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【極真会館】フィリォとグラウベが除名処分に「組織の秩序を著しく乱す行為があった」

1: 名無しさん@恐縮です 2022/12/12(月) 02:26:34.27 ID:MCxPFfsd9
 極真会館(松井章奎館長)は、昨日10日、元極真世界王者でK-1でも活躍したブラジル支部長のフランシスコ・フィリォと、同じくK-1でも活躍した同支部所属のグラウベ・フェイトーザを除名したと発表した。

発表によると「組織の秩序を著しく乱す行為があり、2022年12月8日付で除名処分」としたという。
これ以上の詳しい理由は書かれていないが、両者は元K-1の繋がりでアーネスト・ホーストやピーター・アーツらも関わるプロ興行SENSHIなどへ積極的に顔を出すなどしていたようだ。(全文は以下リンク先参照)

https://news.yahoo.co.jp/articles/d7f5e20a25cbb5d58d7752c4385259ddc5fc8d8f

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【TORAO28】宮崎清孝、MMAの旅路。最終章─01─「最後は『地元で毛利さんとやる』と」

【写真】1972年10月12日生まれ、プロデビューは34歳11カ月。そこから本格的にプロを目指し、50歳と1カ月でラストファイトを迎える宮崎 (C)SHOJIRO KAMEIKE

12月4日(日)、山口県周南市の新南陽ふれあいセンターで開催されるTORAO28のメインイベントは、毛利昭彦×宮崎“師範代”清孝の地元勢対決となった。
Text by Shojiro Kameike

今回がラストマッチと公言している宮崎は、今年50歳。山口県の西部、宇部市でMMAジム「有永道場Team Resolve」を運営している。その宮崎がMMAを始めた経緯と、山口県西部のMMA事情――そしてラストマッチで戦う毛利との関係性を語ってくれた。


――宮崎選手が所属している有永道場というのは、もともとは空手の道場なのですか。

「はい。私は極真会館の山口支部で空手を始めて、現館長の有永浩太郎と一緒に独立したんです。有永道場の本部は山口市にあるのですが、宇部市でも空手の稽古をしたいという仲間が増えてきて、宇部市に支部をつくり私が担当することになりました」

――極真空手を始めようと思った理由は何だったのでしょうか。

「格闘技への興味は他の男の子と同じぐらいで……ボクシングとかを見ていた程度でした。空手を始めたのは、ずっとお世話になっている叔母がキッカケです。私は高校まで野球をやっていたものの、野球部の上下関係の理不尽さに我慢ができなくて(苦笑)。部活を辞めてフラフラしていたのですが、叔母から『このままではロクな大人にならない。私の知り合いに空手の先生がいるから、その道場に入りなさい』と言われました。

仕方ないか……と思って空手道場に入ったら、最初はやられるわけですよ。でも、そこから本気になり、やっていくと楽しくなっていきました。自分の性に合っていたんでしょうね。自分で考えながら練習し、成果が出て来ると楽しかったので」

――フラフラしていて空手道場に入れられるということは、その時期はヤンチャな生活を送っていたのですか。

「いや、それほどは……(苦笑)。警察がどうこう、という経験はないです。でも、嫌なものは嫌ですからね。結局は――パンクだったんです(笑)」

――アハハハ。パンクであることは、セックス・ピストルズ式のチームTシャツを見ても分かります。しかし上下関係の問題から野球部を退部していたとのことですが、空手道場の上下関係はいかがでしたか。

「厳しい of 厳しい、でした。でも先輩たちとは年齢も離れていて、その厳しさも礼儀作法に関するものだったりするわけですね。部活は1歳上ぐらいの先輩から、よく分からないことを言われるんです。なぜ自分がそれをしないといけないか分からないという感じで。だから空手道場の上下関係は、苦ではなかったです」

――理不尽か理不尽ではないかという違いですね。

「そうです。結局は自分が納得できるか、できないかで。空手の場合は、納得いかないことがあっても、道場の組み手で――ちゃんと成敗されるわけです(笑)。私も生意気でアホだったので、先輩に目をつけられることもありました。でも、そうやって白黒ハッキリする世界が好きだったんですね」

――当時の山口県では、そうやって強くなるためには空手しか選択肢しかなかったのですか。

「空手かボクシングですね。当時の極真空手は、世界大会が行われたら格闘技雑誌の増刊が出るぐらいだったじゃないですか。その極真空手をやっていれば強くなれる──そう思っていました。空手が最強だと思っていたし、実際にやっていて楽しかったですから」

――将来的にも、ずっと空手をやっていこうと考えていたのですか。

「いえ、現役時代は中国選手権で2位、全日本選手権でベスト8に入ってから、26歳の時に空手は引退したんです。そこからはゆっくりと音楽を聴きながら、美味いものを食って生きていこうと思っていました。特に空手を辞めてドラマーになるという夢もあったのに、35歳でMMAを始めて50歳まで続けているという(笑)。MMAを始めたのは、高校時代から一緒に空手をやっている仲間が突然『自分は寝技がやりたい』と言ってきて」

――突然、ですか(笑)。

「自分も寝技はやったことがないので分からないし、当時は周りに寝技をやっている道場もなく、今のようにインターネットで検索できる時代でもなかったので。そこで山口県内を調べてみたら、毛利道場というところがあると分かったんです。その頃は防府市に格闘技をやっている仲間がいて、その練習場所に行ったら毛利さんがいました」

――今回ラストマッチの相手となる毛利昭彦選手ですか。

「そうです。その毛利さんたちと3カ月ぐらい寝技の練習をしてから、MMAのスパーリングをし始めて、毛利さんから『一緒にやりませんか』と言っていただいて。そこから私も周南市の毛利道場へ行くようになりました。今のジムではなく、まだ毛利さんのご実家の倉庫でやっていた頃です」

――MMAのスタートは毛利選手との出会いがキッカケだったのですね。

「そうやってMMAの練習を始めて半年ぐらい経ったあと、2007年だったかな? 周南市のclubDEEP、フューチャーキングトーナメントが開催されたんです。でも当時はまだ山口県内でMMAをやっている人も少なくて、70キロ級に出場してくれないかと言われまして。自分としては無理だなと思ったのですが、どうしてもと言われて――出場したら案の定、腕十字で負けました(2007年9月23日、田口トシヒロ戦にて1R腕十字で一本負け)。

アハハハ、当然ですよね。でも自分自身に対してムカついて、そこから本腰を入れてMMAに取り組むようになり、アマチュア修斗に出始めました。でも、やっぱり勝てない。周りにMMAを教えてくれる人もいない。だから出稽古に行って、いろんなセミナーに参加しながら創っていて、どんどん形になってきたという流れです」

――ではMMAを始めた頃は、何を目標として練習していたのでしょうか。

「強くなりたい、始めたからには本気でやりたい。それが目標でした。始めた時点で自分も若くはないし、そこから自分がUFCに行けるかといえば、行けるわけがなくて。修斗のチャンピオンになれることもないでしょう。ただ、MMAをやっていると楽しくて、一緒に練習したいという子たちも増えてきました。そうした子たちが宇部でMMAができる環境を創り、その道標になりたかったです。そのためにはまず自分がプロ選手にならないといけない。修斗は定期的にアマ修斗を開催していて、そこで勝てばプロになれると思い、まずは修斗でプロになることが目標でした。

ただ年齢も年齢ですし、仕事をしながらジムもあって――その状況では、自分はそれほどプロで試合はできないことは分かっていて。それでもプロになってから、最後の試合は決めていました。『地元で毛利さんとやる』と」

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F1 MMA o RIZIN UFC キック ボクシング ルイス・グスタボ 宇佐美正パトリック 極真会館

RIZIN.40:ジョン・ドッドソンが初参戦し、フライ級戦で所英男と対戦。グスタボ vs. ジョニー・ケース、ベイノア vs. 宇佐美正パトリック追加。

▼フライ級(57.0kg)5分3R
ジョン・ドッドソン(米国)
所 英男(リバーサルジム武蔵小杉 所プラス)

ドッドソンは11年前の2011年、TUF14バンタム級で優勝。TUF後はフライ級に落とし、2連勝で初代王者デメトリアス・ジョンソンのタイトルに挑戦し、2Rに2度ダウンを奪ったものの、後半になるにつれてギアをあげるDJに盛り返され判定負け。そこから3連勝で、2年後にまたDJのタイトルに挑んだが、今度は終始劣勢の上に、最後は一方的に攻め込まれての完敗。年下のDJが王者ではフライ級ではチャンスはないと見たのか、次戦からバンタム級に上げている。しかし、バンタム級では4勝5敗にとどまり、ランキングもトップ5に入ることなく、タイトル挑戦までたどり着けなかった。

UFCリリース後はローカルイベントで1勝1敗。今年8月にはベアナックルボクシングにも出場し、同じ元UFCのライアン・べノイに1RKO勝ちしている。

身体能力が高く、常に動き続けるファイター。もう38歳で、軽量級では年齢的に厳しいと思われるが、45歳の所にとっては厳しい相手となる。

▼ライト級(71.0kg)5分3R
ルイス・グスタボ(ブラジル)
ジョニー・ケース(米国)

矢地・大原をKOして、今最もライト級タイトルに近い存在のグスタボ。前挑戦者のケースに勝てば、さすがにタイトル戦を組まざるをえないだろう。一方のケースは、前回サトシに1R一本負けしたばかりの上、現在は日本に滞在し、ボンサイ柔術でサトシとともに練習しているとのことで、勝ってもグスタボの王座挑戦が消えるだけになりそう。

▼ライト級(71.0kg)5分3R
ブラックパンサー”ベイノア(極真会館
宇佐美正パトリック(フリー)

RIZINが好きな打撃系MMAファイター対決。しかしこれまで組まれた元キックボクサー同士のMMAマッチはあまり盛り上がってない。宇佐美もベイノアも、トータルファイターとやるところが見たかったが。

 

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MMA MMAPLANET o 八巻建志 剛毅會 岩﨑達也 松井章圭 極真会館

【KYOKUSHIN】国際空手道連盟極真会館・松井章圭館長から聞かれた、MMAに通じる──痺れる名言

【写真】 目から鱗のMMA論ともいえる松井館長の言葉を拾ってみた。この世代の重厚さが欠けている一方で、歴史がない自由さがあるのがMMAでもある。きっと館長たちが始めた頃の極真のように(C)MMAPLANET

2日(水)、東京都渋谷区の国際空手道連盟・極真会館総本部代官山道場で行われた──八巻建志氏の極真会館復帰及び総本部師範就任と、岩﨑達也氏率いる剛毅會空手が賛助会員としての国際空手道連盟加盟に関する記者会見。

同会見で松井章圭館長が質疑応答のなかで話した10数分の話のなかで、MMAにもいいあてはまる言葉もいくつも聞かれた。

ここでは勝手ながら──痺れた、そしていくつかはMMAにも通じる、いや原点だろうという名言をお届けしたい。


「総裁が言われたように『地に沿った基本、理に適った型、華麗なる組手。品格のある空手。理念のある空手』が極真の空手。正直言って競技体系はあるけれど、技術体系は持っていない。だから流派を名乗らないわけです。極真会館は流派でないから、『こうでなければならない』という形がない。確立された技術体系がない。本来はどんなものにもないんですよ。『これで良いんだ』という完成形の技術はない」

「ややすると便宜的に創ったルールに支配される。稽古する人、特に試合に出る人は。その呪縛を取っ払った視点から(八巻氏と岩﨑氏から)助言がもらえるんじゃないかと。組織の良さはそういうところ。自分が実際に体験していなくても、体験者から何かを受け継ぐことができる。影響を受けることができる。それが組織の良さ」

「一般的にフルコンタクトってよく言うんですけど、いつの時代からフルコンタクト空手、フルコンって言うようになったのか。正直、今、一般的にフルコンタクト空手というものでは極真会館の大会はない。世間が見るフルコンタクト、世界にいる人たちがいうフルコンタクト空手を越えたというと語弊があるけど、異質というか。極真空手なんです」

「競技ってMMAを含めて実戦は一つもない。ただ全ての競技がその延長線上に『こんな実戦があるな』と想定できなければ、それは格闘競技とは言えない」

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【KYOKUSHIN】「価値観を否定しない」八巻建志復帰&剛毅會加盟会見で松井章圭館長がMMAについて語る

【写真】松井館長にMMAについて、しっかりと話してくれた(C)MMAPLANET

2日(水)、東京都渋谷区の国際空手道連盟・極真会館総本部代官山道場で八巻建志氏の極真会館復帰及び総本部師範就任と、岩﨑達也氏率いる剛毅會空手が賛助会員としての国際空手道連盟加盟に関する記者会見が行われた。

松井章圭館長の挨拶に続き、2002年に極真会館を退会し米国で八巻空手を興して活動してきた八巻氏は以下のように極真復帰について話した。

八巻建志
「20年振りに極真に戻って参りました。この20年間、極真を名乗ることはなくても心の中は極真で、大山総裁が常々言われていた『極真は最強でないといけない』という言葉を胸にやってきました。いつ、どんな相手であろうと、いかなる場所であろうと負けるわけにはいかないという気持ちで日々鍛錬をしてやってきました。私がやってきたものを少しでも伝えられれば良いと思っています」

続いて岩﨑氏は賛助会員として連盟入りについて語った。

岩﨑達也
「21年前に極真会館から自流を興し活動してまいりましたが、極真を否定して出て行ったわけでなく、自分の理想とする極真を自分なりに確立したいと思ってやってまいりました。そういった活動というものが少し松井館長に認めていただけて、今回こうやって賛助会員として加盟することになったのかと思うと、大変光栄に思います。極真というものは競技ではないと思います。価値観であり、思想であり哲学であるもの。それをやるにあたって大山倍達館長の後継人である松井館長を抜きにして語ることはできないと思っています。そういった方向に関して、自分が何らか協力できれば良いと思っています」

MMAPLANETでは場違いと自認しつつ、八巻氏の「いつ、どんな相手であろうと、いかなる場所であろうと負けるわけにはいかない」という言葉と、岩﨑氏が現在行っている武術空手をMMAに生かすという活動を鑑みて、極真の名の下においてMMAに挑戦することがあるかを尋ねた。3者の返答は以下の通りだ。


松井章圭
「これは私自身の話になってしまいますけど、私が話すので私自身の話としてしかできません。恐らく我々の年代が全てそうだったと思われるのは、我々は空手をやりたくて極真会館に入門したわけじゃないんですよね。とにかく強くなりたくて、言ったら変な話──当時少年でしたけど、子供の頃にいわゆる……こういう言い方をすると、昨今の世間ではどういう風に言われるか分かりませんけど、喧嘩に強くなりたくて。当然、喧嘩はノールールですから。そういうような意識で始めたことがこのような形になっています。

もちろん社会的に健全でないといけないというところで、極真会館というモノは本来、武道団体である。その延長線上というか、水面下でいえば社会体育団体であるというところに、原点を見直して、あるべき姿を追求する形にはなっていますけど、そういう意味においては試合の形状がどうであるかって関係ないんですよね。

だから組織である以上ルールがありますし、規律を守ってきちっとした秩序が大事になりますけど、そういうことをしっかりと守って行けるのであれば、現実、ウチはプロの選手……具体的に言うと、フランシスコ・フィリョ君がK-1に出て以降、プロの活動を是認していますし。今もキックボクシングのリングに上がっている選手もいますし、MMAの試合をしている選手もいます。

海外では、また複数いますし。それを一切否定するという気は全くないです。

だから岩﨑宗師が言われたように、そこを追求して結構ですし。例にも挙げられていましたけど昔、黒崎(健時)先生、藤平(昭雄)先輩……大沢昇先生、この人達が私たちのところを形的、組織的に離れて目白ジムを建てて、その道に邁進しました。そこに対して(岩﨑氏が)言われたように先輩たちが別門になったという意識は全くない。それこそ未だに黒崎先生や藤平先輩は自分達の大先輩、大きなアニキであったり、オジサンみたいな存在だし。

もっといえば当時の藤原(敏男)さんとか島(光雄)さんとか、岡尾(国光)さんという伝説的ファイターの人達を我々は先輩として認識していましたから。

そういう意味においては今、彼(岩﨑氏)がやろうとしていることで、そういった視点から我々に色々なアドバイスがあるだろうし。我々は便宜的に総裁から受け継いだ極真ルールやその武道性や実戦性を掘り下げて、そこは競技ですから競技性や安全性を追求していますけど、その限りではないということが実際のところなんです。

先ほども言ったようにウチは競技団体ではないので。武道性を追求するために便宜的にああいった舞台を創って、それを追求している。だからこそ全空連との友好化もありましたけど、ポイントルールも是認している。

だから我々組織が、組織ごとMMAに向かったり、キックに向かうということはないです、一切。K-1に行った時は『極真会館はプロになるぞ』、全空連と友好化した時は『極真会館はノンコンタクトになるぞ』って世間はよく言います。我々は一切そういうことはないし、組織としての根幹がぶれることはない。

ただ、その価値観を否定するモノではない──というところを皆さんに認識して頂けたら有難いですね。今後、そういう選手が出ていく可能性は大いにあります」

八巻建志
「MMAに出たいという選手は、その練習をやれば良いと思うし、自分の教えられることは教えたいと思います。MMAとか試合とかに拘らず──米国に暫らくいて感じたことは、何があるか分からないんです。いきなり襲われるかもしれないし。そういうのをいっぱい見てきたので、本当に使える空手じゃないとやっていて意味がないと思います。

本当に使える……危ない時に使えたりとか、自分の身を守れるような。そういう空手を教えていきたいと今は思っています」

岩﨑達也
「さきほど館長からお話が出ていたように、MMAの選手を育てています。育てていると色々な問題がある子もいて、さすがに風紀といった部分に相いれない子がいます(笑)。でも、そういう子こそやるべきだと僕は思います。教えている子にはSNS等でお騒がせしている子もいますけど、礼に始まり礼に終わるということをキチンとさせています。

『武道をやっているんだよ』ということは言っています。MMAをやる子には『君たちが大変な思いをして、この競技をやっているのだから、それが人生に生きないといけないよ』と常に言っていますし、そうあって欲しいと思っています。そういう道でないといけない。

『現役生活を辞めて引退した後の方が人生は大変なんだよ。そこでどうあるかで、君たちの評価は決まるんだよ』ということは、どんな子にも言っています。そこを理解しない子には私は教えません。確かに極真会館という枠組みの中には合わない子もいますけど、そういう子たちも稽古を通じてMMAを武道にしていってもらいたい。そこを常に意識して、今後も指導していきたいと思います」

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