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Bu et Sports de combat Interview UFC ジョゼ・アルド ピョートル・ヤン ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ピョートル・ヤン✖ジョゼ・アルド

【写真】ヤンはまだ底を見せていない。アルド戦では彼の全容は見えないということは、誰と戦ったも楽しみが増える(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──ピョートル・ヤン✖ジョゼ・アルドとは?!

ジョゼ・アルドですら憎くもない人間と戦い続けることはできない


──ジョゼ・アルドを5Rにパウンドアウトで破ったピョートル・ヤンがバンタム級王者になりました。この試合、初回はヤンが攻勢でした。

「結果から言わせてもらいますと、やはりやる気の問題なんだと思います。アルドは長年ずっとトップを戦ってきて、最高の結果も残してきた。でも、今も収入を得るためなのか、まだやれると証明しようと戦っているのか。それは頭の判断ですが、体が戦いたがっているようには見えなかったです。それでも良いところがあるのはさすがなのですが……、ジョゼ・アルドですら憎くもない人間と戦い続けることはできない。それが人間という生き物なのかと思った次第です。

UFCのPPV大会では数字が取れる名前のある人がずっと上の方で戦っていますが、もうお腹いっぱいになったような選手が少なくないです。これから成り上がってやろうという選手とは、明らかに気持ちは違うのですが……ファンは、ビッグネームが見たいということなのですね。

そういうなかで1Rにアルドがパンチを打とうとしているのですが、彼のパンチが良いのは右ローをしっかりと蹴ることができている時なんです。パンチを打とうとしている時は、エネルギーが小さくなってしまう。ジャブからワンツーなんて、ボクシングをやっていると。アルドがパンチで行こうとする時は、ピョートル・ヤンの間です。ただし、右のカーフキックが入るとアルドの間になります」

──1Rはずっとパンチを被弾し、最終局面でテイクダウンを狙いました。

「不可解ですよね。あの先に何があるのか。蹴れば自分の間になるのに、あそこでテイクダウンにいった。いった先にどのようなビジョンがあるのか。恐らくは、コレというものがないからスクランブルに持ち込まれると自分から下になってしまったのでしょう。

ピョートル・ヤンに関しては、これはヒョードルやヌルマゴメドフにも当てはまるのですが、スタンドの打撃よりパウンドが圧倒的に良いです。スタンドでもショートの右アッパーなどは凄く良かったですが、パウンドの時の質量が一番高いです。もともと重力や引力との関係もあるので、人は上を取った時の方が質量は高いのですが、そうなった時にピョートル・ヤンの質量は最高値です。あのボディで、試合を終わらせることができてしまいそうなぐらい。

でもアルドが2Rに盛り返すというのは、さすがに歴戦の強者ですね。あの局面は、ヤンが腹を攻めなかった。ばかりか、ペースを落としました。そこでアルドの右の蹴りが入った。そうなると間が良くなり、左のボディブローも効き始める。あの局面ではアルドの方がヤンよりも、質量が高かったです」

──前足を蹴られたヤンがサウスポーにスイッチすると、一気に勢いがなくなったように見えました。

「サウスポーになった時は、本気で食いに行こうというのが見えなくなってしまいましたね。蹴りは良かったですけど。だから、あの時はアルドが勝てる、勝機を見いだせたはずなんです。それなのに3Rと4Rは、アルドは何もしなかった──下がるだけで。ビジョンが見えなかったです。反対に2Rを失ったヤンは、何かをしようと前に出てくる。その時にアルドが、ヤンに対して何をやろうとしているのか、それがなくて漠然と戦っているようにしか見えなかったですね。

そうなるとサウスポーでも、ヤンの質量が上がり、間もヤンになっていく。アルドのリアクションはバックステップで外すだけでしたし。だからヤンの回転が上がっていきました」

──最終回、仕留めに行った時のヤンは顔面を殴り、ボディを殴り、ヒザも蹴った。多彩な攻撃を見せていました。

「それはヤンが良いというよりも、アルドがもう終わっていたので。ああなると余裕が持てると思います。あの状況で、打ち返すことができる、あるいはテイクダウンができる人間に対して、あれだけのテクニックを見せることができるのか。この試合のアルドでは、ヤンの力というのは測りかねる部分があるかと私は思います。

いや凄く高い能力の持ち主ですよ、ヤンは。そして冷静です。最後のパウンドは殺すというよりも、レフェリーに止めろよというメッセージを送って殴っているように感じました。この試合もそうだし、もう5Rを戦い切れない選手が多くなっているから、5R制ってどうなんだろうなって感じます。5Rを戦い切る稽古と、気持ちがどれだけ創ることができるのかというのは、このところのUFCでは思うところですね。5Rあることで2Rぐらいは休む選手ができているので」

──日本人としては長丁場に活路を見出したいと思ってしまうのですが……。

「以前、黒崎健時先生が著書で42.195キロを100メートル・ダッシュのつもりでやりきれば必ず勝てるのだ。ただ、それをやる勇気のある人間がいないと言われています」

──物理的に無理だと思ってしまうかと、それは。

「でも、私はそれをやろうとする選手がこれまでも勝ってきたと思います。ジョルジュ・サンピエールにしても、ドミニク・クルーズにしてそうでした。今はあの時の彼らのように仕上げられないのでしょうね。

今後、ピョートル・ヤンがそこまでできるのか。それこそ指導者と選手が、人格の殺し合いをするような稽古でないと5分✖5Rというのは戦いきれないのではないかと思います。それは対人だけでなく、心肺機能を上げる練習にしても。そして、そんな稽古は10何年もできないでしょう」

──GSPやドミニクのようにピョートル・ヤンがなれるかどうかは、練習次第だと?

「ハイ。この試合からだけだとヤンは分からない。このままでコディ・ガーブラントやマルロン・モラエスとやって勝てるのか。ガーブランドはスタンドで、ドミニク・クルーズを効かせることができた選手です。それゆえにTJ・ディラショーにやられてしまったのですが……」

──そのTJ・ディラショーも来年の1月に戻ってくることができます。

「まぁ、UFCのバンタム級は凄いことになっていますね。だからこそアルドと戦った状態のヤンだと、ガーブラントには勝てないような気がします」

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Bu et Sports de combat Interview サンチン ブログ 岩﨑達也 意拳 王向斎 站椿

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─07─站椿03「中国の意拳は違う」

【写真】站椿をケージの中で使って、強いということでは決してない。そして武術と格闘技では修得するという点において、スパンがまるで違ってくる。それれでいてなお、重なりあっている(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。そんな剛毅會の稽古には站椿が採り入れられている。

空手と中国武術は切ってもきれない関係ながら、歴史上寸断された過去があった。それでも站椿に何かしら組手を変える要素があると感じ、1990年代中盤より中国から意拳の情報が伝わってくるようになると、岩﨑氏の興味はさらに深まるものとなった。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─06─站椿02「王公斎は型を不要とした」はコチラから>


──極真に全身全霊を掛けていたからこそ、武術空手に辿り着くことができたのだと。

「その通りだと思います。あの時、極真空手と意拳に縁があった。そして站椿の稽古があったことが、私と形意拳に縁があったということですしね」

──釈然としないながらも……。

「腑に落ちなかったんですよね」

──そこを腑に落ちるまで、解明しようという気持ちに時はならなかったのですか。

「それもありますし、中国武術に関しては文化大革命の際に無かったことにされているという歴史的背景も関係しています」

──というのは?

「一度、中国共産党政府としても武術を無いモノとしたのです。その一方で、意拳は中国拳法のなかで歴史が浅い武術という要素が加わります」

──1903年生まれの澤井健一氏が、1930年代に王向斎門下となっていることでも、4000年の歴史のなかで100年ほどということですね。

「王向斎は確か日本の年号いえば、明治19年生まれですからね。何より、中国の名立たる武術家は国民党と共に台湾に渡ったとされますが、王向斎は大陸に残り健康法として意拳を伝えました。文革からしばらく経って共産党が健康法としてのみ武術の普及を認めた。太極拳、気功が広く普及したのはそのためですね。

摩擦歩というゆっくり運足を練る稽古があるのですが、元々両手を挙げて行っていたそうです。ただ、そうすると武術だとバレるということで手を下げて行うようになったみたいですが、我々は澤井先生が戦時中に学んだ摩擦歩を学んだので両手を上げて行うと習いました。

先ほども言ったように文革からしばらく経って、共産党が武術を健康法としてのみ普及を認めたそうですが、そういう背景がありながら、王向斎の門弟の方々は中国本土に残り意拳を普及して行ったそうです。ただ私が空手を始めた80年代、そして90年代の序盤までは中国から意拳について情報が入ってくることはなかったです」

──ハイ。

「だから極真の先生方が澤井先生から習った站椿を、私たちが習う。そして腑に落ちないから真面目にやる気になれなかった。なんせ澤井先生が1988年にお亡くなりになり、中国で意拳を習った方は日本にいなくなってしまったんです。

それが90年代も半ばを過ぎると、中国から情報が入ってくるようになりました。鄧小平が経済開放区を設け、社会主義市場経済を用いたことで武術的な情報も日本に流れてくるようになりました。

その頃になると、日本で意拳を稽古されている先生方も中国に行くハードルが下がり始め、中国の意拳の先生も来日して指導される機会も増えていきました。書物も圧倒的に増えました。私も映像や文献も読むようになり、『アレっ、俺が思っている意拳と中国の意拳は違うんじゃねぇか?』と思った時から、ハマっていったんです。

やたらと腰を落として、カカトを上げて足腰を鍛えるモノではない……ということは、私に限らず多くの人が思ったはずです。単なる肉体の鍛錬方法ではないことには気づきました」

──それが気であったり、内気であると、まるで別物だと捉える人もいたかと思います。

「これは私の話ですが、気というモノには全然興味がなかったです。ただ、前に言ったように何かが違う。それが意識なのか、心なのか。それとも神経なのか……とにかく何かは分からないけど、站椿をしてから組み手をすると何かが変わるという状況が、中国から情報が入ってくるようになってからは、より加速したんです」

──おぉ。実感できるほどだったわけですね。岩﨑さんは粗暴な言葉とは裏腹に、繊細な人じゃないですか。

「粗暴って、私は……繊細ですよ(苦笑)」

──だから、その違いが感じられたのでないでしょうか。

「それは今、武術空手を指導していて……そういう気持ちの持ち主、その気持ちがあると型や武術空手を学ぶ際には凄く役立つと感じています。心や感性、感能力と呼んでいるのですが、感受性の強い人──目に見えないモノを理解する意識や心を養うのには凄く良い練習になると思ったので、站椿を指導するようになったんです」

──一緒に切磋琢磨した人達にその考えを伝えると、どのような反応だったのでしょうか。

「MMAと比べて、空手の世界は夢を追うという空気がありました。MMAは世界中でやっていて、強烈な現実が映像で伝わってくるモノですから。MMAで現役を引退すると、経験値で指導して、技の探求を続ける人は私が知る範囲では空手より少ないと思います。

対して私が空手を始めたころは、選手を引退するから空手を辞めるということがあり得なかった時代です。空手は一生修行するもので、選手生活はその一部だったので」

──MMAは絶対的にというか、何を置いてでも一生追及できる要素の固まりだと思っています。だからMMAと武術が結びつけば、MMAファイターは引退後もMMA家になれるのではないかと。

「それは武術空手家にも言えることです。私は武術空手を一生を通して追及するのであれば、若いころにMMAを経験していることは何よりも財産になると思っています。実は剛毅會で空手を究めたいと言っている25歳ぐらいの子に、前に『空手だ、武術だと偉そうに言っても、お前が一生空手をやるうえでこの経験があることが大きな違いになる。この3分✖2Rを経験しないで、大先生になった人間がたくさんいるんだ』と伝え、アマチュア修斗に申し込んで出場させてもらったこともあるんです。

彼はMMAのチャンピオンになるためでなく、空手の修行としてまだ若いからMMAを経験しています。話を戻すと、スポーツの人って現実が全てです。UFCを見て、ロマンチストになれないですよ。リアリストで強くなければ。

一方で空手は夢見ることができます。将来的にという将来のスパンがMMAと違います。だから、そこに近づくために站椿のような稽古をやろうよと言うことができる──それはありますね」

──岩﨑さんも站椿の意味合いというのは、武術空手を追求するようになってから理解が深まったのですか。

「武術空手に傾倒する以前ですね。ヴァンダレイ・シウバと戦った頃、稽古は站椿、意拳とMMAスパーリングでした。それ以前のフルコン空手の選手を引退する前なども、結果は伴わなかったですが成果を感じることができていました。当時は身体意識ぐらいだったと思うのですが、その身体意識を養っていけば、まだまだ上手になるのではないかという気持ちでいたので、レスリングや寝技でも意識していましたね。出稽古でグラップリングのスパーリングをしていても、站椿や推手のつもりでやっていました」

──それは岩﨑さん、やっぱりロマンチストですね(笑)。

「まぁ、そこにも武術的な力の使い方というものがあるので」

<この項、続く>

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Bu et Sports de combat Interview サンチン ブログ 岩﨑達也 意拳 王向斎 站椿

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─05─站椿01「極真✖太気拳」

【写真】站椿とは、何か。MMAファンも一緒に学んでいけることが楽しみだ(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。

武術空手で行う5種類の型にあって、息を吸いて吐くという意味の呼吸が学べるのはサンチンだけだ。そして、剛毅會空手では站椿も稽古に取り入れる。そもそも站椿とは何なのか。武術空手を知る上で、切っても切れない関係ながら、深みに入ることが恐ろしくもある中国拳法の入り口付近を、これから暫らくの間は歩いていくこととする。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─04─サンチン03「目的と設計図」はコチラから>


──サンチンだけが吸って、吐いてという呼吸を学べる。そのなかで站椿を剛毅會空手で取り入れているのはなぜでしょうか……という質問の前に、多くのMMAファンは站椿とは何かと疑問に思うかと。

「站椿とは何か。アハハハハ。站椿とは何かとは、永遠の課題なんですよ。立禅(りつぜん)という呼び方もありますが、それは日本の人間の言い方で書いてそのまま立ってやる禅だと。そうなると、なぜ禅なんだ。そして禅って何だよっていう話になってしまいます」

──それこそ禅問答だと。

「ホント、だから突っ込み始めるとキリがない。站椿とは一般的には筋肉とか、目に見える技とだかではなくて、体の内面のエネルギーを養成する稽古とは言われています」

──それは空手ではなくて、中国拳法の世界でということですか。

「ハイ。中国拳法で、です。私は中国拳法の専門家ではないのですが、私の知識の範囲でいえば中国拳法は仏教系、道教系、回教(イスラム教)系の武術に分かれています。八極拳などは、回教系の武術なんです」

──えぇ!! そうなのですか。

「宗教と結び付けて稽古することが多くて、前回お話したようにサンチンは白鶴拳のなかの鳴鶴拳から来ていることは間違いないのですが、白鶴拳はどちらかというと仏教系の拳法なんです。そして内家拳は道教の拳法で、代表的なのが太極拳、形意拳、八卦掌という3つです」

──MMAファンも太極拳はもちろん形意拳、八卦掌は耳にしたことがあると思います。

「そのなかの形意拳から、シンブルに技を抽出したのが王向斎によって創られた意拳です。その意拳の主たる稽古が站椿でした。それが一般的な考え方です」

──意拳では站椿のような稽古ばかりで、組手は存在しないのでしょうか。

「約束組手のようなモノから、推手という……見た目は手をグルグルと回し合ってバランスを崩すようなモノ、また自由組手──スパーリングのようなモノもあるそうです。この道教系の拳法には、五行合一(ごぎょうこういつ)──古代中国にあった万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、栄枯盛衰はこれらの元素の働きで変化するという自然哲学の思想や、小周天(しょうしゅうてん)という自分の体の中のエネルギーの経路や周囲に気を通すということや、大周天(だいしゅうてん)という人間と大地との交流だとか、そういうことと結び付けて説明する特徴があります。

この考え方自体が道教の思想なんです。そして意拳では組手をするにしても筋肉や技を鍛えて挑むのではなく、意や気のような人間の内面を練って戦うということです」

──内面の気を養成するために站椿という稽古が存在しているということですか。

「これも一般的な話でいえば、形を養うこと。その結果、打撃の破壊力、威力が増すため、つまり武術的な能力を高めるために取り入れている……のでしょうね。だから理解できないというか、理解する気がない人には理解ができない稽古だと思っています」

──その理解することが難しい站椿と岩﨑さんの出会いというのは?

「それは……たまたま私は站椿を取り入れているフルコンタクト空手の道場に、子供の頃からいたわけです」

──まぁ、もう読者の皆さんはそれが極真だということは理解できていると思いますが、極真ではどの道場でも站椿をやっていたということでしょうか。それとも城南支部だけだったのですか。

「もともと大山倍達先生が日本人で唯一、意拳を中国で習ったとされる澤井健一と深い交流がありました」

──それこそ王向斎に学び、太気拳の開祖となった澤井健一氏ですね。

「ハイ、そういう経緯で我々も站椿の稽古をするようになったんです。実は交流試合なんかも、やりましたし」

──あっ、太気拳と極真の人たちが掌底ありで組手を行うビデオは見たことがあります。こういうとアレですが……ヒョロヒョロでTシャツを着ている太気拳の人が、極真の人にバンバン掌底を当てていて……。

「アハハハ。ヒョロヒョロの!!」

──岩﨑さんも立ち会っていたのですか!!

「私は中学校3年生で、先輩達がやっているのを見ていました(笑)」

──ただ、あの映像は衝撃的でした。極真の屈強な人たちが、もやしみたいな人に顔面に掌打を食らっていて。ただ、今からするとだって太気拳のフィールドじゃないかと理解できるのですが。

「確かに掌底を受けていましたよね。そして、結論からいえばいつものルールではなかった。言われた通りです。極真ルールでやれば極真の人達の方が優勢だろうし。ただし、顔面を殴られて良いというモノではないですからね。その後グローブが出てきたり、MMAが出てきたことで顔面掌底どころでない時代となりました。そこを根っこから穿り返そうと、私は独立した時に思ったわけです」

──バーリトゥードはともかく、グローブよりも掌底とはいえ素手だったのでえげつなく感じました。

「それはそうかもしれないですね。指先が目に入ったりしていましたからね。外側の怪我はグローブより多かったです。ボクシングやキックがあった時代ですから、グローブよりも掌底の方が見慣れていないというのはあったと思います。ただ、アレって忘年会……武道の世界では納会での一幕で。先生方も澤井先生に習っていたりしたので、組手をしている先輩方は緊張感はあっても、殺伐とした空気のなかで行われていたわけではなかったです」

──なるほどぉ。いやぁ、凄く貴重な話をありがとうございました。そういう交流があり、站椿を取り入れていた。ただ、太気拳そのものを取りいれることはなかったのですか。

「熱心な先生、全然関係ない先生がいました。私の道場はたまたま站椿をやる方だったけど、まぁ優秀な先輩方も含め全員が一生懸命やっていたわけではないです。私も取りあえず站椿の稽古をしていたということで、決して熱心ではなかったです」

<この項、続く>

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Bu et Sports de combat Interview UFC アンジェラ・ヒル クラウジア・ガデーリャ ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ガデーリャ✖ヒル=質量✖機動力

【写真】質量と機動力、質量もMMAを戦ううえで一つの要素であり、全てでは決していない(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──クラウジア・ガデーリャ✖アンジェラ・ヒルとは?!


──今回は女子ストロー級の一戦です。

「あのう……この試合なんですが、あれはどういう判定なんでしょうか? この裁定は全く理解不能です。フルマークでアンジェラ・ヒルの勝ちです」

──初回はテイクダウンがあったので、カデーリャという見方は成り立つかもしれません。ラウンドマストで最終回もジャッジがどう判断するのか──なかにはガデーリャという人もいるかもしれない。でも、普通はヒルで……試合を通してなら判断するなら絶対的にヒルだったかと思います。

「この試合でいえば、もうカデーリャの方が強いんです。強いのは。でも、彼女は横着してしまっていました。正直、ヒルの方は打撃のレベルはホントに高くないです。でもね、彼女が偉いのはずっと動いていることです。止まらないですよ。常に距離をとって、そこで動き続けている。ガデーリャは、ああいうヒルの懸命なファイトを見習わなければいけないです。カデーリャは楽をして勝とうとし過ぎていました」

──コロナウィルス感染問題で、練習環境をなかなか作れなかったのか。いつもはもっと、ガンガン攻める選手です。それが動けず、横着するようなファイトになってしまったのかもしれないです。

「それはあったかもしれないですね。ただ、どういう状況であれガデーリャは動いていなかった。対して、ヒルは動き続けていた。そしてガデーリャの素晴らしい一発よりも、間断なく動いている攻撃の方が見えにくいということが、この試合から分かります。

ガデーリャは2Rに左フックを被弾してダウンをしましたが、あの時は見えていなかったです。質量がずっと高いのはガデーリャで、ヒルの動きはパタパタしたモノでした。実はああいう動きでなんとかするタイプは、私個人としては好きではないです。でも、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるという理屈で、回転数が高くなっているからガデーリャも被弾してしまいました。1発目は避けても、2、3、4と続くからどこかで貰ってしまいます。

ケージに押し込むシーンやテイクダウンなどはガデーリャでしたが、そこもスタミナが切れないよう彼女を慎重というか、横着にさせた点かと思います。そしてヒルも押し込まれた状態が続いた。あそこで動く練習をしないとは考えられないのですが……」

──確実に押し込まれた状態で押し返すか、もしくは体を入れ替える……回す練習はしているはずです。ただし、それをすると自分も疲れる。逆にガデーリャに押し込ませて体力を削り、ヒルはケージを背負ってエネルギーをセーブしていたことも十分に考えられます。

「あぁ、正に足し算と引き算があるMMAならでは攻防ですね。この試合は特にガデーリャの方が実力は上なので、ヒルが動き続けるために組まれると体力をセーブする対応に留めるということですね。う~ん……、そもそも論になってしまいますが……にしても今回はなぜ、この試合を取り上げたのですか?」

──あぁ、実はですね、もう既に岩﨑さんが全てを返答されているのですが、本来この両者で格闘家として強いのはガデーリャだと私は思っています。

「ハイ、それはどうだと思います」

──そして、私はアンジェラ・ヒルのスタイル……動き続けて、パンチで倒すのではなくて、パンチを当てて勝つタッチ・キックボクシングMMAが嫌いなんです。

「私もそういう試合は好きじゃないですねぇ(笑)」

──まだ、打撃を散らしてテイクダウンから寝技で勝負というのは分かります。でも、ただ打撃を散らすだけ。それは戦いなのか……と。

「まさに仰る通りですッ」

──ただし、MMAはコレが許される。こんな試合が許される競技格闘技はMMAだけだと思います。そして、この試合はあれだけ圧力、一発のあるガデーリャをそういうファイトで封じ込めた。判定負けはしましたが、岩﨑さんも言われているようにMMAとして、ヒルは勝っていた。その面白さがMMAにあるので、間や質量がどうだったのかを知りたかったのです。

「なるほどですねぇ(笑)。確かに強いのはクラウジア・ガデーリャで、それでもアンジェラ・ヒルが試合は勝っていた。意味不明な判定負けになりましたが、ヒルが絶対に勝っていました。まぁ、それもMMAではままあることですが……それにしても、この判定はおかしいです。

3Rになるとヒルが疲れました。でもガデーリャは、そこでも攻めなかった。そんななかヒルのローキックは良かったです。でも効かすことができているのも、自分で理解できているのかは分かりません。ヒルはパターンで練習しているのか、パタパタしている。逆にガデーリャは殴る実感が拳(けん)にあります。

中国武術に『意』という言葉がありますが、中国では意識と意は明確に違うモノとされています。意識は考えることで、意は本能……本能の発動のようなもので。例えばヘンリー・セフードのパンチ、蹴りには『意』があります。対して、ドミニク・クルーズは5Rをマネージメントして勝ちます。ただし、それは達人技です。彼だからできる戦いですが、武術的な意はないんです。

これはドミニクがそうだというのではなく、漫然な動きというのは格闘技の試合のなかにおいてもいくらでも見ることができます。練習でも漫然とシャドーをするのと、左で顔面を叩く、右で顔面を叩く──その実感を持って練習している人と、そうでない人の差は出てきます。それが日々の積み重ねなので。

と同時に、いくら意があってもコンディションというモノに左右されます。ガデーリャとヒルもそうで……いくら質量が良くても、それを動かす機動力がなければ格闘技の試合では勝てないです。質量が高くても、機動力に負けることはあります。つまり質量の高さを生かす戦術を立てないと競技では勝てない。私もここで質量、質量って言っていますけど、質量も格闘技の試合を戦ううえでは、一つの側面に過ぎないのです。

この試合は質量も間もガデーリャです。だけど、活かしきれていない。そこで機動力に負けてしまった。まぁ、試合結果としてはガデーリャが勝ったから、何とも意味の分からない裁定なのですけど(笑)。私もよく『ジャッジの善意を期待して戦ってはいけない』とは口にしているのですが、今回のこの裁定は意味が分からないです。クソボールでフォアボールだと思って一塁に向かって動き始めたら、ストライク!!って審判が言って、三振にさせられたようなものです……ヒルにとっては。

と同時に判定云々でなく、改めて理解できたのはMMAの攻撃とは回転数を無暗に上げられない。その側面が見えたことですね。

掴みがない、顔面殴打がないフルコンタクト空手、組み技がないキックボクシング、あるいは打撃のないレスリングという戦いは、攻撃する側がその回転を上げやすいです。左から右、右から左、上から下、下から上、外から中、中から外という風に間断なく回転を上げることができます。ワンツーからワンツースリー、ポンっというように。

ところがMMAはワンツー、ワンツースリーからポンっというリズムで勢いをつけていっても、その間に組みつかれることがあります。組みにしても、組みのテンポでは打撃で間隙をつかれます。そういう戦いは、やはり練習が難しいです」

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Bu et Sports de combat Interview ニコ・プライス ブログ ヴィセンチ・ルケ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライス─02─

【写真】戦いだから気持ちの部分は大きい。そして、攻勢か劣性か自身の状態を把握することも大切になってくる(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術、ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

前回に引き続き武術的観点に立って見た──ヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライス戦、MMA界髄一の接近戦ボクサーと変則的なファイターの勝負で何が見られたのか?!

<武術的な観点で見るMMA。ヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライスPart.01はコチラから>


──ルケに関していうと4月18日に向けて米国に入り、大会がキャンセルされてブラジリアに戻ると、そこから対人練習はできていなかったようです。スタミナのロスも激しかったです。

「現状、コロナ問題で調整が難しいということもありますが、MMAはただでさえスタミナ創りが簡単ではないですしね。2Rは間はプライスになっていました」

──ルケは下がるようになったかと思います。

「ハイ。ただし、その下がるという動きは正解なんです。格闘技は前と左右は使えているけど、後ろはまだまだ使えていないことが多いです。MMAにしても相手と自分、自分と後ろを考えると、後ろの方がずっと空間が大きい。でも、互いに間の前の相手に勝とうとして、狭い空間の奪い合いになります。でも自分の後ろからケージまでの距離の方が、もっと広く使えるんです。

と同時に、ルケはその場でカウンターを当てる選手だから、前に出たり、下がると当てることができなかった。逆に前に出る選手はその場で打てないことも多いです。誰もがそういう欠点があって戦っています。なので一番嫌らしいのは下がって打撃を当てることができる選手だと私は思っています。前に出て戦う選手より、下がって当てる選手の方が実は度胸が必要なことですしね。打ちに行く場合に関して言うと、ビビッて前に出ることは決して少なくないですからね」

──いずれにせよ、ルケは2Rにパンチのクリーンヒットがなくなりました。

「ただプライスも攻めが甘い。正攻法ができないから、あそこで打ち勝てなかったんです」

──それでも3Rですら、プライスの方が攻勢でした。最後の場面が訪れる少し前までは。

「これはハッキリと言い切って良いか分かりませんが、プレイスは勝負を投げました。結果的にダウンからパウンドで殴られ、目が腫れてドクターストップがかかりましたが、その前の左フック……あのダウンしたパンチは効いていません。アレはもう自分で寝ました」

──!!

「でも、誰しもありますよ。苦しいと、もう当ててくれ……終わりたいって思っちゃいます。これね、あなた方の仕事の人や指導者の人なんかも『格好悪い』とか『格闘家としてあるまじき行為だ』って批判しますが、よくあることですよ。だって、そうやって試合を投げた選手をどれだけ見てきましたか?

そういうことは多々あるんです。ただし、プライスに関して勿体ないと言えるのが2R、3Rと優位に立っていたのに寝てしまったことです。もう少し頑張ると勝てるんだという自分が置かれた状況を判断できていなかったことが問題だったんです。

破壊力はルケでも、ヘンテコリンな前蹴り、打ち回し蹴りだけでなく組んでのヒジとかヒザでプライスは盛り返していた。それがヘンテコリンな自由の発想の持ち主だからか、そういう優位な攻撃に固執しない。とてもアッサリしている。下手をすると、勝てると思っていなかったかもしれないです。

3Rも是が非でも取って勝つんだという戦いではなかったです。勝手に不利だと思っていて、精神的な負担も大きくなっていたかもしれないですね。プライスに何が何でもという気持ちがあれば、勝てた試合だったと思います。ルケにしても、最後の左フックは初回の素晴らしいパンチを比較すると、それほどでもなかったですしね」

──最後はルケの得意な距離でもなかったように見えました。

「全然違いますね。まぁ、でもテイクダウンを取ってもプライスはアッサリしていましたよ。すぐにスクランブルを許して」

──それはルケがスクランブルでフロント系のチョークが強く、またダースで前回やられているのは影響したかもしれないですね。

「あぁ、だから倒してから続けたくなかったのですね。フォークスタイル・レスリングをやると疲れそうですもんね。だから蹴り上げとかで勝ってきたように、ねちっこい戦いはできないファイターかもしれないですね。対して、ルケの精神力は素晴らしいです。彼は最後まで諦めていない。ただし、前の試合で下がられて負けたことで必要以上に考え過ぎてしまっていたのかもしれないです。それが苦戦した要因かと思われます。

トンプソン戦で負けたにしても、彼の良いところは何も錆びついていない。ここもまた難しいですよ。ビジネスでも試合でも、選択と集中というのがあって。反省して、色んなことを保全しようとして焦点がぼけることもありますしね。武術的にいえばルケは、トンプソン戦で先が取れなくなった。そうなると、距離を取って後ろ回し蹴りやジャブを伸ばすトンプソンの間になるわけです。

そこで考えるべきは追っかけて距離を詰めて云々という思考ではなく、距離を取って回るトンプソンは何が嫌なんだろうって考えることです。相手の嫌なことを考え、実行すると先は距離に関係なく取れるようになるんです。今回に関しては、プライスは間違いなく近距離でのパンチが嫌なんですよ。そこに徹しきっていれば、楽に勝てたかもしれないです」

──敗因を見つめ、改善することは必要ですが、その見極め方もまた難しいということになりますね。

「そうなんですね。ルケはヘンテコな蹴りを貰ったことで、トンプソン戦を思い起こしたというか、警戒し過ぎるようになってしまった。断然有利なのはルケだったのに。なんであんな風になってしまったのか。そこをチームとしてフォローしないといけないですね。MMAだからあの距離で戦うのは一方向に偏っているし、そこで生じる欠点は出てきます。それにしても、ルケの接近戦での強さは頭抜けていますから。そこを活かして戦うべきなんだろうと思います」

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Bu et Sports de combat Interview ニコ・プライス ブログ ヴィセンチ・ルケ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。ヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライス─01─

【写真】MMAでこの距離で戦い続けるのはヴィセンチ・ルケとホゼ・トーレスぐらいか(C)Zuffa/UFC

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──ヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライスとは?!


──今回はヴィセンチ・ルケ✖ニコ・プライスの1戦をお願いします。この試合は再戦で、前回はルケがダースチョークで勝利しています。

「ルケは相当なストライカーですね。とにかくパンチが良いです。ヒジでパンチを打てる選手です」

──ヒジでパンチを打つとは、どういうことでしょうか。

「我々が追及している突きもそうなのですが、肩甲骨を使うということが言われていますよね。エメリヤーエンコ・ヒョードルのようなロシアンフックと呼ばれることもMMAではありました」

──柔軟に肩が回るパンチですね。

「ハイ。ただ肩を回そうとしても、回りません。そのためには肩甲骨を使う必要があります。ただし肩甲骨を使うには、ヒジが使えないと肩甲骨は動かないのです。サンチンの突きも、ヒジで肩甲骨を動かしているんです。ヒジを使う。その状態が何であるかは別の機会に説明させていただくとして、ルケはとにかくヒジを使うことで、肩甲骨が動くパンチが打てていました。

結果、ワンテンポ早いのでプライスには見えなかったでしょうね。何よりも、打ち合いになったときに絶対に顔がブレないです。ショートの打ち合い、MMAグローブであの距離で打ち合うって相当怖いところですが、全く顔がブレないでプライスのパンチに自分のパンチを合わせている。あれは普通はできないです。MMAファイターであの距離に居続ける選手は初めて見ました」

──頭がブレない……頭を振らないとパンチを被弾することはないですか。

「頭を振るのは、何のために振るのか。動かしてずらして殴るためなのか、避けるために動かすのか。それともただ動かしているのか。この3つの理由が頭を振る選手に当てはめることができます。なんとなく動かしても、なんのビジョンもないので質量は下がります。打つためにズラしている。マイク・タイソンもそうでした。その場合の質量は逆に上がります」

──ルケは動かしていないということですが……。

「基本的には動かさない方が質量は高いです。本来は動けば動くほど、移動エネルギーが生じるので質量は下がります。つまりは移動しないとエネルギーを起こせない人間よりも、移動しないでエネルギーを起こせる人間の方が上なんです。移動するというタイムラグがなくて、エネルギーが出せるということですから」

──ただし、あの距離など殴れる割合も高くなるかと思うのですが。

「それはそうです。でもクリーンヒットされる数は少ないです。あの距離はルケの間なので、安全なんです。仮に被弾しても、ルケの質量の方が上なので大したダメージにはならない。逆にルケの攻撃が当たった相手の方がダメージが多くなります。だから理論上は安全なのですが、MMAであの距離に居ることができる選手は少ないです。それはビビッてしまってあそこから下がるが、組みに行く選手が殆どだからです。

結果、下がったり、組みにいくことで動いた方の質量が落ちてしまうんです。だからルケのようにはなかなか戦えないんです。顔が動かず、目もしっかりと開いている。あんな選手はそうはいないですよ」

──ルケが近い距離で戦い続けることができるのは、そのような理由があったのですね。

「ルケは素晴らしいボクサーですよ。でも、それ故に下からの蹴りが全く見えていない。ダウンした前蹴りは目を開いているのに被弾しましたから。それはボクシングにバランスが偏り過ぎているからです。何よりもプライスの蹴りは、ヘンテコ蹴りなんです」

──ヘンテコ蹴りですか!!

「プライスの蹴りは、ヘンテコ蹴りです。あのヘンテコ蹴りは、距離を取るのが実は難しくて。

フルコンタクト空手の世界大会でも、ああいうヘンテコ蹴りを使う選手がたまに出てくるんです。しっかりとしたボクシングができるが故に、下がってから蹴ってくる変な蹴りが見えていない。ルケは構えも距離も素晴らしいボクシングのモノで、ディフェンスもボクシング。だから相手は下がることで有利になることもあり、それがプライスにとってはあの一瞬でした。

プライスってこれまでも変な勝ち方をしているようですし、きっと人間としてもヘンテコリンですよ」

──蹴り上げ、そしてガードポジションからの鉄槌で勝ったことがあります。

「それはヘンテコリンですね。今回の負け方も、実はヘンテコリンでしたし。アハハハハ。ヘンテコリンっていう言い方をしましたが、プライスはきっと発想が自由なのでしょうね。ルケのようなしっかりとやっている選手からすると、プライスのようなヘンテコな選手は嫌な相手になることが多々あります。プライスはローとかミドル、ハイなんて下手くそで見られたモノではないんです。でもヘンテコリンな上段前蹴り、内回し蹴りをヘンテコリンな間合とタイミングで蹴ってくる。これはルケには相性が悪いです」

──面白いものですね。

「本当にそうです。腹がすわっていて、間も良いルケがあの前蹴りを受けてしまう」

──ダメージがあるルケに対し、プライスはテイクダウンに行きました。

「それは正解です。あのあと打撃で行ったら、ヘンテコな蹴りしかないからルケのパンチでやられていたでしょう。プライスのヘンテコ蹴りは下がることによって、カウンターで当たる蹴りなんです。対してルケはその場でカウンターを当てることができる。一番大切なのは、その場です。次が後ろを使うこと。相性的に前蹴りは貰いました。でも、あの後にプライスが前に出るとルケの間に戻ります」

──実際ルケはこの前の試合で回るスティーブン・トンプソンを追いかけて、蹴りやジャブを打たれ続けて負けてしまっていました。

「下がる相手には相性は悪いですね」

──ただ2Rに入ってもテイクダウンを織り交ぜ、プライスがボディアッパーや左ジャブを当てており、ルケは打ち勝てていなかったです。

「もちろんダメージは残っていただろうし、もらったことで考えるようになったと思います。それで自分の攻撃ができないようになったことは考えられますね」

<この項、続く>

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Bu et Sports de combat Interview クーサンクー サンチン セイサン ナイファンチン パッサイ ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─04─サンチン03「呼吸、体、精神」

【写真】剛毅會のサンチンでは、息を吐くときにハッキリと発声することはない (C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。ここで取り上げているサンチンもそのルーツは中国武術にあるといわれている。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。

同じサンチンでも、各流派で順序こそ同じであっても、内容が違ってくる。中身が違う一番の理由は、型稽古を行う目的が違うためだ。力を出すための型稽古と、力が出る型稽古は呼吸の意味合いも違っていた。

武術空手のサンチンで行う呼吸とは、英語にした場合にはBreathingにはならない。そして、『ハァ』という発生を伴う呼吸もない。空手における息吹の有無、ここに触れてみたい。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─03─サンチン02「目的と設計図」はコチラから>


──Breathingでないということは、息を吸って吐いて、だけではないということでしょうか。「阿吽の呼吸」という言葉にある呼吸に、通じているのですか。

「そういう風にいう呼吸ですよね。相撲は立ち合いで呼吸が合わないと、始まらないですよね。呼吸という言葉を、阿吽の呼吸や相撲の立ち合いでの呼吸という風に使っている国は、日本の他にないと思います」

──呼吸とは息づかい、あるいは英語だと息をつくということで休憩するという意味ぐらいですね。

「そういう日本独自の言い方の呼吸……ですよ。Breathingではない。一つ言えるのは、オーケストラの指揮者がいるじゃないですか」

──ハイ。

「アレも同じ譜面があっても、名指揮者と呼ばれる人がタクトを振るのと、覚えたて人がするのでは、同じ軌道を描いたとしても違ってくるはずです。それも日本語独自の呼吸ですよね」

──演奏者と指揮者の呼吸ですね、まさに。

「ピアノの伴奏に合わせて、歌い手が歌うのも呼吸ですね。サンチンは突いて、それを円で腕受けする。言ってみると、それしかない型なのに突いてからの腕受けの呼吸が、どれだけでも深めていけるんですよ。サンチンとは、その呼吸を得ることができる唯一の型なんです」

──その呼吸がBreathingでない、呼吸になるのですか。

「Breathing、医学的にいう呼吸もあります。吸って、吐くという」

──サンチンの呼吸は吐く時に口を開け気味にして、しっかりと意識しています。

「ただし、それは呼吸を人に見せているのではなく、呼吸を意識することで、自分の呼吸を理解しているんです」

──そこが最も重要だというのは?

「吸って、吐いてという呼吸はナイファンチンからはやらないんです。吸って、吐いての呼吸と同様に動作の呼吸というものがあります。それが先ほどのタクトを振るうということで例えると、何となく振っているのと、オーケストラ―全体を俯瞰して、そのハーモニーを考えて振るのでは、武術的に言えば呼吸が違うということになります」

──もっと大きく声をあげる、いわゆる息吹という呼吸はどういうものなのでしょうか。

「私がやってきた他流派のサンチンの呼吸は、ただ単に吸って、吐くというものでした。喉を鳴らして『カァ~』って言う」

──息吹はなぜ、あの『カァ~』という声を出すのですか。

「ああいう呼吸は、東恩納寛量先生はしていなかった。宮城長順先生から始まったと私は聞いています」

──剛柔流の開祖の宮城朝順から息吹を始め、極真もその流れをくんでいると。

「これも聞いた話なのですが、宮城先生が中国を訪れた時に、そこで見た……それは福建省の白鶴拳でまず間違いなくて。白鶴拳にも飛鶴拳、宿鶴拳、食鶴拳、鳴鶴拳という四大流派があります。

そのなかで宮城先生は鳴鶴拳を見てきたみたいで、その影響を受けたと聞きました。鳴鶴拳は、その名の通り鶴が鳴く、威嚇する形意を表していて、その際に套路で攻撃の威力を増すために内勁(内功)を練る。その呼吸法として、『クォ~』、『カァ』という声を挙げているようなんです」

──それは鶴の真似をしてという風に理解して良いでしょうか。

「鳴いている鶴の真似をしているんだと思いますよ」

──息吹は鶴の鳴きまねだったと。それって元々は白鶴拳では内功を練るということですが、声を出すことが必要だと思われますか。

「う~ん、そういう風に疑問を感じたことがなかったんですよ。やりなさいと指導を受けて。審査のためにやっていたようなモノで」

──奇しくも水垣偉弥選手が剣道をやっていて、剣道にも型があるのですが、昇段検査のために何も考えることなく覚えていたと言っていたことがありました。

「そうですね。やらないと、帯がもらえない。そういうことでしたね。それが──精神を落ち着けるためにあるだとか、そういう風に書いてある本もありました。臍下丹田(せいかたんでん)に力を込めて、『クォ~』、『カァ』とやることで心を落ち着けるだとか。だから試し割の前に、心を落ち着けるために『クォ~』、『カァ』とはよくやっていましたよ」

──精神統一のために。自己催眠のようにして、落ち着くのですか。

「いやぁ、無理でしたね(苦笑)。そりゃ、緊張してしまっていますからね……そんなことをしても。だから、そういう経験がなかったり、知識がなくて剛毅會でサンチンを始めたような人のなかには、呼吸という部分に関して他で経験してきた人達よりも感じやすいというのはあります。それって他の知識や経験がないので、自分が感じたこと……そのものズバリなんです」

──空手は流派が多く、サンチンを実際に行っているところも少なくない。だからこそ、呼吸のためのサンチンというものが存在しないサンチンが往々にあるということなのですね。

「ウチでやっているサンチンしか知らない。そこで何かを感じ取っていると、『クォ~』、『カァ』とやるのを見ると違和感を覚えるばかりでしょうね」

──その呼吸ですが、例えばヨガだとやっている間に眠くなるというのを聞いたこともありますし、実際に見学しているとやっている人が眠ってしまったのを見たこともあります。ゆっくり呼吸をすることで、サンチンをしている時に眠気を覚えるようなこともあるのではないでしょうか。

「あるかもしれないですが、それは良くないことです。それは気持ち良くなってしまっていますよね。力むよりも良いですが、ゆっくり動くなかで筋肉や、心の状態にどのように呼吸が影響しているのかが、体得できていない。だから眠くなる。サンチンは呼吸、体、精神という三位一体で見つめて、深めていけるものです。同じ姿勢でも、ゆっくりと呼吸を理解していけば、足元にその影響が出ているとか、自分で感じることができます。

その想いが共有できない人に動きの順序や、形を真似てもらっても、そこは理解できない。と同時に理解し始めた人が、もっと知ろうと疑問をぶつけてくれた時、そういう部分を掘り下げていないと、答えることすらできない。そして言葉では、もう延々と説明ができてしまうので、『なら実際に動きましょう』となる。その繰り返しなんです。やればやるほど味のある型、それがサンチンです」

<この項、続く>

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Bu et Sports de combat Interview クーサンクー サンチン セイサン ナイファンチン パッサイ ブログ 岩﨑達也

【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─03─サンチン02「目的と設計図」

【写真】廻し受け──虎口も呼吸が違うのは、型を行う目的が違う。ではその目的とは何なのだろうか(C)MMAPLANET

型、中国武術の套路をルーツとされるなか沖縄で手の修得に用いられた。それが空手の型だ。元々は一対一、あるいは極小人数で稽古が行われていた型は、明治期に入り空手が体育に採用されることで、集団で行う体力を養う運動へと変化した。

型を重視する剛毅會の武術空手だが、岩﨑達也宗師は「型と使って戦うということではない」と断言する。自身の状態を知り、相手との関係を知るために欠かせない型稽古を剛毅會ではサンチンから指導する。

同じサンチンでも、各流派で順序こそ同じであっても、内容が違ってくる。なぜ、中身が違うサンチンとなるのか。

<【Bu et Sports de combat】なぜ武術空手に型の稽古は必要なのか─02─サンチン01「根幹となる呼吸」はコチラから>


──剛毅會ではサンチン、ナイファンチン、クーサンクー、パッサイ、セイサンという5つの型の稽古をします。そして口からの呼吸を通してカラダの呼吸をサンチンにより学ぶとのころです。そこで得たことで、その後の技は変わってくる。呼吸を突き詰めれば詰めるほど深く、強くなっていくと。そして呼吸によって養われる破壊力は、加齢に関係なく上がってくということですが、このサンチンにしても剛毅會のサンチンと伝統派、フルコンタクト空手の流派が行うサンチンは順序が同じでも、呼吸や動きが明らかに異物です。

「私は他流派といっても、伝統派のサンチンの稽古をしたことがないので何ともいえませんが、剛柔流のサンチンと極真のサンチンは同じ流れで来ていると思っていました」

──動画などで視てみると、こういう表現が正しいのか分からないのですが、極真のサンチンの方がキビキビしているように感じました。剛柔流に対して、もちろん剛毅會のサンチンと比較しても。

「う~ん、キビキビして見えるのは、決めが原因になっていると思います。私の追求している武術空手とは、決めの意味が違うんです。なぜ、決めの意味が違うのか、それは目的が違っているからなんです。そのサンチンもシンプルな突いて、腕受け、突いて、腕受け、中割れ、虎口という流れはほとんど同じです。

そしてサンチンとは、吸って吐いての呼吸の型。または筋肉……体を鍛える鍛錬の型と言われています。しかし、その呼吸の目的、鍛錬の目的が全然違うということなんです」

──岩﨑さんの経験談として、極真空手時代にどのような鍛錬を行っていたのかを教えていただけますか。

「私はまぁ角材で体を叩いたり……ですね。そういうことで体が強くなるという。ただし、今から思うと鍛錬することで最も大切なことは、力を出してはいけないということなんです」

──力を出してはいけない?

「筋肉を締めて、力を入れて……つまり力を使って痛くないようにしても、それは空手の鍛錬にはならないんです。サンチンなど型で力を出すのではなく、型よりに力が出ていないといけないんです」

──力を出すというは、力を出そうという意識が働いているということでしょうか。

「その通りです。力を出そうとするのと、出ているのではまるっきり違います。どうしても鍛錬するというと、鍛えるという意識が働くので力を込めてしまうんです。でも、それでは意味がない。剛毅會空手にとって正しい型を稽古すれば……そうですね、呼吸をゆっくりして、突きや腕受けにしても、キビキビとしたキレなどなくても良いんです。それによって、強さや繋がった感じなどが明らかに違ってきます。

つまり設計図通りに型をすれば、ある種の力が出てくるんです。それは力を込めても、出るものではないということですね」

──では順序は同じでも、設計図が違うということですね。つまり根本が。

「目的が違えば設計図が違い、全てが違ってきます。もう、だから型といってもまるで違うもので、こういうことをいうとアレなんですが、私の気持ちとしてはコメントのしようがないんですよね。同じ順序、同じ名称であることがもう、そもそも違うだろうということなので。

極端な話になりますが、筋肉を締めて力をだすのであれば、型でなくウェイト・トレーニングをすれば良いと思いませんか?」

──あっ、なるほど。その例えは型を知るうえで凄く言い得て妙ですね。

「ウェイトで鍛えた筋肉があれば、殴られてもやられないようになります。でも、それはサンチンをすることで出ている力ではないということです」

──サンチンが違っているのであれば、もう他の型も全て違ってきませんか。

「そうなんです。指を伸ばして突いてみたとします。指は弱いですから。それを巻き藁とか砂袋、小豆の中に突っ込んで貫手を鍛えるとかありますが、それで私は強くなった覚えはないです。そうするよりも指を伸ばした設計図通りにやれば、力は出ているんです。力を出しているのではなくて、そういう力が出ているんです」

──では昔の沖縄の手の人たちは、硬いところを殴って鍛錬するというのは、力を出すのではなくて、力が出るよう稽古していたということですか。

「それは分かりません。私は琉球の型がどうだったのか、分からないんです。私が習った型がそうであっただけで。ただし、叩くということと型はまた違うかもしれないですしね。だから私は消去法で見ています」

──消去法で見るというのは?

「空手は数多くの流派があり、それだけの稽古があります。どのような稽古をしているのか、それを耳にしたときに自分が求めているモノと共通している部分はあるのか。あるいは全く関係ないのか。そういう部分で、自分が探求したい、知りたいというモノ……消去法で残ってものに対して学ばせていただくという気持ちでいます。

イメージとしては昔の手の人たちは何かを叩くというよりも、お豆腐のような柔らかいモノのなかに指が綺麗に入っていく。そういう感じに近いような気がします。貫手の場合は」

──では呼吸の目的の違いとは、どのようなことでしょうか。

「呼吸に関しては……多分ですね、もう語りつくせぬほど違いが見られます。そのなかでも根本として、自分の呼吸と相手との呼吸が存在し、武術空手のサンチンで行う呼吸とは、英語にした場合にはBreathingにはならないわけです」

<この項、続く>

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Bu et Sports de combat Interview J-CAGE ONE Road to ONE02 ブログ 岩﨑達也 後藤丈治 祖根寿麻

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。後藤丈治✖祖根寿麻─弐─「コロナがチャンス」

Goto vs Sone【写真】MMA故に選択肢は多く、必死で練習してきたスクランブルMMA故に選択が限定されてやすい。これもMMAの妙(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──後藤丈治✖祖根寿麻とは?!──後編では、質量の高い後藤に対し、祖根が取るべき手段について尋ねた。

<武術的観点に立って見た──後藤丈治✖祖根寿麻Part.01はコチラから>

──祖根選手は一度は背中をつけて対処しましたが、またシングルにいってタップしました。

「そのシングルに行くのが失敗だとしたら、祖根選手はそれも分かっていたはずです。でも、トータルでMMAを経験値として覚えているから、試合ではあのようにハマるパターンの勝敗というのが起こると思います。

だからこそ、今、コロナの時期はチャンスなんです。自分が普段しないことをやる。日々に追われるとこなす稽古になってしまいがちです。強くなるためにブレない人が今だからでこそきることをする。それは対人練習でなくても、いくらでもあるはずです。

MMAファイターの人たち、試合がない今こそ──という気持ちでいてほしいです。例え1人でも強くなれる練習に没頭できます」

──ここまで話を聞いてなおですが、試合の立ち上がりというのはやはり大切ではないでしょうか。構え、間、質量、全てが後藤選手だった試合で、打で祖根選手が対応した。

「まあ、これも結果論ですが、結果論から学べることとして、いきなり前へ出るのではなく、先ずは距離を取って後藤選手に打たせそこに組みの圧力をかける、そしてパンチ、またはテイクダウン狙いからスクランブルなど、そういう手があれば祖根選手も自分の武器を使えたのかというのはあります。

何度も言っていますが、後藤選手の左のパンチはカウンターです。そこに打ちに行けば貰う確率は高くなる。ただ後藤選手の攻撃が、後の先を取れているかどうかは分からないです。後の先が取れていないのなら、祖根選手が先の先を取れれば後藤選手のカウンターを後手にさせることができ、自分のペースで試合を作ることも可能だったと思います」

──カウンターと後の先が違う、そこを今一度説明していただけますか。

「カウンターとはタイミングが取れた結果、起こる事象です。後の先とは、先が取れているという条件下でできることなんです。仮に後藤選手が後の先が取れていなかったとします。その場合、先の先を取られるとやられます。それは待ちの姿勢が後手に回るようになるからです」

──確かにカウンター狙いで、後手後手となる事例は少ないですね。

「逆に質問なのですが……祖根選手のシングルも、打からシングルでなく、MMAなのでシングルから打ということもありなわけですよね?」

──ハイ、デメトリウス・ジョンソンはそのパターンをMMAに持ち込みました。

「なるほど。では、それができなかった祖根選手はシングル狙いで居ついた(※一方向に意思が偏っている状態)ということですね。シングルに入って解除してパンチ、またシングルとか、祖根選手にも戦うパターンはあるはずですから」

──構え、間、質量で上回っている後藤選手を相手に、今言われたような攻撃が可能なのでしょうか。

Goto vs Sone02「後藤選手はしっかりと打とうして、足が決まることがあります。これは武術的にいえば、居ついている状態でもあります。それでも祖根選手が闇雲に突っ込んでいくと、あの左が待っていたでしょうね。だから前後の動きですかね。下がることができれば、後藤選手の戦力を低下させることができた可能性は高いです。逆に祖根選手は前に出ることで、後藤選手の戦力を上昇させてしまいました。

それが試合ってことなんです。アスリートは作品への完成度に拘ることを忘れて、ノルマをこなすようになります。青木選手がよく試合だけでなく、大会を通して自分のやることを作品と呼んでいるじゃないですか。あれがあるから、青木選手はパターン化しない。そして、強くなるために貪欲で、新しいモノを追い求めているのはMMAPLANETのインタビューを読んでいても分かります。

それが今、彼が良く口にしている岩本(健汰)選手とのグラップリングなんでしょう。そういう自分が強くなるために、斬新な『おっ!』となるモノがある選手は強いです。その時期は、かなり強くなれると私は思います」

──岩﨑さんも現役時代にそういう経験があったのでしょうか。

「まぁ自分ごとになりますが、極真をやっている時代に意拳に出会った時がそうでした。その時の全日本空手道選手権で数見肇に再延長で敗れたのですが、あの時が最後じゃないでしょうかね……」

──1997年の全日本ですね。準々決勝で優勝した数見選手に敗れたのですが、数見選手は準決勝が本戦判定、決勝は延長で一本勝ちでした。

「武術というモチーフが、私にキーワードを与えてくれたんです」

──そういうキーワードをMMA選手は今、この時期に手にするチャンスだと?

「ハイ。キーワードなのか、パズルのピースなのか。ただし、歴史から学ぶと──必ず大混乱の後に大成功を収める者がいます。それは大混乱の時に絶対にブレずに、没頭できるモノがある者です。そういう人間は強い。今、強くなるにはチャンスなんです。虎視眈々としている人間のコロナ後は楽しみですよ。

五輪アスリートなんて、4年に一度を人生の最大の目標にしていたから、今はもうパニックですよ。そういう彼らには今回の新型コロナウィルス感染拡大は非常に気の毒ですが、ここで一発逆転できる人間も出てくるはずです」

──それが祖根選手にも当てはまると。

「勿論です。祖根選手だけでなく、今、ブレることなく何かに取り組む選手は皆チャンスがあると自分は思っています」

──では逆に勝った後藤選手には何を期待したいですか。

「この強さを、どこまで見せてくれるのか。殴る実感が拳(ケン)にあるロシア人やブラジル人にも、アレができる選手になってほしいですね。その前に国内レベルでも組みが強い選手に、どう対応できるのか。パンチから組む選手、どっちも使って組める選手、パンチはダメだけど蹴りから組める選手、そういう組みの強い選手と後藤選手がどういう風に戦えるのか……特に蹴りもパンチもデキて、組んでくる選手との試合が見てみたいです。それを今回のように戦えると、後藤選手──凄く楽しみですね」

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Bu et Sports de combat Interview J-CAGE ONE Road to ONE02 ブログ 岩﨑達也 後藤丈治 祖根寿麻

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。後藤丈治✖祖根寿麻─壱─「質量に差」

Goto vs Sone【写真】試合開始直後からキャリアも各も関係なく、構え、間、質量ともに後藤が祖根を上回っていた(C)MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──後藤丈治✖祖根寿麻とは?!


──この試合はパンクラスではプレリミ中心でキャリアを積んできた4連勝中の後藤選手が、修斗で環太平洋王者になるもRIZINと修斗で4連敗中の祖根選手とのマッチアップでした。

「キャリア的には祖根選手が格上ということですね。この試合だけで見ると後藤選手の方が評価は上の選手と思うくらい、質量に差がありました。構えた時点で、完全に後藤選手の間でした」

──サウスポーの後藤選手が、前に出てくる祖根選手にパンチを当てる。序盤からそのような流れでした。

Goto vs Sone 02「後藤選手は構え、間、内面の質量と全て良かったです。あの場で見える質量の違いは、

明白でしたね。こうなるとキャリアとか、関係なくなってしまいます。それにあの左のパンチは一発でKOできます。それを後藤選手は打ち合いのなかで出せる。強かったです」

──途中、頭突きがあり再開後のみ祖根選手のパンチに真っすぐ下がり、組まれてケージに押し込まれました。不可抗力とはいえ反則です。それにより、受けた方の質量が下がるということはあるのでしょうか。

Goto vs Sone 03「頭突きでダメージがあったかどうかは画面では判別できなかったですが、後藤選手は決して下がったわけじゃないです。あれは祖根選手が入れたんです。下がると、入るはまた違うんです。

そういう風になったのは、あの直後だけ後藤選手の質量は下がったからです。金的にしても頭突きにしてもダメージのあるなしを抜きにして、された方が再開後は不利に動いてしまうことが多いです」

──そういうものですか。

「もらった側がリスタート後は、不利に動いてしまう。ここは選手やチームの人達も頭に入れて戦うべきだと思います」

──では祖根選手はあの場面ではケージに押し込むよりも、殴りに行った方が良かったのですか。

「ハイ、その通りです。正論を言えばその通りです。祖根選手の間だったのは、あの試合ではあの局面だけでしたから。とはいっても、殴りにいっても打撃は完全に後藤選手の方が上でした。だからテイクダウンに行くなら、テイクダウンを取り切る。そこは後藤選手の寝技や、祖根選手の寝技の技量によってくるのですが、あの試合を見る限りはそこに拘るべきではなかったのかと思います。

ただし、あの場面で組みに行って押し込んで、テイクダウンを狙うというのは、キャリアのある選手がパッケージでMMAを体に馴染ませ、パターンで攻めてしまうようなことかと。それってどの競技にもあることで。結果、組まれてケージを背負っている時に頭突きのダメージがあったとしても、後藤選手は休めたと思います。

Goto vs Sone 05それでも祖根選手はワンテイクがとれた。あそこのワンテイクは、祖根選手にとって非常に大切だった。

でも、MMAの王道のようにスクランブルの展開を疑いもせず受けいれた。倒してから、技術面はともかく絶対に抑えるという意識は見られなかったです。そして後藤選手が立ってアームロックから離れて、打撃の間合いに戻った。この時には、両者の関係は試合開始直後と同じになっていました」

──ここからは後藤選手は左だけでなく、右、そしてボディや前蹴りも入っていました。

「3月のプロ修斗で行われた内藤頌貴選手と渡辺健太郎選手の試合は、最後に渡辺選手の間になったのですが、今回の祖根選手にはそういうこともなかったです。パンチだけでなく、腹への右の前蹴りが効いていましたね。

Goto vs Sone 06後藤選手は蹴りもパンチも使える。ただし、蹴れる状態であっても強く蹴る気はなかった。それでも足も手も使える人間は、両方使えるようになります。そのなかで右の前蹴りは、祖根選手は見えていなかったですね。

左を当てて、右も当てていた。後藤選手は躍起になることなく、そのまま戦っていると左が当たって勝てるのが分かっていたと思います。

Goto vs Sone 07出て打つのか、その場で打つのか、下がって打つのか。

相手が来る時に、その場で打てば良い。相手が来る時に出ようとして、先の先を取られやられることは多いです。だけど後藤選手は前に出ない。その場で当てて倒せると分かっていた。

セコンドの長南さんも「打ち合うな」という指示も出していましたし、後藤選手もその場で打っていました。祖根選手が前に出てこうとしていたので、その場で打てば良かったので」

──祖根選手としては、間合を外すとかそういうことが必要だったのでしょうか。

「下がって逃げるのではなく、下がって打てば間を取れることはあったかもしれないです。それも、後藤選手が追いかけるようなことがある場合ですね。でも、後藤選手はその場で打っていたでしょう。あれは理想的です。

Goto vs Sone 09そして、祖根選手は前に出て打たれた。あの質量で前に出ると、やられます。そして後藤選手の間なのに、シングルレッグを仕掛けて、組み技のことは詳しく分からないですが、ニンジャチョークでやられてしまいましたね。

あそこでシングルレッグというのも、殴られてダメージがある状況でMMAのパターンですよね。もう後藤選手は準備できていました」

<この項、続く>