【写真】今回は定位置で養成されたパワーを繰り出すことはできなかったグティエレス (C)Zuffa/UFC
MMAと武術は同列ではない。ただし、武術の4大要素である『観えている』状態、『先を取れている』状態、『間を制している』状態、『入れた状態』はMMAで往々にして見られる。
武術の原理原則、再現性がそれを可能にするが、武術の修練を積む選手が試合に出て武術を意識して勝てるものではないというのが、武術空手・剛毅會の岩﨑達也宗師の考えだ。距離とタイミングを一対とする武術。対してMMAは距離とタイミングを別モノとして捉えるスポーツだ。ここでは間、質量といった武術の観点でMMAマッチを岩﨑師範とともに見てみたい。
武術的観点に立って見たクリス・グティエレスフィリップ・コラレスとは?!
──グティエレスは移動のパワーでなく、定位置でエネルギーを養成することができる珍しい選手だということでしたが、今回はコラレスの蹴りの前にその良さが出せていなかったように見えました。
「結論から言いますと、グティエレスはコラレスをビビっていました。ただし、蹴りに対してではないです。パンチが怖いから、下がってカウンターで倒そうとしていました」
──蹴りで養成したエネルギーを出す機会を奪われたのではなく?
「コラレスの蹴りは、足でペチャンって出しているだけで威力はないですよね。あれは効かないです。拳(ケン)にチンクチが掛かるかのように、蹴りも爪先やカカトという先端部分までエネルギーが伝わっているかどうかで、威力も決まります。
コラレスの蹴りは当たった時に足首から先がプラプラァとしていて、体のエネルギーが爪先まで伝わっておらず、質量が低い蹴りなんです。ですから、効かない蹴りよりもコラレスの前進してからのパンチを嫌がっていた。コラレスもパンチでいけば良かったのですが、カウンターのパンチを嫌がっていたのかもしれないです」
──ともあれグディエレスがアンドレ・イーウェル戦で見せた定位置でのエネルギーの養成もなかったということですね。
「定位置でエネルギーを養成するという部分では、止まった位置で力を創っているのですが、それを運ぶという作業、エネルギーで前進するという点ではピエラ・ロドリゲスの方が上です。そして今回の試合ではただ単に下がってしまっていました。だからエネルギー云々という部分では、グティエレスは話にもならないです。
コラレスの方が質量が高くて、そこに対してただ下がる。それは無防備で下がっている危険な行為です。選択したのが、下がって一発狙い。結果、決して褒められた前進ではないコラレスを勢いづけています。その前進により、コラレスの質量は上がっていました」
──それでもグティエレスが2-1の判定勝ちを収めます。
「それがもう分からないです。1Rと2Rはグティエレスがどう勝とうとしていたのか。3Rはもうコラレスが疲れたのか、右を打たれてからはグティエレスの試合になりました。でも最後の30秒か、言ってみると10秒の間だけです」
──岩﨑さんの見立てだと29-28でコラレス。同じ裁定のジャッジが1人いました。ただ、残りの2人は30-27なんです。
「30-27でグティエレスというのは……それはもう全然分からないです。明確なのは3Rですけど、あのラウンドのグティエレスは良かったんです。ただし、1Rと2Rのカウンターを取りに行った作戦は失敗です。カウンター狙いが逃げになっていたので。それでもグティエレスになるのは……分からないです。
そして定位置でエネルギーを養成できるというのも、そこには法則性がなかった。でも法則性があっても、相手や自分のコンディションで発揮できないことは多々あります。それに定位置でエネルギーを養成していることを指導者が良いと判断していないと、続けられることもないです。
だから私は選手が型をやる必要はないと思っています。でも指導する側は私の場合は型ですが、なぜこうなったのかという答が必要なんです。答を持っているのかどうかで、指導は変わってきますからね」
──と同時にこの試合でグティエレスは勝った。なら指導は間違っていないという見方が成り立ちます。
「勝てばハッピーです。それはコーチも。と同時に、ダメだったところは洗い出さないといけない。試合は勝つためにやります。なので武術の本質をそこで取り入れ、追及することで負けてしまっては何もならない。
明確にジャッジの裁定基準が、空振りでも手数を出して前に出ていると勝てるのであれば、私も試合ではそうさせます。試合は勝つために戦うものなので。そのなかで前進すれば勝てるけど、前進するリスクと危険性を指摘できるようでいたいです。
そのうえで前進して、試合に勝たせに行きます。空振りでも評価されるなら、空振りもさせます。勝つことが一番大切なことですから。それが武術と競技の違いです。だから武術の叡智を生かすのは、テクニックや動作だけではない。これだけ厳しい競技をやっているなかで、自分の持っている武という部分からも、その過酷さを説き、精進させることだと思っています。
武術とは生きる、死ぬというなかで生まれたものです。生死が掛ったところの深刻さから生まれた叡智を格闘技で生かすというのは、そういうところでもあるはずです。だから辞めるなら辞めれば良い。そんなことしないでも格闘技の試合は出ていけます。でも、UFCだ、海外だっていうのなら、それぐらいの気持ちでないとあの連中を相手にして、やり合うことはできない。
私は競技をやってきたけど、殺し合いは経験していないです。だから武術を勉強するんです。
武術をやっていない人間だって、実社会でえげつないことを平気でやっています。それはルールがあって、時間があり、審判がいる格闘技とは比べモノにならない、残酷なことをやります。その残酷極まりなさを考えることで、戦わない平和を追求できると思います。実社会は性悪説のえげつないところです。武術はそういう場で、平常心でいられるよう鍛錬するものです。海外で、UFCで勝つという目的を持った馬鹿者には、武術の叡智が5分3Rの戦いで生かせることができればなと。それは男の浪漫。格闘浪漫です」
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