気持ちだ』っていう言葉、アレを試合中に使いたいとは思えない。もっと具体的であるべきで。それが思考だとか、意識だと分かります。気持ちって、説得力ないですよ。ぶっちゃけて言うと嫌いな言葉です(笑)」

──では精神状況として、不利だと思われている選手が思考や意思のありようで質量が下がるということは?

「これは失礼な言い方になってしまいますが、椿選手は勝つ気持ちがどれだけあったのか。ただし、それは椿選手に限ったことではないんです。MMAだ、空手だ、格闘技の試合だといっても、漫然と試合場に上がる人は少なくない。言ってしまえば、私もそうでした。

試合に出ている人間の誰もが、やる気満々で勝つ気満々ってことは決してないです。それがどれだけの大舞台で大切な試合でも。疲れて果てて試合場に上がる人もいます。防護服がケージサイドにいる異様な空間での試合でも、格闘技は一対一なんです。そのなかで工藤選手はもう勝つことしか考えていなかった。そういう思考の差が、能力以上に違っていたと思います」

──工藤選手は油断も驕りもなかったということですね。

「ばかりか、ここで負けて失うモノが多いのは圧倒的に工藤選手という試合だったわけですよね? 試合はどちらも負けられない。でも、より負けられないという状況は存在します。そして、より負けられない工藤選手は優位だったと思います。工藤選手は何が来てもぶん殴る、パウンドアウトするっていうのが拳にありました」

──椿選手は試合前に以前の試合で背中を向けてしまったので、そういう風にはなりたくないという決意はあったのですが。

「背中を見せないようにするのは、まず避け方を上達させるところからですね。あの避け方をしていると、結果的に背中を見せてしまう。喧嘩をしたことがない子が、いくらでも格闘技をしている時代になったので。そうですね、後ろを向く……そこは頑張って克服してほしいです。

椿選手は右足前で、左足で蹴った時の質量を基本にして……あの重心だとしっかりと打てるし、しっかりと蹴ることができます。両手両足を使える重心なんです。左足が前の時は、どうでもない。受動的です。本人はオーソの方が動きやすいと思っているかもしれないですが、攻撃するならサウスポーでないかと思いました。そういう長所はあったんです。だから、長所を伸ばして自信をつけて行って欲しいです。

背中を見せてしまうのは、自信がないから。なら工藤選手と戦ったなかで、良い点があったのだから、そこを自分の切り口にして全体の動きを創っていければと思います。工藤選手は殴る実感が拳にあって、何があっても殴る気でいます。そしてレスリングという武器がある。MMAを戦ううえで、多くの武器を既にモノにしているんです。だから用心して、手堅くいってもイニチアシブを握ることができる。

椿選手はそういう工藤選手に負けはしましたが、能力的に大きな差があるわけではない。工藤選手と同じことをするのではなくて、自分の特徴を生かして稽古で核を創っていってほしいです。左の蹴り、左の突きなんかで相手をおちょくることができるようになれば良い選手になると思います。そこで自信がつけば、もう背中なんて見せなくなります。頑張って欲しいです」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview クーサンクー サンチン セイサン ナイファンチン パッサイ ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─02─サンチン01「根幹となる呼吸」

Sanchin【写真】松嶋こよみのサンチンの最初の流れ (C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也師範は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。

なぜ那覇手のサンチンから型を学ぶのか。そしてサンチンが持つ意味とは何なのかを今回から探っていきたい。

<なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─01─はコチラから>


──今、空手界には多くの型が存在しています。

「剛毅會で取り入れているのは、5つです。サンチン、ナイファンチン、クーサンクー、パッサイ、セイサンですね。5つの型を稽古していますが、求めているのは1つだけなんです」

──それもどういうことなのでしょうか。5つの型を稽古して、求めているモノは1つというのは。

「勉強をしているのは、ある法則性なんです。サンチンでは全ての根幹になる武術の呼吸を、ナイファンチンでは戦い方の基本を、クーサンクーでは四方に対する戦い方を、パッサイでは途切れることない技の流れを、セイサンでは究極の一挙動を学びます。

これからどういうことなのかは、これから説明していくことになりますが、この5つの型を稽古して、求めるものは一つ、原理原則なのです。

だからサンチンでやっていることが、ナイファンチンだったり、ナイファンチンで要求していることをクーサンクーでやったり。最後にセイサンをやって、そこでサンチンが理解できることがある。だから、5つの別々の型をやっているのではなく、1つのことを追求するのに5つの手段をこうじているということなんです」

──1つのことを求めるのに、なぜ稽古する型はその5つに絞られたのでしょうか。

「型はもう本当に色々なモノがあり、私がやる武術空手と系統が違うモノが山ほどあります。その多くが日本に入ってきて、整備された後の型なんです。そして私がこの5つの型を続けているのは、〇〇流の型だとか、〇〇先生の型ということではなく、MMAのなかで自分自身の組手が変わったのが、この5つの型があったからなんです」

──組手が変わったというのは?

「まぁMMAだろうが、私は空手家だから組手です。それまで20年間変わらなかったものが、ある日急に変わりました。『これは何だろう?』となりましたね……。それ以前は型に何かがあるというのは全く思いもしていなかったです。型をやらされていて……いみじくもやらされていてと発言をしましたが、そういうものだったんです。型が組手にどうつながるのか、全く学んでいなかったです」

──組手と型はまるで別物だと。

「ハイ。本当に別物でした。昇段審査のためにやる。伝統派空手の型競技とも違いますし、自分がやってきた型も組手には関係なかったです。だから、今では格闘技と武術は違うと言っていますが、自分自身のなかでは組手で勝つために型をやりました。

それは松嶋こよみが型の稽古をする理由とは違うかもしれない。ましてや格闘技をやっていない人が、ヨガのように健康法として型をやるのとも目的は全く違うでしょう。ただし、自分の状態を知ることと、他との関係を知るという真理は格闘技にも、健康のためにも役立つことです」

──沖縄空手には那覇手、首里手、泊手が存在していましたが、サンチンは那覇手、ナイファンチやクーサンクーは首里手や泊手。そのなかで岩﨑さんはサンチンから、まず稽古をします。

「別にナイファンチからやっても良いと思います。ただし、私が習った順番がサンチンからだったので、その順序で指導しているということです。系統的にいえるのは、私のやっているサンチンは那覇手の東恩納寛量(ひがおんな・かんりょう)先生のサンチンです。その後、教え子の宮城長順先生が剛柔流空手を開きましたが、私が習ったのは東恩納寛量先生のサンチンだと聞いています」

──剛柔流でないということは……つまり。

「弄られていないモノですね」

──東恩納寛量のサンチンが残っていたというのが、凄いことですね。それはいつ頃の話になりますか。

「15年ぐらい前ですかね。とにもかくにもサンチンでした。だからサンチンから指導する。これは私の感覚なのですが、そもそも私が習った先生から、『空手という武術の稽古は、那覇で鍛え、首里で使う』という沖縄に伝わったとされる言葉を教わりました。

空手を学ぶにしても、どういう体質なのか、どのような人間なのかでそれからは決まってきます。だから素材を理解せずに、使い方だけ覚えても限界があります。サンチンで自分という素材を把握して、なおかつ開発していくのです」

──5つの型を稽古して、一つのモノを求めるということですが、サンチンが基礎、根幹をなすということですか。

「根幹になる呼吸ですね。型の基礎、根幹ではなく。どのような畑でどのような作物を作っていくかということに近いかもしれないですね。これもいずれ詳しく説明しますが、武術には口からの呼吸とカラダの呼吸があります。

サンチンでは口からの呼吸を通してカラダの呼吸を学びます。呼吸は農作における田畑や気候などであり、それにより出来上がる作物こそ、武術でいうところの技になります。サンチンによって、技は当然変わってくるんです。そして呼吸は突き詰めれば詰めるほど深く、強くなっていいきます。その呼吸により養われる破壊力は、加齢に関係なく上がっていくという実感があります。

これも私の考えですが、エビ、ヒップエスケープが仮に寝技の根幹だったして柔術や柔道に存在するとします。それは柔道や柔術をやる人にとっての基礎ですよね。ゴルフや野球にも、そういう根幹があるでしょう。

でも、それはゴルフや野球をやらない人には関係ないです。エビは柔道や柔術をやらない人には関係がない。でもサンチンをやっていると立ち方から、自分の動き、その癖を理解できるようになります。サンチンとは柔道や柔術をする人達、野球やゴルフをやる人々にも役立ちします。つまりは空手、MMA、格闘技をやろうがやるまいが、型を学んで損はないということなんです」

<この項、続く>

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview クーサンクー サンチン ナイファンチ パッサイ,セイサン ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─01─「自分の、相手との状態を知る」

Koyomi【写真】松嶋こよみは数少ない──といより、ほぼ存在しない型の稽古を行うMMAファイターだろう(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

現状の競技空手には組手と並んで型(形)競技も存在していることは、幻の五輪イヤーで多くの人に知られることになった。空手の攻防の技を一連の決まった動きにまとめ、敵がいることを想定して演舞する──形競技。パワー、スピード、バランスを踏まえたうえで技の正確性を5名の審判員より判断される。

躍動的であり、美しい。そんなイメージの型競技だが、果たして実戦や競技空手で役立つことはあるのか。その関連性は非常に薄いことは伝統派ポイント空手、フルコンタクト空手共にいえるだろう。

そのなかで伝統派競技空手でもフルコンタクト競技空手でもない剛毅會の武術空手は、型稽古が重要視されている。MMAで活かせる理を持つ武術空手になぜ型稽古が必要なのだろうか。それぞれの型を解明していく前に、その必要性を剛毅會・岩﨑達也師範に問うた。


──武術空手にとって型とは、何なのか。もちろん、それは型競技の型ではない。剛毅會空手になぜ型は必要なのでしょうか。

「最初に言えることは、型を使って戦うということはではないのです。使い方は指導します。私が武術空手の指導をするようになって15年経過しましたが、そのようなことは一度もなかったです」

──例えば打撃のミット打ちや、レスリングの打ち込み、柔術のエビでも実戦に転用できます。しかし、武術空手では違うと。それでも型稽古を行う理由は?

「型は打ち込みやミット、エビとは違います。ある状態を学んでいるんです。繰り返しますが、型を使って戦うということはありません。型の稽古とは、決められた動作を行って自分の内外に生じる様々な状態を学ぶことを目的としています。

歩幅にしても、ほんの少しの差で体がブレてしまうことがありますが、正しい状態にするとブレない。ナイファンチなら、左を向いたら右に隙ができるだとか、色々な状態を勉強するのが型なんです。

ただし、型も弄ってしまっているとその勉強にならないんです」

──弄っているとは?

「指導者、先生の考え方が入ってくると変わってしまうということですね」

──しかし、型は流派によって名前が同じでも動きはもう違うかと。

「ハイ、相当に違います。ですのでナイファンチと言っても、私が言うところのナイファンチと他の方が言うナイファンチは違うと思います。だから、あくまでも私がやっているナイファンチに関して言及させてもらうと、ナイファンチを通じて自身の状態を確認するということなんです。

今、自分はどのような状態なのか。体がどういうことになっているのか。拳の位置だとか、先ほども言った歩幅、足の位置、視線、自分の状態で攻撃が届くのかという点において、相手との関係も変わってきます。相手との距離が長くなったり短くなったり、自分が攻めやすくなったり、攻めづらくなったりする。それが相手との状態ですね。

だから自分の状態と相手との状態、両方を考えながら多くのことを学ぶ。それが型の稽古です」

──武術の理は、本来スポーツ、競技会とは違うところにあります。ただし、スポーツで勝つのにも生きる。では型というのは、武術を極まようとして修行者だけでなく、試合に勝つ競技者にも必要になるということですか。

「例えばボールを投げられ、バットを振ってホームランを打ちたいと思った時に、ボールにバットを当てて飛ばしたいと思っただけで、その結果を得ることができるのか。そのボールは見えているのか。ボールに対し、自分のバットの振り方はどうなのか。ホームランを打つには、色々と欠かせない要素があるわけじゃないですか。空手の組手も同じで相手の攻撃をしっかりと見て、攻防一体の攻撃をすることが理想的です。

結果としてボールを打ってホームランにしたいのだけど、自分の状態だったり、自分とボールとの関係を勉強していない人は、どれだけに才能に満ち溢れていてもスランプに陥ると思います。ホームランを打ちたいという気持ちばかりで、自分の状態や相手のとの状態が分かっていない選手は、格闘技でも勝とう、勝とうとするあまりにバランスを崩して、相手に付け入る隙を与えてしまう。それと同じことですね。

空手の立ち方一つをとっても、設計図があるとしてください。その設計図があると、歩幅が違いや色々な間違いが生じていることが理解できるのです。骨盤の幅で下ろすと、カカトが真っすぐ立つ。このことによって両足が骨盤に対して、しっかり繋がっていると分かります。正しい設計図です。この設計図に対して、外側の現象が起こります」

──相手がいるということですね。

「ハイ。近くなったり、遠くなったり。それが結果的に質量と言われるものになり、統一体と呼ばれている状態だと自分の質量は上がることになります。この設計図が正しいと、統一体になります。けれども、犬でも普通に座っている時と、襲い掛かろうとしている時では質量は全く違ってきます。それが内面の状態ですね」

──犬ですか……。先ほどのように野球に例えると、どういうことにりますか。

「漫然と素振りをするのと、二死満塁でバッターボックスに立つのとでは明らかに内面は違うということですね。打撃でもシャドーではどれだけ打てても、本気でパンチを打ち込んでくる相手と向かい合うと内面の状態は違ってきます。

つまり来たボールを打とうとしていても、中の質量は当然変わってきます。だから格闘技をやろうがやるまいが、空手をやろうとやるまいが、人として生きていく上で自分の有り方により生じる、様々な現象を学ぶのに武術空手の型は有益なのです。私は型をヨガに例えることもあります」

──野球から次は、ヨガ……ちょっと難しいです。

「ヨガのあのポーズを取っていて、何に気付くかということなんです。つまり型をやっていて、何に気付くのか。そういう意味でヨガと呼ぶことがあるんです。一般的に空手と呼ぶと、武術、武道、戦う時に使う手段と取られるのが普通ですからね」

──つまり武道空手は、空手競技に挑む人や格闘技をする人だけのモノでないと。

「空手をやろうが、戦わないでいようが、日常生活でもあらゆる面で、自他との関係は生じます。その関係の自分の状態、他との状態で変化してきます。コロナ禍にある社会で、2カ月前の状態は通用しなくなっています。

剛毅會では型だけでなく、状態を理解するために中国武術の站椿を取り入れることもあります。自分の状態が理解できることで、外との関係の勉強できまるからです。なら、やらない手はないですよね(笑)。

鍵となってくるのは本人のブレない価値の絶対性ですトレンドに左右される価値は困窮する一方でしょう。そのブレない価値とは私にとっては武です。この大変な状況において、まず自分はどうあらねばならないか──私も稽古を通じて、その大切さを痛感しています」

<この項、続く>

カテゴリー
Interview J-CAGE Special The Fight Must Go On ブログ 内藤頌貴 岩﨑達也 渡辺健太郎

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。内藤頌貴✖渡辺健太郎 「効かせて、一旦外す」

Nobutaka Naito【写真】常に左を狙い、質量も高かった内藤(C)KEISUKE TAKAZAWA/MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──内藤頌貴✖渡辺健太郎とは?!


──内藤選手はサウスポー、渡辺選手はオーソで一発のある選手です。

「序盤は様子見ではあるのですが、質量が高いのは内藤選手です。渡辺選手のように飛び跳ねように小刻みに動くと、どうしても質量は下がります。その動きで相手を翻弄できるなら良いのですが、あの試合では翻弄はできていなかったですね。TJ・ディラショーやドミニク・クルーズ、フランキー・エドガーの小刻みな動きはパンチを打つため、蹴りを蹴るため、テイクダウンを仕掛けるため。そういうことができる選手もいます。

ただし、この時の渡辺選手はこの動きから、パンチを出すような状態ではなかったで。パンチを出す時には足が止まってしまっていたので、そこは明白でした。パンチを打とうとすると、足の動きは止まる。ただし、戦っている内藤選手がそこまで観えているかどうかは分かりません。後から映像で見たり、セコンドでいると観えるのですが。だからこそ、セコンドはその状態が観えることが必要になってくると私は思っています」

──では内藤選手の動きはどうだったのでしょうか。

「内藤選手は逆に動きは多くないですが、常に左を狙っていました。質量も良いです。渡辺選手のパンチは届かない、遠くに感じていますよね。ただし、内藤選手も結果論ですが……左を狙い過ぎている感じです」

──質量が高く、圧力も掛けている。だけど狙い過ぎになる。

「戦いで勝つことでいえば内藤選手はこれで良いんです、本来は。内容で圧倒していますから。でもMMAは試合タイムが限定されているので。3回の5分間で勝つ、ジャッジがいる競技で勝つには蹴りを出す、右も使う。そういうことが必要になるのが、競技格闘技の難しいところなんです」

──そこにもまた競技と武術の違いあるわけですね。

Naito vs Watanabe 01「と同時に蹴りを鍛える、右を鍛えるということが、左のパンチをより有効にするために必要なのに、一歩間違えると蹴りのために蹴りの練習をし、右を強くなるための右の練習になり、左の良さをスポイルする可能性もあります」

──あぁ……。

「いや、競技って難しいですよ。ホントに。だから、この局面でも左が生きる攻撃があれば、より5分間を取る効果的な試合ができるのではないかと思います」

──内藤選手はローでもミドルでも、左の蹴りは持っているのですが、序盤は使っていなかったですね。

「攻撃が途切れると感じたのか、内藤選手がそう思って動いていたのでしょうね。様子見の段階でもあったし。3分前後の動きで、左ローのフェイントをかけた時に渡辺選手が反応した。そこに左を出せれば最高ですよね。そういう意識をもって蹴りとパンチの稽古をしていると、それが自然にできますし。その直後の左ストレートを当てて、右フックにつなげた動きなどは本当に良かったです。アレは左の威力で、右につなげているというコンビネーションでした」

──内藤選手は削り合う、厳しい展開になる覚悟で試合の臨んでいたと試合後に話していました。

「でも一方的でしたよ。質量は全然違っていて。こうなってくると、途中から渡辺選手は序盤に見せた小刻みな動きがなくなっていました。あの動きが効果的でなかったから、劣性になると続けることはできなくなる。と同時に、内藤選手も自分が攻勢になると、どうしても隙ができる。いや、戦いってそういうものなんです。

効かすと、隙ができることがある。だから、この局面は渡辺選手が流れを変えることも可能でした。左ミドルとか、渡辺選手は右を合わせることができた。そういうビジョンをチームとして持っていたのかも重要な点かと思います。自分の攻撃と、相手の攻撃をかわす。この2つを連動させた稽古は、MMAには欠かせないと考えています」

──そして試合は終盤に入ります。

Naito vs Watanabe 02「最後の30秒で渡辺選手が前に出た時、内藤選手が左で迎え撃った。パンチは当たらなかったですが、後の先で良かったです。ダウンを奪ったワンツーもそうですね。下がって打てている、非常に良い攻撃でした。ただし、渡辺選手はここからがチャンスであったんです」

──えっ、そうなのですか!! 最後の抵抗、一か八かの殴り合いに持ち込もうとしてパンチを被弾したように見えたのですが。

「ハイ、だからなんです。ダウンを奪ったあと、勝負をつけるために内藤選手は打ちにいっています。ずっと良く戦っていた内藤選手でしたが、最後の最後の距離の詰め方は危なかったです。勝っているなかで、あれだけ打ちにいくことで渡辺選手が一か八かで打ち返したパンチがドンピシャで当たり、逆転される可能性が出てしまった。

Naito vs Watanabe 03最後の詰め方だけ、間は渡辺選手になっていました。殴られて倒れた渡辺選手ですが、その前の左と右、あれは良かったです。逆を言えば打ち勝った内藤選手ですが、最後の方のパンチは打ち方も乱れて何が起こるか分からない間でした。

特に内藤選手は右の空振りが増えた。この間は渡辺選手の間で。ただし、戦っている選手はそうなります。残り10秒、あそこで仕留めようと。セコンドもそうなる。そして、隙が生まれる。でも渡辺選手も気付かないで戦う。そうですね……そこにピンチがある、そこにチャンスがあるということを意識することも稽古でできます。

以前、松嶋こよみがそうやってロランド・ディにフィリピンで負けました。効かせたと思った時、一度外せる選手。それはもう強い、盤石です。かつてのミルコ・クロコップがそうでした。

効かされた選手は考え無しに出てくる。ならば効かせた方が同じ考え無しの土俵で戦う必要はないんです。一度、外せば観えていない、考えられない相手にはパンチは当てやすくなっているはず。

間が渡辺選手でも、勝ったのは内藤選手。それはあくまでも「間」を軸においてMMAを見た場合です。でも、そんなことばっかり言っているとMMAも面白く見られないですよ(笑)。それは理想論で──人間同士の戦いで、感情があるからこそ、競技は色々なことがおきる。そこで逆転があるから、皆が喜んでMMAを見る。

と同時に武術は見ている人間はいない。感動させる必要もなく、ただ我を護るのみ。その要素が入ると、逆転負けも減る。そこが競技と武術の融合かと考えています」

──なるほどぉ。人前で戦うことで、もう差があるけど共通点もあると。

「そうですね。それに渡辺選手も最後に彼の良さが本当は出ていた。負けた直後は自分を全否定してしまうかもしれないですが、良いところもあった。最後の負ける直前にあの左と右が出せる。その自分の力を認めて、次に挑んで欲しいです。あのカウンターが打てるなら、渡辺選手はカウンターを打てる状況作り、そこができればもっと勝てる選手です。

あの最後の打ち合いは、渡辺選手からすると一度倒されたから偶発的に起こりました。打ち合いのなかでも、手は出しても倒すつもりで出せていたのか。倒すつもりのパンチだと質量も変わります。ピンチはチャンス、そこは私も研究し続けているところです」

──勝った内藤選手とすれば、課題も見つかった勝利でそれも素晴らしいことかと思います。

「ハイ。序盤の素晴らしい戦い、あれを殴る気でいる相手に見せることができるのか。内藤選手はストライカーですから、あの戦いを海外のストライカーともできるようにならないといけない。殴る気のある相手に、殴ることができるのか。パンチが交錯する前後の創りから、それ以前の創りを練る。それは永遠のテーマです。そこを想定した稽古が、試合に出る選手は必要になるかと思います」

カテゴリー
Bu et Sports de combat Interview ジョセフ・ベナビデス デイヴィソン・フィゲイレド ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】「最後は先の先、それ以上に…」武術で斬るMMA=フィゲイレド✖ベナビデス

Figueiredo【写真】フィニッシュの右は先の先。そしてベナビデスは全く観えていなかった(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見たデイヴィソン✖フィゲイレド✖ジョセフ・ベナビデスとは?!


──UFC世界フライ級王座決定戦、ジョゼフ・ベナビデス✖デイヴィソン・フィゲイレドの一戦ですが、フィゲイレドが体重オーバーでベナビデスが勝利した時のみ新王者が誕生するという変則タイトル戦として行われました。

「フィゲイレドは試合開始直後は重心を低くして、足を開いた蹴りを使う構えでしたね。対するベナビデスのスタンスはパンチだけで蹴りは使えない。う~ん、あの構えと間は……ベナビデスは体調が悪かったのでしょうか?」

──どういうことでしょうか。

「以前の彼はもっとスイッチを使い、蹴りも見せていました。下と上、上と下という動きができていたのに、この試合ではまるで見られなかったです。あの間だとパンチをかわして、パンチを入れる。それだけで前後、上下の連係ができないです。ただ左の威力にフィゲイレドが圧されていたので、テイクダウンを取れたんです。この試合のベナビデスができたことは、パンチからテイクダウンだけ。そういう構えと間でしたね」

──そのテイクダウン後も、フィゲイレドが腕十字に捕えます。ここで抜群の防御&スクランブル能力を発揮してベナビデスが逃げました。

Figueiredo Armbar「スタンドに戻ってからのベナビデスは、打ちに行っているので非常に危なかったです。カウンターを合わせられるような状態で戦い続けていました。打撃では常に間がフィゲイレドになっていて、彼はベナビデスが観えている状態でした。対してベナビデスは自分で間を小さくしてしまっていた。

ベナビデスは左のパンチが強いのでしょうが、とにかく打ちに行っていて崩れてしまっていましたね。そして、カウンターを合わされると危ない間で戦い続けた。要は最初こそ左を見せて質量が高かったのが、テイクダウンまで持ち込んでも腕十字で一本を取られそうになったことで、スタンドに戻ってからはテイクダウンを仕掛けて寝技に行かなくなった。

つまり寝技が怖くなった状態での打撃なんです。と同時にフィゲイレドも試合開始直後とは違い、重心が変わりパンチしか打てない構えになっていました。ここではベナビデスもフィゲイレドも質量が下がった打撃をしています」

──フィゲイレドも質量が落ちてしまっていたのですか。

「落ちていましたね。開始直後に蹴りが出る構えから、蹴りのない構えになっていたので。にもまして、ナビデスは状態が良くなかったです。ヘンリー・セフードに勝った時と比較すると、同じ選手には思えなかったですね。

前後の動き、前に出るときの踏みこみは別人です。あの頃は、パンチからテイクダウンにつなげて、そこから左ハイまで見せることができていたのに、この試合では蹴りが出ない構えでした。もっとワイドスタンスで、半四股ぐらいで動いていましたよ。それで出入りがあった」

──2Rに入り、仕切り直しは?

「1Rの終盤は共に質量が落ちていたのが、2Rが始まってフィゲイレドが上がりましたね。後ろ蹴りを見せていましたが、あの蹴りは相当にためがないと出せる技ではないです。ただフィゲイレドはバランスと重心が蹴りは蹴り、パンチはパンチと別々なんです。だから蹴りが出る時は、パンチに威力はない。パンチを出せる時は、蹴りが出ない。そこは分かりやすかったです。

とはいっても、そこまで同じ構えでちゃんとしたパンチも蹴りも出せるのは、UFCといえどもTJ・ディラショーぐらいかと思います。そこまでしっかりと上も下も使えるのは。フィゲイレドは蹴りが良い選手なので、もっと蹴りをガンガン効かせてからパンチにいけばもっと良かったと思います。それが中途半端にベナビデスのパンチに付き合ってしまいました。そこには初回にテイクダウンを許したということが影響しているかもしれないですね」

──蹴りを出すと、キャッチされてと。

「あの日のベナビデスだったら、そこまで心配する必要はなかったかと思いますよ。本当にもっとボコボコにできていたかと。決して調子の良くないベナビデスでしたが、ボクシングには慣れています。そうなると試合は成立してしまっていましたよね。フィゲイレドもパンチだけなら、危ない場面もありました」

──そういう状況で頭が当たり、間合を取り直したベナビデスに対しすかさず右ストレートを打ちこんだフィゲイレドがKO勝ちを決めました。

「最後は先の先でした。それ以上に、ベナビデスが観えていなかった。頭が当たってから下がる間、これは打つこともできないし、蹴ることもできないという非常に危ない状況でした。下がって距離を取っているから、気が抜けたのか……完全に無防備になっていました。これは試合数も多く、経験値が高い人が陥りやすい状態ですね。間合を外すことに慣れているから、大丈夫だと気を抜いてしまった。

危機感があれば、もっと瞬時に動きます。同時にフィゲイレドはあの蹴りを出せる下半身があるので、ベナビデスが思っている以上にパンチが伸びてきたんだと思います。逆にベナビデスは外せると思って下がったので、そこは非常に危ないですね。

とにかく、間がずっとフィゲイレドの試合でした。ベナビデスが良かったのは、開始直後の左ストレートだけで。しかし、体重オーバーをしてもそこを気にしない人でなしさ──が必要になるということですね。無責任、誠意がないことが強さに通じる場合もあるのでしょう。

逆にベナビデスはピークの時にデメトリウス・ジョンソンがいて、この試合では旬が過ぎていたのかもしれない。でも、そういうことは往々にしてあると思います」

──試合を通して質量的には?

「最初からフィゲイレドの質量が良かったですが、それを生かすことは試合でできていなかったです。自分の質量を生かし切る動きにはなっていない。ただし、選手は長所を伸ばすのではなく、試合に勝つ練習をするので……それも致し方ないでしょう。そういう稽古をしているわけでないでしょうから」