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【NEXUS25】自衛隊で日本拳法、UFC JAPANを見て「向うで始めようと」──ジェイク・ウィルキンス─01─

【写真】 1992年7月26日、東京出身。日本と米国の国籍を持つ。父が米国人で、母が日本人でネイティブの言語は日本語というウィルキンス、米国で英語を身につけたそうだ (C)MMAPLANET

19日(日)、東京都新宿区GENスポーツパレスでNEXUS25が開催される。原則、当日計量で1階級上の試合というフォーマットで行われる同大会では、森山壱政✖須藤拓真、唐沢タツヤ✖寿希也のダブルメインが組まれ、他に第1部に河名マストのプロ3戦目、讃岐のプロシューター=高岡宏気が参戦。夕方からの第2部では新鋭ファビオ・ハラダ、2年1カ月前に修斗で涙の14年振りのプロ修斗復帰戦で勝利した西岡裕が初参戦するなど楽しみなカードが組まれている。

そのなかで要注目はジェイク・ウィルキンスだ。竹上航平と戦うジェンキンスは2019年全日本アマ修斗ライト級優勝、7月のプロ初陣では前述した河名を破っている。河名戦の勝利後は星条旗と日の丸を掲げ、流ちょうな日本語を操った──謎が謎を呼ぶ注目株に初インタビューを試みた。


──MMAPLANETで初インタビューとなります、ジェイク・ウィルキンス選手です。ネクサスでプロ2戦目、今の気持ちを教えてください。

「少しケガがあってモチベーションが落ちたこともあったのですが、切り替えて気持ちも上がってきて、体重も前回より上手く落とせているのでコンディションは良いです」

──7月のプロ初戦ではグレコローマンのU23世界王者だった河名マスト選手を相手に、ハイキックによるカットでTKO勝ちを収めましたが、試合後も河名選手に注目が集中してしまいました。

「僕はSNSとか見ない人間なんですけど、友達からは『負けたアイツの方が話題になっているよね。なんで、ジェイクは上がんないのかよ』という声は結構聞きました(笑)。僕は全然構わないのですが、やっぱりレスリングで強かった人は日本では評価されるということなんでしょうか?」

──話題にはなります。ただし、勝ったジェイク選手も取り上げるべきところで申し訳ないです。そして河名選手と同様に、あの勝利後でRoad to ONEなので戦うチャンスが巡ってきてほしかったですね。

「どこからも声は掛からなかったです。フリーだから、そういうのが関係あるのかもしれないですね」

──そもそも論として、ジェイク選手はなぜそんなに日本語が上手なのですか。

「あっ、僕は母親が日本人でずっと東京で育ったんです。22歳の時に渡米して、5年ほど向うにいて。MMAも米国で始めて、アマチュアの試合に出ていました」

──そうだったのですね。なぜ、米国へ?

「高校を卒業してから陸上自衛隊に入り、日本拳法をやっていました。元々MMAには興味があったのですが、見るものでした。でも日本拳法をやって、やる方にも興味を持つようになり、その頃に……2012年とか2013年にUFCの日本大会がありました。あの大会を見て、MMAをやりたいという気持ちが強くなったんです。

で、どうせやるなら僕は二重国籍で米国籍もあるので米国でやろうと思い──渡米の2カ月前にTRIBE TOKYO MMAに行くようになりました」

──そして、2カ月後に米国へ?

「ハイ。父親がニューメキシコ州に車で30分ぐらいのテキサス州セミノールという街に住んでいたので、半年ぐらいそこにいて全く有名でない小さなジムで練習していました。ほとんど白人とメキシカンの街で、黒人も少ない──アジア人は全くいない街でした。でもMMAをやるならLAだろうと思い、引っ越してホーソンにあるジムで入りました。

今、UFCにいるクリストフ・ギアゴス、UFCでは勝てなかったテリオン・ウェアとかがいるシステムズ・トレーニングセンターというジムで、当時アマチュアの試合にも3度ほど出ました」

──そこまでやって米国でプロの試合に出ようとは?

「実は向うで携帯のショップで働いていました。ミツワ・マーケットプレイスっていう日本のスーパーマーケットにある」

──えっ、あのミツワですか!! サンタモニカとトーランス、どちらのミツワだったのですか! 米国取材中はカルバーシティの友人の家にいつも世話になっていて、どちらのミツワも頻繁に訪ねていました!!

「トーランスの方です。入ってすぐに携帯ショップがあったのを覚えていないですか?」

──いやぁ、そこまでは。ただ本屋さんがあったのは覚えています。フードコードのワキにある日本茶屋さんでグリーンティーを飲んで(笑)。

「本屋の向かいですよ。僕が働いていたの!! ドコモとKDDIがあって、僕はKDDIで2014年から2016年まで2年間、働いていました。でも、あのトーランスのミツワはもうあの場所にないんですよ。デルアモ・モールの中に移ったらしくて」

──デルアモといったらノードストロームが入っていたモールですね!! そうなのですか……なんだか、心のふるさとがなくなったような気がします。いや、スミマセン。全く話が横道にそれてしまって。その時は働きながらで、プロのMMAは経験する機会がなかったと。

「ハイ、ぶっちゃけていうと中途半端で、生活を安定させるのに仕事中心の生活になって、練習もそれほどしていなかったんです。そうしたら、ある時テキサスにいる父親から『お前は何をしに米国に来たんだ。いい加減、ちゃんとMMAにフォーカスしろ』という電話が入ったんです。

ジャクソンウィンク時代のウィルキンス(C)JAKE WILKINS

それでちゃんとやろうと思ってニューメキシコ州アルバカーキにあるジャクソン&ウィンクMMAで練習するようになりました。

仕事も辞めて、最初は12時半から始まるアマチュアのクラスで練習していました。コーチがジョーイ・ヴィラセニョールっていうPRIDE武士道で長南さんと戦ったこともある人で。

ジャクソンズの2階が寮で、そこで寝泊まりし2部練、3部練をして、夜はダウタウンのレストランで働いていました。結局、1年半ほど練習していましたけど、ジョン・ジョーンズはアマチュアの自分なんかにも、向うから話しかけてくれて凄く良い人でしたよ」

──ジャクソン・ウィンクルMMAでもプロの経験はなかったということですね。

「ハイ、アマチュアMMAはトータルで6戦して州対抗戦のニューメキシコ✖アリゾナ戦に出て、僕の蹴りが股間に当たってNCになってしまいました。その後はラスベガスのREAL MMAというアマのベルトを獲り、アマでは2本をベルトを巻いて……日本に帰りたいという気持ちが大きくなって戻ったんです」

──米国でプロデビューしなかったのは、勿体なくないですか。

「う~ん、実はホームシックが凄かったです。もう5年以上、日本に帰国したことがなくて。それにニューメキシコ州は凄く田舎で、アルバカーキはショッピングモールが2つぐらいしかなくようなところで。僕は東京育ちだったので、ビルが恋しくなりました。結果、2018年の終わりに戻りました」

<この項、続く>

■ NEXUS25対戦カード

<ウェルター級/5分2R+ExR>
カタナマン二世(日本)
前田啓伍(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
田口滉人(日本)
道端正司(日本)

<ウェルター級/5分2R+ExR>
木村裕斗(日本)
西尾真輔(日本)

<フライ級/5分2R+ExR>
北野一声(日本)
古賀優兵(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
中桐涼輔(日本)
長谷川寛人(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
ジミー西(日本)
西岡裕(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
村井和道(日本)
大谷啓元(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
高杉遼介(日本)
井上皓平(日本)

<フライ級/5分2R+ExR>
小林了平(日本)
空(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
諏訪部哲平(日本)
ファビオ ハラダ(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
唐沢タツヤ(日本)
寿希也(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
森山壱政(日本)
須藤拓真(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
山口力(日本)
十河卓児(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
ジェイク・ウィルキンス(日本)
竹上航平(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
小森真誉(日本)
島村裕(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
藤原俊樹(日本)
アオキング一輝(日本)

<ライト級/5分2R+ExR>
森崇純(日本)
河名マスト(日本)

<バンタム級/5分2R+ExR>
勅使河原稜太(日本)
高岡宏気(日本)

<フェザー級/5分2R+ExR>
谷育磨(日本)
森永ユキト(日本)

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DEEP DEEP105 MMA PRIDE RIZIN UFC   ボクシング 杉山廣平 松嶋こよみ 澤田龍人 牛久絢太郎 神田コウヤ 鶴屋怜

【DEEP105】牛久絢太郎に挑戦──神田コウヤ─01─「大学でレスリングを続け、無責任な自信を持てるように」

【写真】長身&リーチの長さが打撃、組み、そして首相撲やダーティーボクシングに生きる神田(C)MMAPLANET

12日(日)、東京都港区のニューピアホールで開催されるDEEP 105 IMPACTで、神田コウヤが牛久絢太郎の持つDEEPフェザー級王座に挑戦する。

今やRIZINフェザー級との二冠王、J-MMA界フェザー級の頂点に立つ牛久にチャレンジする神田は、長身──レスリングベースながらリーチを生かした打撃、組み、さらに両者が融合したスタイルを持つ。

小学生の時からパラエストラ柏で柔術を始め、高校&大学とレスリングに専念した。それも全てはMMAファイターになるため。受け答えは極めて物静か、秘めたる闘志と負けん気がケージのなかで垣間見られる神田のルーツに迫った。


──来週の今日、牛久選手への挑戦が迫ってきました(※取材は12月5日に行われた)。追い込みも終わった頃でしょうか。

「追い込みは終わり、あとは調整に入る形になっています」

──パラエストラ千葉はプロファイターの移籍、プロ志望者の増加と賑わっているようですね。

「杉山廣平選手が所属選手になったり、出稽古の選手も来ていますが、数に関してはプロ志望だと言っていた人が自然と来なくなったり、全体的な量は変わっていないのかなって思います。けっこうプロを目指す子はいるのですが、いつの間にか来なくなることは少なくないので」

──対して神田選手は子供の頃からパラエストラ柏所属でした。

「そうですね、小学校4年生の時にキッズ柔術を始めました。元々小学1年生の時から柔道をやっていて、そこから関節技や絞め技で参ったを取りたいと思っていました。自分の父親と鶴屋先生の過去の職場が同じで、ちょうどパラエストラ柏でキッズ柔術を始めるタイミングだったのでキッズの第一期生なんです」

──その後、大学でも結果を残したレスリングを始めたのもパラエストラ柏だったのでしょうか。

「いえ、まだパラエストラ柏にキッズレスリングはなかったです。パラエストラでレスリングが始まったのは、自分がもう高校生になっていた時だと思います。僕の場合は柔術の試合でレスリングがバックボーンの選手に負けてしまって、それがきっかけで違うチームでレスリングを始めたんです。柏のレスリングチームだったのですが、そこも鶴屋先生に紹介してもらって健人と怜(鶴屋家の長男と次男)もいたと思います」

──ではその頃から鶴屋兄弟とは練習仲間だったのですね。

「いえ体も年も違うので、同じ空間にはいるけど話すこともほとんどなかったです。父親がかなり厳しい方なので、自分も楽しむという感覚でなく黙って、ひたすら厳しい練習をしていたという感じでした」

──なるほど(笑)。お父さんも格闘技が好きだったのですか。

「それはあったと思います。ブルース・リーの映画や第1回のUFCのビデオ、PRIDEも見ていて。その影響を受けました。でも1度、中学2年生の時に格闘技を離れたことがあったんです。部活でやっていた駅伝に専念するようになって」

──駅伝部!!

「今となっては……ですけど、やらされている練習が多かったので、格闘技に対して燃え尽きてしまって。足は元々早くて、小学校の高学年から長距離は走っていて県民大会や我孫子市の大会で優勝したこともあったんです。最初は格闘技も並行して練習していたのですが、ジムから足が遠のくようになりました。
でも格闘技の情報が耳に入ってくると羨ましくなって。体を動かくだけじゃ物足りなくなって。やっぱり格闘技でないと自分は満足できないと気付いてしまって。ただ汗をかくだけなら満足できない自分がいたんです。それで結局は高校でレスリング部に入部しました」

──また組み合いたくなった?

「そうですね、」

──レスリングをやっていた間、パラエストラ柏で練習をすることはなかったのですか。

「ハイ。年に1度か2度、顔を出す程度でした」

──それでも大学卒業後にMMAに戻ったのは?

「全てはMMAのためのレスリングでした。本当は高校を卒業したときにMMAをやりたかったのですが、親の意見もありますし、学校の縁というのもあったので進学しました」

──例えば鶴屋怜選手はレスリングで進学をしませんでした。ジムも大学も違いますが、松嶋こよみ選手は大学を途中で辞めてMMAを始めました。

「えっ、松嶋選手って大学を卒業しなかったのですか? 東洋大学ですよね」

──ハイ、3年の時に大学を辞めたかと思います。それにしても、東洋大学とスッと出てくるというのは驚きです。

「実は高校3年生の時に進学先を決めるために、色々な大学で練習させてもらったんです。東洋大学でも練習させてもらい、その時に松嶋こよみ選手がいたんです。あの後、辞めたんですね。知らなかったです。」

──いや、それよりも神田選手は大東文化大に進んだのに、なぜ松嶋選手を認識できていたのですか!!

「実はさっきキッズ柔術の時にレスリングがバックボーンの選手に負けたって話したじゃないですか? その相手が松嶋こよみ選手の弟の頼(たより。シュートボクシングではマツシマタヨリの名で活躍した)選手だったんです」

──凄い話ですね!!

「あの頃、松嶋選手とか澤田龍人選手とかAACCのキッズの人達は強いし、オーラが凄くて。自分の憧れの存在だったんです」

──AACCが近くにあれば、AACCに入会していたかもしれないですね(笑)。

「あぁ、そういう人生もあったかもしれないです」

──そういう人生にならず、大学を卒業してからパラエストラ柏に戻りMMAを改めて始めた。大学でも結果を残していたのに海のものとも山のものともつかぬMMAファイター人生を歩むことに反対の声はなかったですか。

「100人以上いた学科で就活をしなかったのも、自分1人だけでした。でも父親も子供の頃からお世話になっている鶴屋先生のところでMMAを始めるので、全く心配せずに送り出してくれました」

──くわえて18歳と22歳は明確に違います。大学での4年間分、遅くなったという焦りはなかったですか。

「それはなかったです。大学でレスリングを続けて、絶対的に良かったです。えぇと……大学時代は寮生活をしていて、1人暮らしぐらいの部屋のスペースで先輩と2人部屋で。レスリングも1年、2年と結果が出ずに、私生活ともども辛かったです。でも『レスリングで通じない奴は、MMAにいっても通用しないぞ』という考えが、自分のなかにありました。だから必ず結果を残してからMMAに行くという気持ちで、辞めるわけにはいかないなって頑張って続けました。

それにあの経験があったのでMMAで酷い負け方をしても『続けていれば、いつか何とかなる』っていう謎の自信……無責任な自信を持てるようになっていました」

<この項、続く>

■視聴方法(予定)
12月12日(日)
午後4時45分~SPWN PPV配信 & ニコニコ生放送 PPV配信

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ONE PRIDE RIZIN キック 住村竜市朗 昇侍 木下憂朔 萩原京平

【RIZIN】踏みつけとサッカーボールキックの是非を考える

RIZIN TRIGGER 1stの中で衝撃的なシーンと言えば、木下憂朔(パンクラス大阪稲垣組)が住村竜市朗(TEAM ONE)に対して放った踏みつけ攻撃でしょう。パンチの交差からダウンした住村に対して木下は躊躇なく踏みつけ。住村が完全に意識を失って大の字で失神する姿に思わず目を背けたファンもいるのではないでしょうか。

しかし試合後に事態は一変。一度は木下のTKO勝ちが告げられたものの、フィニッシュに繋がった踏みつけの際に金網を掴むという反則行為があった事を審判団が指摘。これにより木下は失格という裁定が下りました。

その余波はメインにも。昇侍(KIBAマーシャルアーツクラブ)からパンチの連打でダウンを奪った萩原京平(SMOKER GYM)。追撃のサッカーボールキックを放った瞬間、ケージに手が掛かっていた事で、木下と同じく反則なのではないかという声があがりました。最終的に裁定が覆る事はありませんでしたが、踏みつけとサカボキックが反則と表裏一体である事が改めて浮き彫りになっています。

ただでさえ殺傷能力の高い踏みつけとサカボキック。それがケージやロープを掴んだ状態で仕掛けると、支点が出来る事で力の入り方も威力も段違い。試合を終わらせるどころか、選手生命にも影響する重大なダメージや事故も繋がる危険性もあります。

それだけに踏みつけ、サカボキックの是非を改めて検討する良い機会なのではないかなと。踏みつけるインパクトの瞬間に目の前にケージやロープがあれば無意識に掴んでしまうのは人間の本能的なものかもしれません。反則とわかっていても掴んでしまい、その時の攻撃が致命傷になるのであればいっそのこと禁止にした方がいいのではないかとすら思えてきます。

もちろん、踏みつけとサカボキックがある事で試合に緊張感が出て、スリリングな展開になる事も見逃せない事実。寝技で膠着した状態も踏みつけで一変したり、ぐちゃぐちゃしたスクランブルの展開からどさくさ紛れのサカボキックで逆転するといった動きには正直ゾクゾクさせられます。

その危険性が指摘されつつも、PRIDE時代からこだわってきたルール、アイデンティティの1つなだけに取捨選択は本当に難しい判断。安全とエンターテイメントの狭間でどうやってバランスを取っていくのか。今後の動きに注目です。
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PRIDE RIZIN ブログ

【RIZIN】榊原信行CEO 2022年の展望を語る

昨日開催されたRIZIN TRIGGER 1stの大会終了後の記者会見でRIZIN榊原信行CEOが2022年の大会スケジュールについて言及しました。要旨は次の通り。

・ナンバーシリーズは年間7大会程度
・タイトルマッチやGP中心に行う
・GPもジャパンGPのようなものではなく世界規模に戻したい
・配信をメインにしたLANDMARKシリーズは年間5大会程度
・TRIGGERシリーズは5~6大会程度
・再生と回帰、育成と普及、地域活性がテーマ

3つのシリーズを合計すると年間で18大会。RIZINファンとしては大会が増える事は願ったり叶ったりでしょう。一方で気になるのは各シリーズのコンセプト。しっかりと差別化を図って棲み分け出来るかどうか。思い返すと沖縄出身者が大挙出場したRIZIN.32はもはやTRIGGER沖縄大会だし、LANDMARKも配信限定でなければならない明確な理由とそれを具現化するカードがあったかどうかは甚だ疑問です。せめてローソン、100円ローソン、ナチュラルローソンくらいの差別化はほしいところ。

思い浮かぶのはPRIDE時代にナンバーシリーズからスピンアウトしたPRIDE武士道。開始当初はコンセプトが定まらず紆余曲折の迷走状態。ミルコ・クロコップが参戦したかと思えば、グレイシーやシュートボクセと対抗戦をしたり、紆余曲折を繰り返していました。そこから五味隆典というスターが生まれた事で一気に中軽量級路線にシフトチェンジ。これが功を奏してヘビー級中心のナンバーシリーズとの棲み分けに成功しています。

RIZINもそんなにスッといかないとは思いますが、タイトルマッチとGPを中心としたナンバーシリーズを軸にLANDMARKとTRIGGERをどう差配していくか主催者の腕の見せ所。コロナ禍で反転攻勢をかけてきたRIZINの2022年はさらに目が離せなくなりそうです。
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PRIDE RIZIN ブログ

【RIZIN】大晦日出たい発言とダイキ・ライトイヤーのマイクアピール

年末に向かって興行ラッシュのRIZIN。10月末のRIZIN.31に先週のRIZIN.32。そして昨日のRIZIN TRIGGER 1st。どの大会も激戦の連続でしたが、その中で目についたのがRIZIN大晦日大会に出たい、出してほしいというマイクアピール。プロとしてより大きな舞台に立ちたいと思う事は当然の話。存在感を示すためにアピールする事は大事だし、否定するつもりもありません。

でも試合が終わる度に「大晦日」「大晦日」と連呼されるとさすがにげんなり。もう「大晦日」という単語を禁止にしてほしいと思うほど。それくらい多くの選手が大晦日参戦をアピールしていました。

中にはRIZIN初参戦で1勝しただで、大晦日参戦はおろか現役王者との対戦をぶち上げた猛者もいるからげんなりどころかガッカリたです。大晦日のさいたまスーパーアリーナに立つという事は、フジロックのグリーンステージやM-1の決勝の舞台に立つのと同じくらいのステータスや価値がある。それだけにおいそれと口には出来ない舞台であってほしい。PRIDE時代を知るオールドファンとしてはそう思うのです。

そんな中、清々しいマイクが印象的だったのはダイキ・ライトイヤー(修斗ジム神戸)。釜谷真を相手にカウンターの膝蹴り一発でKO勝ちを飾るとマイクを持って次のように語りました。

「RIZINファンのみなさん、修斗のファイターどうですか? いいでしょ、修斗。快く送り出してくれてありがとうございます。まだまだ修斗がメインですが、また機会があればよろしくお願いします」

大晦日出たい宣言とは一線を画す潔さ。自身の立場と大事にしているものをしっかり理解したコメントは非常に好感が持てます。そうですよ、大晦日のRIZINだけが格闘技じゃないですもん。衝撃的なKO勝ちでぶち上がりたくなる場面でも、修斗に対するリスペクトを忘れない姿勢に思わず顔が綻んでしまいました。RIZINの裾野が広がった事で上ばかり見る選手が増えてきましたが、時には地に足をつける選手がいてもいいじゃない。逆に目立ちますよ。
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DEEP PRIDE UFC ブログ

【MMA】なんでUFCはPRIDEを買収したの?

スクリーンショット (971)

33: 実況厳禁@名無しの格闘家 2021/11/17(水) 16:18:46.06 ID:fFClI6FK0
榊原がPRIDEの権利をUFCに売ったとか言ってたけど、これ具体的に権利を買うとUFCにどんなメリットがあるの?
 2007年3月27日、東京・六本木ヒルズアリーナで記者会見が行われ、DSEはアメリカの総合格闘技イベントUFCおよび同イベントを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータに興行権を譲渡するとともに、本社を米・デラウェア州に置く新会社「PRIDE FC WORLDWIDE (Pride FC Worldwide Holdings, LLC)」の設立が発表された。

4月8日の「PRIDE.34」がDSE体制として最後の興行となった。だが、2007年5月に開催予定だったライト級グランプリは準備不足のため夏に延期になるなど、新体制発足後は興行開催の目途が全く立たない先行き不透明の状態が続いた。
そのため提携先のUFCやDEEP、さらに最大のライバル団体であったHERO'Sへと選手が流出した。

また、2007年4月17日にDSEが開いた臨時株主総会で法人解散を決議したことが官報に公示された。 2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所の解散と運営スタッフの解雇がなされたことが報じられ、PRIDEは事実上消滅した。これについてPRIDE FC WORLDWIDE側は、事務所の解散およびスタッフの解雇は日本でのイベント開催が不可能になったことに起因するもので、それらは旧DSEの元役員の協力不足によるものであるとする声明を発表した。

PRIDE (格闘技イベント)


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【朗報】「影の寝技王」と呼ばれた高瀬大樹がTwitterを始める

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887: 実況厳禁@名無しの格闘家 2021/05/03(月) 15:36:55.55 ID:OSGHaoDQ0
高瀬さんピアノ上手すぎだろw
つーか都内住みの格闘技ファンなら高瀬さんに町中で一回は遭遇してる説あるよなw



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【PRIDE】ヴァンダレイ・シウバが息子トールとキックボクシングのスパーを行っている映像が話題に

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1: 名無しさん@恐縮です 2021/04/13(火) 07:11:35.76 ID:CAP_USER9
 元PRIDEミドル級王者のヴァンダレイ・シウバ(44=ブラジル)が、実の息子とキックボクシングのスパーを行っている映像が話題となっている。(中略)

 ヴァンダレイとトール君の二人が7日、それぞれのSNSで投稿した映像では、二人が自宅のガレージらしき場所でキックボクシングのスパーリングを敢行。

 軽めのライトスパーのようだが、約10分間、休みなしで永遠と殴り蹴り続ける二人。

時間が経つにつれ、お互いがだんだんとヒートアップし、ヴァンダレイがトール君をボコボコに殴る場面も。
一方のトール君も負けじと、父親に似たステップと打ち方で、パンチを返す場面があった。(全文は以下リンク先参照)

https://news.yahoo.co.jp/articles/77db9541ecb9e3587271043a50b19029a6c03657

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UFCがPRIDEの名勝負を期間限定配信中





 UFCが最後のPRIDE開催から13年ということで『PRIDE.21』ドン・フライ vs. 高山善廣、『PRIDE.10』桜庭和志 vs. ヘンゾ・グレイシーを期間限定で配信しています。続きを読む・・・