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ジョセフ・ベナビデスが引退についてコメント「DREAM、WEC、UFCに感謝している」

ジョセフ・ベナビデスが引退/デイナ・ホワイト「彼は常にプロフェッショナルで尊敬を集めていた」(2021年09月16日)

 こちらの続報。


 MMAを引退したジョセフ・ベナビデスがTSNのインタビューで「引退したことは分かっていたので感情的になるとは思わなかった。いろんなコメントを読んで裏庭で泣いていた。良い日だったよ。今日は何も手に付かなかった」とコメント。ベナビデスは自分で引退を発表する前にUFCマッチメーカーのミック・メイナードに相談したところ「もうすぐ公式サイトのランキングから外れるから、それでみんなも知ることになると思う」と言われて「それで良い」と思っていたとのこと。


 ベナビデスがインスタグラムで以下のコメント。

「ニュースが出た。このたびMMAから引退することになった。この旅は想像以上にワイルドで、常に愛する人たちとの大切な思い出でいっぱいだった。

 15年間…日本のDREAMで戦った初期の頃から、WECでの135ポンドでの全ての戦い、そしてUFCのフライ級の立ち上げまで。これまでの浮き沈みに感謝している。これほど長い間、試合をすることができて本当に光栄だった。

 僕を助けてくれたすべてのコーチ、トレーニングパートナー、インスピレーションを与えてくれた素晴らしき仲間たち、今では友人と呼べる幸せな人たち、そして一緒に戦いの場にいて、今では兄弟と呼べる幸運なチームメイトたちに感謝している。

 この数年間、ホームと呼べる場所を与えてくれたUFCと家族のように面倒を見てくれたUFCの全てのスタッフに感謝している。

 取材してくれたたメディアのみんなにも感謝している。このような活動を可能にしてくれたファンのみんな、終わりのないサポートに感謝している。

 そして何よりも、僕のクイーンにして最大のファンであり、全てのことをサポートしてくれた彼女(ミーガン・オリヴィ)に感謝している」

 まさかここでDREAMが出てくるとは思いませんでした。ベナビデスは2008年7月の『DREAM.5』でKODOと対戦し1Rギロチンチョークで勝利しています。この時は63kg契約でした。続きを読む・・・
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ルーク・サンダースがMMA引退を発表


Luke Sanders(Sherdog)

 UFCバンタム級ファイターのルーク・サンダースが自身のインスタグラムでMMA引退を発表。

 サンダースは現在35歳のアメリカ人でMMA戦績13勝5敗(UFC戦績3勝5敗)。2011年1月の『Strikeforce Challengers: Woodley vs. Saffiedine』でデビュー戦を行いジョシュ・ジャーヴィスに1R TKO勝ち。その後も連勝を続けRFAバンタム級王座を獲得し、10勝0敗の戦績でUFCと契約。初戦の2016年1月『UFC Fight Night 81: Dillashaw vs. Cruz』でマキシモ・ブランコに1Rリアネイキッドチョークで勝利しています。しかしその後は精彩を欠くことが多く、今年5月の『UFC on ESPN 23: Reyes vs. Prochazka』でフェリペ・コラレスに判定負けしたのが最後の試合でした。続きを読む・・・
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【Column】パク・ソヒ✖デニス・ザンボアンガの裁定を審議するということについて、ちょっと考えました

【写真】ONE73のサゲッダーオ✖マ・ジャワン。ミャンマーでの一戦は、ONEの歴史で勝敗が入れ替わった唯一の例だ(C)MMAPLANET

9月3日に開催されたONE Empower、女子アトム級ワールドGP準々決勝のハム・ソヒ✖デニス・ザンボアンガ戦の裁定に関して、「コンペティション・コミッティーが審査し、検討する」という旨の発表をチャトリ・シットヨートンがSNSで行った。

MMAPLANETに於いても──この2-1でハム・ソヒが判定勝ちした裁定は、あり得ないと書き記した。簡単にいえば打撃で大差なく、テイクダウンとトップコントロールをしたザンボアンガの負けはMMAとしてないと感じたからだ。

ONEはダメージ、ニアフィニッシュを最重視しており、テイクダウンは言ってしまえばスプロールすれば帳消し、あるいは下になったままの選手がパンチやエルボーを下から打てば効果的とされないという見方もできる。

とはいえ、この試合ではダメージやニアフィニッシュという部分で、ハム・ソヒが明白にリードしていたわけではない。顔の傷を評価対象にするのは無理がある。個人的にダメージと傷、有効打と腫れ具合はイコールだとは思っていない。

そして裁定に関して、色々な意見が出ることは正しい。だからジャッジは3人いる。3人が下した結果で勝敗が決まる。それが定められたルールだ。

過去、ONEにおいて自分が記憶している限り、裁定が覆ったのは4度ある。最初は2012年にシャノン・ウィラチャイが、ミッチ・チルソンをサッカーボールキックで破った一戦だ。後日、裁定が覆りノーコンテストになっている。この試合に関して、多くの試合結果をまとめているサイトではイリーガルキックとなっているが、当時のONEはサッカーボールキックを認めており、なぜ結果が変わったのか恥ずかしい限りだが自分は失念してしまっている。

2度目は2018年6月29日、サゲッダーオ・ペットパヤータイ✖マー・ジャワン戦。前者が後者を3-0で下したが、敗者側の抗議を受けてマー・ジャワンの勝利となり白・黒が入れ替わった。

3度目はキックだが、2019年のフェザー級GPでペットモラコット・ペッティンディーアカデミーが判定勝ちも、レフェリーが首相撲を適正に裁かなかったという理由でジョルジオ・ペトロシアンから挙げた勝利がノーコンテストになった。

4度目は記憶に新しい今年4月のエディ・アルバレスとユーリ・ラピクスの一戦だ。エディのパウンドが後頭部だったと判断したレフェリーが、反則負けの断を下した。が、ノーコンテストに変更された。

上記4試合中、ウィラチャイ✖カーン、ペットモラコット✖ペトロシアンの2試合は再戦が組まれた。

今回、裁定が覆れば5度目ということになる。従来のMMAに通例でいえば、ドラックテストの結果を受けて、陽性のファイターの勝利が取り消される以外では、一度下った裁定が覆ることはほぼない。

その常識が覆ることに違和感を覚えることもあるが、まぁケージの中やリングの上での裁定は暫定結果で、問題があれば裁定は変わるという方法論をONEが用いるのであれば、それはそれで良いだろう。

とはいえ、ここで浮上したコンペティション・コミッティーの存在と、その構成メンバー、どのような執り行いがあったのは明白になる必要がある。ここのが不透明だと、委員会に興行運営陣が噛むことで──公正でないという見方もされて然りだ。その意見も分かる。と同時に興行論と競技運営論を混同しないのであれば、興行側の人間が試合を裁くことに関係するのもありだと思っている。

それがONEであればマット・ヒュームであり、日本だと梅木さんだ。興業団体関係者及びジム関係者が審判団に入ることで公平性を欠くという意見は、自分も長らく信奉してきた。サッカーで横浜マリノスの関係者が審判団にいないように。阪神タイガースの選手のフィジカルを指導している人物が、審判団に属していないのと同じように。

この考えに変化が加わったのは、MMAのような進化や変化が激しいスポーツで、一切選手と関わらない、普段はMMAから離れた人物には攻防は理解できないことに気付いたからだ。第三者機関なら良いというのであれば、米国のようにコミッションから派遣されたキックしかみたことがないジャッジが、あり得ない判定をしても良いことになる。

レフェリーはMMAを知るために、実際に練習をする方が逆に正しいとさえ感じている。最近では試合経験のあるリタイア組が、レフェリーを務めるケースも増えてきた。彼らの中には後進の指導に当たっている者も当然のように存在している。だからONEの競技委員会が、ONEの組織内にあっても──興行論とは一線を画した存在であれば──構わない。

その一方で、裁定を見直すことができる権利はONEという舞台で戦う選手全てに平等に与えらなければならない。そのように思えないから今回の件は判定には異論を捉えている人々からも非難されるているのだろう。

自分は本来、『審判だって人間。ミスはある。MMAはヒューマンスポーツ、一度下った裁定は覆られない』という考えた方だけれども、注目度の高さ、視聴者の抗議の声、SNSの反応に依り、特定の人物が「これは見直すべきだろう」ということで審議対象になるのはなく、全選手に与えられて権利で、全選手がその権利を行使できるなら、再審議はあっても良いかとも思う。


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【 Column】2009年1月の宇野薫

【写真】色々なことを知ることができた──KJ・ヌーンのボディ打ち

「僕、続けられるか……自信がなくなりました」

宇野薫にそんな風に話しかけられたのはカルバーシティの前田桂さん宅。その寝室だったか。あの時の表情は忘れることはない。

2009年1月、宇野薫と11日間の出稽古の旅を敢行した。その前年、確かディファ有明で行われたケージフォースの取材を終えて車に向かってパーキングを歩いている時だったと思う。宇野がやっていて『今度、アメリカで取材する時、同行させてもらって向うで練習できないでしょうか』と話しかけられた。

正直、戸惑った。それまでも植松直哉や中山巧、礒野元さんとLA近辺の柔術道場を回ったことがあったが、宇野薫の表情があまりにも切羽詰まっていたからだ。

そして、当時の自分は今よりずっと粗暴で、人の気持ちなど斟酌せず、心根にあることなら何でも口にして、文字に認め、一部の人間を除きちょっとした壁を持っていた。

だから宇野の申し出に戸惑った。ただし、日本のトップファイターが頭を下げ、真っ直ぐな目で申し出てきたのだから断ることはできなかった。

にしても、まだまだ自分も青かった。ただひたすら、可能か限りに自分が取材をしたいジムを車で移動し、そのスケジュールで1日2部練は当然で、ブラジリアン柔術、ボクシング、MMA、なんでもかんでも詰め込み、宇野はひたすら体を動かし続けた。

そこに大会取材も折り込んだものだから、今から振り返るとすさまじい日々を宇野が送っていたことに震えすら感じる。

1月22日にLAに到着し、その足でリムーアへPFCを観戦するために北上した。翌日はすぐに南下しアナハイムでアフリクションの計量に寄り、ハンディントンビーチへ。クレバー・ルシアーノの下で道着柔術とシュートボクセUSAでハファエル・コルデイロと首相撲とスパーリングを行った。

道着の練習は予定していなかったので、自分が持参したマチャド・キモノを宇野は着ていたはずだ。

LAでは前田桂さんの家に寄せてもらった。24日はダウンタウンLAでフィットネスエキスポを覗き、アフリクションへ。翌25日にサンディエゴへ向かい、WECを観戦。宇野はレンタカーの運転も進んでしてくれた。

26日、本格的にジム巡り──彼が心身ともに削られる旅が始まった。シティボクシングでKJ・ヌーンとシュートボックスのスパーリング──宇野は組みつくこともできず、ボディで倒された。ガードの上からとはいえ顔面にも容赦なくパンチを被弾した。

シティボクシングを後にし、40分後には柔術ユニバーシティでサウロ・ヒベイロのパーソナルを受ける。宇野逃げが、技術的には穴がなり彼の感覚で可能になっていたことを知った。その後、道着を着てクラスに合流──ホイラー・グレイシーとのスパーリングが実現した。

宇野の顔にも満面の笑みが見られた極上の時間を終え、カルバーシティに戻った。その日の深夜だったと思う、冒頭の宇野の言葉を聞いたのは。

それだけKJとのスパーリングが、トラウマになっていた。宇野が出稽古の旅を欲したのはJZ・カバウカンチの高い打撃力からのテイクダウン&寝技を体感し、MMAが急速に進歩していることを感じとったからだった。

加えてDREAMライト級GPで青木真也に敗れた。戦極では北岡悟が象徴的な活躍をしている。新しい世代の台頭に、焦りもあった。それでもライト級のパイオニアは、自負もあったに違いない。修斗を制し、UFCの世界戦に挑んだ。自分の力に自信がなければ、出稽古なんてできない。

多くを語らない宇野だが、きっとその自信が木っ端みじんに吹き飛んだのがKJとのスパーだったのだろう。

自分が彼にどんな風に答えたのか、本当に覚えていない。ただ、優しい言葉を口にしたとは思えない。それでも彼は黙々と出稽古の旅を続けた。

27日、ガーデングローブでナム・ファンと練習、マチャド柔術の黒帯パウロ・ギベラルなど日本では無名の猛者の組み技力の強さを体感した。ここからランチョクカモンガへ移動し、ミレニアMMAでハビエル・バスケスやジョージ―・カラキャニャンとロールした。

KJとのシュートボックスのようにエゲツナイ攻撃はされないが、実際のところ我々がまだ気づいていない時代から米国のグラップリングはずっと日本の先を行っており、宇野は攻められ続けながらも、サウロに習ったエスケープ方法を試す姿が見られた。

出稽古先のジムは誰もが宇野にフレンドリーで、リスペクトをもって接してくれた。練習後は多くの会員やジム関係者が、彼と一緒に写真に収まろうとした。宇野も笑顔だった。

今からすれば、何て酷だったのかと思う。尊敬され、友好的。でもスパーでは歯が立たない。彼はどんな気持ちで、車の助手席に座っていたんだろうか。宇野の言葉数が減っても、自分は『疲れているな』というぐらいの感覚だった。

28日、エルセグンドでウラジミール・マティシェンコにレスリングと打撃が融合したテクニックを教わり、アントニー・ホーイドンクにダッチ・キックボクシングの気構えも指導してもらった。

その2時間後にワイルドカードで、フレディ・ローチとマイケル・モーラーからボクシングのプレイベート・レッスンを受ける。フレディは凄く優しかったが、モーラーはガチで鬼軍曹のような指導方法だった。

29日、空路LAへ。この日は洗濯やショッピング、体を休めた。30日午前、エクストリーム・クートゥアーで予定していた練習時間に変更があったようで、プロ練習はなくマイク・パイルにマンツーマンでギロチンの入り方などレッスンを受けた。

午後4時からプロ練に合流、ロブ・マックロー、マック・ダンジグ、グレイ・メイナード、同じく出稽古に来ていた水垣偉弥とMMAトレーニング──まだ宇野が経験していないドリル、壁レスのシチュエーションスパー、パウンドのバッグと今や常識となった練習を経験、これ以上ないほど追い込んだ。

にもかかわらず、自分はコブラカイで取材があるということで、疲弊しまくっている宇野を連れて──今度は最先端のノーギグラプリングのスパーに向かった。

この時、彼は心の中で「道に迷って、着くな」と思っていたことを後日、話してくれた……。

31日、UFCを観戦。2月1日に帰国の途に就いた。

本当に宇野には申し訳ないと思っている。当時、北米がどんなものが知った気になり、ただそれを体感してほしいと彼の心身のダメージを考えず、ムチャな行程での練習にった一人放り込んでしまった。

どの練習でもCAOL UNOはギラギラとした向上心の塊のような20代のファイターの格好の標的になっていた。

体のケアもできないし、技術練習の反復相手もいない。そんな時間を彼に過ごさせたことは、帰国して幾人かの選手のと会話のなかで気付かされた。

以降、自分が選手と行った出稽古の旅は、基本は複数で行い、可能な限り休息を設ける。時には旧知の選手にガードマンの役割を頼み、防波堤になってもらうようにもなった。

それが宇野薫と1600キロのドライブした、日々で学んだことだ。体はともかく、心はスーパーマンじゃない。心が強いから、コレができているのではない。

強い心を持たないと、続けられない。自己弁明になるが、4年後に再び宇野と出稽古の旅を同じくサンディエゴ、そしてシカゴやインディアナで行った時は、この反省が生きていたと思う。

それにしても、良く宇野薫は自分なんかと長時間のドライブをして、モーテルやホテルでも部屋をシェアするという日々を行えたと感心しています。今思えば、それこそが彼が如何に格闘技が好きなのかという表れなのだろう。

最初の出稽古の旅から帰国した宇野とは、練習の日々を総括する取材で何度か会った。そして──また、真っすぐな視線の彼が「ロータス世田谷のYBTで練習したいです」と口にした。

青木と北岡と練習することは怖い。ただし、そこにダイブしないとサバイブすることはできない。そんな覚悟が感じ取られた。

2009年2月27日、旧ロータス世田谷で宇野薫は青木真也に壁や金網に押し込まれ、テイクダウンされ、バックチョークを取られた。ここから、新たな宇野薫のMMAストーリーが紡がれていった。


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Bujutsu Column grappling MMA ブログ

新年あけましておめでとうございます。今年もMMAPLANETを宜しくお願いいたします。

新年あけましておめでとうございます。

誰も予想できない新型コロナウィルス感染拡大より、2020年は世界中のMMA、グラップリング界が影響を受けました。

国内では緊急事態宣言下の無観客収録大会を2度経験し、現状でも各プロモーションが限られた集客数という条件下での活動を強いられています。

ばかりか世界のMMAでは無観客及び配信がスタンダード、まさにニューノーマルとなっています。

セコンドがマスクをせずに選手に指示を送ることができた日々を懐かしみ、そんな日々が戻ってくるまで歯を食いしばって活動を続けています。

個人的にも2月のシンガポールのONE無観客大会でのケージサイドでの撮影、4月17日のRoad to ONEでは防御服を着用し消毒液を被りながら選手の戦う姿を追わせてもらいました。ケージの中に変わりはありません。

その後も後楽園ホール、ニューピア、スタジオコースト、GENスポーツパレス、渋谷O-EAST、高松、大阪と変わった日常において、変わらぬケージの中を見ることができました。

様々な苦労を乗り越え──いや、苦労を乗り越えようという日本のMMA界、グラップリング界に関わる人々の想いが、格闘技をこの世界に踏み止まらせてくれています。

そこにはMMAPLANETの読者の方たちのようなファンのサポートが、存在しています。

当たり前が当たり前でなくなった時、MMAPLANETとしても何を伝えていきたいのかが再確認できました。

ケージの中、マットの上、ジム、オフィス、スタジオ、会議室──本気で向き合う人たちがいる。そんな人たちと共に格闘技を伝えたい。

何よりも大前提として、格闘技を伝えることを楽しみたい。

それが結果的に業界のためになれば良いですが、業界のためといっても統一のスタンスがあるわけではありません。MMAPLANET的な格闘技の伝え方は、誰かの不利益になるかもしれない。理想の格闘技界なんてモノがあっても、人それぞれです。

だから──やっぱり、自分がまず楽しもうと思います。

読者の皆様、関係者の方々、そして選手の皆、今年もMMAPLANETを宜しくお願いします。

2021年1月1日
MMAPLANET 高島学

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Column J-CAGE ONE Result Other MMA Result Road to ONE02 ブログ

【Road to ONE02】試合結果&コロナ時代の無観客大会について

Road to ONE02【写真】日本の格闘技界のパンドラの扉が今回は開けられた。再び開けられるのか、今は分からない(C)MMAPLANET

17日(金)、Road to ONE02が開催され、MMA2試合、グラップリング2試合、ムエタイ(MMAグローブ着用)2試合が無観客で行われた。

日程変更1度、会場変更2度。無観客大会となり、メディアも主催者が認めた最低限の人数=3名のみ。うち1人スチール撮影しない記者は、会場にいてもケージサイドにいることも許されない。競技運営陣とABEMAの中継カメラマン、ケージ回りには暗幕が張り巡らされ、その場にいる人間は全て防護服、マスク、手袋着用が義務付けられていた。

小径ケージの周囲と中に15人名ほど。それでも米国や英国で定められた人が集まる人数を上回るが、恐らくは国内でこのようなシチュエーションで格闘技のイベントが行われることは、もう2度とないかと思われる。もちろん、その普通でない大会となったのは新型コロナウィルス感染拡大の影響だ。

ここに書くまでもなく国内外で格闘技大会は軒並み中止、延期が続いている。そのなかでRoad to ONE02は開催された。当然のように批判の声は大会決行前から聞かれた。

その声は表現方法の良し悪しはあっても、正しい。今回のコロナ問題は東日本大震災の時と違い、「スポーツで元気になろう」という声を出せない状況にこの国を、全世界を陥れている。大会前には緊急事態宣言も出された。不要不急の外出は控えること、ステイホーム──の号令のなか、濃厚接触が絶対の格闘技大会開催にしても、その準備のための対人練習にも批判の声が挙がって当然だ。

と同時に、イベント関連の会社や格闘技ジムの経営者からは、すでに「生活できない」という声が多く聞かれるのも事実。このままではコロナに感染しなくても、人生を終える人たちが出てくることすら危惧される、逼迫された現実が既にある。

コロナ問題が長引くと判断した一部の人間が、そんなコロナと共存する時代に経済活動を格闘界で続けるために模索する──パーセンテージ的には圧倒的に少数派だが、そういう人間も世の中に必要だという意見さえ、全否定されるだろうか。

コロナ問題が起こってから、自分の取るべき立場は変わらない。大会を開く(現状、無観客のみ)、開かない。試合に出る、出ない。練習をする、しない。どちらを選択しようが、コロナ終息後の人の判断理由にしない。

格闘技で生きている人間にとって、格闘技は不要不急なモノではない。少なくとも、この現状でも不要ではない。だからこそ、感染を防ぐために最善を尽くして、少人数で練習し、ジムの外では不用意・無防備な行動は慎む。そう心掛けているのであれば、格闘家から格闘技を取り上げることはできない。それが自分の考えだ。

だからこのイベントも開催前、開催中、開催後と格闘技メディアの役割を果たすつもりでいた。とはいっても、この考えに同意できない人がいることも十分に承知しているし、批判は受ける。

今大会の主催者も同じ気持ちでいたと思う。とあるABEMAのスタッフは、これまでの付き合いで自己主張は極力なく、淡々と仕事をこなしているという印象だったが、向かい風が強くなれば強くなるほど、「大会を無事に終わらせる」という闘志が言動に表れるようになった。

選手とセコンドはタクシーで会場入りし、試合が終わるとタクシーで戻る。その費用も主催者が持つ。看護師でなく、ドクターが3名。イベントに関係する人間の数を最小限に留め、それ以外の人との接触を徹底して避ける。

それでもこの大会開催を正当化しようとは思わない。と同時に、この大会を開こうとしている人間の意思は、反対の立場を取っている人間より強かった。反対意見には世間の追い風がある。けれども、本気でイベント開催を阻止しようと努力した人間はいただろうか。

「UFCが止めたから、止めるべきだ」。そんなヤワな意見は誰にでも口にできる。この大会に何か欠けていたモノがあるとすれば、それは本気で大会中止を訴え、行動に移す人材だっただろう。

そういう人がいたかどうか、自分は聞き及んでいない。そして、大会は開かれた。試合開始は午後7時、午後6時前に現場近くのパーキングに車を止めた。普通に通勤帰りの人たちが最寄り駅に向かい、ガラガラというほどでないぐらいに人影が見られたバスを眺めつつ、先に記した暗幕が張られ、スタッフが既に防護服を着た異様な雰囲気の会場に。

すぐに検温があり、それぞれの配置場所が決められる。第1試合と中継開始の40分前ごろには、会場でこの日2度目の消毒液が散布された。

いやおうになく緊張感が高まり、いつも以上に軽口を叩き続けた。イベント開始30分前、手順が説明され自分も防護服に足と袖を通した。同時に審判団が会場入りする。すぐに防護服とマスクで誰だか分からなくなるが、少しでも見知った顔が増えると、幾分気持ちも落ち着き、仕事モードに入ることができた。

ジャッジは他のケージ回りの人間と同様に防護服の着用が義務付けられている。防護服もマスクもしていないのは選手とケージ内のレフェリーのみ。セコンドはマスク着用、リングアナは防護服と防護メガネ、声が必要なためマスクはない。

当然のように「ここまでして、大会をやる必要があるのか」という声も聞かれた。逆に、そのような意見が聞かれないようでは、無観客といえども格闘技イベントを開いてはいけない。と同時に、全てが初体験のこと。大会を行って初めて気付くこともある。主催者の安全第一という絶対条件が、それでも参加者に浸透しきれてないのは今の日本の空気の表れだろう。

セコンドは1人という決まり事を、セコンドに就く人間は1人と捉え、控室までは2人、3人と同行者が出る選手もいた。試合後もシャワー使用の問題もあり、すぐに会場を離れられないで、控室に留まる選手も出た。今後、会場を変えようが無観客大会を徹底して接触を減らして行ううえで改善点でも見られた。

大会としては無事終わったといえるだろう。ただし、ここからだ大切だ。自覚症状のない感染者は、この会場に生まれたわけでなく、もともと存在する。それが誰かは分からない。よって新たな感染者が控室や会場で生まれる可能性は否定できない。

だからこそ大会に関わり、会場にいた人間の後追いチェックは不可欠だ。想像したくもないが感染者が出た場合、その経路をハッキリさせることが、コロナ時代の無観客格闘技イベントの肝になる。

手順通りに防護服を脱ぎ、頭から消毒液を散布され、カメラ機材、カメラ回りも、何か問題が起きるかもと案じるほど、消毒してもらい、最後に検温して会場を出た。そして、一番近くにあるレストランか食堂か、カフェか淡い光のスペースには、ケージ回りよりよほど密集状態で、笑顔で食事をする人たちがいて愕然としてしまった。

万全を期しても、万全はない。それでも、主催者とABEMAの施した対策で格闘技大会のみならず、小規模&無観客エンターテイメントが可能になるのか、その一歩を踏み出したことは確かだ。もちろん、早期終息に向けて──そんなモノは必要ないだろう。ロックダウンして、街中から人の声を失くせば良い。ただし現状では、この国はそうなってはいない。ならば早期終息がならない場合の経済活動を模索することだって必要だ。

有名ミュージシャンが自宅から、その歌声を届けることで世の中の閉塞感に風穴を開けることができるなら、格闘技だけでなくスポーツにもその力はあると信じている。

正解はない。誰もが考え、自分の信じた選択をするのみ。だから、重ねて言うが──無観客の格闘技大会には反対意見は必要で、その反対意見はもっともっと本気で熱がないといけない。そのような声があがり、さらに取捨選択がなされたうえで、それでも何かしらの格闘技の活動が可能になるならば、その形こそが今、我々に必要な格闘技の形である──と、格闘家ではないが、ファン時代を含めると45年、四半世紀を記者として格闘技と過ごしてきた自分は思っている。

最後に僕は歴史の証人になりたくて、あの場にいたわけじゃない。あの場にいることで、この件に対して堂々と意見できる人間でありたくて、一枠設けていただいた記者のスポットを活用させてもらった。そのことと家族の理解があって初めて、これが書けたということに心から感謝しています。

Road to ONE02
<グラップリング・ライト級(※77.1キロ)/10分1R>
△青木真也(日本)1R
Draw
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△世羅智茂(日本)
<ムエタイ72.5キロ契約/3分3R>
○緑川創(日本)3R
判定
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×西川大和(日本)
<バンタム級(※65.8キロ)/5分3R>
○後藤丈治(日本)1R3分58秒
ニンジャチョーク
詳細はコチラ
×祖根寿麻(日本)
<フェザー級(※70.3キロ)/5分3R>
○工藤諒司(日本)1R2分59秒
TKO
詳細はコチラ
×椿飛鳥(日本)
<グラップリング・フェザー級(※70.3キロ)/10分1R>
△宮田和幸(日本)1R
Draw.
詳細はコチラ
△田中路教(日本)
<ムエタイ・ストロー級(※56.7キロ)/3分3R>
○HIROYUKI(日本)2R1分33秒
TKO
詳細はコチラ
×ポン・ピットジム(タイ)