【写真】この11カ月をしっかりと話してくれました (C)TAKUMI NAKAMURA
25日(日)、東京都港区のニューピアホールで行われるFighting NEXUS 36にて、フェザー級王者の横山武司が初防衛戦で岸野”JUSTICE”紘樹と対戦する。
Text by Takumi Nakamura
横山は2022年11月にNEXUSフェザー級王者となり、2023年からRIZINに参戦。9月の摩嶋一整戦でプロ初黒星を喫すると、摩嶋戦後の練習中に網膜剥離の怪我を負い、長期欠場を余儀なくされた。初めての負けのショックと選手生命を左右する怪我が重なり、MMAからの撤退も脳裏によぎったが、大晦日のRIZINを見て復帰を決意。NEXUS山田峻平代表から防衛戦の提案を受けて、約11カ月ぶりの復帰戦が決まった。今回のインタビューでは復帰を決断するまでの道のり、そしてこれからのMMAファイターとしての目標を訊いた。
――昨年9月、RIZIN44での摩嶋一整戦以来、約11カ月ぶりの試合となりました。摩嶋戦後に目の負傷で長期欠場を余儀なくされたと聞いています。
「そうなんですよ。摩嶋戦の後に網膜剥離になっちゃって。もともと小さい頃から目が悪くて、レーシックもやっていて、角膜そのものが薄かったらしいんです。医者からは何かきっかけがあってなるもんじゃないから、蓄積されたダメージだとは言われたんですけど、練習のときにがっつりアイポークをもらったあとなんで、それで(網膜剥離になった)かなと思います」
――例えば摩嶋戦の前に違和感があったりはしたのでしょうか。
「いや、全然なかったです。摩嶋戦の練習でアイポークがあったところから目の調子がおかしくて、1週間後ぐらいに完全に目が見えなくなって、びっくりしました。いきなり朝起きたら目が見えなくったんで」
――具体的にはどういう状況だったのですか。
「アイポークがあってしばらくはちょっと目がかすむなって感じだったんですよ。それで1週間ぐらい経ったときに嫌な夢を見て、びっくりして起きたら目が見えなくなってたんです。目のレンズの一部、25パーセントぐらいが真っ暗みたいな感じで。で、その真っ暗な部分が時間が経つにつれて大きくなってきて、これは絶対にやばいやつだと思ってすぐ病院に行きました」
――自然治癒じゃ無理だと判断して病院に行った、と。
「はい。最初に診察を受けた病院で網膜剥離と診断されて、すぐ大学病院に行って手術をしてもらいました。本来は1週間ぐらいで退院できるそうなんですけど、他の場所でも剥離しているのが見つかって。その箇所の手術が結構大がかりなものだったので大変でしたね。結局1カ月ほど入院して、運動してもOKになったのが半年後くらいでした」
――選手生命を左右する怪我だったと思うのですが、何か格闘技に対する向き合い方は変わりましたか。
「実は目が見えなくて入院した日に、嫁の妊娠が発覚して。嫁は産婦人科に行って、僕は眼科に入院して──みたいな感じだったんです。だから最初は総合なんてやってる場合じゃないと思いました。言うても僕が総合を始めたのは2年ぐらい前だし、死ぬまで続けるとは思ってなかったから、こんな怪我をしてしまって、子供も生まれてくるんだったら総合はこれで辞めようと。
でもそれは怪我で気分が落ちていて、摩嶋戦で負けてヘコんでいたのが大きかったと思います。それで退院して、退院してもすぐは体は動かせなかったから、年内はずっと家で安静にしつつ、大晦日のRIZINを見に行ったんですよ。そこでイゴール(・タナベ)とか仲間の試合を見ていたら『やっぱりこれ(MMA)やりたい!』と思いましたね」
――仲間たちの活躍がきっかけだったんですね。年明けから練習は再開できたのですか。
「振動を与えるのもダメだったんで、年が明けてもなかなか運動の許可が下りなくて。2月~3月ぐらいからようやく動き始めて、っていう感じですね」
「指導は年明けから始めたんですけど、スパーリングとかはやれなかったですし、本当にゆっくり徐々に…ですね。僕って4歳からずっと格闘技漬けの人生を送っていて、半年間ぐらい練習を休んだのは初めてだったんです。だから体がなまっちゃって『休むとこんなに(動き・体力が)落ちるんだ』と思いました」
――「練習を1日休むと取り戻すのに3日かかる」という言葉もありますが、そういった感覚ですか。
「そんな感じですね。本当にそうなるんだって。だから復帰戦は簡単じゃないなと思ってますし、しっかり作り上げていかないといけないんだなっていう感じですね」
――もちろん辛い時期だったと思いますが、休んだからこそ気づけたものもありますか。
「まず怪我はない方がいいです、それは間違いない。怪我とはちょっと関係なくなるけど、摩嶋戦で負けたことが、結構自分にとって大きかったなとは思ってます。自分はデビューから5連勝して、1回も負けてなかった。だから変な話、試合すれば勝てると思っていたんですよ。
それで摩嶋選手に負けたことで、勝つことがどれだけ嬉しいか分かったし、すぐ試合をして次は勝ちたいと思いました」
――試合で負けると次に試合で勝つまでは記憶は負けのままじゃないですか。
「本当にそうなんですよ。そうなると自分が弱いんじゃないかと思っちゃって、自分が強いという自信がなくなっちゃうんです。次の試合は勝てるかな?みたいな感じで。そのくらい摩嶋戦の負けはショックでした」
――改めて摩嶋戦の試合を振り返っていただけますか。
「あれは結構パニクった試合なんですよ。僕がしょっぱなに飛びヒザにいったところにパンチ合わされて、ガードを取ったところから15分くらい記憶ないんです」
――ファーストコンタクトでほぼ試合が終わったような感覚ですか。
「ほぼほぼ終わりましたね(苦笑)。あれから寝技の展開になったんですけど、そこからもう超パニックで。大舞台に飲まれたのかもしれないし、パンチが効いたのかもしれないし。摩嶋選手が強くて、どうしようどうしようとなって動けなくなったのもあると思います。
だからあの試合は自分の中では本当にバッドで。試合のことも覚えてないから、試合後の1週間ぐらいは自分に何が起きたのか分からなくて。記憶がないから試合を見返すのも怖かった。あれはもう本当なんか悪夢として終わってますね、自分の中で」
――僕もあの時は試合会場で取材していて、横山選手がインタビュースペースに来たときの様子がすごく淡々としていた印象があって。あれは試合の記憶がないから話ができなかったんですね。
「本当そうですね。あと試合で負けると、めっちゃハイになるんですよ。周りの選手を見ていて思うのが、負けると敗因や言い訳をすごい探すというか。自分が負けを経験して、試合で負けた後の選手のSNSを見たりすると、めっちゃハイになってるんですよね。
すごく長文を書いてみたり、やっぱり負けると様子がおかしい。負けを受け入れて悔しいですと言える選手の方が少ないと思います。当時は嫁と2人暮らしだったんですけど、僕の様子がおかしくても、奥さんも励まし方が分からない。嫁もショックを受けちゃって、状態が良くなかったんです。だからもうあんな思いは二度としたくないです」
――なるほど。家族としても負けを経験しないから、奥さんもどう接していいか分からなかったんですね。
「試合に出れば勝ってたわけだから、今回もそうなるだろうと思っていたら、そうじゃなかったわけですからね。嫁も初めての負けだったから、本当に何を言えばいいのかわかってなかったと思うし。いやぁ悲惨でしたね。自分はいつもポジティブで、いつでも明るい性格なんですけど、試合後の1週間はホントにひどかったです」
――そういった時期を経て、今回の復帰戦ですが、ある程度は夏に復帰する目途を立てていたのですか。
「いや、そういうわけじゃないです。ちょうど練習を再開するかどうかのタイミングでNEXUSの山田(峻平)代表と会う機会があって。最初山田さんは『目がそういう状態だと(MMAを)続けるのは難しいよね?』という感じだったんですよ。
それで『俺、やっぱやりたいっす』と気持ちを伝えたら『それだったら8月のネクサスで防衛戦をやってみない?』と提案してくれて。そこから徐々に練習がスタートしていった感じです」
――そのときに山田代表と話をして、一つ具体的な目標が出来たことが大きかったようですね。
「はい。そこで具体的にまた(MMAを)やる方向に行きましたね。いきなりRIZINで復帰もなしではなかったんですけど、それはちょっとハードルが高くて。自分はまだ総合を始めて2年半ぐらいだし、最初に声をかけてもらったNEXUSで、タイトルを取ってから1年9カ月ぐらいNEXUSには出てないから、ここで防衛戦をやってまた頑張ろうっていう感じですね」
――今はどんなことを意識して練習を続けていますか。
「復帰戦は楽じゃないので、何か新しいことをやったり、できることを増やしていく練習が一番いいんですけど、今はもうコンディションを戻すことを一番に考えています。もちろん対戦相手の対策とか、試合の作戦に基づいた練習はしていますけど、まずはやっぱ自分のコンディションですね。
僕はMMA=コンディションが大切だと思っていて、MMAは一瞬の隙で勝負がつくじゃないですか。だからその一瞬でちゃんと動けるようなコンディションが必要だと思っています」
――確かにMMAは柔術と比べると攻防の瞬間瞬間にやることも多いし、判断も多いと思います。
「あとはすごく人に見られるわけじゃないですか、アマチュア競技と違って。だからその緊張感ですよね。数カ月前にも試合していて、そこで勝って『フォー!』となっていれば、そのテンションで次の試合にも出るんですけど、今回は試合そのものが久しぶりだし、しかも直前の試合で負けている。
色んな嫌なことを経験したから、今は一試合一試合が自分にとってすごく重い。だから総合の試合では過去一で緊張してるかもしれないです」
――改めて横山選手は柔術とMMA、それぞれどこに戦う楽しさや喜びを感じていますか。
「自分の人生はずっと柔術をやってきて、家族でやっている柔術ジムが自分の生活の基盤になっています。今のジムは父が代表で、父と兄と僕の3人がインストラクターなんですけど、父は50歳でも黒帯の試合で優勝して。兄も30歳で全日本チャンピオンになった。父と兄で十分柔術の結果を出してるから、インストラクター3人のうち1人はMMAをやってもいいかなっていう。
父と兄がいなかったらずっと真面目に柔術だけやってると思うんですけど、今は柔術は父と兄に任せて、僕は総合にチャレンジする役じゃないけど、ジムの会員さんたちでも、RIZINとか総合が好きな人が多いから、そういう人たちにとってはジムの誰かが総合に出るほうがある意味盛り上がるっていうのもありますね。
あとはやっぱり本当に、シンプルに総合がずっと好きなんですよ。小さい頃からPRIDEとかDREAMを見て総合をやりたいと思っていたから、その頃の自分の夢を叶えるじゃないけど、あと2~3年間で総合をやりきって、また柔術だけの生活に戻りたいなと思っています」
――横山選手の中ではある程度MMAをやる期間を決めているんですね。
「MMAの練習ばっかりやっていると、どうしても純粋な柔術のレベルは落ちるんですよ。それはそれですごく自分的にはプレッシャーで、早く柔術に戻らないと、柔術に戻った時に苦労するのが分かっています。自分は柔術を死ぬまでやるつもりだし、逆に総合はマジでやって35歳ぐらいまでだと思ってるから、今は死ぬ気で総合をやりきって──ですね。
あとはやっぱお金ですね。家族もできたし、娘も生まれたし、家族で海外旅行とかそういう遊びにもいきたいので。ちょっと総合で稼ぎたいなとは思ってます」
――今回NEXUSでの防衛戦をクリアしたらて、その後はまたRIZINに出ていきたいですか。
「そうですね。僕はNEXUSデビューで、NEXUSでチャンピオンになったことでRIZINデビューできて。NEXUSがあったから今の自分がいると思っています。だからちゃんとNEXUSのチャンピオンとしての役目(防衛)を果たして、RIZINにチャレンジしたいです」
――今回は岸野選手の対策もされてると思いますが、一番は自分のパフォーマンスをちゃんと出し切ることですか。
「岸野選手は、打撃に特化した選手とか寝技に特化した選手というよりはオールラウンダーで、バランスの良い選手だから、本当に自分のパフォーマンスをいい状態に仕上げて、力が100%出せれば絶対に勝てるっていう自信があります。もちろん、相手の動画はちゃんと見ているし、油断はしてないです」
――横山選手自身も見ている側も、横山選手がRIZINのトップ戦線に絡んでいくことを期待していると思いますが、そこはどう考えていますか。
「自分はRIZINデビュー戦では勝てたんですけど(山本琢也に一本勝ち)、2戦目でやった摩嶋選手はRIZINの主要メンバーじゃないですか。だから摩嶋選手のような相手を倒して初めてRIZINファイターを名乗れるというか。RIZINに1~2回出たことがある選手じゃなくて、RIZINで何戦もしてる選手を倒さないと、自分をRIZINファイターとは言えない。日本で総合をやるからにはちゃんとRIZINファイターになることが大事だと思うので、まずはそこを目標にしています」
――胸を張ってRIZINファイターを名乗ることが当面の目標ですね。
「そうですね。摩嶋戦の時にどういう心境ですか?と聞かれて『これが公式なRIZINデビュー戦だと思ってます』と答えたんですよ。それで見事にやられたんで、RIZINファイターは強いなというか。これが日本のトップなんだなと感じました。でもしっかり練習していけば、そこら辺も倒せる自信はあるので、これからまた頑張っていきます!」
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