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Interview J-CAGE Special The Fight Must Go On ブログ 内藤頌貴 岩﨑達也 渡辺健太郎

【Bu et Sports de combat】武術的な観点で見るMMA。内藤頌貴✖渡辺健太郎 「効かせて、一旦外す」

Nobutaka Naito【写真】常に左を狙い、質量も高かった内藤(C)KEISUKE TAKAZAWA/MMAPLANET

MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。

武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。

武術的観点に立って見た──内藤頌貴✖渡辺健太郎とは?!


──内藤選手はサウスポー、渡辺選手はオーソで一発のある選手です。

「序盤は様子見ではあるのですが、質量が高いのは内藤選手です。渡辺選手のように飛び跳ねように小刻みに動くと、どうしても質量は下がります。その動きで相手を翻弄できるなら良いのですが、あの試合では翻弄はできていなかったですね。TJ・ディラショーやドミニク・クルーズ、フランキー・エドガーの小刻みな動きはパンチを打つため、蹴りを蹴るため、テイクダウンを仕掛けるため。そういうことができる選手もいます。

ただし、この時の渡辺選手はこの動きから、パンチを出すような状態ではなかったで。パンチを出す時には足が止まってしまっていたので、そこは明白でした。パンチを打とうとすると、足の動きは止まる。ただし、戦っている内藤選手がそこまで観えているかどうかは分かりません。後から映像で見たり、セコンドでいると観えるのですが。だからこそ、セコンドはその状態が観えることが必要になってくると私は思っています」

──では内藤選手の動きはどうだったのでしょうか。

「内藤選手は逆に動きは多くないですが、常に左を狙っていました。質量も良いです。渡辺選手のパンチは届かない、遠くに感じていますよね。ただし、内藤選手も結果論ですが……左を狙い過ぎている感じです」

──質量が高く、圧力も掛けている。だけど狙い過ぎになる。

「戦いで勝つことでいえば内藤選手はこれで良いんです、本来は。内容で圧倒していますから。でもMMAは試合タイムが限定されているので。3回の5分間で勝つ、ジャッジがいる競技で勝つには蹴りを出す、右も使う。そういうことが必要になるのが、競技格闘技の難しいところなんです」

──そこにもまた競技と武術の違いあるわけですね。

Naito vs Watanabe 01「と同時に蹴りを鍛える、右を鍛えるということが、左のパンチをより有効にするために必要なのに、一歩間違えると蹴りのために蹴りの練習をし、右を強くなるための右の練習になり、左の良さをスポイルする可能性もあります」

──あぁ……。

「いや、競技って難しいですよ。ホントに。だから、この局面でも左が生きる攻撃があれば、より5分間を取る効果的な試合ができるのではないかと思います」

──内藤選手はローでもミドルでも、左の蹴りは持っているのですが、序盤は使っていなかったですね。

「攻撃が途切れると感じたのか、内藤選手がそう思って動いていたのでしょうね。様子見の段階でもあったし。3分前後の動きで、左ローのフェイントをかけた時に渡辺選手が反応した。そこに左を出せれば最高ですよね。そういう意識をもって蹴りとパンチの稽古をしていると、それが自然にできますし。その直後の左ストレートを当てて、右フックにつなげた動きなどは本当に良かったです。アレは左の威力で、右につなげているというコンビネーションでした」

──内藤選手は削り合う、厳しい展開になる覚悟で試合の臨んでいたと試合後に話していました。

「でも一方的でしたよ。質量は全然違っていて。こうなってくると、途中から渡辺選手は序盤に見せた小刻みな動きがなくなっていました。あの動きが効果的でなかったから、劣性になると続けることはできなくなる。と同時に、内藤選手も自分が攻勢になると、どうしても隙ができる。いや、戦いってそういうものなんです。

効かすと、隙ができることがある。だから、この局面は渡辺選手が流れを変えることも可能でした。左ミドルとか、渡辺選手は右を合わせることができた。そういうビジョンをチームとして持っていたのかも重要な点かと思います。自分の攻撃と、相手の攻撃をかわす。この2つを連動させた稽古は、MMAには欠かせないと考えています」

──そして試合は終盤に入ります。

Naito vs Watanabe 02「最後の30秒で渡辺選手が前に出た時、内藤選手が左で迎え撃った。パンチは当たらなかったですが、後の先で良かったです。ダウンを奪ったワンツーもそうですね。下がって打てている、非常に良い攻撃でした。ただし、渡辺選手はここからがチャンスであったんです」

──えっ、そうなのですか!! 最後の抵抗、一か八かの殴り合いに持ち込もうとしてパンチを被弾したように見えたのですが。

「ハイ、だからなんです。ダウンを奪ったあと、勝負をつけるために内藤選手は打ちにいっています。ずっと良く戦っていた内藤選手でしたが、最後の最後の距離の詰め方は危なかったです。勝っているなかで、あれだけ打ちにいくことで渡辺選手が一か八かで打ち返したパンチがドンピシャで当たり、逆転される可能性が出てしまった。

Naito vs Watanabe 03最後の詰め方だけ、間は渡辺選手になっていました。殴られて倒れた渡辺選手ですが、その前の左と右、あれは良かったです。逆を言えば打ち勝った内藤選手ですが、最後の方のパンチは打ち方も乱れて何が起こるか分からない間でした。

特に内藤選手は右の空振りが増えた。この間は渡辺選手の間で。ただし、戦っている選手はそうなります。残り10秒、あそこで仕留めようと。セコンドもそうなる。そして、隙が生まれる。でも渡辺選手も気付かないで戦う。そうですね……そこにピンチがある、そこにチャンスがあるということを意識することも稽古でできます。

以前、松嶋こよみがそうやってロランド・ディにフィリピンで負けました。効かせたと思った時、一度外せる選手。それはもう強い、盤石です。かつてのミルコ・クロコップがそうでした。

効かされた選手は考え無しに出てくる。ならば効かせた方が同じ考え無しの土俵で戦う必要はないんです。一度、外せば観えていない、考えられない相手にはパンチは当てやすくなっているはず。

間が渡辺選手でも、勝ったのは内藤選手。それはあくまでも「間」を軸においてMMAを見た場合です。でも、そんなことばっかり言っているとMMAも面白く見られないですよ(笑)。それは理想論で──人間同士の戦いで、感情があるからこそ、競技は色々なことがおきる。そこで逆転があるから、皆が喜んでMMAを見る。

と同時に武術は見ている人間はいない。感動させる必要もなく、ただ我を護るのみ。その要素が入ると、逆転負けも減る。そこが競技と武術の融合かと考えています」

──なるほどぉ。人前で戦うことで、もう差があるけど共通点もあると。

「そうですね。それに渡辺選手も最後に彼の良さが本当は出ていた。負けた直後は自分を全否定してしまうかもしれないですが、良いところもあった。最後の負ける直前にあの左と右が出せる。その自分の力を認めて、次に挑んで欲しいです。あのカウンターが打てるなら、渡辺選手はカウンターを打てる状況作り、そこができればもっと勝てる選手です。

あの最後の打ち合いは、渡辺選手からすると一度倒されたから偶発的に起こりました。打ち合いのなかでも、手は出しても倒すつもりで出せていたのか。倒すつもりのパンチだと質量も変わります。ピンチはチャンス、そこは私も研究し続けているところです」

──勝った内藤選手とすれば、課題も見つかった勝利でそれも素晴らしいことかと思います。

「ハイ。序盤の素晴らしい戦い、あれを殴る気でいる相手に見せることができるのか。内藤選手はストライカーですから、あの戦いを海外のストライカーともできるようにならないといけない。殴る気のある相手に、殴ることができるのか。パンチが交錯する前後の創りから、それ以前の創りを練る。それは永遠のテーマです。そこを想定した稽古が、試合に出る選手は必要になるかと思います」

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Interview ONE ONE90 Special The Fight Must Go On エディ・アルバレス チャトリ・シットヨートン ティモフィ・ナシューヒン ブログ

【The Fight Must Go On】Must Watch !! チャトリのおススメ、ONEを知るための5番勝負─02─

Eddie vs Timofey【写真】まさかというシーンが、初めてライブでONEを観戦する日本のファンの目の前で起こった(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第18弾はMust Watch!!  このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

前回に続き、ONE Championshipのチャトリ・シットヨートンCEO&会長が「ONEを知るために日本のファンに視て欲しい5番勝負」から2試合目を。

※ここで紹介する試合は、オフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれません。


Eddie vs Timofey 02チャトリが選んだ「ONEを知るために日本のファンに視て欲しい5番勝負」、2試合目は2019年3月31日、ONE90=初の日本大会で行われたライト級ワールドGP準々決勝、ティモフィ・ナシューヒン✖エディ・アルバレスの一戦だ。

チャトリのMust Watch 02、ナシューヒン✖アルバレスの選択理由は以下の通りだ。

チャトリ・シットヨートン
「この試合の前に多くの人がONEチャンピオンシップのレベルは、UFCと比べてどうなんだろうという風に見ていたと思う。私はずっと同じだと言い続けてきた。だからONEとUFC、世界王者対決が見たいと言ってきたんだ。UFCファイターがONEで戦うようになり、その初戦は皆が大苦戦を強いられている。

デメトリウス・ジョンソンですらそうで。セイジ・ノースカット、エディ・アルバレス、ユーシン・オカミ達は敗れている。ONEでの高いでダメージを皆が受けている。私にとって世界のベストオーガナイゼーションはUFCとONEチャンピオンシップであり、西のベストと東のベストが雌雄を決するクロスプロモーションができる日が来ることを望んでいる。それはきっと、世界中のMMAファンが目にしたい試合だと思うよ」

ONEオフィシャルホームページで視られる──この試合の動画はコチラ(2時間20分より)から

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Interview ONE ONE73 Special The Fight Must Go On オンラ・ンサン チャトリ・シットヨートン ブログ 長谷川賢

【The Fight Must Go On】Must Watch !! チャトリのおススメ、ONEを知るための5番勝負─01─

N Sang vs Ken Hasegawa【写真】灼熱の館内。熱気と熱さで、両者は体力とともに精神力が削られながら戦い続けた(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第17弾はMust Watch!! このスポーツの著名人が、改めて視聴することを薦める試合を紹介したい。

ここではONE Championshipのチャトリ・シットヨートンCEO&会長が「ONEを知るために日本のファンに視て欲しい5番勝負」から最初の一番を。

※ここで紹介する試合はオフィシャルホームページやオフィシャルYouTubeチャンネルで誰もが無料で視聴できるファイトに限っており、違法でアップされた試合は含まれません。


チャトリが選んだ「ONEを知るために日本のファンに視て欲しい5番勝負」、最初の試合は2018年6月29日、ONE73で行われたONE世界ミドル級選手権試合=王者オンラ・ンサン✖チャレンジャー長谷川賢の一戦だ。

チャトリのMust Watch 01、ンサン✖長谷川の選択理由は以下の通りだ。

チャトリ・シットヨートン
「オンラ・ンサンとケン・ハセガワの試合は、2人の精神力の強さが見られた試合だった。2人とも疲れて、ボロボロになりながらファイティング・スピリッツ、武道道精神を見せてくれた。最終回までもの凄くエキサイティングな試合だったよ。一進一退の接戦で、本当に大好きな試合だ。

あの時点でオンラにとって、ケン・ハセガワとの試合は最も過酷な試練だったんだ。そして、この試合に勝つことでさらに精神的にも肉体的にも成長したオンラは、リマッチでケン・ハセガワに完勝することになったんだ」

ONEオフィシャルホームページで視られる──この試合の動画はコチラから

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Special The Fight Must Go On イワン・ゴメス インジオ エリオ・グレイシー オズワウド・ファダ カーウソン・グレイシー カーロス・グレイシー ジョアォン・アルベウト・バヘット ジョルジ・グレイシー ブログ ペドロ・エメテリオ.ルイージ・フランサ・フィリョ 前田光世 矢野武雄

【The Fight Must Go On】MMA歴史探訪。伝えられなかったマスター・ファダとスブービオ柔術─02─

01【写真】1956年当時のオズワウド・ファダ、ブラジル北部ではバーリトゥードが頻繁に行われた時代──ファダはグレイシー・アカデミーに対抗戦を持ちかけていた(C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第16弾は歴史探訪、もう1つのブラジリアン柔術=ファダ柔術を振り返るPart.02をお送りします。

世界に伝わらなかったもう一つの──前田光世からブラジルに伝わった柔術とは……。

<MMA歴史探訪。伝えられなかったもう一つのコンデ・コマから伝わった柔術─01─はコチラから>


右からカーウソン、エリオ、カーロス、1人おいてジョアォン・アルベウト・バヘット

右からカーウソン、エリオ、カーロス、1人おいてジョアォン・アルベウト・バヘット

グレイシー・アカデミーがリオブランカ通りに開かれる5年前、1920年にオズワウド・バチスタ・ファダはこの世に生を受けた。

ファダが柔術に出会ったのは、1937年のこと。当時17歳だったファダは、ブラジル海軍でボクシングの練習をしていた折り、海兵が見たこともない格闘技の訓練をしているのを目にした。

それこそが前田光世の格闘術を学んだルイージ・フランサ・フィリョが指導する柔術だった。何もコンデ・コマはベレンでグレイシー兄弟だけに指導したわけでなく、またカーロスのように前田から授かった柔術を他の人間に教える立場になる人間がいてもおかしくない。さらにいえば日本からブラジルに渡り、そのままブラジルに骨をうずめた柔道家もコンデ・コマ一人ではない。

インジオのバーリトゥード

インジオのバーリトゥード

関口流柔術から講道館に入門し、第日本武徳会柔道教授となった磯貝一十段の教え子といわれる矢野武雄。

彼の下からは柔術家ではなくイワン・ゴメス、フランシスコ・ペレイラ・ダ・シウバ=インジオという1950年代を代表するバーリトゥード・ファイターが育ち、ビニシウス・フアス~マルコ・フアスというルタリーブリに通じる人脈に、サタケ(佐竹信四郎か?)という講道館柔道が関係しているという話もある。

ペドロ・エメテリオ✖ヴァウデマウ・サンタナの柔術マッチ

ペドロ・エメテリオ✖ヴァウデマウ・サンタナの柔術マッチ

ホリオン・グレイシー編纂の柔術&バーリトゥード史における1950年代とは木村政彦✖エリオ・グレイシー、エリオ・グレイシー✖ヴァウデマウ・サンタナ、カーウソン・グレイシー✖ヴァウデマウ・サンタナが重大出来事だ。

しかし、実際にはジョアォン・アルベウト・バヘッド、ペドロ・エメテリオらも含めグレイシーアカデミーの精鋭が活躍したリオやサンパウロよりも、バーリトゥードはブラジル北部・東北部で盛んだった。

ここでトップとして活躍していたファイターのルーツを辿ると、必ずといって良いほどパラ州ベレンの前田、リオグランデノルチ州の矢野、そしてバイーア州のカズオ・ヨシダなる日本の柔道家を源流としていたという。

ジョルジ・グレイシー

ジョルジ・グレイシー

その前田光世をルーツし、リオデジャネイロに伝わった柔術はカーロス・グレイシーとエリオ・グレイシーは今も昔も変わらず、裕福な人が住むリオ南部に広め、彼らと確執した四男ジョルジ・グレイシーはサンパウロへ。

ブラジルの商都にはカーロス&エリオ派からガスタォンJrがアカデミーを出し、カーロスが見出しエリオが育てた小兵エメテリオがグレイシー柔術を広めていた。

リオ北部で柔術の普及にファダは務めた

リオ北部で柔術の普及にファダは務めた

そんなかルイージ・フランサ・フィリョの下で柔術を学んだファダは、南リオのヒキーニョ(金持ち)がスブービオと蔑むリオデジャネイロの北部地区で柔術の普及に生涯を捧げていた。

その一方で、リオを離れたルイージ・フランサ・フィリョの足跡を知る者はいない……。

Jiu-jitsu e a queda de compexos=ジウジツ・イ・ア・ケダ・ジ・コンプレクソス(誰にでもできる柔術)──という想いとともに、人生を柔術に捧げたマスター・ファダとスブービオ柔術の歴史を振り返りたい。

──ここからは2005年9月発売のGONG Grapple #03、「スブービオ柔術よ、永遠に。PARA SEMPRE JIU-JITSU do SUBURBIO」を再録及び加筆してお送りします──

コパカバーナ、イパネマ、巨大なキリスト像が1年中夏の暖かい陽射しを浴びるコルコバートの丘。日本人にとってリオデジャネイロとは、これらの観光スポットを指すだろう。 
一般の人よりも、ずっとずっとリオに詳しいブラジリアン柔術家、あるいは愛好家なら、レブロン、ラゴア、バッハなど有名柔術アカデミーがある街の名前もインプットされるに違いない。

ここに挙げた街の名前は、遥か頭上で両手を広げているキリスト像の眼が届く範囲、つまりリオの一部でしかない。日本でも購入できるガイドブックに地図が掲載され、明るく楽しいイメージを持つ(実際には数々のファベイラがあり危険度は年々高まっている)、リオの表の顔だ。

リオデジャネイロにはキリスト像が背を向けた裏側が存在する。ベントヒベイロ、ヴィラダペーニャ、カスカドゥラ、ハモス、マドレーラら日本人にはまるで聞き覚えなない名を持つリオの北側の地域。バッハやイパネマに住むカリオカは、それらの街の名を一つ、一つ挙げることはない。

彼らは「スブービオ(郊外)」という総称で、リオの北側の街々を呼ぶだけだ。本当のところはどうか分からないが、スブービオには蔑称に近い響きが感じられる。きっと意識外のところで、南側の人間はスブービオに住む人々を蔑んでいるはずだ。例外はあるとしても一般的に南は裕福な地域で、スブービオは貧しい――。スブービオの住民は南の住民のことをヒキーニョ(金持ち)と呼んでいる。

スブービオの人間の前で、ヒキーニョが「スブービオは道がごちゃごちゃで、どこに危険が転がっているか分からないから、車で行きたくない」と、平気な顔をして言ってのけたことがあった。この2人は柔術やMMAを通じて信頼しあった友人関係があるとしか、第三者であり外国人の自分には見えなかったのだが。 

この時スブービオの人間は、少し困ったような笑顔を浮かべていた。ヴィラダペーニャ出身のM・Dは、ヒクソン・グレイシーとウゴ・デュアルチがストリートファイトを行なった──バッハのぺぺビーチに行くときに、何度も同じ場所を行ったり着たりしたことがある。

M・Dは、ヒキーニョのM・Aとは対照的に、高級住宅街を走り慣れていなかった。ようやくビーチに辿り着くと、「こっちの連中は毎日、ビーチバレーとサーフィン、パーティだ。親が金持ちで良かったよな」と眩しいばかりの陽の光から視線をずらして呟いていた。その言葉の響きには、確かにビーチで遊ぶ人々に対して怒気が感じられた。

話が横道に逸れすぎたかもしれない。オズワウド・ファダと彼らの柔術が世に伝わってこなかったのは、つまりは……こういうことだ。地球の裏側に住む、我々には想像もつかない、同じリオデジャネイロという都市の住人の感情の持ち方。貧富の差が生んだ地域格差は、言うまでもなく簡単にカタがつくような問題ではない。グレイシーはヒキーニョで、オズワウド・ファダはスブービオの人間だった――。

<この項、続く>

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Jiu-Jitsu University Special The Fight Must Go On サウロ・ヒベイロ シャンジ・ヒベイロ ブログ

【The Fight Must Go On】Amazonで星4.9のサウロ・ヒベイロの柔術が詰まった一冊「Jiu-Jitsu University」

Jiu-Jitsu Univ【写真】ノーギ、MMAにも使える技も少なくなく、競技柔術的でありながらその本質が見られるサウロ・ヒベイロらしい技術解説書となっている (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第15 弾は必読の技術書紹介第3回として「Jiu-Jitsu University」を紹介したい。

Amazonのカスタマーレビューが1066件で星4.9という驚異の高評価を受ける技術書とは!!


「Jiu-Jitsu University」──カリフォルニア州サンディエゴにあるサウロ・ヒベイロ率いる柔術アカデミーの名称そのもの柔術の手引き。サウロの語りを教え子で2008年の上梓当時は紫帯だったケヴィン・ホーウェルが纏めたオール4色、370ページからなる超大作だ。

技術解説は第一章(ホワイトベルト)~第五章(黒帯)と5つのチャプターで構成されており、第四章は教え子のパウロ・パウロ・ギロベル以外はほぼ多くの受けを実弟シャンジ・ヒベイロが務め、またごく一部のみディエゴ・モラエスとジョー・ヴァンブラックルのコンビが実演をしている。

技の解説文は全てサウロの1人称で説明されており、非常に分かりやすい。英語のリスニングやスピーキングが苦手なMMAファン、柔術家の方でも十分にリーディングできるだろう。

Jiu-Jitsu Univ02白帯から黒帯へと変化する技術だがサバイバル→エスケープ、ガードワーク、パスガード、サブミッションという順序になっているのも、またサウロの柔術哲学を表している。

本著の素晴らしい点は、先に記したようにオールカラー、説明写真は多くの場合が2つの角度から撮影されており、並行して配置して説明がなされる。

加えて間違った例の解説もしっかりとされている点も詳しく解説がついている。さらに受けと重なる場合は受けのいない──エアー〇〇という状態での連続写真も数多くあり、技術書としての完成度は外国の書籍は随一といえる。

40種類の技術が、一つの技は最大22項目に渡るなど、多岐に渡るパターンの解説が加えられているのも嬉しい。その紹介されている技術はもうサウロならでは。第1章=サバイバルで見られるバックからの生き残り方法などは、日本のトップMMAファイターとサウロの下を訪れた時に、彼らがその説明を受けて目から鱗が落ちるという表情を浮かべていたのと同じ技術が紹介されている。

Jiu-Jitsu Univ03全編道着着用だが、カラーチョークやラペラを使った技以外は、袖や裾を掴むということはほとんどなく。ヒジの裏を押す、手首を掴むというようなノーギで使える技術が満載。

またマットへの手のつき方や、ヒザで相手を制するポイントなどMMAファンやファイターも必読の技術書──「Jiu-Jitsu University」はサウロの柔術が詰まっている1冊だ。

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Special The Fight Must Go On エリオ・グレイシー オズワウド・ファダ カーウソン・グレイシー カーロス・グレイシー コンデ・コマ ブログ 前田光世

【The Fight Must Go On】MMA歴史探訪。伝えられなかったもう一つのコンデ・コマから伝わった柔術─01─

01【写真】グレイシー・アカデミーに挑戦を表明したファダ(中央)と生徒たち、1954年とされる (C) MMAPLANET

02国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。

個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第14弾は歴史探訪、もう1つのブラジリアン柔術=ファダ柔術を振り返ってみたい。

世界に伝わらなかったもう一つ、前田光世からブラジルに伝わった柔術とは……。


031904年、講道館より富田常次郎を団長とした柔道使節団が渡米し、その一員だった前田は米国、英国、フランス、ベルギー、キューバ、メキシコ、南米諸国で他流試合を繰り返し、スペインでコンデ・コマの異名を持つようになる。

その後、ブラジルに渡り2017年にベレンで土地の有力者ガスタォン・グレイシーの長男であるカーロス・グレイシーがコンデ・コマに柔術の指導を受ける。リオデジャネイロに移ったカーロスは、オズワウド、ガスタォン、ジョルジ、そしてエリオの4人の弟に柔術を指導し始め、1925年にリオのリオブランカ通りにグレイシー・アカデミーを創設する。

左からエリオ、カーウソン、カーロス

左からエリオ、カーウソン、カーロス

その後、五男エリオがバーリトゥード(何でもあり)や柔術マッチで戦い、他競技との戦いに勝利することグレイシー柔術を広めた。

この間、木村政彦に柔術マッチで敗れたエリオだが、柔よく剛を制す、小さい者が屈強な相手を倒すという護身ベースの格闘術を大いに発展させた。

年老いたエリオに代わり、カーロスの息子カーウソン・グレイシーがエリオを破ったヴァウデマウ・サンタナに一族としてリベンジを果たし、グレイシー最強の座に就く。

カーウソンが一族最強だった時代。エリオは息子、甥、年の離れた従弟の指導をしていた

カーウソンが一族最強だった時代。エリオは息子、甥、年の離れた従弟の指導をしていた

一族最強の座は若くして夭逝したカーウソンと同じカーロスの息子ホーウス、エリオの三男ヒクソンに継がれる。

ヒクソンはバーリトゥードでレイ・ズールという強豪を連破。

さらにリオのペペビーチで天敵ルタリーブリのウゴ・デュアルチをストリートファイトで破り、グレイシー柔術の地位をブラジル国内で絶対のモノにする。

これらグレイシーの歴史は、1993年11月28日に第1回UFCを開催したエリオの長男ホリオンが、六男ホイスの優勝でグレイシー名を世界に広めるのと同時に、発信したグレイシー柔術の歴史だ。

UFCとホイスの優勝で柔術を知ったブラジル以外のメディアや格闘技関係者は、ホリオンとホイスの語るエリオ・グレイシー中心の柔術物語を柔術正史として受け止めるしか術はなかった。

その後、ホリオンが語らなかった柔術の歴史も、徐々に紐解かれていく。一族最強を継承した兄弟カーウソンとホーウスは、それぞれが指導者となり、前者はグレイシーの世を持たない一族外で柔術家を育成し、後者は弟たち、従弟、甥と一族内のリーダーとなる。彼の死後に彼を継いだカーロスJrが、グレイシーバッハという柔術界の講道館といっても過言でない道場ネットと組織を創り上げた。

後列左からホイス、ヘウソン、ホリオン、チャック・ノリス、ヒリオン、ホウケウ。前列左からホイラー、ヘンゾ、ヒクソン、カーロス・マチャド

後列左からホイス、ヘウソン、ホリオン、チャック・ノリス、ヒリオン、ホウケウ。前列左からホイラー、ヘンゾ、ヒクソン、カーロス・マチャド

カリーニョス(カーロスJr)はブラジル国内でCBJJと組織を発足させ、今や世界の競技柔術を司るIBJJFに発展している。

CBJJが生まれる以前から21世紀に初頭の競技柔術、UFC前のバーリトゥードでブラジル国内を席巻したがカーウソンの教え子たちだ。

エリオの息子たちは四男のホウケウを除くと、80年代から90年代に米国を目指した。

1980年代にカーロス直系のグレイシーバッハ、カーウソン、そしてエリオ系のグレイシー・ウマイタとグレイシー柔術内に3つの軸が確立され、その3派とも違った特色を持つパワーハウスがあったことで、UFCで広まった柔術は一時の流行に終わらず、しっかりと世界中に根付く大きな要因になっていることは間違いないだろう。

ここで柔術もMMAもグレイシーによって知った我々メディアは、MMAと柔術の余りにも劇的な発展と伝播を追うことで、自分たちの目の前で世界に広まった競技に対して、その成り立ちに大きな穴が開いていることを、10年以上も気付かなかったのである。

コンデ・コマにはグレイシー以外の教え子がいて、然り。その教え子がグレイシー一族の手によらない、コンデ・コマに終わった柔術をブラジルで指導していてもおかしくないということを……。

06グレイシーの流れをくまない、もう一つの柔術──ファダ柔術は確かに存在していた。グレイシーによりブラジル国内から世界中に広まった柔術では、もう一つの柔術の存在はまるで黒歴史のように語り継がれることはなかった。

この忘れ去られていたもう一つの柔術が、再び脚光を浴びるようになったのは、皮肉にも「庶民」へ、「誰でも出来る」柔術の普及に生涯を捧げたオズワウド・バチスタ・ファダ師範が84年と8カ月に及ぶ、その生涯の幕を2005年に4月に閉じたことによってだった。

<この項、続く>

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Interview Special UFC ブログ ヘンリー・フーフト 佐藤天

【Special】新型コロナウィルス感染拡大で、ジムが閉鎖。フロリダの佐藤天─01─「ビーチから人が……」

Ten Sato【写真】 スティーブ・モウリー、ジムのマネージャーのトムさん、そしてリントン・ヴァッセルというチーム&ルームメイトと共に(C)MMAPLANET

今や新型コロナウィルス感染者数が世界一を数えるようになった米国。2100万人の人口を誇るフロリダ州は、フォートローダーデールに生活拠点を置く、UFCファイター佐藤天にフロリダの現状を尋ねた。

米国東部でもメリーランド州、ヴァージニア州とウィルス拡大の猛威が南下しつつあるなか、フロリダ州も1日に高齢者及び基礎疾患のある人は自宅待機、全州民に移動制限をデサンティス知事が発表し、3日から発効している状態だ。

そんななか佐藤からサンフォードMMA (ハードノックス)という絆、そしてヘンリー・フーフトのリーダーシップにより、皆がポジティブになれているという話が訊かれた。


──今回の新型コロナウィルスですが、フロリダにいる佐藤選手はいつ頃から目に見えて影響が出てきました。

「予定を早めて日本から3月8日にフォートローダーデールに戻ってきたのですが、次の週にスタンフォードの新しいジムに行ったら、その時点でヤバイ状況らしいということは伝わってきていました。

まだ緊急事態宣言が出ているわけではなかったのですが、ジムのスポンサーに病院もあって。一旦、練習を解散して『これからのことは後から連絡するから』という風になりました」

──米国ではトランプ大統領が3月13日に国家非常事態を宣言しました。そこからジムを閉めている状態ですか。

「ベラトールが中止になったりして、その週明けにはジムで10人以上集まらないようにということになりました。それでも皆で連絡して時間をずらして練習をしていたら、MMAだけでなくラグビーかアメフトの選手達も来ていて……」

──あぁ、10人以上になってしまったと。

「ハイ。車がたくさん停まっていたので、それを見た警察官がジムにやってきてすぐに帰宅させられました。それからはジムも閉められて、サンフォードMMA では練習できない状態です」

──街の様子も変わりましたか。

「非常事態宣言前は、それほど変わっていなかったです。飲食店も開いていたので、自分のルームメイトの1人はバーで働いていました。でも非常事態を宣言されてからは、もう飲み屋も完全にクローズになっています。平日から人が溢れかえっていたのですが、ビーチからも人がいなくなりました。今はもう車の往来もほとんどなくなっています。

ただ不必要でない外出以外はスーパーなどへの買い物も行けます、デリバリーやドライブスルーができる飲食店はオープンしていますし」

──それでも米国の人はマスクはしないのでしょうか。

「昨日、スーパーに行った時には大きめのマスクをしている人も増えていました。やはり人にうつしたくないですからね」

──佐藤選手の住まいは土足ですか。

「いえ、ファイターズハウスは土足ではないです。部屋に入る時には靴を脱ぐようにしています」

──土足だと色々なモノを持ち返って来るでしょうし、その違いもあるのかと思っていました。

「今はフロリダも、皆が守るべきことを守るという一定のルールに従っている感じですね。夜の9時以降は外出禁止になっていて、それを無視していると逮捕されることもあるようです。実際にフロリダの大きな教会の牧師が礼拝を続けていて逮捕されていますし」

──神様、地球を救ってとやっていて……逮捕される(笑)。

「アハハハ」

──本来は笑っていられないのですが……。

「そうですね……。実際に米国も感染者数が凄く増えていますし。チームメイトの家からそんな離れていないところの人が感染して、亡くなっています。危機管理という部分では……、罰せられるということは強制力がありますよね。自分たちも実際にそうだったので。

練習したいのは当然で、でも多く集まるのは危ない。ジムが閉鎖になって、ルームメイトたちと家で練習している形になりましたし。

そんななか、ヘンリー(フーフト)が僕らの家に来てくれて。きっと皆のところを回っているのでしょうが、『こういう状態だから今は少人数でデキる練習をして。またジムが使えるようになったら、5、6人が集まって時間をずらして練習をしていくようにしよう』と話してくれました」

──さすが気持ちの繋がりを大切とするヘンリーですね。

「あと、UFCは試合をしようと模索しているじゃないですか」

──ハイ、18日のNY のMSGでやる予定だったUFC249ですね。実際のところメインのカビブ・ヌルマゴメドフ✖トニー・ファーガソンのUFC世界ライト級選手権試合は実現しなさそうですが……。入国制限のない国の選手を集めているという情報もあります。

「ハイ、サンフォードMMA にもブラジルからビセンチ・ルケがやってきました。試合のオファーなど、明確な指示は今のところないようですが、試合を組む時に備えて早めに集めておこうということかと思います」

<この項、続く>

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SFL02 Special The Fight Must Go On アレキサンダー・シュレメンコ パット・ヒーリー ブログ ミノワマン ライアン・ヒーリー

【The Fight Must Go On】イベントプログラム・シリーズ─02─2012年4月7日、Supre Fight League@インド

SFL【写真】インドMMA界のパイオニア──Super Fight League (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第13弾はMMAPLANET夜明け前から一転、ただ単なるイベントプログラム・シリーズ……その第2回として2012年4月7日、Super Fight League(SFL)のパンフレットを捲ってみたい。


SFLはインド初のMMAプロモーションで、この1カ月弱前にムンバイで旗揚げ興行を行ったばかり。ロンドンで生まれ育ったインド人富豪のラジ・クンドラとインドのシルベスタースタローンことサンジェイ・ダットが共同オーナーだ。クンドラは今もアジアのプロスポーツ・リーグで最も資産価値の高いクリケットのインディアン・プレミアリーグに参加するラジャスターン・ロイヤルズのオーナーでもあった(※2015年に、八百関与でクリケット連盟より永久追放される)。

SFL02発足から3カ月にして、2度目のSFLには日本からミノワマンが出場し、メインでは後のUFCファイター=トッド・ダフィー✖UFC&Bellatorベテランのニール・グローブが組まれていた。

対戦カードから分かるようにストライクフォース&UFCで活躍したパット・ヒーリーの実弟ライアンが、元UFCの英国人選手=ポール・ケリーと第1試合で戦うなど、海外からの実力者や名前のある選手が集められ、まだMMAが始まったばかりのインド人ファイターはスリランカ人と戦うという二本立てのラインナップが用意されていた。

ただしデリーから北へ5時間のドライブで到着したチャンディガールという人口100万人以上の人工都市では、選手たちが滞在するホテルのレセプションだけでなく、クシュティ(ヒンドゥーレスリング)の練習生や指導者もMMAを知らないという状況だった。

SFL03クンドラはインド映画ボリウッドの人気女優のシルパー・シェッティと結婚しており、MMAを普及させるために銀幕のスターの力を大いに使った。シェッティの妹で彼女を上回る知名度を誇るシャミターでメディアの関心を高めようとした。

試合前日のパブリック計量では、その計量結果やルールミーティングにはまるで興味を示さなかったローカル・メディアは、シェミターの登壇とともに記者席のテーブルを飛び越え、我さきにとばかりステージにかぶりつき状態に。あちらこちらで口論や、小競り合いが見られる事態に陥っていた。

SFL06イベント当日も第1試合が始まるまで、自体もパンフレットで選手以上の扱いを受けていたラッパーや歌って踊れる芸能人のステージが1時間以上も続いた。

Minowaman肝心のケージの中はインド✖スリランカ対決と、国際戦のレベルの違いは明白だったが──自分は最後まで大会取材ができたわけではなかった。

第4試合に出場したミノワマンがアレキサンダー・シュレメンコのミドルで脇腹を負傷し、病院へ向かうことに。英語と日本語が理解できる人間が、レフェリーの島田裕二さん以外にいなかったことで──カメラバックを選手の控えテントにおいて、救急車で現地の病院に向かうよう大会関係者に請われたからだ。

この救急車サスペンションがガチガチに固く、ちょっとした路面の不具合が車内に直結する。大きく車が跳ねる度にワキ腹を抑え、苦痛でうめき声をあげるミノワマンには非常に申し訳ないが、「牛が来たら、救急車も止まるのか」などと自分は考えていた。

ミノワマンが搬送された病院がまた凄かった。救急車で運ばれたミノワマンは、ストレッチャーに乗せられたままで延々と待たされ続ける。そのあげくドクターは患部を触るだけで、痛み止めを打って終ろうとする。いやいや、「彼は明日5時間のドライブから飛行機で8時間かけて東京に戻るのだから、もう少しちゃんと見てくれ」とこっちも必死になる。なんとかレントゲン撮影までこぎつけ、患部にジェリーを塗ってエコー検査のようなモノを終えると、「骨には以上がない」と満足気な表情でペインキラーを注射した。

病院についてから、かれこれ2時間半は経過していただろうか……大会はすでに終わっており、ホテルに直接戻ってきてくれとSFL関係者から携帯に電話があった。我々が宿泊していた五つ星ホテルはパキスタンと国境を接している州ということもあり、常にXレイで持ち物の検査がある……と、その時になって初めてカメラバッグを持っていないことに気付かされた。

ミノワマンのセコンドだった伊藤崇文さんも、自分のバックは見なかったという。いや、カメラとレンズで60万円以上の機材なんですけど……。焦りまくり、徐々に「伊藤さん、そこは見ておいてくれよ。あんたが英語が分からないから、俺が病院に行ったんだろう……」だとか「ミノワマン、ミドル蹴られたぐらいで怪我すんなよ」、「インドになんか来るんじゃなかった」とロビーで人間の小ささを示さんとする感情に支配しれていた。と、ミノワマンと同じ控えテントだったライアンの兄パット・ヒーリーが、「病院に行ったと聞いたから、困るだろうと思って持ってきたよ」とバッグを肩から掛けて笑顔を浮かべている。

1994年、放浪中にウィーンで現金とトラベラーズチェックを合わせて100万円ぐらい入ったウェストポーチをトイレに忘れ、1キロほど猛ダッシュでマクドナルドに戻った時に、入り口の前で「きっと慌てて取りに来ると思ったよ」と待ち構えていてくれた店員さんと、この時のパット・ヒーリー──2人の天使のような笑みを決して忘れることはない。

閑話休題。

クンドラは翌年、経営に行き詰まりSFLを手放したが、新たなオーナーの下でその活動は2017年まで続いた。SFLを中継していたインド・スタースポーツは昨年4月からONEの各大会を放映している。ONEにはインドの女子レスリング界を変えた一族からMMAに転向したリトゥ・フォーガット、インド系カナダ人で五輪レスラーのアルジャン・ブラーのという手札がある。

Brave CFは既にインド進出を果たし、SFLのリアリティTVショー出身でInvicta FCとの提携で米国デビューを済ませたマンジット・コルカーを登用。カタンタラジ・ジャカル・アガサなど国際戦で勝利する選手もでてきた。

Raj「インドで2番目に人気のあるスポーツになれば、それで十分なマーケットが存在する。SFLのターゲットは中流層の18歳から35歳。この層だけで5億人の人口がいるんだ」というクンドラの言葉が思い出される。

中国の次はインド、これはもう明白だ。

ちなみに帰国後、ミノワマンは日本で診察をうけ脇腹の骨折と診断されている──。そしてミノワマン、伊藤さん、島田レフェリー、自分、帰国してから2週間以上、下痢が続いた。

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ONE Championship Special The Fight Must Go On エミリー・チュウ ブログ

【The Fight Must Go On】All Time Monday Ring Girl Top 5→第1位 たった1度のONE台湾大会 Emily Chu嬢

16 07 11 OFC18【写真】たった1度だけというので、さらに印象に残っているのかもしれないです(C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第12弾はMMAPLANET All Time Monday Ring Girlトップ5……1位のリングガールを紹介したい。

ごく一部で熱烈なファンが存在するMonday Ring Girlのトップ5を独断と偏見でチョイスしました。


MMAPLANET All Time Monday Ring Girl ──栄えあるかどうか分からないですが、第1位は2014年7月11日に開催されたONE Championship 唯一の台湾・台北大会のリングガールだ。

今回、この企画のためにONE War of Dragons、RING Girlで検索を掛けると、その名前がEmily Chuさんであることが判明。残念ながら、彼女がONEのケージサイドに姿を見せたのは、この1度だけだが、セックスアピールで勝負する風でなく、ファイトショーにおける紅一点とはまるで違ったイメージの女性でした。

特別感というか、リングガールとしては特に別な感じがあった彼女ですが、当時ゴング格闘技の編集をしていた某・亀池聖二朗くんに「すげぇ可愛い、清楚な感じのリングガールがいた」とわざわざ写真をメールすると、『僕の好みではないですねぇ。僕は東ヨーロッパ系の方が云々かんぬん』という返信が……。「ワレ、どの面下げてぬかしとんのじゃ!!」と思ったことも強烈に印象に残っています。

というわけ──で、今日初めて名前を知ったエミリー・チュウさんですが、6年を経て何をされているのか一切分からないですし、亀池のお眼鏡にかなわなかった清楚ぶりが健在なのか想像すらできないです。が、ONEが彼女を再起用することと、大好きな台北再上陸を願ってやみません。

18 07 11 OFC18 03

Emily

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Interview JJ Globo ONE Road to ONE02 Special ブログ 世羅智茂 青木真也

【Special】月刊、青木真也のこの一番:番外編─世羅智茂戦@Road to ONE 02「いつもと変わりなく」

Shinya Aoki【写真】ロータスはMMAグラップリング、IGLOOでピュアグラップリングを構築する青木 (C) MMAPLANET

過去1カ月に行われたMMAの試合から青木真也が気になった試合をピックアップして語る当企画。

背景、技術、格闘技観──青木のMMA論で深く、そして広くMMAを愉しみたい。世界的にMMAがストップした3月、試合数も激減したなか過去の試合をチェックするなど、変わらぬ情熱を見せる青木は、17日に東京都渋谷区の渋谷TSUTAYA O-EASTで開催されるRoad to ONE02で、世羅智茂とグラップリングマッチを戦うことが決まっている。

今、このタイミングで組み技を戦う青木に、自身の次戦について引き続き話を訊いた。


──世の中が揺れるなか、青木選手自身は世羅選手とのグラップリングマッチが決まっています。

「試合に関する向き合い方は、普段と変わりないです。最近、グラップリングが面白くなってきているので、一度やってみるのも良いなって。単純に面白くなってきています。もちろん、MMAの試合が決まっていればそっちを優先しますけど、楽しくなってきたグラップリングを試合で試すことができる。そこは単純に楽しみです」

──これまで青木選手がONEで行ってきたグラップリングは、どちらかというとケージグラップリング、MMAグラップリング的な要素が強かったと思います。今回の相手である世羅選手は純粋な柔術家、楽しくなってきたグラップリングを試すには壁にはこだわらない?

「ケージグラップリングではありますけど、相手によりますからね。マラット・ガフロフとやった時は相手がそれを望んできて。ゲイリー・トノンにはケージ中央でやられちゃいましたし。相手次第だから純粋グラップリングになる確率は高いと思います。それが楽しくなっちゃっています」

──世羅選手が座ってきても、対応できますか。

「できると思います。実際、日本にはグラップリングだけを戦っている人はいないし、そのなかで僕も純粋グラップリングの練習を週に一度やっているので。そういう意味でも良い対戦相手だと思います」

──正直なところ世羅選手とのマッチアップは意外でした。

「まぁ、色々対戦相手の名前は挙がりましたけど、現状でできる相手だと国内に限られてきて。そうなると、僕の方から特定の名前を挙げて組んでみたい相手はいないです。

そんななか関根(シュレック秀樹)さんの名前が挙がったことがありましたが、体重差もあって文脈が違い過ぎるだろうって(笑)。逃げたと言われると、まぁ癪に触るけど……。だって、僕のキャリアのアップデートにならないですからね。今、関根さんとグラップリングで試合をしても」

──エンターテイメント要素が強くなりますね。見た目の印象で。

「まぁ、しっくりとは来ないです。そういう試合があっても良いけど、僕が今グラップリングを真面目に取り組んでいるなかで、技術的にもアップデートしているので──ここはヘビー級の関根さんじゃないだろうって。自分の取り組みを良い形で試合に出したいから。

そうなると国内のグラップリングで一番強くて、名前があるのは岩本選手だと思っています。でも岩本選手とは週に3回、組み合う仲になっているので試合はできないですし」

──そして良い対戦相手、世羅選手との試合になったと。どのような印象を持っていますか。

「頑張る選手です。今成戦ではバックを取っているし、全く舐めたりしていないです。シリアスな勝負になると思っています。だから、世羅選手に頑張り勝ちたいです」

──世羅選手と今成選手の試合は、互いに警戒心が強い試合でした。

「僕はああはならないと思います。攻めたいので。まあ、そこは僕の宗教観で。攻めてこそ、ナンボという性分があるので攻めたいです」

──格闘技として楽しくなるには、世羅選手が青木選手の攻めをどれだけ遮断できるのか。そこが見所だと思っています。

Aoki & Iwamoto「僕としては、逆にそこを崩さないといけない。岩本選手や山中(健也)選手とIGLOOで練習できていることは財産になっているので、そこが上手く……技術的に出るかと思います。グラップラーの岩本選手、柔術家の山中選手、そしてMMAファイターの僕。

3つの宗教が混在していて、柔術、グラップリング、MMAとかなく、グラップリングマッチを戦います。本来は僕が技術をたくさん仕入れて引っ張らないといけないのですが、最近は教えてもらうことが多い。それが出る試合になるような気がします。練習でやっていることが出る。そういう試合になるでしょうね」

──自粛、延期、中止が合言葉となりつつある格闘技界。この現状で流動的(このインタビューをした時点で17日の無観客は発表されていなかった)ながら、試合があることについては。

「やるヤツはやる。どうなるか分からない部分はあるけど、そういう状況は関係なく、試合に向けてはいつもと変わりなくやります」