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Interview UFC ブログ ヘンリー・フーフト 佐藤天

【Special】フロリダの佐藤天─02─「いつもより時間が割けることがある。現状に対してポジティブで」

Sato Takashi【写真】今や──笑顔をアップすることも憚れる世の中になりつつあるが、笑顔こそ忘れてはならない必要要素かと (C)MMAPLANET

非常事態宣言が出た米国。10人以上の集会が禁止され、飲食店もデリバリー以外は営業できず、移動の制限という判断も取られてきた。そんな状況で、MMAファイターがどのような生活を送っているのかを佐藤天に尋ねたインタビュー後編。

新型コロナウィルス感染者が世界最多となった米国は、最先端のMMAトレーニングが積める場所だ。MMAファイターとしてより良い環境を手にすることを念頭にフロリダのサンドフォードMMA(ハードノックス)に拠点を移した佐藤天は、ジムが閉鎖され、望んでいた練習環境を失った状況で何を想い、日々を過ごしているのか。

ヘンリー・フーフトのリーダーシップとチームメイトへの信頼感、リスクを減らす行動について話を引き続き訊いた。

<佐藤天インタビューPart.01はコチラから>


──それがUFC249の代替大会だけでなく、それ以降のことも考えているようですね。

「実際にUFC249をやると言い切ったことでダナ・ホワイトも批判を受けているようですし、どうなるのか……」

──ところでプロファイターは決して安くない指導料を支払っていますが、この間は稼ぎも途絶えるわけですし、佐藤選手の場合はどうなっているのですか。

「そこは僕は2月のニュージーランドの試合が飛んだ時点で、ヘンリーが『試合がなくなったし、次の試合までジムにお金は入れなくて良い』と言ってくれて」

──おぉ。素晴らしいですね。

「2月分さえ受け取らないって言ってくれましたし。この状況でもヘンリーは皆のところを回って顔を見て話す。素晴らしいリーダーで、皆がついて行こうと思える人です。だから、ポジティブな人間が選手にも多いです。ヘンリーだってジムの人間に会いに行くことはリスクがあるのに、統率してくれようとしています。

『人数に限りがあるし、試合が決まりそう選手をピックしていく。ここに関しては不満を言わないで欲しい。体調に不安のない選手で、他との接触を避けている選手はプライベートで練習を見ることもできるようになると思う。とにかく今はこういう状況だから、我慢できることをしてくれ。そして皆で乗り越えよう』と」

──もう、それはサンドフォードMMAだけでなく世界中に通じる金言ですね。右に倣えのリモートワークで、何も統制できないトップもいるようですからね。

「街中は怖いから1人でいようという風な人が多いようにも感じられます。そんななかでヘンリー自身が、自分がデキることをやってくれる。なら、自分もと思います。現実を見て、悲観もせず、素晴らしいです。

僕もルームメイトとチームメイトを信頼していますし、家族や一緒に住んでいる人以外とは接しないようにと言われている状態で、会っているのはルームメイトと近くに住んでいるチームメイトだけです。それ以外の人とは関わり合いを持っていないです。外に出るのも、車で買いだしに行くくらいですしね」

──米国もUFCやBellatorのファイター以外は、MMAだけで生活できないのは日本と変わらないと思います。そういう選手たちは生活の危機でもあるわけですよね。

「さっき言ったバーで働いているトムは、焦ったりしていないですね。家でアクセサリーを作って、『売れないかな?』ってやっています(笑)。前向きな人間と、極端に怖がっている人がいて──自分の回りはポジティブな人間が多いです。人とは関われないけど、何とかして食っていくしかないという風で。

僕も他の選手と変わらず、金銭的には厳しいところがありますけど、やることをやるだけですね。悲観的にはなっていないです。日本で自分を応援してくださっている人たちの方がもっと大変になってくるだろうし。

試合ができない状態がいつまで続くのか不安要素ではありますけど、自分でコントロールできないことなので悲観しているわけではなく、前向きに毎日笑顔で過ごせています。練習も課題を見つけて、やっていますし」

──自宅トレだと打撃中心になるかと、柔術はともかくレスリングをすることは難しそうですね。

「レスリングはなかなかできないです。そこはストレスというか……組み技がしたいですね」

──米国から日本の今回の取り組み方への批判がよく聞こえるようになってきました。今フロリダにいて佐藤選手は、家族のいる日本の有りようをどのように見ていますか。

「少し、行動するのが遅いのかとは感じます。友達と話したりしますけど、一つ一つの対応が徹底していないというか。ただし自分が日本に残っていたら、やはりジムの選手とは少人数で練習していたと思います。

と同時に日本にいると、どうしても移動手段が電車になるので、そこは考えないといけなかったでしょうね。なのでジムに行かなければ練習ができないという風にならず、自分で工夫することも必要になってくるかと思います。

色々とできることはあるはずです。スパーリング、組み技ができなくなるなかで、いつもより時間が割けることがある。そういうことに重点を置いて、時間を掛けても良いはずですしね。こっちにいても、家でしか練習できないので、そういう現状に対してポジティブでいたいです」

──なるほどぉ。本当にその通りですね。日本と違う日常にいる佐藤選手の言葉で、日本にいる格闘技従事者も考える材料を貰えたと思います。今日はありがとうございました。

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Interview Special UFC ブログ ヘンリー・フーフト 佐藤天

【Special】新型コロナウィルス感染拡大で、ジムが閉鎖。フロリダの佐藤天─01─「ビーチから人が……」

Ten Sato【写真】 スティーブ・モウリー、ジムのマネージャーのトムさん、そしてリントン・ヴァッセルというチーム&ルームメイトと共に(C)MMAPLANET

今や新型コロナウィルス感染者数が世界一を数えるようになった米国。2100万人の人口を誇るフロリダ州は、フォートローダーデールに生活拠点を置く、UFCファイター佐藤天にフロリダの現状を尋ねた。

米国東部でもメリーランド州、ヴァージニア州とウィルス拡大の猛威が南下しつつあるなか、フロリダ州も1日に高齢者及び基礎疾患のある人は自宅待機、全州民に移動制限をデサンティス知事が発表し、3日から発効している状態だ。

そんななか佐藤からサンフォードMMA (ハードノックス)という絆、そしてヘンリー・フーフトのリーダーシップにより、皆がポジティブになれているという話が訊かれた。


──今回の新型コロナウィルスですが、フロリダにいる佐藤選手はいつ頃から目に見えて影響が出てきました。

「予定を早めて日本から3月8日にフォートローダーデールに戻ってきたのですが、次の週にスタンフォードの新しいジムに行ったら、その時点でヤバイ状況らしいということは伝わってきていました。

まだ緊急事態宣言が出ているわけではなかったのですが、ジムのスポンサーに病院もあって。一旦、練習を解散して『これからのことは後から連絡するから』という風になりました」

──米国ではトランプ大統領が3月13日に国家非常事態を宣言しました。そこからジムを閉めている状態ですか。

「ベラトールが中止になったりして、その週明けにはジムで10人以上集まらないようにということになりました。それでも皆で連絡して時間をずらして練習をしていたら、MMAだけでなくラグビーかアメフトの選手達も来ていて……」

──あぁ、10人以上になってしまったと。

「ハイ。車がたくさん停まっていたので、それを見た警察官がジムにやってきてすぐに帰宅させられました。それからはジムも閉められて、サンフォードMMA では練習できない状態です」

──街の様子も変わりましたか。

「非常事態宣言前は、それほど変わっていなかったです。飲食店も開いていたので、自分のルームメイトの1人はバーで働いていました。でも非常事態を宣言されてからは、もう飲み屋も完全にクローズになっています。平日から人が溢れかえっていたのですが、ビーチからも人がいなくなりました。今はもう車の往来もほとんどなくなっています。

ただ不必要でない外出以外はスーパーなどへの買い物も行けます、デリバリーやドライブスルーができる飲食店はオープンしていますし」

──それでも米国の人はマスクはしないのでしょうか。

「昨日、スーパーに行った時には大きめのマスクをしている人も増えていました。やはり人にうつしたくないですからね」

──佐藤選手の住まいは土足ですか。

「いえ、ファイターズハウスは土足ではないです。部屋に入る時には靴を脱ぐようにしています」

──土足だと色々なモノを持ち返って来るでしょうし、その違いもあるのかと思っていました。

「今はフロリダも、皆が守るべきことを守るという一定のルールに従っている感じですね。夜の9時以降は外出禁止になっていて、それを無視していると逮捕されることもあるようです。実際にフロリダの大きな教会の牧師が礼拝を続けていて逮捕されていますし」

──神様、地球を救ってとやっていて……逮捕される(笑)。

「アハハハ」

──本来は笑っていられないのですが……。

「そうですね……。実際に米国も感染者数が凄く増えていますし。チームメイトの家からそんな離れていないところの人が感染して、亡くなっています。危機管理という部分では……、罰せられるということは強制力がありますよね。自分たちも実際にそうだったので。

練習したいのは当然で、でも多く集まるのは危ない。ジムが閉鎖になって、ルームメイトたちと家で練習している形になりましたし。

そんななか、ヘンリー(フーフト)が僕らの家に来てくれて。きっと皆のところを回っているのでしょうが、『こういう状態だから今は少人数でデキる練習をして。またジムが使えるようになったら、5、6人が集まって時間をずらして練習をしていくようにしよう』と話してくれました」

──さすが気持ちの繋がりを大切とするヘンリーですね。

「あと、UFCは試合をしようと模索しているじゃないですか」

──ハイ、18日のNY のMSGでやる予定だったUFC249ですね。実際のところメインのカビブ・ヌルマゴメドフ✖トニー・ファーガソンのUFC世界ライト級選手権試合は実現しなさそうですが……。入国制限のない国の選手を集めているという情報もあります。

「ハイ、サンフォードMMA にもブラジルからビセンチ・ルケがやってきました。試合のオファーなど、明確な指示は今のところないようですが、試合を組む時に備えて早めに集めておこうということかと思います」

<この項、続く>

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Interview J-CAGE ONE Road to ONE02 SARAMI ブログ

【Road to ONE02】「アレをチャラにしないといけないから」鈴木祐子と対戦予定だったSARAMI─01─

Sarami【写真】「格闘技には関しては真っすぐ」というのが、北岡悟のSARAMI評。既に体重も創り始めていた……(C)MMAPLANET

17日(日)に東京都渋谷区の渋谷TSUTAYA O-EASTで開催されるRoad to ONE02に出場予定のSARAMI。

本来、同大会は12日にニューピアホールで行われる予定で、そこで鈴木祐子と対戦することが決まっていたが、日時変更と無観客大会の決定以前に鈴木欠場の報が彼女には届いていた。

3月30日、対戦相手の欠場が伝えられ、大会開催は現状として絶対とはいえないなか、SARAMIの想いを尋ねた。


──色々と不安点な状態で試合が近づいてきています。

「もともと4月16日に決まっていたONE Warrior Seriesが延期になってしまって、それなら12日のRoad to ONEで試合をしないかと言ってもらえ……3週間ぐらい前ですかね。で、すぐに『やります』と返答しました。ただ、その時点から大会を本当に開くことができるのかというのはありました」

──ONE WSのオファーはいつだったですか。

「1月です。年が明けた時点で4月にと。それが1月の終わりに2月にどうかと尋ねられたのですが、それは急すぎるので無理ですって返答して。もう、対戦相手もウォリアーで2勝している豪州人選手(※クリスティ・オブスト)に決まっていたんです。でも、結果的に4月にしたいということで……こういう風になってしまって」

──それは致し方ないです。誰も予測できなかったことですし。万全を期して戦う選択を誰もしたいはずです。いずれにせよ今回の試合は昨年10月にキム・ソユルに敗れて以来のファイトになる予定でした。

「ハイ」

──今、この状況になっていなくても半年ぶりの試合になります。ウォリアーを選択したのはSARAMI選手ですが、日本のプロモーションに残っていればもっと頻繁に試合ができたのではないかという見方もあります。

「そうですね……。JEWLESでタイトルマッチで負けてしまって。もう同じ相手と戦うようになっていたので、あのなかで格闘家人生が終わってしまうのは嫌だという想いが、まずありました。

これまでも海外(PXCROAD FC)で試合をしていたので、また海外で戦いたかったです。だからONEに出たいというのを北岡さんに伝えて、それは無理だけどウォリアーなら出られるということでこうしたので。

日本の団体にいたら試合はもっとできたと思います。でも、もうキャリア的にも年に4試合とかする時期ではないと思っています。う~ん去年は2試合だったので、もう少ししたかったです」

──例えば黒部三奈選手は修斗で新設される女子スーパーアトム級王座を獲ってONEへという青写真を描いています。

「良いですよね。上手くいっている感じで(苦笑)。私がウォリアーで戦うと決めた時に、あのトーナメントの話はなかったですし。これは言っちゃって良いのか……JEWELSに出ていた時ですけど、パンクラスに出たいと言ったこともあったんです」

──どうしても対戦相手が一回りすると、戦場は変えたくなりますよね。それは男子選手も同じだと思います。

「でも、その時はアトム級の試合は組んでいないということだったので。まぁ、今は組んでいるし──タイミングや自分の実力不足で仕方なかったんだと……」

──究極、勝っていると発言力もできて選択肢も増えるのが格闘技で。そういう決意で選んだウォリアーシリーズですが、10月に日本で敗れたというのは?

「あの試合は勝てる相手だったと思います。あんまり思い出したくないけど……あぁ、これで泣いたら、また泣くキャラになっちゃう……。

良くないことが積み重なって、自分で負けにいってしまった。あの負けはなかったことにならないので、アレをチャラにしないといけないから、早く試合がしたいというのはあります。だからウォリアーがなくなって、Road to ONEからオファーを貰えた時はありがたかったです」

──対戦相手が、取材前に欠場が決まった鈴木祐子でした。キャリア的に見ると、かなり差がある相手ではあったと思います。

「ですよね。やる必要があるのかとは思いましたけど、試合がしたかったですし」

──ONEに行きたい選手同士が、ここで日本人対決をする。しかも日本では格上だったSARAMI選手との試合を受けた鈴木選手も強い決意だったのだろうと思いました。

「キャリア的にはそうだけど、ウォリアーでいえば彼女は2勝をしていて私は1勝だし。これは消化試合じゃないので受けました。勝って当然でしょと皆が思う試合だし、私もそう思っていました。でも、私は去年の10月に負けていて、彼女は逆転で2勝目を挙げた。

ああやって勝つってことは、実力がついてきているからで勢いもある。ちゃんとしないといけないと思っていました」

──しかし、あと2週間というところで(※取材後に大会が17日に変更された)試合が宙に浮いてしまいました。鈴木選手が出られないという連絡を受けたばかりですが、どのような気持ちになりましたか。

「もう……まぁ仕方ないといえば仕方ないです。それは世間的にも……」

<この項、続く>

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SFL02 Special The Fight Must Go On アレキサンダー・シュレメンコ パット・ヒーリー ブログ ミノワマン ライアン・ヒーリー

【The Fight Must Go On】イベントプログラム・シリーズ─02─2012年4月7日、Supre Fight League@インド

SFL【写真】インドMMA界のパイオニア──Super Fight League (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第13弾はMMAPLANET夜明け前から一転、ただ単なるイベントプログラム・シリーズ……その第2回として2012年4月7日、Super Fight League(SFL)のパンフレットを捲ってみたい。


SFLはインド初のMMAプロモーションで、この1カ月弱前にムンバイで旗揚げ興行を行ったばかり。ロンドンで生まれ育ったインド人富豪のラジ・クンドラとインドのシルベスタースタローンことサンジェイ・ダットが共同オーナーだ。クンドラは今もアジアのプロスポーツ・リーグで最も資産価値の高いクリケットのインディアン・プレミアリーグに参加するラジャスターン・ロイヤルズのオーナーでもあった(※2015年に、八百関与でクリケット連盟より永久追放される)。

SFL02発足から3カ月にして、2度目のSFLには日本からミノワマンが出場し、メインでは後のUFCファイター=トッド・ダフィー✖UFC&Bellatorベテランのニール・グローブが組まれていた。

対戦カードから分かるようにストライクフォース&UFCで活躍したパット・ヒーリーの実弟ライアンが、元UFCの英国人選手=ポール・ケリーと第1試合で戦うなど、海外からの実力者や名前のある選手が集められ、まだMMAが始まったばかりのインド人ファイターはスリランカ人と戦うという二本立てのラインナップが用意されていた。

ただしデリーから北へ5時間のドライブで到着したチャンディガールという人口100万人以上の人工都市では、選手たちが滞在するホテルのレセプションだけでなく、クシュティ(ヒンドゥーレスリング)の練習生や指導者もMMAを知らないという状況だった。

SFL03クンドラはインド映画ボリウッドの人気女優のシルパー・シェッティと結婚しており、MMAを普及させるために銀幕のスターの力を大いに使った。シェッティの妹で彼女を上回る知名度を誇るシャミターでメディアの関心を高めようとした。

試合前日のパブリック計量では、その計量結果やルールミーティングにはまるで興味を示さなかったローカル・メディアは、シェミターの登壇とともに記者席のテーブルを飛び越え、我さきにとばかりステージにかぶりつき状態に。あちらこちらで口論や、小競り合いが見られる事態に陥っていた。

SFL06イベント当日も第1試合が始まるまで、自体もパンフレットで選手以上の扱いを受けていたラッパーや歌って踊れる芸能人のステージが1時間以上も続いた。

Minowaman肝心のケージの中はインド✖スリランカ対決と、国際戦のレベルの違いは明白だったが──自分は最後まで大会取材ができたわけではなかった。

第4試合に出場したミノワマンがアレキサンダー・シュレメンコのミドルで脇腹を負傷し、病院へ向かうことに。英語と日本語が理解できる人間が、レフェリーの島田裕二さん以外にいなかったことで──カメラバックを選手の控えテントにおいて、救急車で現地の病院に向かうよう大会関係者に請われたからだ。

この救急車サスペンションがガチガチに固く、ちょっとした路面の不具合が車内に直結する。大きく車が跳ねる度にワキ腹を抑え、苦痛でうめき声をあげるミノワマンには非常に申し訳ないが、「牛が来たら、救急車も止まるのか」などと自分は考えていた。

ミノワマンが搬送された病院がまた凄かった。救急車で運ばれたミノワマンは、ストレッチャーに乗せられたままで延々と待たされ続ける。そのあげくドクターは患部を触るだけで、痛み止めを打って終ろうとする。いやいや、「彼は明日5時間のドライブから飛行機で8時間かけて東京に戻るのだから、もう少しちゃんと見てくれ」とこっちも必死になる。なんとかレントゲン撮影までこぎつけ、患部にジェリーを塗ってエコー検査のようなモノを終えると、「骨には以上がない」と満足気な表情でペインキラーを注射した。

病院についてから、かれこれ2時間半は経過していただろうか……大会はすでに終わっており、ホテルに直接戻ってきてくれとSFL関係者から携帯に電話があった。我々が宿泊していた五つ星ホテルはパキスタンと国境を接している州ということもあり、常にXレイで持ち物の検査がある……と、その時になって初めてカメラバッグを持っていないことに気付かされた。

ミノワマンのセコンドだった伊藤崇文さんも、自分のバックは見なかったという。いや、カメラとレンズで60万円以上の機材なんですけど……。焦りまくり、徐々に「伊藤さん、そこは見ておいてくれよ。あんたが英語が分からないから、俺が病院に行ったんだろう……」だとか「ミノワマン、ミドル蹴られたぐらいで怪我すんなよ」、「インドになんか来るんじゃなかった」とロビーで人間の小ささを示さんとする感情に支配しれていた。と、ミノワマンと同じ控えテントだったライアンの兄パット・ヒーリーが、「病院に行ったと聞いたから、困るだろうと思って持ってきたよ」とバッグを肩から掛けて笑顔を浮かべている。

1994年、放浪中にウィーンで現金とトラベラーズチェックを合わせて100万円ぐらい入ったウェストポーチをトイレに忘れ、1キロほど猛ダッシュでマクドナルドに戻った時に、入り口の前で「きっと慌てて取りに来ると思ったよ」と待ち構えていてくれた店員さんと、この時のパット・ヒーリー──2人の天使のような笑みを決して忘れることはない。

閑話休題。

クンドラは翌年、経営に行き詰まりSFLを手放したが、新たなオーナーの下でその活動は2017年まで続いた。SFLを中継していたインド・スタースポーツは昨年4月からONEの各大会を放映している。ONEにはインドの女子レスリング界を変えた一族からMMAに転向したリトゥ・フォーガット、インド系カナダ人で五輪レスラーのアルジャン・ブラーのという手札がある。

Brave CFは既にインド進出を果たし、SFLのリアリティTVショー出身でInvicta FCとの提携で米国デビューを済ませたマンジット・コルカーを登用。カタンタラジ・ジャカル・アガサなど国際戦で勝利する選手もでてきた。

Raj「インドで2番目に人気のあるスポーツになれば、それで十分なマーケットが存在する。SFLのターゲットは中流層の18歳から35歳。この層だけで5億人の人口がいるんだ」というクンドラの言葉が思い出される。

中国の次はインド、これはもう明白だ。

ちなみに帰国後、ミノワマンは日本で診察をうけ脇腹の骨折と診断されている──。そしてミノワマン、伊藤さん、島田レフェリー、自分、帰国してから2週間以上、下痢が続いた。

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ONE Championship Special The Fight Must Go On エミリー・チュウ ブログ

【The Fight Must Go On】All Time Monday Ring Girl Top 5→第1位 たった1度のONE台湾大会 Emily Chu嬢

16 07 11 OFC18【写真】たった1度だけというので、さらに印象に残っているのかもしれないです(C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第12弾はMMAPLANET All Time Monday Ring Girlトップ5……1位のリングガールを紹介したい。

ごく一部で熱烈なファンが存在するMonday Ring Girlのトップ5を独断と偏見でチョイスしました。


MMAPLANET All Time Monday Ring Girl ──栄えあるかどうか分からないですが、第1位は2014年7月11日に開催されたONE Championship 唯一の台湾・台北大会のリングガールだ。

今回、この企画のためにONE War of Dragons、RING Girlで検索を掛けると、その名前がEmily Chuさんであることが判明。残念ながら、彼女がONEのケージサイドに姿を見せたのは、この1度だけだが、セックスアピールで勝負する風でなく、ファイトショーにおける紅一点とはまるで違ったイメージの女性でした。

特別感というか、リングガールとしては特に別な感じがあった彼女ですが、当時ゴング格闘技の編集をしていた某・亀池聖二朗くんに「すげぇ可愛い、清楚な感じのリングガールがいた」とわざわざ写真をメールすると、『僕の好みではないですねぇ。僕は東ヨーロッパ系の方が云々かんぬん』という返信が……。「ワレ、どの面下げてぬかしとんのじゃ!!」と思ったことも強烈に印象に残っています。

というわけ──で、今日初めて名前を知ったエミリー・チュウさんですが、6年を経て何をされているのか一切分からないですし、亀池のお眼鏡にかなわなかった清楚ぶりが健在なのか想像すらできないです。が、ONEが彼女を再起用することと、大好きな台北再上陸を願ってやみません。

18 07 11 OFC18 03

Emily

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Interview News ONE Road to ONE02 ブログ 後藤丈治 祖根寿麻

【Road to ONE02】欠場→一転、後藤丈治戦確定の祖根寿麻「2日遅れのエイプリルフールだと」

Sone Kazoomer【写真】本当はキィキィ言っているだけで何を言っているのか分からないのですが、同じ愛知県のジャバーニ久米鷹介選手が訳してくれました(C) MMAPLANET

3日(金)午後、サステインより17日(金)に渋谷区の渋谷TSUTAYA O-EASTで、無観客大会として行われるRoad to ONE02で後藤丈治と対戦予定だった祖根寿麻の欠場が一度は発表されたが、夜には再びリリースでこの試合が組まれることが改めて明らかになっている。

欠場の報を受け、「なんで俺が欠場になっているの?」とツイッターで反応した祖根。新型コロナウィルス禍以前から、基本リモートワークの共催大会だけにコミュニケーション不足がその背景にあった模様だ。


改めて後藤と戦うことが再確認された祖根は以下のようなコメントをMMAPLANETの読者向けに話してくれた。

祖根寿麻
「まず昨日の欠場発表後にゴタゴタしてしまい、この大会の開催に向けて努力を続けてくださっている関係者の方々に不快な想いにさせてしまったこと、お詫び申し上げます。

この件も糧にして、当日は後藤選手としっかりと試合をします。僕を踏み台にしたい感がすっごく伝わってくる試合ですが、逆に叩き潰させてもらいます。このような世の中で僕も泥水をすすって生きているので、負けるわけにはいかないです。

試合欠場の発表も2日遅れのエイプイルフールだと思い、気持ち入れ替えて試合まで気を抜かず、免疫力あげていきます。応援よろしくお願いします」

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Interview JJ Globo ONE Road to ONE02 Special ブログ 世羅智茂 青木真也

【Special】月刊、青木真也のこの一番:番外編─世羅智茂戦@Road to ONE 02「いつもと変わりなく」

Shinya Aoki【写真】ロータスはMMAグラップリング、IGLOOでピュアグラップリングを構築する青木 (C) MMAPLANET

過去1カ月に行われたMMAの試合から青木真也が気になった試合をピックアップして語る当企画。

背景、技術、格闘技観──青木のMMA論で深く、そして広くMMAを愉しみたい。世界的にMMAがストップした3月、試合数も激減したなか過去の試合をチェックするなど、変わらぬ情熱を見せる青木は、17日に東京都渋谷区の渋谷TSUTAYA O-EASTで開催されるRoad to ONE02で、世羅智茂とグラップリングマッチを戦うことが決まっている。

今、このタイミングで組み技を戦う青木に、自身の次戦について引き続き話を訊いた。


──世の中が揺れるなか、青木選手自身は世羅選手とのグラップリングマッチが決まっています。

「試合に関する向き合い方は、普段と変わりないです。最近、グラップリングが面白くなってきているので、一度やってみるのも良いなって。単純に面白くなってきています。もちろん、MMAの試合が決まっていればそっちを優先しますけど、楽しくなってきたグラップリングを試合で試すことができる。そこは単純に楽しみです」

──これまで青木選手がONEで行ってきたグラップリングは、どちらかというとケージグラップリング、MMAグラップリング的な要素が強かったと思います。今回の相手である世羅選手は純粋な柔術家、楽しくなってきたグラップリングを試すには壁にはこだわらない?

「ケージグラップリングではありますけど、相手によりますからね。マラット・ガフロフとやった時は相手がそれを望んできて。ゲイリー・トノンにはケージ中央でやられちゃいましたし。相手次第だから純粋グラップリングになる確率は高いと思います。それが楽しくなっちゃっています」

──世羅選手が座ってきても、対応できますか。

「できると思います。実際、日本にはグラップリングだけを戦っている人はいないし、そのなかで僕も純粋グラップリングの練習を週に一度やっているので。そういう意味でも良い対戦相手だと思います」

──正直なところ世羅選手とのマッチアップは意外でした。

「まぁ、色々対戦相手の名前は挙がりましたけど、現状でできる相手だと国内に限られてきて。そうなると、僕の方から特定の名前を挙げて組んでみたい相手はいないです。

そんななか関根(シュレック秀樹)さんの名前が挙がったことがありましたが、体重差もあって文脈が違い過ぎるだろうって(笑)。逃げたと言われると、まぁ癪に触るけど……。だって、僕のキャリアのアップデートにならないですからね。今、関根さんとグラップリングで試合をしても」

──エンターテイメント要素が強くなりますね。見た目の印象で。

「まぁ、しっくりとは来ないです。そういう試合があっても良いけど、僕が今グラップリングを真面目に取り組んでいるなかで、技術的にもアップデートしているので──ここはヘビー級の関根さんじゃないだろうって。自分の取り組みを良い形で試合に出したいから。

そうなると国内のグラップリングで一番強くて、名前があるのは岩本選手だと思っています。でも岩本選手とは週に3回、組み合う仲になっているので試合はできないですし」

──そして良い対戦相手、世羅選手との試合になったと。どのような印象を持っていますか。

「頑張る選手です。今成戦ではバックを取っているし、全く舐めたりしていないです。シリアスな勝負になると思っています。だから、世羅選手に頑張り勝ちたいです」

──世羅選手と今成選手の試合は、互いに警戒心が強い試合でした。

「僕はああはならないと思います。攻めたいので。まあ、そこは僕の宗教観で。攻めてこそ、ナンボという性分があるので攻めたいです」

──格闘技として楽しくなるには、世羅選手が青木選手の攻めをどれだけ遮断できるのか。そこが見所だと思っています。

Aoki & Iwamoto「僕としては、逆にそこを崩さないといけない。岩本選手や山中(健也)選手とIGLOOで練習できていることは財産になっているので、そこが上手く……技術的に出るかと思います。グラップラーの岩本選手、柔術家の山中選手、そしてMMAファイターの僕。

3つの宗教が混在していて、柔術、グラップリング、MMAとかなく、グラップリングマッチを戦います。本来は僕が技術をたくさん仕入れて引っ張らないといけないのですが、最近は教えてもらうことが多い。それが出る試合になるような気がします。練習でやっていることが出る。そういう試合になるでしょうね」

──自粛、延期、中止が合言葉となりつつある格闘技界。この現状で流動的(このインタビューをした時点で17日の無観客は発表されていなかった)ながら、試合があることについては。

「やるヤツはやる。どうなるか分からない部分はあるけど、そういう状況は関係なく、試合に向けてはいつもと変わりなくやります」

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HOOKnShoot Special The Fight Must Go On アレッシャンドリ・カカレコ エルミス・フランカ タクミ ブログ マイク・ブラウン マット・ヒューム 山下志功 鈴木洋平

【The Fight Must Go On】DVDチラ見─02─2001年11月17&18日、マイク・ブラウンが戦っていたのは修斗?

HnS【写真】古き良き時代と新しい時代への交差点のような大会だったHOOKnShoot KINGS (C) FIGHTWORLD.com

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第11弾は懐かしくもあり、今や秘蔵っぽさタップリのDVD紹介シリーズ、その第2回として2001年11月17&18日にインディアナ州エヴァンズビルで開催されたHOOKnSHOOT「KINGS」のDVDを紹介したい。


豪州=オーストラリア修斗、ハワイ=スーパーブロウルに続き、中西部インディアナ州でプロ修斗公式戦を組むようになった──今でいえば──フィーダーショーがHOOKnShoot(以下HnS)だ。とはいっても北米のビッグショーはUFCだけといっても過言でない時代、人口10万人強(広域都市圏では35万人ほど)の地方都市のメモリアルホールで行われていた大会は、今の北米ローカルショーとは比較にならない国際色豊かなイベントとして行われていた。

HooKとShoot、裏技とガチというプロレス隠語を合わせたネーミングのMMA大会は1996年から活動しており、いわば業界のパイオニアの一つであった。そして90年代の終わりごろ米国のマニアック層は、修斗の競技志向をリスペクトする傾向が見られ、HnSを主宰するジェフ・オズボーンもその一人だった。そんなマニアック過ぎたオズボーンを片腕として、後にBodogなど非UFC系のビッグショーのマッチメイカーやタレントリレーションズで活躍するミゲール・イトゥラテがサポートし、一介のローカルショーの域を脱するショーを2000年から2001年にかけてプロモートしていた。

イトゥラテはこの2日連続イベントからフロリダの富豪ダン・ランバートの資金援助を得るようになり、シウベイラ・ブラザース所属の3選手やコーチ陣はランバートと共にプライベート・ジェットでエヴァンズビル入りを果たしていた。

Franca vs Brownそう後のATTの原形がこの大会で見られたことになる。

シウベイラ・ブラザースから出場したエルミス・フランカは、今やATTの知恵袋として八面六臂で活躍中のマイク・ブラウン(当時はキース・ロッケル率いるアムハースト・サブミッション・アカデミー所属だった)を2分少しで三角絞めで下している。

この大会はプロ修斗公式戦を行うことで日本からTV放映料を得ていたが、HnSという大会のブランド力をアップさせたいイトゥラテの意向もあり、修斗公式戦と北米ユニファイドルールを併用したイベントでもあった。

タクミ、山下志功、鈴木洋平が日本から出場した修斗公式戦とはいえ、HnSでの修斗公式戦はインディアナ州アスレチックコミッションの認可を受けるために、当時日本で用いられていた10カウント制は採用されず、修斗インディアナ・ルールという特例ルールの下で実施されていた。

Nakayamaばかりか、この大会では競技運営面を統括していたインターナショナル修斗コミッションとプロモーションのコミュニケーション不足もあり、修斗グローブが現地になく修斗公式戦出場ファイターもハービンガー・グローブを着用していた。

結果、2001年だけで脅威の6勝目をタクミが挙げた✖ヘンリー・マタモロス戦にしても、修斗公式戦か北米ルール下でのMMAマッチか、今や映像を確認しても判別がつかない状況になってしまっている。

Shikoしかも、山下は2回戦契約だったが現地では3回戦と認識されており、2R終了後に混乱が収まらないまま3R開始に応じた山下はカーチス・スタウトに判定負けを喫している(※後日、修斗公式戦的にはノーコンテストとされたが、今も北米の主要サイトでは山下は敗北のままだ)。

このように公式戦を世界に広めようとした修斗と、尊敬心以上にビジネスとして日本のCS TVマネー欲しさで繋がったHnSとの関係は余りにも脆弱で、彼らの関係はその後2年ほどで解消される。イトゥラテはATTとより強力なタッグを組むことになり、HnSはフロリダに進出するとAbsolute FCという別名を用いるようになる。

ほどなく人が良いもののメジャー・プロモーションの経営者の資質に欠けたオズボーンと野心家イトゥラテの蜜月も終焉を迎えたものの、HnSはオズボーンの手で地元エヴァンズビルのハウスショーとして、2017年4月まで活動を続けていた。

CacarecoこのKIGS 2Daysにはイワン・フリーマン&レイ・レミディオスの後の英国UFCファイターズ、既に古豪入りが近かったカーロス・バヘット、2年後のADCC無差別級で2位となるルタリーブリのアレッシャンドリ・カカレコらが出場。

またAMCからアーロン・ライリー、アンソニー・ハムレット、クリス・モンセンを率いていたマット・ヒュームを始め、同じ中西部のエクストリーム・ファイティングのモンテ・コックス代表らがリングサイドに陣取っており、まさに古き良きNHB時代から2005年以降のMMAメインストリーム時代へのクロスロードのようなイベントだった。

Yohei & Matt現ONE副社長となったヒュームは、かつてシアトルで指導した鈴木のセコンドにも就いており、ビクター・エストラードにTKO勝ちした彼とリング上で抱き合って喜びを露にしているシーンもしっかりとDVDには収められている。

そんなHnS KINGのDVDはFightworldというオズボーンの経営するビデオ製作&販売会社から発売されていたが、彼はその映像権をUFC Fight Passに売却。そう……ここに挙げた試合は、なぜかHnS KINGS2というタイトルでファイトパスのライブラリーで視聴できるので、ぜひチェックしてほしい。

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Special The Fight Must Go On ビビアーノ・フェルナンデス ブログ

【The Fight Must Go On】あの時、〇〇が話していたこと─02─2011年6月9日、ビビアーノが話していたこと

Bibiano【写真】今から8年10カ月前のビビアーノ。さすがに若いが、その生い立ちから達観ぶりはずば抜けていた (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第10弾は過去のインタビューで、今も印象に残っている言葉を再収録したい。あの時、〇〇が話していたこと……第2回は2011年6月9日──カナダ・バンクーバー郊外リッチモンドで取材したビビアーノ・ヘルナンデスの言葉を振り返りたい。

2011年、東日本大震災のあった日本ではPRIDE後の格闘技界をDREAMとともに引っ張ってきた戦極が活動停止となり、そのDREAMも縮小化へ。レギュラーといっても過言でなかったビビアーノも来日が半年以上途絶えていたなかで、UFCやBellator移籍もあると見られていた。

そんななかDREAMで戦うことを拘るビビアーノは、当時は余り明らかとされていなかった達観した人生哲学を語り始めた。こんな今だからこそ、あの時のビビアーノの言葉をお届けしたい。


──このような状態になってもビビアーノが、日本で戦い続けるという想いはどこから起こってくるものなのでしょうか。

「今、試合がなければ道場のことを考えている。DREAMとの契約が残っているんだから、UFCで戦いたいとかベラトールで戦ってみたいとか、そういうことは口にしたくないんだ。最初に何かを始めれば、それは最後までやり通さないといけない。DREAMからなかなか試合の機会が与えられなくても契約は彼らとの間にしか存在しないんだ。そういう大前提として存在するものを飛び越えて次の話を進めることは、人間的にも良しとしないんだ。

僕はここにいる。今、君のインタビューを受けている。その時に他のインタビューのことを考えるわけにはいかない」

──なんだか本来は当然のことなのですが、状況が状況ということがあるなかでビビアーノの義理堅さには驚くばかりです。

「だって人は今を生きているんだ。将来のことばかり考えたってね。分かるだろう?」

──自分など将来に不安を感じ、今という現実を軽視してしまいがちなのでビビアーノの言葉が胸に響きます。

「将来のことなんて何も分からないよ。今、その足下を見つめないとね。DREAMから『ビビアーノ、君はもう要らない』と言われれば、他のオプションを考える。だからDREAMがなければ……という過程の話をしてもしょうがない。僕はジャングルで生まれ育った。

僕らは生き残るために生活していて、死というものを身近に受け入れている。だから今、できることをこなし、平穏に生きたいんだ。頭をクリアにして真っすぐ歩いていくことが大切だと思っている。何かに挑戦することを大きく喧伝する連中もいるけど、僕は生きていくこと自体がチャレンジなんだ。

今の生活に不満はない。生き急いでどうなる? 早く死にたいってこと?  意味はないよ。スピードを出し過ぎた車は事故を起こして壊れてしまう。焦る必要はない。時間を掛けて生きるんだ。急いで走ってストレスを感じて、人を信じることができなくなって……一体何を恐れているの?」

──何事も生き急がないと。

「生まれてきた誰もが死ぬんだ。それだけは皆、変わりない。何を生き急ぐ必要がある?」

──マナウスやリオデジャネイロに住んでいた頃と比較して、随分と成熟したと思いませんか。

「そんなことは決してないよ(笑)。生き方は同じだけど、今のように昔は断言できることはなかったね。僕はお金のために戦ったことはない。母が亡くなって家には食べ物もお金も無くなってしまった。ある女性の家の掃除をして生きていくことになった。彼女は『いくら欲しい?』と尋ねてきたけど、『食べ物が欲しい』と答えたんだ。僕はお金を得るために生きてきたんじゃない。生きるために生きてきたんだ」

──本来はバンクーバーでビビアーノの練習などを拝見させてもらって紹介しようということが主題の取材だったのですが、このような会話になるとは思っていなかったです。

「なぜか? 今日、ここにいるからだよ。君がバンクーバーに着いたばかりなのに、僕が住んでいるラングレーにレンタカーをドライブしてくると言うので、そんなことをさせることはできないと思った」

──そのためにわざわざ、私が宿泊しているホテルまで足を運んでくれたのですね。

「自分のことを第一に考えるのなら、家で君の到着を待つだけで良かった。しかし、東京から飛行機の長旅で疲れている友人に、酷い渋滞のなかドライブなんてさせたくなかった。人生は人を思いやり、人から思いやれるもの。自分のことばかり考えて、何かを手にしていくのは実は人を思いやれないことと同じで、何も残らない空っぽな人生になる。

今、日本は大変なことになっている。でも、しっかりと気持ちを落ち着けて、自分以外の人のことを考えていくと、危険は去り、また良い時代がやってくるに違いない。そんな日本でまた戦えることを楽しみにしているよ」

──Fight & Life 2011年10月号(Vol.26)より抜粋──

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Interview Special トム・ヘルピン ブログ 青木真也

【Special】月刊、青木真也のこの一番:3月─その参─コンバット柔術ワールド「足関節が極まらなくなって」

Combat JJ【写真】エディ・ブラボーが主催するコンバット柔術は、突っ込みどころ満載でありながら魅力に満ちている。写真は昨年5月のバンタム級Tのモノ(C)DAVE MANDEL

過去1カ月に行われたMMAの試合から青木真也が気になった試合をピックアップして語る当企画。

背景、技術、格闘技観──青木のMMA論で深く、そして広くMMAを愉しみたい。そんな青木が選んだ3月の一番、第3弾は8日に開催されたCJJW2020、コンバット柔術ワールド2020を語らおう。


──3月の青木真也が選ぶ、この一番。3試合目はどの試合になるのでしょうか。

「これは試合ではなく、コンバット柔術世界大会全体にしたいと思います」

──おおコンバット柔術ですか。グラウンドで掌底ありのノーポイント&サブオンリー、加えてタイムアップになるとシートベルト・ポジションとスパイダーウェブからのオーバータイム制が用いられるグラップリング大会です。

「技術の流れを語るうえで、今回のコンバット柔術は重要だと思います」

──どういうことでしょうか。

「足関節がやっぱり減ってくるんです」

──最終的に?

「ハイ、最終的には(笑)。僕も岩本(健汰)選手とスパーリングをさせてもらっていて、フィニッシュとしてお互いに減ってくるんです。コンバット柔術にしても、他のグラップリングにしても足関節でフィニッシュは減っていると思います」

──ただ優勝したトム・ヘルピンは初戦、準決勝の今成正和選手との試合、そして決勝と内ヒールで一本勝ちしています。

昨年のADCC66キロ級に出場していたヘルピン。パブロ・モントバーニに0-13で敗れている(C)SATOSHI NARITA

昨年のADCC66キロ級に出場していたヘルピン。パブロ・モントバーニに0-13で敗れている(C)SATOSHI NARITA

「あの選手のことは知らなかったですねぇ、全く。

岩本選手はADCC世界大会に出ていたり、その前の欧州予選で勝っている同階級の選手だからしっていたみたいですけど。

アイルランドですよ。あんな奴、いるんだっ──みたいな。しっかりと柔術が強くて、足関節とバック。柔術がちゃんとできるところが、ヘルピンが足関節で勝てた理由だと思います。足関節とバックという組み合わせが多くなって、そういう強いヤツがいるんだなって」

──まさにヘルピンは2回戦で所英男選手をRNCで破っています。それにしても本家・今成ロールにカウンターのヒールを合わせたのは驚きでした。

「切ってバックにいくのが主流で、彼も出来るはずだけと取りに行った。相当、自信あるんだと思います。多分、今成型の瞬発力的にパンと取るヒールフックは、彼らからすると一昔前の技で怖くないと思います。今成さんも今の足関節を凄く研究してレベルアップしたけど、僕と同じでいつの間にか後追いになっているんです」

──あぁあ……。ノーギに関しては、日本では90年代終盤ADCCがあり、こぞってMMAファイターが出場していました。そこから柔術家の時代になりましたが、日本はグラップリングが一度、途絶えた感があります。対して、米国は今の隆盛を迎える前に15年以上に渡り、ずっとノーギ文化が育まれてきた。

「確かに、そうですね。米国にはヒールフックは普通にある。日本にはグラップリングというジャンルがなくなり、ヒールフックも途絶えた」

──ヒールに関しては、佐藤ルミナ選手がMMAで仕掛けて殴られる。だから、MMAで選手が足関節を使わなくなった。そうすると練習でも試さないという流れではないかと。ルミナ選手が足関節の象徴だったので。もともと競技柔術にはヒールはないですし、ヒールを伝えるのはMMAの人、それが日本だったと。

「あぁ、その発想はチョットなかったです。要は日本でヒールフックが使われなくなったのは、ルミナ✖ハンセン戦からだと。その史観、面白いっ!! それは衝撃的、面白いですよ!! ルミナさんは特異なタイプだから。ルミナさんはMMAを戦っている間、柔術が入らなかったです。引退されて、柔術を取り入れられているようだけど。

今成さんは柔術が入った。僕もセコンドに就いていた時に『引き込んでヒールフックして上を取りましょう』とか作戦としてやっていたんです。ルミナさんも体を捻って逃げる相手の背中に飛び乗るとか、あの運動神経があるとできていたと思います。でも周囲にも柔術の発想がなかったかもしれないですよね。

そして植松さん、今成さん、戸井田さん、ルミナさん以降は足関節は職人の技になりましたね」

──DREAMと戦極で、青木&北岡コンビが現代足関節時代になる前に、一度脚光を浴びさせました。青木選手がエディ・アルバレス、北岡選手が五味選手に勝って。

「でも、僕は足関節のフィニッシュは2試合しかないんです。エディと川尻さんとの試合しか。北岡さんの方が、足関節で勝っている試合は多いです」

──と同時に青木選手が足関節を逃げられて殴られたという記憶はないです。

「僕は怖いから、それだけ使っていないので。上に居続けないといけないという発想に代わりましたからね。足関節は出ちゃった時は仕方ないけど、自分の作戦として採り入れないようにしていました」

──そんななか掌底有りのコンバット柔術における足関節とはどういう位置づけでしょうか。

「う~ん、コンバット柔術はジャンルとしてメインストリームには来ないと思います。アレがUFCみたいになることはほぼない。ルールの穴が多すぎて、メジャーになるには禁止される部分が増えたり、戦いもグラップリングでなく掌底の殴り合いみたいになっていくでしょうし。

でも現時点のコンバット柔術は逆張りする上で面白い。岩本選手とか出れば良いのに……アレはグラップリングなので。日本でもMMAファイターの人材育成ルールとか、逆に柔術家がMMAをやる前に経験しておく要素──そういうルールかと思います」