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【Titan FC60】回って蹴りを入れるロミ・ハミッドが、前に出て空振りするカリロに判定勝ち

<ウェルター級/5分3R>
ロミ・ハメッド(ロシア)
Def.3-0:30-27.30-27.29-28
フランク・カリロ(米国)

サウスポーのハメッドが右サイドキックから右ハイ、スイッチして左ミドルを蹴っていく。右フックで前に出るカリロはハイをかわして組みに行くが、突き放したハメッドが左ロー、スイッチを織り交ぜて足を削っていく。そのローがカリロの急所に入り、試合は一時中断。再開後、右を振るって前に出たカリロに左ボディを突き刺したハメッドが、ケージを背負った対戦相手にローを入れる。

試合が中央に戻ると、カリロは引き続き右フックを出しながら前に出るもハメッドがサークリングでかわす。左ミドル、右前蹴りを腹に入れるハメッドは右ハイ、二段蹴りからワンツーを繰り出す。さらに左ローも、カリロが右フックを当てる。直後に前に出てパンチを纏めようとしたハメッドだが、ここもタイミングを計るように手数は増えない。左フックをヒットさせたカリロは、直後の接近戦でヒザをボディに受けて離れ、初回が終わった。

2R、右前蹴り、ジャブ、右ローを蹴るハメッド。カリロがステップインして、右フックを見せる。離れて右を当てたハメッドは、右ハイの空振り直後に右をヒット。さらに組みに来たとこでヒザを入れ、離れてジャブを打っていく。

カリロは手数が減り、右に回るハメッドを追えなくなる。組みを切って、細かいパンチを纏めたハメッドに対し、カリロも左フックを届かせ蹴り足をキャッチして、フックを放つ。アドバンテージはハメッドにあるが、パンチの当たる距離にはそれほどステイせず、回りつつ前に出で、単発の打撃を入れる戦いを続ける。カリロの流血が目立ち、一旦ドクターチェックが入るが試合は再開され、捌いて当てるハメッドが、この回も取った。

最終回、中継陣がハメッドの戦い方にストレスを感じるような試合展開がここも続く。右に回り続けるハメッド、観客がいれば大きなブーイングが起こっているだろう。蹴り、届かないフックを見せて回るハメッド。カリロは左フックを振るって前に出る。左を見せたハメッドが、右ストレートを当てるとカリロが後退。と、ここでもハメッドは右に回り、省エネ・ファイトを展開。カリロも追い切れず、フックを放って前に出ても距離を取られてしまう。

残り1分、ハメッドは左ジャブを2発、右サイドキック、左ストレートを左に回りながら繰り出す。逆にカリロの左右のフックを被弾したハメッドは、ここからもサークリングを続け──タイムアップに。判定勝ちを手にしたが、ポジティブな印象を残すことはできなかった。


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JZ・カバウカンチ News other MMA Titan FC60 ハウシュ・マンフィオ ブログ

【Titan FC60】計量終了 JZ・カバウカンチ✖マンフィオはコンバットグラップリング王座決定戦に

【写真】マスク姿&ベルトを中央に左からJZ、マクマホン、そしてマンフィオ (C)TITAN FC

28日(金・現地時間)、29日(土・同)にフロリダ州で無観客大会として開催されてTitan FC60の計量が行われた。

プロモーターのレックス・マクマホンを筆頭に、全6試合=出場12選手の大半がマスク着用で計量に臨んだ。

メインでコンバットグラップリングに出場するJZ・カバウカンチはインタビューで8分✖1Rでオーバータイムを用いた掌底有りルールと話していたが、源氏からの報道では5分✖3R制が用いられるという情報をもある。


仮に8分と思って調整していたのであれば、ガスアウト必至のコンバットグラップリング戦──このハウシュ・マンフィオとJZの対戦には、Titan FCコンバットグラップリング・ウェルター級王座が懸けられており、王座決定戦として組まれることも明らかとなっている。

全選手の計量結果は以下の通りだ。

■Titan FC60計量結果

<コンバットグラップリング・ウェルター級/8分1R>
JZ・カバウカンチ: 170.6ポンド(77.38キロ)
ハマシュ・マンフィオ: 170.6ポンド(77.38キロ)

<ウェルター級/5分3R>
ロミ・ハメッド: 171ポンド(77.56キロ)
フランク・カリロ: 170.6ポンド(77.38キロ)

<バンタム級/5分3R>
ダニー・サバテーロ: 135.2ポンド(61.32キロ)
レイモンド・ラモス: 136ポンド(61.69キロ)

<ウェルター級/5分3R>
ケンドリー・セントルイス: 170.2ポンド(77.2キロ))
マイケル・リリー: 170ポンド(77.11キロ)

<バンタム級/5分3R>
サル・ゲレイロ: 135.6ポンド(61.5キロ)
ダニー・ゴンザレス: 136ポンド(61.69キロ)

<133ポンド契約/5分3R>
グスタヴォ・ヴィラミル: 130.4ポンド(59.14キロ)
ジョン・バードソン: 133ポンド(60.33キロ)

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Interview JZ・カバウカンチ other MMA Titan FC60 ハウシュ・マンフィオ ブログ

【Special】第3回、MMA版あいつ今何してる? Titan FC出場JZ・カバウカンチ─02─「RIZINで戦いたい」

【写真】ドゥリーニョ、コズモ・アレッシャンドリらと (C)GESIAS CAVALCANTE

MARTIAL WORLD Presents新訪問シリーズ=「MMA版あいつ今何してる?」──第3 回はHERO’Sで日本ライト級の一極の頂点に立ち、DREAMを経て米国に拠点を移したJZ・カルバンことジェシアス・カバウカンチの「今」をお届けしたい。

29日(金・現地時間)に地元フロリダ州で無観客大会として開催されるTitan FC60に出場するJZ。コンバット・グラップリング戦をハマシュ・マンフィオと対戦するJZは今では一選手ではなく、国一城の主となっている。ブラックジリアンズ移行、そしてこられのJZの征く道を訊いた。

<JZ・カバウカンチ インタビューPart.01はコチラコチラから>


──JZ、「僕のジム」というのは……。

「ファイトスポーツ・ディアフィールドビーチだよ。ファイトスポーツはもともとマイアミにあって、サイボーグ・アブレウがやっている凄く大きな柔術チームなんだ。ドゥリーニョはサンフォードMMAに所属しているけど、グラップリングに関しては、僕らファイトスポーツに合流して練習しているんだよ。

2018年にブラックジリアンズのオーナーで僕のマネージャーだったグレン・ロビンソンがハートアタックで亡くなった。その直前にブラックジリアンズはもう解散していた。

あの時、僕は誰かのジムに合流するんじゃなくて、自分でやっていこうと決めたんだ。ブラックジリアンズの打撃コーチだったダニエル・メンデスと若い選手たちで一緒にね。そして、今年の1月にファイトスポーツ・ディアフィールドビーチがグランドオープンしたんだよ」

──それもあって2018年4月からMMAを戦ってこなかったのでしょうか。

「その通りだよ。ジムが完成するまでも、指導とジムを創ることに時間を取られていて、MMAで戦うほど自分の練習時間を取れなかった。でもグラップリングやコンバット・グラップリングだったら問題ない。僕はルタリーブリ出身だ。ずっとやってきたから、グラップリングは体にしみこんでいる。

ルタリーブリならいつでも戦える。試合が決まればコンディションさえ整えられれば問題ない。でもMMAはそうはいかない。

打撃、レスリング、グラップリングと準備すること多い。ジムの仕事をしながらMMAの練習はできない。だからグラップリングだけに集中している。ジムが軌道に乗ったら、もう少しMMAを戦いたいと思っている。ただ今は生徒たちを育てる方が重要になってきたかな」

──今は指導と経営がJZの軸ということですね。

「ずっと戦ってきた。柔道を始めて6歳の時から試合に出てきた(笑)。30年間戦ってきたんだ。自分のために戦うという点においては、もう十分にやってきた。これからは僕が教えてもらってきたことを、若い教え子たちに伝える番だ。アンドレ・ベンケイ、モハメッド・オワリ、マルコ・パフンパ、皆が僕を指導してくれた。彼らに教えてもらった歴史を次の世代につなげるんだよ」

──JZが日本にやってくることがあるとすれば、教え子たちのコーチする立場になりそうですね。

「そんなことはない。また日本で戦いたいと思っている。マネージャーを失ってから、いくつかのルートでRIZINとのコンタクトを試みたけど、返答を貰えていないんだ。また日本で戦いたい。

日本で戦うことは子供の頃からの夢だった。それを実現させたからこそ、もう1度日本のファンの皆の前で試合がしたい。自分の満足がいくパフォーマンスを見せたいと今も思っているよ」

──必ずJZの言葉を記事にします。

「頼んだよ。『JZはまた日本で戦いたいんだ。彼にコンタクトを取ってやってくれ』ってね(笑)」

──了解しました(笑)。RIZINにアピールするために、29日のコンバット・グラップリングは負けられないですね。

「もちろん。いつも自分と自分の技術に100パーセントの自信を持っている。なぜこれほど長い間、試合を戦ってきたのか? ファイトを愛しているからだよ。これからは現役ファイターとして教え子のためにも、良い手本を示したい。マーシャルアーツの価値を持ち続けて、MMAを戦っていく。トラッシュトークとか、そんな要素を廃したMMAを教え子たちに見せたいんだ。

MMAを見ているファンにも、マーシャルアーツの良いエネルギーを感じて欲しい。くだらないファイトビジネスの一面ばかりが注目されるのではなくてね」

──JZ、今日はありがとうございました。最後に日本のファンに一言お願いします。

「僕は日本の皆のおかげで、このスポーツの歴史に名前を刻むことができた。今もマーシャルアーツを戦うことで、サムライ精神を世界に広めたいと思っている。何より、また日本の皆の前で戦える日がやって来ることを願っているよ」

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JZ・カバウカンチ News other MMA Titan FC60 ハウシュ・マンフィオ ブログ ロミ・ハメッド

Titan FC60 (5月29日)対戦カード 活動再開=タイタンFC、注目はやはりコンバットグラップリング?!

【写真】JZ・カバウカンチとコンバットグラップリングで対戦する──一見、小さなヴィトー・ベウフォート=マンフィオ

2020年5月29日(金・現地時間)
Titan FC60
フロリダ州

■視聴方法(予定)
5月30日(土・日本時間)、午前9時~ UFC FIGHT PASS

■ 対戦カード

<コンバットグラップリング・ウェルター級/8分1R>
JZ・カバウカンチ(ブラジル)
ハマシュ・マンフィオ(ブラジル)

<ウェルター級/5分3R>
ロミ・ハメッド(ロシア)
フランク・カリロ(米国)

<バンタム級/5分3R>
ダニー・サバテーロ(米国)
レイモンド・ラモス(米国)

<ウェルター級/5分3R>
ケンドリー・セントルイス(米国)
マイケル・リリー(米国)

<バンタム級/5分3R>
サル・ゲレイロ(米国)
ダニー・ゴンザレス(米国)


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IFL17 Interview JJ Globo other MMA ブログ ヘンゾ・グレイシー

【The Fight Must Go On】Media Passから周辺取材─03─2007年9月29日、IFL17&ヘンゾの柔術人生

【写真】リコ・ロドリゲス、アンドレ・グスマォン、ファビオ・レオポルト、ジャマル・パターソンらがヘンゾ率いるNYピットブルズのメンバーとしてIFL世界王者となり、チャンピオンリングを手にした(C)MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第35弾はMedia Passから──ポストファイト・インタビューではなく……周辺取材インタビュー、その03として2007年9月20日に開催されたIFL17=International Fight League 2007 Team Championship取材後に行ったヘンゾ・グレイシーの柔術レジェンズから、再録して紹介したい。

IFLはリング使用、都市型チーム対抗戦を用いた特殊なMMA大会でヘンゾはNYピットブルズの監督として、この日パット・ミレティッチ率いるクワッドシティ・シルバーバックスを下し2007年チームチャンピオンを獲得。記者会見後にIFLではなく彼の柔術家人生を振り返ってもらった。

グレイシーで最もフレンドリー、グレイシーでも最もクレイジー。12年8カ月前に愛すべきヘンゾが語った柔術人生とは。


――今も現役ファイターのヘンゾですが、今回のインタビューでは米国に移る前、ブラジル時代のことを中心に話をお伺いしたいと思います。柔術を始めたのは何歳のころなのでしょうか。

「5歳のときにホーウスの下で始めた。それ以前もリオブランカのアカデミーで遊んでいたけど、本格的に始めたのはコパカバーナのホーウスのアカデミーだよ。もともと家で父(ホビソン)と遊ぶときは、柔術やバーリトゥードの真似事ばかりだったし、柔術を始めることはごく自然の成り行きだった。アカデミーに足を運ぶこと自体が生活の一部だったし、それはプロフェッショナルになってからも変わりないよ」

――柔術を始めた当時は、誰が練習相手だったのですか。

「リオブランカのアカデミーでは、ホイラーとトレーニングしたこともあったけど、だいたいはホーウスの教え子たちだった。ホジャーの父であるマウリシオ・ゴメス、ジャカレ・カバウカンチ、私の姉と結婚したマーシオ・ストランボウスキー、マリブ、ヘナン・ピタンギ、凄い面々が揃っていた。私はアカデミーで、最年少だったんだ」

――本格的に始めてから、エリオ達と練習をしたことはありますか。

「ホーウスが亡くなる前は、ヒクソンのクラスには何度も出た。彼の死後は、ずっとカリーニョスと練習し、グレイシーバッハを創り上げるのを助けたんだ。やはり私はカーロス・グレイシーの血筋に当たる人間だからね」

――そのグレイシーバッハはバーリトゥードを嫌っていたにもかかわらず、ヘンゾは一族のなかで最も喧嘩早い人間だったと聞きます。

「イエス。喧嘩ばかりしていたよ。大好きだったんだ。当時からバーリトゥード・ファイターになりたいと宣言していたしね。柔術は柔術、スポーツとしての柔術も大好きで、色々な大会で優勝したよ。練習も一生懸命やっていた。その一方でいつもバーリトゥードのチャンピオンになりたいと思っていたんだ。当時から私にとっては、道衣を着た試合の次のステップがVTだった」

――そんなヘンゾの考えに対して、カリーニョスはどのような反応を示していたのですか。

「カリーニョスはVTが嫌いだった(笑)。ずっと嫌いなままだったよ。彼はスポーツライクな柔術が好きでしょうがない。でも、私がVT好きだったから、グレイシーバッハはここまで強くなれたんだ。バッハのトレーニングはギだけだったけど、私がノーギの練習をするようになった。当然、カリーニョスは良い顔をしなかったよ(笑)。でも、私はもっぱらノーギのトレーニングばかりしていた。限られたシチュエーションだけで戦っていては、本当の意味でグッドファイターとはいえないからね」

――それは、打撃も含めたトレーニングだったのでしょうか。

「もちろん。全てを想定したトレーニングだよ。ストリートでの喧嘩も多く経験した。16歳のときに足をピストルで撃ちぬかれた。他にも発砲されたことはままあったけど、あの一発のせいで、1年間も柔術のトレーニングができなくなったんだ」

――それだけで済んで、幸運だったという見方もできるのですが……。とにかく、すさまじい話ですね。

「マフィアとディスコで喧嘩になって、片目を潰したこともあったよ。そのマフィアの父親が凄い大物で、リオデジャネイロにはいられなくなったから、サンフランシスコに逃げて半年間、シーザーと暮らしていたんだ。ハハハハ。楽しい時間を過ごしたよ」

――失礼を承知で尋ねてさせていただきます。ヘンゾ選手は柔術を練習することで、我慢を覚えるということはなかったのですか。

「ハハハハ、そういう経験をして、私は我慢というものを学んだんだ。今、私は誰に対しても凄くフレンドリーな人間だと思うよ。ムサシ・ミヤモトと同じだよ。若い頃の彼はクレイジーだったけど、年月を経てジェントルマンになった。私はワイルドな面を持ち、性格がワルで染まっていたことがある。だからこそ、今のヘンゾ・グレイシーがあると思っている。とてもハッピーな年のとり方をしているんだ」

――ヘンゾはグレイシー一族のなかで、もっとも親近感を持てる人物で、偉ぶることもなく、物事を難しく語ることもない。が、その一方であなただけは怒らせてはいけない、まだワイルドな面が残っているからと聞かされたことがあります。

「ハハハハ。乱暴な性格をまだ内面に残しているからね。ただ一度、ワルに身を染めれば、そういうフィーリングの正体を知ることができる。そして、ワイルドな一面を内面に封じ込め、礼儀正しく生きることが可能になるんだ」

――柔術の大会に出るときも、やはりそういう一面を内包したまま、冷静に戦っていたのですか。

「私はとてもアグレッシブな柔術家だった。同時にスポーツというものを理解していたから、クリーンに戦っていたよ」

――当時は、ムンジアルやブラジレイロはなく、コパ・カンパニーやコパ・アトラティコ・スゥなどカップ戦が主流だったようですね。

「私は紫帯時代、ペナ級で12の大会で優勝している。当時、最大規模だったアトラティコ・スゥでは毎大会で優勝した。アトラティコ・スゥで無敗の柔術家は、私一人だ」

――ペナ級なら、ホイラーと同じ階級ですね。

1983年のコパ・アトランティコス黒帯ペナ級で優勝したときのヘンゾ。左は実弟ハウフ。中央が叔父のカリーニョス

「ホイラーは黒帯、私は紫帯だった。その後、茶帯になり、23歳のときに黒帯になったんだ。17年前の話だよ。黒帯になってからアトラティコ・スゥでは、ペナ級と無差別級で優勝しているよ」

――ペナ級の体で、無差別級で優勝したのですか!

「アブソルート級での戦いはチャレンジ以外のなにものでもなかった。けれども、その挑戦することが何よりも好きだったからね」

――そのチャレンジ魂が豊富で、アグレッシブな柔術家だったヘンゾ選手が、実はスパイダーガードを考案したというのは本当の話ですか。

「そうだよ。スパイダーガードの下地を作った。私はアカデミーで一番力がなかったから、スパイダーガードを考えついたんだ。カリーニョス、クローリン、ヒリオン、マチャド兄弟がアカデミーにいて、彼らは体が大きく、力も強かった。そんな彼らでも、パスできないガードが必要だったんだ。いくら強い彼らだってパスをしない限り、私を極めることはできないからね」

――こうやってご本人から話を伺っていても、なおアグレッシブな攻めが代名詞のヘンゾが、スパイダーガードの発案者だとはイメージできないです。

「スパイダーはベスト・ディフェンスだよ。いくら私がアグレッシブでも、まず自分の身を守る必要があるからね。パスをされないなら、フィニッシュもされない。ただし、今の柔術界でスパイダーガードを使う連中は、アグレッシブではない。ただのホールディングになってしまった。私はスパイダーガードからスイープをして、フィニッシュに結び付けていた。それが本当のスパイダーガードなんだ」

――その本物のスパイダーガードをグレイシーバッハで、指導していたのですか。

「もちろんだ。ただ、マーシオ・フェイトーザはそこから動かなかった。何度、注意してもホールドしたままだった。だから、いつだって『マーシオ、ポ~ハァ』と叫んでいたんだよ(笑)」

――アハハハ。ところでヘンゾが柔術で活躍していた時代、誰か目標にした柔術家はいましたか。

「ホーウスだね。人格者だったし、柔術でも彼の動きを眺めることが大好きだった。ホーウスのように戦う、彼のような人間になりたいと思ってきた」

――バッハの軽・中量級といえば、もう一人、ジャンジャック・マチャドという強豪もいました。彼とはどのような関係だったのですか。

「ジャンジャックは柔術家としてだけでなく、指導者としても非常に優秀だった。バッハ時代はいつも一緒に練習し、一緒に住んでいた。兄弟のようなものだ。ストリートで喧嘩をするとき、後ろから襲われないようにジャンジャックが背後を守ってくれていたんだ(笑)」

――ダハハハ。良い話です。ではグレイシー・ウマイタやカーウソンとは、どのような関係だったのでしょうか。

「ウマイタとはすごく良い関係だったよ。カーウソンのところでは一度も練習したことがない。カーウソンは、とても面白くて人間的には大好きだった。ただ、柔術のトーナメントではカーウソンは、最大のライバルだったんだ。彼の生徒には強い柔術家が多かったし、彼らは戦うべき相手として、我々バッハの前に立ちはだかっていた。

カーウソンの教え子たちが、私を強くしたといってもいいだろう。セルジーニョという、とても強い柔術家に一度、敗れたこともある。その後、1分ほどでチョークを極めたら、彼は引退してしまったんだ。クレイジオ・シャービス、ヴァリッジ・イズマイウ、いろんなライバルがカーウソンの教え子にはいたよ」

――イズマイウと仲が悪いのは、有名な話ですね。

「そうだね。奴とは1時間も戦ったことがある。プロフェッショナルの柔術マッチだった。私はその試合で敗れたが、失うものはなかった。勝ち負けでなく、戦うことに重きを置いていたからね。ファイターと名乗る限り、戦うことが重要だ。ヴァリッジと私はどちらが優れたファイターか問いたい。私は彼より優れたファイターだと自認している。奴は今、何をしている? 戦うことを止めてしまっただろ。私は今も戦い続けている。つまり、私は奴に勝ったんだ(笑)」

――そのイズマイウが、柔術とルタリーブリの世紀の一戦といわれたバーリトゥードに出場したとき、あなたは柔術チームの練習で、決して好きではなかった彼をサポートしていたとそうですね。

「好きでないのではなく、奴のことが嫌いなんだ。それでも一緒にトレーニングをしたのは、何よりも柔術のことが大切だからだよ。お金よりも、グレイシーという名前よりも、柔術が大切なんだ。柔術は絶対にルタリーブリに勝たなくてはならなかった。もちろん、私自身が戦いたかったよ、でも代表に選ばれずにヴァリッジが柔術の代表になった。なら、私は奴に協力するよ。アイツはスピードが必要だったからね。ただし、ヴァリッジはよく戦ったよ。ムリロ・ブスタマンチ、ファビオ・グージェウも勝利し、最大のライバルとの戦いから柔術が生き残ることができたあの日は、今でも私の人生のなかで最高の1日だよ」

――グレイシーの名前より柔術が大切というのが、ヘンゾらしいです。ただ、バーリトゥード・ファイターの側面が強く、それほど柔術に対して情熱を持っていることは伝わっていなかったような気がします。

「私のように柔術に対して、思い入れを持っている者は少ない。自分のことだけを考えている肝っ玉の小さい連中が多いんだ。真のチャンピオンとは自分のこと、そして他の人々のことを常に想う気持ちでいることだと私は思っている」

――ところでルタリーブリと関係が悪かったころ、ルタのファイターとプライベートでVTをしたことはありますか。

「イエ~ス。私は当時のルタリーブリを代表するマルセロ・メンジスと戦いたいとずっと思っていたんだ。だから、2回ほどVTで戦おうと伝えたけど、2度とも現れなかった。だから、ビーチで奴を見つけたときに殴りかかったんだ」

――それは……、VTというよりも暴行じゃないですか……。

「そんな状態なのに、奴は向かってこなかったんだ。まぁ、そういう時代だったんだよ(笑)。私はクレイジーだった。クレイジーさでは、誰も私に適わなかったよ。ハイアン? 奴もハウフも私の足元にも及ばないよ(笑)」

――日本でヘンゾ選手のそのような一面が垣間見られたのは、RINGSにセコンドで来日し、アジウソン・リマとイリューヒン・ミーシャの試合で、猛抗議をしたときだけですね。PRIDEに来日するようになってからは、とてもフレンドリーな印象しかありません。あの抗議をしているときは、ヘンゾがホリオン・グレイシーに見えるほどグレイシーらしかったです(笑)。

「サンキュー。ハハハハ。RINGSの連中は、言っていることに一貫性がなかった。だから、抗議したんだ」

――個人的にはただの良い奴よりも、あの姿があったほうがずっと信用がおけますし、愛すべき人間だと……。

「いくらナイスガイでも、スイッチが入ればクレイジーになる。いつでもね(笑)」

――今やそのクレイジーさなど微塵もなく、ニューヨークで成功を納め、ニュージャージー州のアスレチック・コミッションの信望も厚いヘンゾですが、なぜ、米国へ移住を決意したのですか。

「米国にこそ、このスポーツの未来があると思ったからだよ。確かにリオデジャネイロでは全てが揃っていた。でも、ブラジルは世界と距離がありすぎる。米国にいれば、ヨーロッパとも日本とも関係を築けるし、ビジネス的も将来性があると思った。実際、私のアカデミーには900人もの生徒がいるんだ」

――多くのグレイシーは西海岸に進出していましたが、なぜNYを選択したのですか。

「NYは世界の中心、NYがなければ何も始まらない。ただ11年前は誰も柔術のことなんて知らなかった。だからこそ、そんなNYで成功でき、柔術が普及したことが嬉しいんだ」

――ここまで来るのに相当、難題もあったのではないですか。

「問題なんてなかったよ。何かあっても、私は問題だとは思わない。眠りにつくときだって神に、明日、問題を起こしてくださいって願うほどさ(笑)。何かあったとしても、私はそれに立ち向かい、乗り越えることができる。そうやって生きていくことが楽しいんだ。もっともっと色んなことが起こって欲しいと思っているよ」

――ホリオン・グレイシー、ヒクソン・グレイシー、ホイス・グレイシー、彼らとヘンゾ・グレイシーの違いは、肉親以外でも強豪と呼ばれる教え子たちを育てたという点にあると思います。ヒカルド・アルメイダを初めとして米国でもマット・セラ、ジャメル・パターソンなど、MMAやグラップリングで活躍をしている教え子がたくさんいます。

「さっきも言ったように、肝っ玉の小さな人間、小さなソウルしか持っていない者が多いんだ。グレイシーファミリーであるのに、自分の持ち得るものを、他の人々と分け合わない。だから、チャンピオンを育てることができないし、良い人間を育てることもできない。私は良い選手、良い指導者を育てることができた。その根底には、彼らにもっと良い人間になって欲しいという想いがあったからなんだ」

――米国でもグレイシーファミリーは有名ですが、ヘンゾ選手とシーザー・グレイシー以外に、世界で通用する優秀な教え子と良好な関係を結ぶことができている指導者も見当たりません。

「柔術を自分たちのモノにしているからだよ。私は血のつながりなんかよりも、ただ強い選手を育てたいだけだ。大切なことはチャンピオンにするために、全てを伝授するということ。マットもジャメルも白帯の時から私の下でやってきた。誰だろうが、オープンマインドで接し、結果的に誰の手によって柔術が普及しようが私は構わない。柔術が広まれば、それでいいんだ」

――それはカーロス・グレイシーの教えなのでしょうか。

「これは……、私の考えといっても良いと思う。私は自分の屋根があれば満足できるけど、多くのグレイシーが同じトレーニングをし、同じ教えを受けたにも関わらず、先を見すぎてしまった。柔術を柔術として伝え続ければ、我々に教えを受けた個々の力が一つになり、柔術は普及していくのに。そんなことも、理解できていない者が多い。

私は自分の教え子には、分け隔てなく全てを伝えている。同時に人間的な成長も促している。人間的に成長すれば、チャンピオンへの道も開けてくるからね」

――柔術、グラップリング、MMA、全てにおいてで──ですか。

「全てで言えることだよ」

――ヘンゾにとっての柔術とは一体、何なのでしょうか。

「柔術とは、全てだよ。柔術を取りあげられると、私の体の中には何も残らない。柔術は全てを包含している。素晴らしいスポーツであり、素晴らしい生き方、そして身を守る術として最高の戦いだ。これらの3つ要素の全てが、柔術のあるべき姿で、もしどれか1つでしかないようなら、私はここまで柔術の普及に心血を注ぐことはなかったよ」

――それはグレイシー柔術という名のつく柔術のことなのですか。それとも、ブラジリアン柔術全般にいえることなのでしょうか。

「ブラジリアン柔術かグレイシー柔術、そんな風になったのは、ホリオンのせいだよ。ホリオンは、最初に米国に来て柔術を指導するようになり、他の人間が柔術の指導をできないように画策したんだ。グレイシー一族でありながら、彼以外のグレイシーは、自らのアカデミーにグレイシーと名乗れなくなった。

だから、私はブラジリアン柔術と名を変えたんだ。私は今もグレイシーという名前に誇りを持っている。だからこそ、ホリオンが米国に持ち込んだ柔術、その有り様が好きになれない。そればかりか、悲しむべきことだと思っている。しっかりと指導しないし、我侭にも程がある。ホリオンは私を訴えようとしたんだ。私は柔術を教えるため、自分の身を守るために、グレイシー柔術という名を捨て、ブラジリアン柔術という名前が通称になるよう努力した。

だからテクニック・ビデオでもブラジリアン柔術と名乗ったし、教本にもブラジリアン柔術という名称を使用したんだ。いまや、人々はみなブラジリアン柔術とよび、グレイシーでさえブラジリアン柔術と言うようになった。グレイシー柔術はブラジリアン柔術だってね」

――柔術が全てだというヘンゾですが、グレイシーという名前は何を意味するのですか。

「私の祖父カーロスから受け継いだ最大のギフトだ。グレイシーという姓は、私に誇りを与えてくれた。柔術を思い起こさせてくれる名で、私を強くしてくれたんだ」

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JZ・カバウカンチ News other MMA Titan FC60 ハウシュ・マンフィオ ブログ ロミ・ハメッド

【Titan FC60】動き出す米国MMA。タイタンFCが29日に無観客大会。JZが謎のコンバットグラップリング出場

JZ【写真】ISKAコンバット・グラップリングでもあっても、このようなJZのパウンドは見られない。しかし、どのようなルールだろうがJZが見られることは楽しみだ (C)TITAN FC

8日(金・現地時間)、米国フロリダの大手フィーダーショー=Titan FCが29日(金・同)に同州において無観客大会を開催することを発表、5試合のMMAとコンバット・グラップリング戦が1試合組まれることとなった。

フロリダ州ではエンテーテイメントは人間が生活するうえで欠かさないという州の方針が決まり、WWEの収録やUFC3連戦が行われている。今回は、この波にタイタンFCも乗ることとなった。


タイタンFCのレックス・マクマホン代表によると州政府、ステート・ボクシング・コミッション、UFC、マイアミ市長、フロリダ州選出の上院議員らと話し合いを進め、4月29日開催予定だったイベントをスライドさせ、Titan FC60として会場非公開、無観客大会として行うことになったという。

Hamed州政府やコミッションからは最低限の人数、検査の実施、ソーシャルディスタンスの徹底、衛生面を徹底して重視という方針でイベントにGoサインが出された。大会はコンパクトでMMAは5試合、そのトリはタイタンFCウェルター級コンペティターで、ここ3試合はBrave CFで戦ってきたATT所属のストライカー=ロミ・ハメッドが4年振りの実戦となるフランク・カリロと対戦する。

また大会のメインはコンバット・グラップリング戦でJZ・カルバンこと、ジェシアス・カバウカンチが元タイタンFCライト級王者ハマシュ・マンフィオとブラジリアン対決を戦う。JZは2018年4月にブレイブCFでMMAを戦って以来、この2年間はカサイ・プロ、クインテット・ウルトラ、サブスターズとグラップリング・マッチで戦ってきた。

2月にはニッキー・ライアンにヒールで敗れたJZだが、今回のコンバット・グラップリングがISKAのコンバット・グラップリングに準じているのではれば、スタンドではエルボー以外の打撃が認められ、寝技になるとパウンド禁止という準MMAルールの試合となる。

一体、このコンバット・グラップリング戦がどのような試合形式なのかは、関係者に確認を取っているところだ。フィーダーショー・レベルまで動き出した北米のMMA界。そしてJZという日本でも馴染みのファイターが、謎のコンバット・グラップリングで元タイタンFCライト級チャンピオン対決を戦う──Titan FC60はUFCファイトパスで視聴が可能だ。

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Interview LFA other MMA コリン・オーヤマ ブログ 堀内佑馬 石川英司

【LFA】カリフォルニア州アーバイン、チーム・オーヤマの日々。堀内佑馬─02─「本当にやるしかない」

Yuma【写真】写真はファイターズ・ハウスの同居人であるメキシコ人ファイター達と (C)YUMA HORIUCHI

カリフォルニア州アーバイン、チーム・オーヤマに所属する堀内佑馬インタビュー後編。

夢の一歩を踏み出し、LFAと契約しながら初陣で惜敗。太平洋を挟んだ土地の人々から叱咤激励され、さらに堀内はMMAにのめり込んだ。

そんな矢先のコロナウィルス感染拡大。経済活動の部分的再開、そしてUFCのリスタートの今、堀内が何を思うのかと引き続き尋ねた。

<堀内佑馬インタビューPart.01はコチラから>


──アーバインは富裕層が多くて、街が綺麗な印象もありますし、何と言っても車移動が主ですし、接触の機会は東京よりよほど少ないかと感じました。

「僕らはファイターズ・ハウスですけど、カーラとかプールのついている一軒家に住んでいますしね。こんなことになる以前は、『パーティーするから、おいで』とか言ってもらっていて。凄く良い感じ人なんです」

──それにしても、そのエルパルザにしてもこのような時に戦うのかという声はあるかと思うのですが。

「僕に関して言えば、日本の人達から『帰国した方が良い』と言ってもらえましたね。こっちで練習ができないなら、帰国しようと思っていたはずです。米国に居てコロナウィルスに感染すると、医療費は凄いことになるとかも考えましたし」

──米国は社会保険がなくて、無保険者だと医療費が500万円とか800万円になるとかで。雇用保険もない低所得の人が治療できず感染者数も多くなったという記事を読んだことがあります。それでも佑馬選手はアーバインに残りました。

「日本に戻っていると、自粛で練習できなかったと思います。僕はこっちが主戦場なので、無観客でも試合があったら戦いたいですし。僕自身はロックダウンされる前も、今も余り生活は変わっていないです。午後にジムで練習できなくなったぐらいで。でも、ジムと家の往復という生活は変わっていないので。

自粛することは本当に大切です。それでも練習がちゃんとできているのは……自分のなかでは張りのある生活になっているとは思います」

──UFC以外ではMMA大会はどうなるのか、スケジュールは出ていないプロモーションばかりですね。

「UFC以外の選手は、何もプロモーションからは連絡はきていないと思います。LFAはUFCファイトパスのために6月とか7月に試合がないかなぁって思っているのですが、そこに関しては僕らが何かできるってことではないですしね」

──LFAの活動が再開された際に、この間の経験を活かして勝利に近づいてほしいです。

「あの時は本当に舞い上がってしまっていました。今、祖父が入院していて、元気になって欲しくて。UFC Fight Passだから視てもらえるから、祖父のためにも絶対に勝ちたかったのですが……。

それにLFAはこれまでと経験したことがないぐらい、しっかりとしたプロモーションでした。UFCみたいにライティング設備も整っていて、気合が入りまくったのでこれまで試合で決めたことがないテイクダウンを2度も取れたんです。最後もテイクダウンからパウンドを打って試合終了にできました」

──どちらに転んでもおかしくない判定というか、私は佑馬選手の勝ちも十分にあるかと思いました。

「僕も試合が終わった時は正直、勝ったと思いました。チームメイトも手を挙げろって言ってきたし。でも勝てなくて、『世界は甘くないなぁ』って思い知らされました」

──周囲の反応はいかがでしたか。

「オーヤマ・コーチとアレックス・ペレスには『もっと自分から攻めろ』ときつく言われました。『もっとパンチを出せ』、『相手も疲れていたんだ。いけば倒せていたんだ』と。

前の試合でもリュドヴィク・ショリニアンっていうウクライナ人で今ではカリフォルニアのバンタム級で1位にランクされている選手にも負けていたので……、これで連敗になってしまって。コーチは『勝てるのに負けた。勝てたんだ』と言ってくれました」

──それだけ佑馬選手の力が分かっているので、歯がゆかったのでしょうね。

「ハイ。LFAはやはりUFC Fight Passで中継をしているだけあって、試合を視た人からも僕が勝っていたという連絡が2、30人からあったんです。こんなことは初めてで、ちょっと『俺は勝っていたのか』とか、自分でも思ってしまって。

でも石川英司さんに連絡をすると、『負けていない』と言われている状況を知っていたのか『お前は自分もテイクダウンしたと思っているかもしれないけど、お前もされている。スクランブルだって、劣性のときがあった。ちゃんと戦わないとダメだ』という風に説教してもらえました。

僕には格闘技で3人の師匠がいて、1人が亡くなった宮下トモヤさんで、キックボクシングでは阿佐美(ザウルス)さん、3人目が石川さんなんです。宮下さんが亡くなってから、石川さんにずっとお世話になってきて。その石川さんが言ってくれたことで、僕はもっとMMAがやりたいっていう気持ちになれました」

──石川選手、やりますねぇ。

「LFAもヒジの怪我の医療費とか、全て払ってくれて。『ユーマ、大丈夫か?』ってメールもあり、スケジュールをコーチに送っておくからとか気にかけてくれて。もう本当にやるしかないと思っています。心の底からLFAで勝ちたいと、さらに強く思うようになりました」

──その想い、LFAが活動を再開した折に爆発させてください。

「ハイ、ありがとうございます!」

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【LFA】カリフォルニア州アーバイン、チーム・オーヤマの日々。堀内佑馬─01─「コーチが先生のようで」

Yuma【写真】早々のロックダウンと多くのPCR検査の実施で封じ込めの成功例とされるカリフォルニア。オレンジカウンティの堀内は、どのような日々を送って来たのか(C)YUMA HORIUCHI

カリフォルニア州アーバイン、チーム・オーヤマに所属する堀内佑馬。太平洋を渡り、世界の頂点を目指す彼は1月にLFAデビューも果たした。

しかし、米国は今や新型コロナウィルス感染者が世界最多で100万にを超えるなか、堀内はアーバインに留まりUFCファイターやジムの仲間との生活を続けている。

回復傾向にあるとして、経済活動が限定で再開されつつある米国で、MMAを通して堀内は何を見てきたのか。

NYの嶋田裕太、フロリダの佐藤天、南北・東海岸のファイターに続き、西海岸から堀内の今を尋ねた。


──これまでMMAPLANETではNYの嶋田裕太選手(※現在は帰国)、フロリダの佐藤天選手に現地の様子と練習環境について尋ねてきました。やや間を置き、好転の兆しがあるなかサウス・カリフォルニア、アーバインの方で佑馬選手は過ごしてきましたか。

「最初はアジアから拡散していて、3月の始めは全く深刻ではなかったです。で、1週間後ぐらいに米国でも感染が始まり一気に怖くなりましたね。そうしたら一挙に感染者の数が増えて、すぐにロックダウンまでいきました」

──米国は3月だと6日に佑馬選手が契約しているLFA、そしてInvicta FC、7日にはUFCも開催されていたのが、13日にBellatorが中止になり、LFAも20日大会の延期を発表しました。

「LFAにはチームメイトも出ていますし、延期になった20日のLFAや13日のCombat Americaに出場予定だった選手もいました。僕も出ていたLight Out Xtreme Fightingという大会がイーストLAのコマースという街で20日に開かれる予定だったのですが、計量の日に中止が決まりました。

プロモーターもギリギリまで大会をやろうとしていたみたいです。試合が組まれていたチームメイトは減量でゲッソリしていて……あの頃はみんな、追い込みも終えていた状態で試合がなくなってガッカリしていました。10人以上集まったらダメになったので、大会は無理ですよね」

──練習の方はどうなったのでしょうか。実際、チーム・オーヤマにはUFC所属選手がいて、一連の大会延期&シャッフルと5月9日開催で右往左往した選手もいるかと思います。

「僕はファイターズ・ハウスに寝泊まりしているのですが、ロックダウンになって地元に戻る選手も少なくなかったです。ただ今言われたようにチーム・オーヤマでは、19日にやるって言われていた大会にマルロン・ベラが出場予定でした。彼以外にアレックス・ペレスとカーラ・エスパルザは試合が決まっていて、他にルイス・スモルカがいて、ロックダウン前にはリッキー・シモンやタイソン・ナムもいました。

都市封鎖が行われることになり、シモンやナムはキャンプを切り上げて地元に戻り、その時にオオヤマ・コーチは『UFCは試合があるかもしれないから』ということで、ジムは当然閉めることになりましたが、朝だけプロが10人以下で練習することになったんです」

──佑馬選手は試合の予定は?

「僕は前の試合でヒジにヒビが入って、ちょうど練習に出るようになったぐらいでロックダウンが始まりました。でも、カーラは試合が決まっていて、相手のミッシェレ・ウォーターソンが僕のような動きをするから、仮想ウォーターソンで練習パートナーを務めてきました。

フランクやチート(ベラ)とか、試合が決まっている選手も家族がいて、誰かが感染していたら大変なことになるし。チートは奥さんと話して、練習に来なくなったんですけど、家のガレージで練習していたようです」

──そこは個人の判断だと。

「試合のない選手は自由にして良いとコーチが皆に伝えて、そして上手く人数コントロールができているのか、ジムに10人以上が集まることも1度もないです。それでもUFCファイターは試合が延期されても減量しながら、オーヤマ・コーチがしっかりと追い込んでいる。この状況であれだけやるUFCファイターの選手を見て、改めて凄いなって感じました。

カーラなんて皆を集めて、『絶対に不用心な行動はとらないで。誰かが感染すると、全員に影響を及ぼすことになるから』って話したぐらいで。だから午後はホントに家から出ないです。練習も家でやって。それもあってか、現時点までに僕の周囲には感染した人間は1人もいないです。

逆に日本では友達の知り合いが感染したりしていて、練習ができないなら帰国も考えたのですが、こっちで練習が今はデキている状態で良かった……といって良いのか分からないですが、残って正解だったかという気がします。オーヤマ・コーチが本当に先生のようで」

──厳しく、思い遣りがあり、そしてスマートなオーヤマ・コーチらしい統率力ですね。

「本当にコーチは凄いです。いつものように三部練習ではないから、みな時間はあるんです。だから毎日、練習前に色々な試合映像を見てコーチが解説してくれるんです」

──MMA座学ですね。素晴らしい。

「PRIDEとか昔のムエタイとかジャンルを問わず、格闘技の映像を見ていますね。最初にコーチから『今日はこのコンボを視て、勉強しよう』という説明もあり、本当に学校の授業みたいです。

で、映像のチェックが終わると関係していたドリル練習を思い切りやる。コーチは本当に凄い人だと尊敬しています」

──日常生活は何か変わりましたか。

「僕自身はジムとファイターズ・ハウスの往復であまり変わっていないです。あとは食べ物とか医療品を買うぐらいで。スーパーも最初だけでした、品不足になっていたのは。でも1週間後には普通に買い物できるようになりました。ただ、外は本当に誰も歩いていないです」

<この項、続く>

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News other MMA エヴァンゲリスタ・サイボーグ ジョン・リネケル ハファエル・コルデイロ ファブリシオ・ヴェウドゥム ブログ マウリシオ・ショーグン ヴァンダレイ・シウバ

【NEWS】サイボーグがオークションにPRIDE勝利者トロフィーを出品。コロナ感染で人々の救済訴える

E.Cyborg【写真】サイボーグの試みに、旧チームメイトが声を挙げてサポートする(C)BELLATOR

28日(木・現地時間)、ブラジルのナンバーワンMMA&柔術記者であるマルセーロ・アロンソ氏からMMAPLANETに、ぜひとも日本のMMAファンに伝えて欲しいという連絡があった。

アロンソ氏によると、シュートボクセ所属時代にパンクラスやPRIDE、戦極で戦い、その後もStorikeforceやBellatorで活躍したエヴァンゲリスタ・サイボーグが、PRIDEで獲得した勝利者トロフィーをLeilão Cidadão Solidário=一致団結した市民オークションに出品し、そこで得た全金額を寄付し新型コロナウィルス感染拡大で苦しむ人々をサポートするという活動を始めたとのこと。
Special Thanks to Mrs.Yuko Hirakawa Queiroz Sousa


Cyborgサイボーグは現在ブラジル・マットグロッソ州のホンドノーポリス在住で、ブラジルでは7万人以上の感染者が確認されており、死者は5000人を超える状況だ。

マットグロッソ州では300人を下回る感染者数とはいえブラジルではジャイール・ボルソナーロ大統領が「コロナ封じ込めより、経済優先」という方針を露にし、「国民の7割が感染、どうしようもない」などという発言をし、世界からヒンシュクを買っている。

結果、新型コロナ感染の実態がつかみきれないばかりか、主要官僚の離反が相次ぎ、通貨安が止まらず経済の悪化が進むという負のスパイラルにある。そして経済活動がストップすることで、真っ先に困窮する弱者の救済にサイボーグは取り掛かった。

今回サイボーグは2006年9月10日のPRIDE無差別級GP決勝大会で 西島洋介と対戦しRNCで勝利した際に、手にした勝利者トロフィーをオークションに出品する。最初の価格を1000ドル(約10.8万円)からだ。

このサイボーグの試みにシュートボクセ時代の師匠やチームメイト等から以下のような賛同の声をLeilão Cidadão Solidárioがアップした動画で挙げている。

フジマール・フェデリコ
「このトロフィーは計り知れない価値がある。サイボーグ、私もこのオークションに参加するよ」

ハファエル・コルデイロ
「チャンピオンの行いだ。君を誇りに思う。皆が、彼を我々と同じようにサポートすることを願っている」

ヴァンダレイ・シウバ
「自分もPRIDEのトロフィーをいくつか持っているし、ファイターにとってどのような意味があるか理解している。MMAが好きで、このトロフィーを収集したいならこの機会を活かして欲しい」

ファブリシオ・ヴェウドゥム
「もうPRIDEは存在しないけど、あそこで誰が戦っているのは皆が知っている。さぁ、助け合おう。サイボーグ、本当にありがとう」

マウリシオ・ショーグン
「試合で勝って、このトロフィーを手にした時の気持ちは僕も知っている。この斬新なアイデアに賛同してほしい。サイボーグが多くの食事を必要な人に届けられることを願っている」

ジョン・リネケル
「このトロフィーは日本で最大の団体だったPRIDEのモノなんだ。人々を助けたいという行動を祝福したい。皆に神のご加護を」

「日本のMMAファンの皆さんも、ひぜこの動画に目を通して欲しい」というのが、ブラジルのルタドール達、そしてマルセーロ・アロンソの願いだ。

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News other MMA PFL2020 ケイラ・ハリソン ジェイソン・ソアレス ジョニー・ケース ナタン・シュルチ バッバ・ジェンキンス ブログ マーチン・ヘルド モハメド・ウスマン ランス・パーマー レイ・クーパーIII ローリー・マクドナルド

【PFL2020】ロリマク=ウェルター、ヘルド&ケース=ライト、過去最高が期待されたシーズンが1年先延ばしに

Kayla Harrison【写真】ケイラ・ハリソンは「2020年は試合をしない」ことを明言した (C)PFL/RYAN LOCO

20日(月・現地時間)、PFLが5月21日(木・同)からスタートを切る予定だった2020年シーズンを2021年の春まで延期することを発表している。

レギュラーシーズン→プレーオフ→ファイナルというフォーマットを持つPFLは、ピーター・モーリー代表が「新型コロナウィルスの感染拡大を受け、シーズンフォーマットを重視するPFLでは今シーズンのスタートを2021年春に延期する。PFLではファイター、ファン、PFLの社員、パートナーの健康こそ第一かつ最大に優先させるべきだと考えている」と話している。


ジェイソン・ソアレス(C)TITAN FC

ジェイソン・ソアレス(C)TITAN FC

2020年は女子ライト級、男子はフェザー級、ライト級、ウェルター級、ライトヘビー級、ヘビー級と2019年と同じクラスでシーズンが進められる予定だった。

女子ライト級はケイラ・ハリソン、シンディ・ダンドワ、フェザー級はランス・パーマー、バッバ・ジェンキンス、ジェイソン・ソアレス、ライト級はナタン・シュルチを筆頭にマーチン・ヘルド、ジョニー・ケース、ウェルター級ではブラダボーイことレイ・クーパー3世にローリー・マクドナルド、ヘビー級にカマル・ウスマンの弟モハメド・ウスマンらの出場が決まっていたシーズンは事実上1年間スライドされることとなった。

バッバ・ジェンキンス(C)BRAVE CF

バッバ・ジェンキンス(C)BRAVE CF

この間、ランディ・クートゥアーをホストに関連番組の放送を始めるようだが、モーリーは無観客のノンシーズン大会の開催に関しては、大いに興味を持ちながら「PFLはESPNを通じてファイトをファンに届けることに特化した大会だが、今はそのことについて話す時ではない」としている。

マーチン・ヘルド(C)ACA

マーチン・ヘルド(C)ACA

いずれにせよロリマクが参戦するウェルター級、パーマーの3連覇がかかったフェザー級には前Breve CFフェザー級王者ジェンキンス、Titan FCフェザー級王者フアレスという注目団体の王者が参戦し、ライト級にはケース&ヘルドと過去最高のメンバーといっても過言でないロースターが揃っていただけに、まる1年の延期は非常に残念。

せめて注目選手が勢ぞろいする前哨戦のようなワンマッチ大会を開催して欲しいものだが、この事態を受け、看板ファイターのハリソンはツイッターで「今年は戦うことはないことを皆と約束するわ」と呟いている。

また2021年には2020年シーズンを詰め込み、本来の2021年シーズンとともに2シーズンを実行するのかなども明らかとはなっていない。